第二十六話 月影草
南の大陸へ上陸して、しばらく。
フミタロウたちは、海岸沿いに続く断崖の上に立っていた。
眼下には青い海が広がっている。
ただし、あまりにも遠い。
岩壁はほとんど垂直で、崖の縁から下を覗けば、海面が遥か彼方に見えるほどだった。足を滑らせれば、まず助からない。
「よし」
ニックスが太いロープを確認した。
「準備完了。下ろすぞ」
「ちょ、ちょっと待て船長」
崖の縁に立ったフミタロウが、もう一度下を見る。
「ほんまに大丈夫なんやろな?」
「大丈夫だ」
「今、一秒くらい考えんかった?」
「気のせいだ」
「めちゃくちゃ不安なんやけど」
「ああ?」
ニックスが呆れた顔をする。
「今さらびびってんのか?」
「びびるやろ!」
高い。
とんでもなく高い。
二時間ドラマなら、追い詰められた犯人がここで人生を語り始めそうな断崖絶壁だった。
「まあ、気持ちは分かるが」
ニックスがフミタロウの肩を叩く。
「超高級素材の月影草を大量に手に入れて山分け――」
一度、言葉を切った。
「じゃなくて」
「おい」
「可哀想なルミアを助けるためだ」
「途中で本音出てるぞ」
「細かいこと気にすんな」
「目が金になってるやんけ!」
「当たり前だ!」
ニックスは胸を張った。
「俺の船の修理代、稼いでもらわねえと困る!」
「開き直りやがった!」
甲板をぶち抜かれた恨みは、まだ相当深いらしい。
「みんな!」
ニックスがロープを持つ船員たちへ声をかける。
「しっかり持ってろよ!」
「おう!」
「ちょっと待て」
フミタロウが振り返る。
「何、その嫌な掛け声」
「いくぞ」
「待てって」
「一」
「おい」
「二の――」
「やめろ!」
「三!」
背中を思いきり押された。
「ぎゃあああああっ!」
フミタロウの身体が崖の外へ飛び出した。
視界いっぱいに青い海と岩壁が広がり、景色が猛烈な勢いで上へ流れていく。
「速い速い速い速い!」
落ちている。
完全に落ちている。
「殺す気かぁぁぁ!」
その直後、腰に巻かれたロープが一気に張った。
「ぐぇっ!」
身体が激しく揺さぶられ、フミタロウは崖の途中で宙ぶらりんになった。
「……」
しばらく、声も出なかった。
「ほんま……」
遥か上を見る。
「血も涙もない守銭奴やな……」
「フミタロウさーん!」
上からミルキーの声が聞こえた。
見上げると、崖の上にいる仲間たちがずいぶん小さく見える。
「大丈夫ですかー!」
「大丈夫やー!」
フミタロウは片手を上げた。
「多分ー!」
とりあえず生きている。
それだけは間違いない。
身体は風にあおられるたび、岩壁から離れたり近づいたりしていた。足元には遥か下の海がある。
「しかし……」
フミタロウは自分の身体を見下ろした。
「こういう状態で空中飛び回って巨人と戦うとか、俺には絶対無理やな」
意味の分からない感想を呟きながら、ようやく本来の目的へ意識を戻した。
*
探しているのは月影草だった。
丸い葉を持ち、その中央には白い三日月のような模様が入っている。
崖の中でも、日陰になった湿った場所を好んで生えるらしい。
「丸い葉っぱに白い三日月……」
フミタロウは岩肌へ目を凝らす。
「丸い葉っぱに……」
ない。
「白い三日月……」
やはり見当たらない。
「もっと下!」
上へ向かって声を張り上げる。
ロープがゆっくりと伸び、フミタロウの身体が少しずつ下降していった。
クリフトスの話では、月影草はかなり希少な薬草らしい。
一株見つけるだけでも、普通の人間にとっては相当な価値になる。
「一本あったら三か月遊べるとか言うてたよな……」
宿に泊まり、酒を飲み、美味い料理を食べる。
一瞬、そんな生活が頭をよぎった。
「いやいや」
フミタロウは首を振る。
「今回はルミアちゃんのお母さんのためや」
少し離れた場所では、青いワイバーンとなったルミアも崖沿いを飛んでいた。
「キュゥ!」
「そっちは?」
「キュッ!」
