第二十四話 おっさん船旅をする
ナハルを出てから七日。
ニックス船長の船を中心に、五隻の船がゆるやかな隊列を組んで南へ進んでいた。
黒帆船の残党を警戒しての船団航行だったが、今のところ追跡される気配はない。
海は穏やかだった。
空は高く晴れ渡り、帆いっぱいに風を受けた船は、白い航跡を引きながら進んでいく。
「いや~、水平線ってええな、ミルキーちゃん」
船縁に腕を乗せ、フミタロウは遠くを眺めていた。
「なんかこう、開放的になるっていうか、清々しいっていうかさ~」
「本当ですね」
隣に立つミルキーも、海から吹く風を気持ちよさそうに受けている。
「天気もいいですし、なんだか心配事とか全部忘れさせてくれる気がします」
「せやろ」
出航してしばらくの間は、北の大陸の海岸線が見えていた。
だが日を追うごとに陸地は遠ざかり、今では三百六十度、どこを見ても海しかない。
五隻の帆船が満帆の帆を掲げ、大海原を進んでいく。
「格好ええなあ……」
フミタロウは満足げにうなずいた。
「このままイスカンダルまで飛んでいきそうや」
「イスカンダル?」
「気にせんでええ。おっさんの古い記憶や」
目的地は、南の大陸にある都市ヌマタ。
順調なら、もうそろそろ南の大陸が見えてくる頃だという。
「目的地は……まだですかぁ……」
背後から、死にかけたような声が聞こえた。
振り返ると、サンキチが手すりにつかまりながら、ゆっくりこちらへ近づいてくるところだった。
顔面蒼白。
目の下には濃い隈。
足取りまで怪しい。
「おお。生きてたんか、サンキチくん」
「なんとか……」
サンキチは現在、絶賛船酔い中だった。
「残念ながら予定では、もうそろそろ到着らしいぞ」
「あ、あと……もう少し……」
心の底から陸地を求めている顔だった。
ミルキーが心配そうに覗き込む。
「サンキチさん、大丈夫ですか?」
「多分……」
「なんで魚釣りの加護持ってんのに、船酔いするんやろな」
「本当ですよね」
ミルキーまで不思議そうに首をかしげる。
「加護さんも、もうちょっと気を利かせてくれたらええのにな」
「加護に文句言わないでください……うっ……」
サンキチは慌てて口を押さえた。
「大丈夫?」
「た、多分……」
船酔いの薬は持っていない。
水だけはしっかり飲ませているが、あとは耐えてもらうしかなかった。
かわいそうではある。
ただ、サンキチが弱り切っていると、フミタロウとしては妙に張り合いがない。
「早よ元気になってくれんかなあ」
「僕を何だと思ってるんですか……」
「大事なツッコミ役」
「そういう意味でしたか……」
クリフトスは船長室でニックスと地図を広げ、南の大陸について情報を集めている。
ミルキーには、風が弱くなった時に帆へ風魔法を送る仕事がある。
サンキチは船酔いで役に立たない。
つまり、四人の中でもっとも暇なのはフミタロウだった。
そのせいか、船員たちからはすっかり便利な人手として扱われるようになっている。
「フミタロウ! こっち手伝ってくれ!」
「はいよ~」
「その樽、押さえといてくれ!」
「はいはい」
船の仕事など最初は何も分からなかったが、七日も一緒にいれば多少は勝手が分かってくる。
荷物を運び、縄を引き、邪魔になった樽を転がす。
そんなことをしているうちに、船員たちともすっかり顔馴染みになっていた。
*
「ん?」
甲板をぶらぶら歩いていたフミタロウが足を止めた。
水平線の向こう。
ぼんやりと黒い線が見える。
目を細める。
「おっ」
もう一度確かめてから、声を張り上げた。
「おーい! みんな!」
甲板にいた船員たちが振り向く。
「陸地見えたぞー!」
その一言で、船上の空気が一気に変わった。
「おお!」
「やっとか!」
「南の大陸だ!」
船員たちが次々と船縁へ集まってくる。
