第二十二話 死霊侯デロス
颯爽と現れた魔導騎士団。
その指揮官であるユリウスと、ナハル衛兵隊長のシザースは、少し離れた場所で話をしていた。ここからでは内容までは聞こえないが、おそらく現在の戦況や残っている敵の数、今後の対応について確認しているのだろう。
「魔導騎士団は、対魔物戦闘を専門とする武装組織です」
船から降りてきたクリフトスが、フミタロウたちへ説明した。
「現在は魔王討伐令が発令されていますので、必要に応じて各地の兵や衛兵を指揮する権限も与えられています」
「ほー……」
フミタロウは、港に並ぶ騎士たちを眺めた。
「つまり、なかなか強力な助っ人が来たってことやな」
「ええ。頼れる戦力なのは確かです」
つい先ほどまでは、突然現れていきなり指揮権を宣言したことが少し気に入らなかった。
とはいえ、巨大スライムに飲み込まれ、スケルトンナイトと延々戦わされた後である。強い味方が増えることに文句を言うほど、フミタロウにも余力は残っていなかった。
「とりあえず、俺らは怪我人の世話を手伝うか」
「そうですね」
クリフトスが周囲を見回す。
「ミルキー様の治癒魔法だけでは人数が多すぎます。手持ちのポーションも使いましょう」
「はい」
四人は負傷者を一か所へ集め始めた。
歩ける者には肩を貸し、自力で動けない者は何人かで慎重に運ぶ。ミルキーは重傷者を優先して治癒魔法を使い、フミタロウたちは軽傷者へポーションを渡していった。
その少し向こうでは、魔導騎士たちが次々と馬から降りている。
統一された装備に、よく手入れされた武器。
中でも先頭に立つユリウスの白銀の鎧は、ひときわ目を引いた。
傷と泥にまみれた衛兵や船乗りたちの中にいると、まるで物語の中から騎士だけが抜け出してきたように見える。
「なんか、騎士って格好いいですねえ」
サンキチが負傷者へポーションを渡しながら、ちらちらと騎士団を見ていた。
「ああ」
フミタロウもうなずく。
「白馬の騎士がモテるっていうの、分かる気がするわ」
「転職できるなら、騎士もありですかね」
「ありやな」
フミタロウは真面目な顔で考えた。
「鎧着て白馬に乗ってるだけで、三割増しくらいには見えるやろ」
「三割だけですか?」
「元の素材による」
「なるほど」
「前から思っていましたが」
背後から冷静な声が飛んできた。
振り返ると、クリフトスが負傷者へポーションを渡しながら二人を見ている。
「お二人は、本当に緊張感がありませんね」
「ふふっ」
治療を続けていたミルキーまで笑った。
「そんなに女の子は単純ではありませんよ」
「男の人って、本当に子どもですね」
フミタロウとサンキチは顔を見合わせた。
「言われたな」
「言われましたね」
二人で苦笑する。
つい先ほどまで命懸けで戦っていたとは思えないほど、港には少しずつ日常の空気が戻り始めていた。
ナハルの戦いは、もう終わった。
少なくとも、その時のフミタロウはそう思っていた。
「フハハハハハ!」
突然、港全体を震わせるような笑い声が響いた。
負傷者を運んでいた者たちが足を止める。
衛兵も、船乗りも、魔導騎士たちも、一斉に声の方へ振り向いた。
「なるほど――」
低く、よく通る声だった。
「どこから現れたのかは知らぬが、これほどの戦力が集まっているのなら、我が配下の者どもが敗れたのも仕方のないことか」
崩れた建物の上。
そこに、一人の男が立っていた。
一目見ただけで、人間ではないと分かった。
二メートルを超える長身に青白い肌。腰近くまで伸びた銀色の髪が夜風に揺れ、額には墨を流したような黒い紋様が刻まれている。
尖った耳と、冷たい目。
豪奢な黒紫の装束をまとい、その上から長い黒のマントを羽織っていた。腰には装飾の施された細身の剣が下がっている。
美しいと言ってもいい姿だった。
だが、その美しさは人間のものとは明らかに違う。
男は港に集まった人々を見下ろし、楽しそうに笑っていた。
「……なんや、あれ」
フミタロウが呟いた。
*
「貴様が、この戦いの首謀者か!」
ユリウスが馬を前へ進めた。
突然現れた異形の男を前にしても、怯む様子はない。
「デへロスのダンジョンより現れた魔物め!」
青白く輝く剣を抜く。
「魔導騎士団の名のもとに、このユリウスが討ち果たしてくれる!」
「おお」
フミタロウは思わず声を漏らした。
