第二十五話 ワイバーンの少女
甲板をぶち抜いて落ちてきたワイバーン。
その姿があるはずの場所に、一人の少女が倒れていた。
「……やっぱり女の子やな」
フミタロウは、砕けた木材の向こうに横たわる少女を見下ろした。
年齢は、ミルキーやサンキチより少し下くらいだろうか。長い髪に華奢な身体。身につけている青い服はあちこちが裂け、腕や脚には細かな擦り傷がいくつも見える。
つい先ほどまで、空を飛んでいた青いワイバーン。
そして、ワイバーンが甲板を突き破って落ちた直後、その場所に現れた少女。
「……異世界やしな」
フミタロウは腕を組んだ。
「たぶん、そうなんやろ」
「ずいぶん簡単に納得しましたね」
サンキチが言う。
「こういうのはいちいち悩んだら負けや」
「何に負けるんですか」
「頭の処理能力」
この世界へ来てから、魔法や加護、天使の笛に巨大スライム、果ては伝説上の魔族まで見てきた。
今さらワイバーンが少女になった程度で、一つ一つ理屈を求めていたら身が持たない。
「とにかく」
フミタロウは少女のそばへしゃがみ込んだ。
「怪我してるな」
「治療します」
ミルキーがすぐに少女へ近づいた。
だが手をかざそうとして、その動きを止める。
「……」
少し困った顔でフミタロウを見る。
「ああ」
何を考えたのかは分かった。
つい先ほどまで、空を飛ぶ魔物の姿だった少女である。
「目ぇ覚ました瞬間に襲ってきたら困るもんな」
「はい……」
ミルキーの表情が曇った。
助けたい。
しかし、相手が何者なのかは分からない。
「しゃーない」
フミタロウは少女の横へ腰を下ろした。
「ミルキーちゃん、治療お願い」
「いいんですか?」
「このまま放っとく方が後味悪いやろ」
クリフトスも静かに剣へ手を添える。
「何かあれば、私とフミタロウさんで対応します」
「お願いします」
ミルキーが少女へ手をかざす。
淡い光が生まれ、傷ついた身体を包み込んだ。裂けた衣服の下に見える傷が、少しずつ塞がっていく。
しばらくすると、少女の指がかすかに動いた。
「……うぅ」
薄く目が開く。
「こ……ここは……?」
状況が分からないのだろう。
少女の瞳が、不安そうに辺りをさまよった。
「大丈夫」
ミルキーが優しく声をかける。
「安心して。今、治癒魔法をかけているから、そのまま動かないでね」
柔らかな笑顔に、少女の緊張が少しだけ解けた。
「……ありがとう」
かすれた声だった。
「私……ハーピーたちに襲われて……」
「ああ」
フミタロウが親指を立てる。
「ハーピーなら俺たちが追い払ったから安心しな」
「この人、見てただけですけどね」
「そうそう。飛んでる相手には何もできずに――」
フミタロウは一度うなずいた。
「って、うるさいわ!」
「痛っ!」
「力尽きて骨になったんちゃうかったんか、サンキチくん!」
「船酔いくらいで骨になりませんよ!」
「さっき完全に死にかけてたやろ!」
「吐いただけです!」
「二人とも!」
ミルキーが振り返った。
「怪我人がいるんですから、少し静かにしてください!」
「……はい」
「……すいません」
フミタロウとサンキチは同時に黙る。
「ごめんね」
ミルキーは少女へ向き直った。
「騒がしくて」
「ふふっ……」
少女が笑った。
「なんか……面白い」
その笑顔を見て、フミタロウも少し安心する。
普通に話ができる。
こちらを怖がってはいるものの、敵意もなさそうだった。
「なんや、元気そうやな」
フミタロウは腕を組む。
「怪我も大したことなさそうで、よかったよかった」
「よくなぁぁぁい!」
頭上から怒鳴り声が落ちてきた。
「うわっ」
フミタロウたちが見上げる。
甲板に開いた大穴から、ニックスが顔を出していた。
「何でよりによって!」
穴の縁を指差す。
「俺の船に落ちてくんだよ!」