ミルキーも嬉しそうに遠くを眺め、サンキチまで死にかけた顔のまま頭を上げた。
「陸……」
「サンキチくん、泣くなよ」
「泣いてません……」
久しぶりに見る陸地に、フミタロウまで妙に気分が高揚してくる。
気づけば拳を突き上げていた。
「野郎ども!」
「おう!」
ノリのいい船員たちが即座に応じる。
フミタロウは南の大陸を指差した。
「あの大陸の伝説のお宝は――」
少し間を置いてから、大声で叫ぶ。
「俺たち海賊ニックス団がいただきだー!」
「おおおおお!」
「やってやるぜ!」
「ヒューヒュー!」
船員たちが一斉に拳を突き上げた。
「誰が海賊だ!」
背後からニックスの怒鳴り声が飛んできた。
「俺は商船の船長だぞ!」
「細かいこと気にすんな船長!」
「大問題だ!」
甲板に笑い声が広がった。
フミタロウも笑う。
なんてノリのいい馬鹿どもなのだろう。
こういう連中は嫌いではない。
むしろ、大好きである。
そんな馬鹿騒ぎの最中だった。
「ん?」
フミタロウが空を見上げた。
「何や、あれ」
陸地の方角から、何かが飛んでくる。
最初は鳥かと思った。
だが。
「……鳥にしては、でかない?」
しかも一匹ではない。
先頭を飛ぶ一体を、複数の何かが追いかけている。
空中では火球まで飛び交っていた。
「戦ってる……?」
先頭の生き物が振り返り、口から炎を吐く。
追う側も火球を放つ。
「鳥ちゃうな」
距離が縮まり、少しずつ姿が見えるようになってきた。
逃げているのは、青い鱗に覆われた竜のような生き物だった。
身体は細身で、後脚に比べて翼が大きい。
「ワイバーン……かな」
その後方を追う生き物は、さらに奇妙だった。
鳥の翼。
鳥の脚。
だが上半身は、人間の女性に近い姿をしている。
「おい!」
近くの船員が声を上げた。
「あれ、ハーピーだ!」
「うわ!」
「こっち来るな!」
先ほどまでの陽気な空気が消え、甲板が一気にざわついた。
「ハーピー?」
フミタロウは聞き覚えのある名前に首を傾げる。
「ああ。あれか」
元の世界でも、ゲームや物語では有名な魔物だった。
だが、この世界の船乗りにとっては笑い話ではないらしい。
「魔鳥ハーピーは、船乗りにとっちゃ最悪の魔物だ」
船員の一人が空を睨みながら言った。
「群れで船を襲ってくる」
「不吉を運ぶって嫌われてるんだ」
「航行中にやられて、船員が全滅した船もある」
「そんな頻繁に出るん?」
「珍しくはねえ」
「それは普通に怖いな」
そこへ、騒ぎを聞きつけたクリフトスが船長室から上がってきた。
「何事です?」
「クリフトスさん」
フミタロウは空を指差す。
「素朴な疑問なんやけど」
「はい」
「ハーピーの方がワイバーンより強いん?」
「通常ならワイバーンです」
クリフトスは飛び交う魔物たちをしばらく観察した。
「ですが、追われているあの個体は幼体のようですね」
「子ども?」
「ええ」
言われてみれば、想像していたワイバーンよりかなり小さい。
「火球の威力も低い。狙いもかなり甘い。それに何より、身体が小さい」
「なるほどな」
青いワイバーンが振り返り、また火球を吐く。
だが一発は大きく外れ、もう一発もハーピーの翼をかすめただけだった。
空を飛ぶ速度自体は速い。
急降下し、方向を変え、何度も群れを振り切ろうとしている。
しかし相手の数が多すぎた。
一体をかわしても、別のハーピーが前へ回り込んでくる。
「頑張ってんなあ」
気づけば、フミタロウはワイバーンを応援していた。
「逃げ切れ、逃げ切れ」
だが願いも空しく、空中戦はどんどん船団へ近づいてくる。
やがてハーピーの甲高い鳴き声まで届くようになった。
「キィィィッ!」
「うわ、耳障りやな」
「ついてねえ」
ニックスが舌打ちした。
だが次の瞬間には、完全に船長の顔になっている。
「弓を準備しろ!」
「はい!」
船員たちが走り出す。
