第二十八話 キャッスルアント駆除作戦
「さっきのキャッスルアント……」
フミタロウは腕を組んだ。
「あれ、やばくね?」
「…………」
返事はなかった。
ここは、キャッスルアントの侵入を防いでいるバリケードから少し離れた部屋だった。壁には坑道の地図が掛けられ、机の上にはランプと工具が並んでいる。
その周囲に、フミタロウ、ミルキー、サンキチ、クリフトス、そしてオッゾが集まっていた。
本来なら作戦会議である。
だが、先ほど鉄格子の向こうで見た光景が強烈すぎて、誰も簡単には口を開けなかった。
「私も実物を見るのは初めてでしたが」
ようやくクリフトスが沈黙を破った。
「あの攻撃性と数は、想像以上でしたね」
「私……」
ミルキーは自分の両腕を抱き、ぞわぞわするように腕をさすった。
「さっきから、思い出しただけで鳥肌が……」
「ああ」
フミタロウは苦笑する。
「虫、苦手やったもんな」
「一メートルの蟻は、虫が平気でも嫌ですよ」
サンキチも少し青い顔をしていた。
「まあ、それはそうやな」
一匹だけなら、まだ何とかなるかもしれない。
だが、あの坑道の奥には何十匹どころではない数がいる。
そして、あれで巣の全体が見えている保証もなかった。
「なあ、オッゾさん」
サンキチが尋ねる。
「キャッスルアントが出た場合って、普通はどう対応するんですか?」
「普通かぁ」
オッゾは髭を撫でた。
「どうしてもって場合以外は、その辺一帯を封鎖して放棄するだ」
「放棄?」
「んだ」
「そんな簡単に?」
「簡単じゃねえ」
オッゾは首を横へ振る。
「だけんど、戦う方がもっと大変だ」
キャッスルアントの巣、その中心には女王蟻がいる。
コロニーそのものを潰すなら、巣の奥へ進み、女王まで辿り着いて倒さなければならない。
「それが、とんでもなく大変なんだ」
「ですよねえ……」
「被害を出して、結局失敗することも多い」
「聞けば聞くほど厄介やな」
フミタロウはため息をついた。
放棄できるなら、それが一番安全なのだろう。
しかし、この集落にはその選択肢がない。
ミルドカンドへ通じる坑道を失えば、食料も物資も届かなくなる。
「どうすんの、これ……」
全員が再び黙り込んだ。
*
「蟻の進入口まで行って」
しばらく地図を見ていたクリフトスが、一本の坑道を指した。
「こちら側から穴を塞ぐ、というのはどうでしょう」
「ん?」
フミタロウが地図を覗き込む。
「なるほど」
キャッスルアントが坑道へ侵入してきた穴まで押し返し、そこを石や鉄板で完全に塞ぐ。
女王蟻を倒す必要はない。
巣を根絶する必要もない。
「それができたら」
フミタロウは指で坑道をなぞった。
「こっちの道が使えるようになって、そのままミルドカンド方面へ逃げられるわけやな」
「そういうことです」
「クリフトスさん、冴えてるやん」
「ありがとうございます」
オッゾも地図を覗き込み、大きくうなずいた。
「そこまで行けたら、おら達で急いで穴を塞ぐだ」
「問題は」
フミタロウが顔を上げる。
「そこまでどうやって蟻を押し返すかやな」
「接近戦は厳しいですね」
サンキチが言った。
「はい」
クリフトスもうなずく。
「あれだけの数を近距離で相手にするのは危険すぎます」
「じゃあ」
サンキチが杖を軽く持ち上げた。
「バリケード越しに、とにかく魔法で攻撃し続けるのはどうです?」
フミタロウは少し考えた。
「蟻が減って、奥まで押し込めたら」
「そこでバリケードを開けて、一気に突入」
「そのまま進入口まで行く」
「そこでドワーフさん達が穴を塞ぐ」
「単純ですけど」
クリフトスが言う。
「一番現実的かもしれません」
「よし」
フミタロウが手を叩いた。
「とりあえず、それでやってみよう」
*
「みんな準備オッケー?」
バリケードの前。
フミタロウが仲間たちを見る。
ミルキー、サンキチ、クリフトスは、それぞれ杖や武器を構えていた。
その後ろには、オッゾをはじめとするドワーフたちがいる。
石材。
工具。
鉄板。
侵入口を塞ぐための資材を抱え、いつでも突入できる状態だった。