今にも泣きそうな顔である。
「こんなでっかい穴、開けやがってぇぇ!」
「船長……」
フミタロウは同情した。
「まだ言うてる」
「言うわ!」
ニックスが船倉へ降りてくる。
「俺の船だぞ!」
その怒鳴り声に、少女がびくっと身体を縮めた。
そのままミルキーの後ろへ隠れる。
「ご、ごめんなさい……」
「……」
ニックスが止まった。
怒鳴った本人が、一番困った顔をしている。
「まあまあ」
フミタロウが二人の間へ入る。
「ニックスさん」
「何だよ」
「状況から考えたら、この子も被害者みたいやし」
「だからって俺の船が直るわけじゃねえ」
「そこはまあ」
フミタロウは少し声を大きくした。
「ニックス船長ってのはな」
甲板の穴からこちらを覗いている船員たちにも聞こえるように話す。
「船のみんなから尊敬されてる大船長やねん」
「何を急に」
「しかも」
フミタロウはニヤッと笑った。
「女の子を助けるためなら、船に穴の一個や二個開いたくらい気にせえへん」
「おい」
「なあ、みんな!」
すぐに上から声が飛んできた。
「そうだそうだ!」
「さすが船長!」
「大物!」
「ヒューヒュー!」
「お前ら覚えとけよ!」
ニックスが上を睨む。
口笛まで聞こえてきた。
完全に逃げ道を塞がれている。
「……ちっ」
ニックスはしばらく苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
やがて少女を見る。
「まあ」
頭を掻いた。
「仕方ねえか」
少女が恐る恐る顔を上げる。
「しっかり怪我を治せ」
「……はい」
「治ったら」
ニックスは甲板の穴を指差した。
「船の修理、手伝ってもらうからな」
「は、はい!」
ニックスはそれだけ言うと、踵を返して甲板へ戻っていった。
「男やねぇ」
フミタロウが感心する。
「フミタロウさんが逃げ道なくしたんでしょう」
「何のことかな」
*
「もう少しで治療は終わるからね」
ミルキーが少女へ微笑みかける。
「えっと……あなたの名前、教えてもらってもいい?」
少女は小さくうなずいた。
「私……」
一度、息を整える。
「ルミア」
「ルミアちゃんね」
「助けてくれて……ありがとう」
恥ずかしそうに言った。
「私はミルキー。よろしくね、ルミアちゃん」
「……うん」
「僕はサンキチ」
サンキチも前へ出る。
「よろしく」
「うん」
「ところで」
サンキチが首を傾げる。
「何でハーピーに追われてたの?」
その瞬間、ルミアの表情が変わった。
「……」
「ルミアちゃん?」
何か答えようとした。
だが唇が震えた。
「うっ……」
涙がこぼれる。
「あ」
サンキチが慌てた。
「ご、ごめん!」
「サンキチさん」
「いや、そんなつもりじゃ!」
ルミアは顔を両手で覆い、声を押し殺すように泣き始めた。
「大丈夫」
ミルキーがそっと肩を抱く。
「無理に話さなくてもいいよ」
誰も急かさなかった。
しばらくして、ルミアは涙を拭いながら、少しずつ事情を話し始めた。
*
「私……人間のお母さんと、ワイバーンのお父さんの間に生まれたの」
「お父さんがワイバーン?」
「うん」
だからルミアは、普段は人間の姿で暮らし、必要な時にはワイバーンの姿になることができるらしい。
「お父さんは?」
ミルキーが優しく尋ねる。
「ずっと前から、一緒には暮らしてないの」
ルミアは南の大陸にあるヌマタの街で、人間の母と二人で暮らしていた。
裕福ではなかったが、母娘二人の暮らしは穏やかなものだったという。
ところが。
「ある日……」
ルミアの声が小さくなる。
「お母さんが、すごく重い病気になったの」
医者へ連れていった。
薬も飲ませた。
できることは何でもした。
しかし、病状は良くならなかった。
「治すには、月影草っていう薬草が必要だって言われたの」