周囲の船でも騒ぎに気づいたらしく、弓や盾の準備が始まっていた。
「ハーピーに食い殺されたくなけりゃ」
ニックスはフミタロウたちへ振り返る。
「あんたらも戦う準備しといた方がいいぞ!」
「戦う準備って言われてもな」
フミタロウは自分の拳を見る。
「空飛んでる相手に武闘家って、何したらええん?」
「応援ですか?」
サンキチが弱々しく言う。
「それや」
「違います」
ミルキーが即座に否定した。
「まあ、俺は近づいてきた奴からみんなを守る役やな」
「物は言いようですね……」
「サンキチくん」
フミタロウは青ざめた少年を見る。
「大丈夫?」
「うぅ……」
サンキチは杖を握った。
「気持ち悪いですけど……僕も魔法使いの端くれとして……」
ふらつきながら、どうにか立ち上がる。
「何とか頑張ります」
――偉い。
フミタロウは少し感動した。
口には出さなかった。
*
「うわ!」
船員の一人が上空を指差す。
「ワイバーンが落ちてくるぞ!」
「何?」
フミタロウが空を見る。
青いワイバーンが大きく体勢を崩していた。
片方の翼がうまく動いていない。
みるみる高度を失っていく。
「こっち来る!」
「やべえ!」
落下してくる先は、明らかにこの船だった。
フミタロウは反射的に動いた。
「ミルキーちゃん! サンキチくん!」
「え?」
「うわっ!」
二人を両脇へ抱え、そのまま横へ跳ぶ。
直後。
凄まじい衝撃が甲板を襲った。
木材が砕け、破片が弾け飛ぶ。
船体全体が大きく揺れた。
「危なっ!」
フミタロウは二人を抱えたまま甲板を転がった。
顔を上げる。
先ほどまで三人が立っていた場所には、大きな穴が開いていた。
「がぁぁぁぁ!」
誰かの悲鳴が上がる。
ニックスだった。
「俺の船に穴が空いたぁぁ!」
両手で頭を抱えている。
「やめてくれぇぇ!」
「船長……」
フミタロウは心から同情した。
もし自分の車へ空からワイバーンが落ちてきたら、たぶん同じ顔をする。
しかし、船長が悲しんでいる暇はなかった。
「船長!」
「ハーピーが来るぞ!」
「またかよ!」
ワイバーンを追っていたハーピーたちが、そのまま船へ向かって急降下してくる。
「キィィィッ!」
火球が放たれた。
帆の一部へ直撃する。
炎が一気に燃え広がった。
「火だ!」
「帆が燃えた!」
「消せ!」
ニックスは燃える帆と甲板の穴を交互に見る。
一瞬だけ、何も言えなくなった。
「船長」
フミタロウが声をかける。
「壊れました」
「誰がや!」
船員たちはすでに迎撃を始めていた。
「撃て!」
弓が一斉に放たれる。
だがハーピーは速い。
急降下したかと思えば、鋭く方向を変える。
海面すれすれまで落ち、そのまま一気に上昇する。
「当たらん!」
ミルキーの風の刃も飛んでいく。
クリフトスも魔法で狙う。
だが、小さく素早い標的にはなかなか命中しない。
「速いなあ」
フミタロウは空を見ながら顎へ手を当てた。
ふと、隣のサンキチを見る。
「サンキチくん」
「はい?」
「前に使ってた、散弾みたいなやつ」
「炎火散弾ですか?」
「それ」
フミタロウは空を指差した。
「こういう相手には向いてんちゃう?」
サンキチも上空を見る。
何体ものハーピーがばらばらに飛び回っている。
一体を狙い撃つより、広い範囲へ攻撃をばら撒いた方が当たりやすい。
「……やってみます」
サンキチは大きく息を吸った。
顔色はまだ最悪だったが、杖を両手で握る。
「火炎の精霊たちよ――」
杖の先へ赤い光が集まっていく。
「食らえ!」
そして振り抜いた。
「炎火散弾!」
一つの火球が空へ飛び上がり、途中で無数の小さな炎へ分裂した。
火の雨がハーピーの群れへ襲いかかる。
一発一発の威力は高くない。
だが、数が違う。
ハーピーたちは慌てて進路を変えようとした。
しかし急降下の途中だったため、避け切れない。