「分からん」
ワイバーンの姿では、人間の言葉を話せないらしい。
それだけでも十分不便だが、もう一つ問題があった。
ルミアは崖へ近づく。
そのまま通り過ぎる。
旋回して戻ってくる。
また通り過ぎる。
そして、もう一度旋回する。
「なるほどな」
フミタロウはその様子を眺めながら納得した。
「飛べるいうても、ホバリングできへんのか」
空を自由に飛べるからといって、その場に静止できるわけではないらしい。
まだ子どものルミアには、空中で細かな位置を保つ飛び方は難しいようだった。
場所を見つけることはできても、崖の前に留まりながら花を探したり摘んだりするのはかなり難しい。
「これは結構大変やな」
フミタロウは再び岩肌へ目を向けた。
探索は続いた。
*
どれくらい降りただろう。
フミタロウは上を見た。
「ざっと……百メートルくらい?」
崖の上にいる仲間たちは、もう人の形が分かる程度の大きさしかない。
「まだ見つからんか」
ふと、嫌な想像が頭をよぎった。
もし今ここで、ハーピーに襲われたら。
「……終わるな」
逃げ場がない。
左右へ大きく動くこともできず、攻撃を避けようとすれば、そのまま岩壁へ激突するかもしれない。
できるだけ早く見つけたい。
「ん?」
視線の先に、少し大きく張り出した岩があった。
その陰に、何かが見える。
「……あれ」
葉だ。
しかも中央に白い模様がある。
「それっぽない?」
フミタロウは身体を揺らした。
一度、二度と振り子のように反動をつけ、勢いがついたところで岩壁へ足を伸ばす。
「よっ!」
片手を伸ばした。
指先が岩の出っ張りへ届く。
「よっしゃ」
しっかりと掴み、身体を安定させる。
目の前にある葉を確認した。
丸い葉。
中央に白い三日月。
「当たりやろ、これ」
フミタロウはルミアへ向かって声を張り上げた。
「ルミアちゃーん!」
青いワイバーンが旋回する。
「こっち来て!」
「キュウッ!」
「多分これやと思う!」
ルミアが近くまで飛んでくる。
月影草を見るなり、
「キュウ! キュウ!」
激しく頭を上下させた。
「お」
フミタロウは笑う。
「正解っぽいな」
改めて花を眺める。
「しかし」
隣を飛び過ぎていくルミアを見る。
「ワイバーンになると言葉しゃべられへんの、不便やな」
「キュ?」
「喉の構造が違うんかな」
「キュウ?」
「いや、独り言」
人間がワイバーンへ姿を変え、魔法まで存在する世界なのに、声が出ない理由だけ妙に生物学的だったりする。
「異世界いうのも、不思議なところやな」
*
月影草は一株だけではなかった。
「おお」
岩陰の奥を覗き込む。
「結構あるやん」
湿った岩の隙間に、何株もの月影草がまとまって生えていた。
どうやら群生地らしい。
「せっかく群生してるんやし」
フミタロウは一株へ手を伸ばした。
「必要な分だけ、慎重に取っていこか」
一株。
二株。
「ほんまに三日月やな」
三株目。
根まで傷つけないよう、できるだけ丁寧に採っていく。
「こっちにもあるな」
さらに手を伸ばした、その時だった。
「……ん?」
手が止まった。
何かに見られている。
そんな気がした。
「なんや?」
岩壁を見る。
何もない。
ただの岩だ。
そう思った。
だが、よく見ると岩の細い隙間の奥に、二つの目があった。
「……」
フミタロウも見返す。
「……」
目も見返している。
急に心臓が速くなる。
何だ。
魔物か。
蛇か。
それとも岩に擬態する何かか。
フミタロウは月影草からゆっくり手を離した。
刺激しないよう、少しだけ身体を遠ざける。
すると。
「なんだ、お前」
「……へ?」
フミタロウは目を瞬いた。
今、しゃべった。
「人間がこんなところで何してんだ?」
「あー……」
フミタロウはとりあえず愛想笑いを浮かべた。
「ちょっと月影草を集めてまして」
二つの目は動かない。
「もしかして」
フミタロウは周囲に生えている月影草を見る。