「はい」
「いつでも」
「準備できています」
「よし」
フミタロウがうなずく。
「んじゃ、そろそろ始めますか」
作戦は単純だった。
まず、バリケードのこちら側から魔法で攻撃する。
蟻を減らし、できるだけ奥へ押し戻す。
そこからバリケードを開放して進入口まで進み、最後にドワーフたちが穴を塞ぐ。
「開けるべ」
オッゾが木の蓋へ手をかけた。
「いくぞ」
板が外される。
奥には鉄格子。
そのさらに向こうに、キャッスルアントの黒い姿が見えた。
「撃って!」
「はい!」
サンキチが杖を振る。
火球が飛び、クリフトスの魔法とミルキーの風の刃が続いた。
三方向から放たれた攻撃が鉄格子の向こうへ飛び込み、爆発と火花が坑道を照らす。
キャッスルアントの黒い外殻が砕けた。
「効いてる!」
だが。
「来ます!」
脚を一本失っても、身体を焼かれても、キャッスルアントは止まらなかった。
傷ついた身体のままこちらへ突進し、鉄格子へ激突する。
巨大な顎が鉄へ噛みついた。
「ほんま、止まらんな……」
フミタロウは思わず顔をしかめた。
見ているだけで、ぞっとする。
その時、坑道の奥に黒い影が広がった。
「……来た」
キャッスルアントの大群だった。
「サンキチくん!」
「はい!」
サンキチが杖を前へ突き出す。
「ファイアーウォール!」
炎の壁が坑道いっぱいに広がった。
押し寄せてきた蟻の群れが、その中へ突っ込んでいく。
黒い身体が一斉に炎に包まれた。
「効いてる!」
しかし。
「え?」
燃えながら、進んでくる。
「うわ……」
サンキチの顔が引きつった。
「まだ来るんですけど」
「風の刃!」
ミルキーが攻撃を重ねる。
「続けます!」
クリフトスも魔法を放った。
火と風と魔力の光が絶え間なく坑道を走り、狭い空間がまるで戦場のように明滅する。
虫嫌いのミルキーは顔を青くしながらも、必死に攻撃を続けていた。
そして、その横で。
フミタロウは見ていた。
「……」
何もしていない。
「俺、また見てるだけやな」
最近、このパターンが多い。
相手が空を飛べば何もできず、集団戦になれば魔法組が活躍する。
「そのうちリストラされるんちゃうか、俺」
冗談半分でそんなことを考えながら、炎に包まれた坑道を眺める。
そこで、何かが引っかかった。
「……ん?」
炎が燃え続けている。
その向こうでは、黒い煙が坑道の天井付近へ溜まり始めていた。
「……ちょっと待て」
サンキチはまだ攻撃を続けている。
「サンキチくん」
返事がない。
魔法の音で聞こえていないらしい。
「サンキチくん!」
それでも反応しない。
「ちょっと待った!」
フミタロウはサンキチの前へ回り込んだ。
「ストップ!」
「え?」
「ファイアーウォール、ストップ!」
「え、どうしたんですか?」
「一回やめて!」
サンキチが魔法を止めた。
ミルキーとクリフトスも、それに合わせて攻撃を止める。
「何ですか?」
全員がフミタロウを見た。
「この作戦」
フミタロウは坑道の天井を指差した。
「一旦中止」
「え?」
「何でです?」
「洞窟の中で」
溜まり始めている煙を見る。
「こんなにバカスカ燃やし続けてたら」
一拍置いた。
「酸欠になるかもしれん」
「……」
「危険や」
フミタロウは両手を広げた。
「下手したら蟻より先に、俺ら全員死ぬ」
「あっ」
サンキチの顔が変わった。
「確かに……」
ミルキーもうなずく。
「そうですよ!」
「やろ?」
換気の悪い坑道の中で、大量の火を使い続けている。
しかも相手の数は多く、短時間で終わる保証もない。
「炭坑火災みたいになったら洒落ならん」
*
「酸欠?」
クリフトスが首を傾げた。
「何です、それ?」
「……ん?」
フミタロウも止まった。
「酸欠知らん?」
「聞いたことがありません」
「もしかして」
サンキチが言う。
「この世界には酸素って概念がない?」
「ありそうですね」
「酸素っていうのは」
ミルキーが説明を始めた。
「目には見えないものなんですけど、人が呼吸をしたり、物を燃やしたりするのに必要なんです」