「ギャアッ!」
「キィィッ!」
次々と炎が命中する。
一体。
二体。
三体。
翼を焼かれたハーピーが海へ墜落していった。
「おお!」
フミタロウが拳を上げる。
「やるやん、サンキチくん!」
「サンキチさん、すごい!」
ミルキーも嬉しそうに声を上げた。
「しかも!」
フミタロウはサンキチを指差す。
「ピクピクしてへん!」
「そこですか!?」
「成長したなあ」
「普通に魔法を褒めてください!」
サンキチは文句を言いながらも、少し嬉しそうだった。
「皆さん!」
クリフトスが右舷を指差した。
「今度は右から来ます!」
散開していた別のハーピーたちが旋回し、こちらへ向かってくる。
「サンキチくん!」
フミタロウが肩を叩いた。
「もう一発!」
「頼むぞ!」
船員たちまで期待した顔で見ている。
「わ、分かりました」
サンキチは再び杖を構えた。
「炎火散――」
そこで動きが止まった。
「ん?」
フミタロウが見る。
サンキチの頬が膨らんだ。
「おぇぇぇ!」
「うわ!」
フミタロウは慌てて飛び退いた。
ここ一番の見せ場で、サンキチは盛大に吐いた。
「サンキチさん!?」
「一発撃ったら終わりって、お前どこの巨神兵やねん!」
「うぅ……」
もはや言い返す余裕もない。
「全員迎撃!」
クリフトスが声を上げた。
弓。
風の刃。
雷撃。
再び船上から一斉攻撃が始まる。
先ほど炎火散弾を受けたことで群れはすでに乱れていた。
そこへ船員たちの矢が飛ぶ。
ミルキーの風が一体の翼を切り裂き、クリフトスの雷が別の個体へ直撃した。
次々とハーピーが海へ落ちていく。
「キィィィーッ!」
ついに残った数体が進路を変えた。
船団から離れ、そのまま南の大陸の方角へ逃げていく。
「逃げたぞ!」
「追い払った!」
「やったー!」
甲板から歓声が上がった。
周囲の船からも、船員たちが手を振っている。
「よし!」
フミタロウも拳を上げた。
「めでたしめでたし!」
「ほんまにめでたいか?」
ニックスが低い声で言った。
その視線の先には、焦げた帆。
そして甲板に開いた大穴。
「俺の船、ボロボロなんやけど」
「まあまあ」
「お前は船主ちゃうから気楽やな!」
「……ん?」
フミタロウは首を傾げた。
何か忘れている気がする。
「どうしたんです?」
ミルキーが尋ねる。
「んー……」
しばらく考える。
「あ」
「何ですか?」
「ワイバーン」
全員の動きが止まった。
「……あ」
先ほど甲板をぶち抜いたワイバーン。
墜落して以来、姿を見ていない。
「下に落ちたまんまや」
「大丈夫なんでしょうか」
フミタロウは大きく開いた穴の縁へ近づいた。
「まあ、見てみるか」
慎重に身を乗り出し、薄暗い船倉を覗き込む。
砕けた板。
倒れた樽。
散乱した荷物。
その中央に、何かが倒れている。
「……ん?」
フミタロウの目が止まった。
「どうしたんですか?」
ミルキーたちも後ろから穴を覗き込む。
そこに青いワイバーンの姿はなかった。
代わりに、砕けた木材の上へ一人の少女が倒れていた。
まだ幼さの残る顔。
乱れた髪。
服はところどころ破れ、腕や脚には擦り傷がある。
だが、翼も角もない。
どこから見ても、人間の少女だった。
「……え?」
フミタロウは目を瞬いた。
もう一度見る。
やはり少女だ。
「さっきのワイバーン……」
サンキチが青ざめた顔のまま呟いた。
「この子ってことですか?」
「……まあ」
フミタロウはしばらく考えた。
異世界へ来てから、理解できないものには何度も遭遇している。
今さら一つ増えたところで驚くのも疲れる。
「異世界やしな」
「それで済ませるんですか?」
「いちいち悩んだら負けや」
少女は目を閉じたまま、動かなかった。
南の大陸を目前にして。
フミタロウたちの船旅は、また妙なものを拾ってしまった。