「月影草……」
クリフトスが名前を繰り返した。
「聞いたことがあります」
「知ってるん?」
「非常に珍しい薬草です。強力な薬の材料になるとされています」
だが、問題は生えている場所だった。
「険しい崖にしか生えないんです」
ルミアがうつむく。
「だから、すごく高くて……」
母娘二人の暮らしでは、とても買える値段ではなかった。
金がない。
だから助けられない。
まだ幼いルミアにとって、それをそのまま受け入れられるはずもなかった。
「それで」
ルミアは膝の上で拳を握る。
「自分で取りに行こうと思ったの」
ワイバーンになれば、崖まで飛んでいける。
危険でも、自分なら何とかできると思ったのだという。
何日も海岸線を探し、ようやく月影草らしき白い花を見つけた。
しかし、そこはハーピーの縄張りだった。
「見つかって……」
ルミアの目に、また涙が浮かぶ。
「逃げてるうちに、あの船が見えて……」
そして力尽き、ニックスの船へ墜落した。
「皆さん……」
ルミアが頭を下げる。
「お願いです」
その声は震えていた。
「どうか、月影草を取るのを手伝ってもらえませんか?」
フミタロウはルミアを見る。
泣きそうな少女。
病気の母親。
高価で手に入らない薬草。
危険を承知で、自分一人で探しに行った。
そして隣のミルキーを見る。
――あ。
このパターン。
知ってる。
「分かった」
案の定、ミルキーは迷わなかった。
「お姉ちゃんたちが手伝ってあげる」
――やっぱり。
フミタロウは小さく笑った。
「ほんと?」
ルミアが顔を上げる。
「うん」
ミルキーは笑顔でうなずいた。
「一緒に探そう」
「ありがとう……!」
「もちろんです」
クリフトスも当然のように応じる。
「ミルキー様がお決めになったことなら」
「僕も手伝います」
サンキチもうなずいた。
そして最後に、三人がフミタロウを見る。
「……何やねん」
「フミタロウさんは?」
「ここで俺だけ嫌やって言える空気ちゃうやろ」
「じゃあ」
ミルキーが笑う。
「決まりですね」
「はいはい」
フミタロウも笑った。
「了解しました」
また一つ、本来の目的とは関係ない仕事が増えた。
だがまあ、困っているのなら仕方がない。
「しゃーないわな」
*
船が南の大陸へ近づくにつれ、海岸線の形も次第にはっきりと見えるようになってきた。
フミタロウは船縁に立ち、目的地の辺りを眺める。
「……なあ」
「はい?」
サンキチが隣へ来る。
「月影草って」
「はい」
「あの辺の、どのへんに生えてるん?」
ルミアが前へ出た。
「あの辺」
指を差す。
一同がその先を見る。
「……」
白い岩壁が、海からそのまま空へ伸びていた。
数百メートルはあるのではないかと思うほど高く、斜面というより、ほとんど垂直の壁だった。
「多分、あの辺じゃないかなって」
ルミアが言う。
「岩が少し張り出してるところの、その下あたりに白い花が見えたの」
フミタロウは黙った。
サンキチも黙った。
ミルキーも、クリフトスも。
しばらく、誰も言葉が出なかった。
「……危険な崖にしか生えへんって」
フミタロウがようやく口を開いた。
「聞いてたけどさ」
「はい」
「俺の想像の、二段くらい上やわ」
「僕もです」
クリフトスが絶壁を見上げる。
「ルミアさんがワイバーンになって近づくのは危険ですね」
「うん……」
ルミアがうつむいた。
まだ怪我も治りきっていない。
再びハーピーの群れに見つかれば、今度こそ助からない可能性もある。
「となると」
フミタロウは絶壁を見上げたまま腕を組んだ。
「俺らで取りに行く方法を考えんとな」
海から突き出す巨大な岩壁。
その遥か上に咲く、一本の白い花。
南の大陸へ到着する前から、フミタロウたちには新しい難題が待っていた。