「ここ、お宅の花壇でした?」
「……」
「アハハ……」
返事はない。
「違いました?」
がちゃん、と音がした。
「うわっ!」
岩壁が動いた。
つい先ほどまでただの岩にしか見えなかった場所が、ゆっくりと内側へ開いていく。
扉だった。
岩そのものにしか見えないほど、巧妙に偽装されていたらしい。
その奥には暗い通路が続いている。
そして入口に、小柄な男が立っていた。
身長はフミタロウよりかなり低い。
その代わり身体は横に広く、腕も脚も太い。顔の半分ほどを覆う立派な髭を生やし、腰にはいくつもの道具を吊るしている。
まさに。
フミタロウが想像していた、そのままの姿だった。
「ド……」
思わず口から出る。
「ドワーフ?」
「ああ」
男は普通に答えた。
「そうだけんど」
「ほんまにおった……」
「何言ってんだ?」
「いや、こっちの話」
ドワーフはフミタロウの手元へ視線を落とした。
「その月影草な」
「はい」
「おらが育てたもんだから」
「……」
「返してもらうっぺ」
「え」
フミタロウは手に持った月影草を見る。
群生している珍しい薬草。
てっきり自然に生えているものだと思っていた。
「これ、栽培してんの?」
「そうだ」
「……」
フミタロウは素直に頭を下げた。
「それは申し訳ない」
知らなかったとはいえ、完全に他人の畑から勝手に採っていたことになる。
「返す」
「分かればいいっぺ」
「ただ」
フミタロウは顔を上げた。
「俺らも、これがどうしても必要なんよ」
「……」
「悪いけど」
ドワーフを見る。
「ちょっと話、聞いてもらえへんかな」
*
「まあ」
ドワーフは少し考えた。
「話くらいなら聞くだ」
「助かるわ」
「ついてくるっぺ」
フミタロウは腰のロープを外し、入口近くまで来ていたルミアも人間の姿へ戻った。
二人で岩壁の中へ入る。
「崖の中に、こんなんあるんやな……」
扉の先には石造りの通路が続いていた。
自然の洞窟ではない。
壁も床も丁寧に削られている。
壁にはランプが取りつけられ、ところどころに棚や木箱、薬草や作業道具が置かれていた。
明らかに人が生活している。
「外から見たら全然分からんな」
「そう作ってあるっぺ」
通路を進み、少し広い部屋へ案内された。
「まあ、座るっぺ」
棚には瓶や薬草が並び、机の上にはすり鉢や乾燥させた植物が置かれている。
どうやら、このドワーフは薬草についてもかなり詳しいらしい。
ルミアが母親の病気と月影草のことを話すと、男はしばらく髭を撫でながら黙って聞いていた。
「ふーん」
すべて聞き終え、男が小さくうなずく。
「なるほどねぇ」
ルミアは椅子から立ち上がった。
「お願いします」
深く頭を下げる。
「お母さんの病気を治すために、少しだけでも月影草を分けてもらえませんか?」
「うーん……」
ドワーフは困ったように眉を寄せた。
見た目は髭もじゃで強面だが、どうやら人が悪いわけではない。
「気持ちは分かるんだけんどな」
棚へ目を向ける。
「月影草は……」
小さくため息をついた。
「おら達も不足してんだわ」
「え……」
ルミアの顔が曇る。
「分けてやりてえのは山々なんだけんど」
ドワーフ自身、本当に困っているようだった。
しばらく考え込んだあと、やがて顔を上げる。
「んじゃ」
人差し指を一本立てた。
「条件として――おら達に協力してくれっぺか?」
「協力?」
フミタロウとルミアが顔を見合わせる。
「何を?」
ドワーフは、部屋のさらに奥へ視線を向けた。
その先には、地下へと続いているらしい暗い通路がある。
先ほどまで浮かべていた人の良さそうな表情が消えた。
「ちょっとな」
低い声で言う。
「困ったことになってるんだ」
月影草を求めて降りた断崖の途中。
そこで偶然見つけた、小さな扉。
その向こうには、フミタロウたちがこれから足を踏み入れることになる、ドワーフたちの世界が広がっていた