「目に見えない?」
「はい」
「それがなくなると?」
「息ができなくなって」
ミルキーは少し言葉を選んだ。
「死んでしまいます」
「……」
クリフトスが考え込む。
「目には見えないもので」
ゆっくりと確認するように言った。
「私たちを生かし、物を燃やすことにも関係する」
「はい」
「……なんだか」
クリフトスが顔を上げた。
「魔力に似ていますね」
「おお」
フミタロウは感心した。
「その捉え方、めっちゃ分かりやすい」
知らない概念を、自分の世界に存在するものへ置き換えて理解している。
やはり頭の回転が速い。
「ちょっと聞いていい?」
フミタロウはクリフトスとオッゾを見る。
「洞窟とか坑道みたいな場所で、火をたくさん使ったら、人が倒れたりせえへん?」
クリフトスは考え込んだ。
一方、オッゾは何かを思い出したように声を上げる。
「ああ~」
「ある?」
「そういや」
髭を撫でながら言った。
「悪魔が住み着いて、魂を抜かれるから」
「悪魔?」
「風の精霊がいないところでは、鍛冶をするなって言われてるだ」
「……なるほど」
フミタロウは納得した。
理屈は知らない。
酸素という名前も、この世界にはないのかもしれない。
それでも、経験は残っている。
換気の悪い場所で火を使えば、人が倒れる。
場合によっては死ぬ。
それが、この世界では悪魔や風の精霊という言葉に置き換えられて伝えられているのだろう。
「やっぱりあるっぽいな」
フミタロウは腕を組んだ。
「一酸化炭素中毒とかもありそうやし」
「何です、それ?」
「説明したら長くなる」
首を横へ振る。
「とにかく煙を甘く見たらあかん」
「そうですね」
クリフトスもうなずいた。
「少なくとも、危険性があるならこの方法を続けるべきではありません」
「俺も命懸けで実験するの嫌やし」
*
「となると」
ミルキーが少し考えた。
「サンキチさんは戦力外になりますから」
「え?」
「私とクリフトスさんの二人だけの魔法だと、大群相手には向いていないですね」
「せやな」
フミタロウがうなずく。
「今回は」
サンキチを見る。
「サンキチくんの無能っぷりが発揮されて、作戦失敗と」
「いきなり無能扱い!」
サンキチが声を上げた。
「相変わらず酷い人ですね!」
「だって火使えへんし」
「そもそも火を使う作戦を考えたの、みんなでしょう!」
「まあまあ」
「だったら」
サンキチが少し拗ねた顔でフミタロウを見る。
「フミタロウさんが」
「ん?」
「武闘家らしく」
坑道を指した。
「突っ込んでみたらいいんじゃないですか?」
「……」
フミタロウはバリケードの向こうを見た。
あの黒い大群。
一メートルの巨体。
巨大な顎。
「無理無理無理!」
両手を振る。
「紙の装甲しかない、か弱い俺があそこ突っ込んだら」
三本指を立てる。
「三秒でバラバラになるわ!」
「……」
サンキチが肩をすくめた。
「そのジェスチャーやめい!」
「いや~」
「何や!」
「戦力外ですね」
「お前に言われたない!」
「ふふっ」
ミルキーが笑った。
「もう、二人とも」
「聞いたか!」
フミタロウがサンキチを指差す。
「ミルキーちゃんに笑われたぞ」
「フミタロウさんもですよ」
「俺は場を和ませたんや」
「後付けでしょ」
言い合う二人を見て、ミルキーがまた笑った。
クリフトスも苦笑する。
張りつめていた空気が、ほんの少しだけ軽くなった。
しかし、状況は何一つ改善していない。
「しかし」
フミタロウはバリケードの向こうへ目を向ける。
姿は見えなくても、巨大な蟻たちが動き回る音はまだ聞こえていた。
「ほんまに厄介やな」
火は使えない。
接近戦は無理。
数は多い。
女王蟻を倒すのも現実的ではない。
「……」
フミタロウはしばらく腕を組んで考えた。
だが、今ここで答えは出そうになかった。
「しゃーない」
机のある部屋へ戻ろうと振り返る。
「とりあえず」
全員を見る。
「もう一回、作戦会議やな」
こうしてキャッスルアント駆除作戦は、開始からわずかで見事に白紙へ戻ることになった