「格好いい」
「本当、映画みたいですねえ」
サンキチまで目を輝かせている。
つい先ほどまで戦場の真ん中にいたはずなのに、二人ともすっかり観客だった。
だが、その空気は一瞬で消えた。
異形の男の笑みが消えたからだ。
「人間ごときが――」
右手をゆっくりと持ち上げる。
掌の上に、黒い炎が生まれた。
「この死霊侯デロスを討つ、だと?」
黒炎が急速に膨れ上がる。
「笑わせるな!」
火球が放たれた。
狙われた魔導騎士は即座に盾を構えた。
真正面から受け止める。
誰もがそう思った。
しかし黒い火球は騎士へ届く直前に弾け、無数の細い影へ分裂した。
「なっ――!」
黒い炎で形作られた蛇だった。
無数の黒蛇が盾を避けるように左右へ散る。一部は上空へ回り込み、別のものは地面すれすれを這った。
そして盾の死角へ潜り込み、騎士の背後から一斉に襲いかかる。
「ぐああああっ!」
馬上の騎士が黒炎に包まれた。
そのまま地面へ落ち、動かなくなる。
港が静まり返った。
「魔導騎士が……」
誰かが呟く。
「一撃で……」
フミタロウからも、先ほどまでの軽い気分が消えていた。
魔導騎士団が強力な対魔物部隊であることは、今しがた聞いたばかりだ。
その騎士が、盾まで構えたうえで何もできずに倒された。
「怯むな!」
ユリウスの声が響く。
「魔導障壁を展開しろ!」
騎士たちが一斉に動いた。
前衛が盾を並べ、その後方で魔法使いたちが杖を掲げる。
幾何学模様を描く魔力が地面を走り、半透明の光壁が次々と立ち上がった。それぞれの壁は隙間なく連結し、やがて港を横切る巨大な防壁となる。
「障壁を盾に包囲する! 弓兵、魔法使いは内側から攻撃!」
号令と同時に、一斉射撃が始まった。
矢と炎、氷、風の魔法が光壁の内側から飛び出し、デロスへ集中する。
だが、デロスは逃げなかった。
長いマントを横へ払う。
それだけで黒い風が巻き起こり、飛来した矢や魔法が闇へ触れた瞬間、次々と勢いを失って消えていった。
「嘘やろ……」
サンキチの声が震える。
デロスは腕を組み、光の防壁を眺めた。
「次は、こちらの番だ」
再び掌に黒炎が生まれ、無数の蛇へと姿を変える。
「恐れるな! 障壁を維持しろ!」
ユリウスは退かなかった。
黒蛇が光壁へ激突する。
最初の一撃で、巨大な亀裂が障壁全体へ走った。
「なっ……!」
続く二撃目で亀裂の中心が砕け、大きな穴が開く。
そして三撃目。
巨大な光壁が、内側から爆発したように弾け飛んだ。
「うわあああっ!」
前衛にいた騎士と衛兵がまとめて吹き飛ばされ、砕けた光が雨のように港へ散った。
それでもユリウスと数人の騎士は立っていた。迫る黒蛇を剣で打ち落としながら、どうにか踏みとどまっている。
「まずいな……」
フミタロウは拳を握った。
「サンキチくん」
「はい……」
「観客モードは中止や」
「ですね」
*
「ミルキーちゃんは、負傷者から離れんようにな」
「でも――」
「まだ動けへん人がいっぱいおる」
フミタロウはクリフトスを見る。
「何か作戦ある?」
クリフトスはデロスから目を離さなかった。
「……あれは、魔物ではありません」
「違う?」
「デロスという名には覚えがあります」
その表情が明らかに強張っていた。
「古い記録に残る、高位の魔族です」
「魔族?」
「今では伝説上の存在です。私も実在するものを見たのは初めてです」
クリフトスは小さく首を振った。
「戦い方も、倒し方も分かりません」
「ほう」
離れた場所にいるデロスが、突然こちらを向いた。
「少しは知識のある者もいるようだな」
「聞こえてたんか」
「我を魔物扱いする愚か者ばかりかと思っていたが」
「魔族……だと?」
ユリウスが剣を構え直した。
「デへロスのダンジョンから、なぜ魔族が現れた?」
「貴様らがデへロスのダンジョンと呼んでいる場所――」
デロスが両腕を広げ、嘲るように笑った。
「あれは、我が居城たる地下宮殿だ」
誰も言葉を発しなかった。
「私は永き眠りについていた。だが――」
デロスの背後に黒い魔力が揺らめく。
「母なる魔王リリス様の復活が、私を目覚めさせたのだ」
「魔王……リリス」
ユリウスが、その名を確かめるように繰り返した。
デロスは港にいる者たちをゆっくりと見渡した。
「人間どもよ。膝をつけ。母なる魔王リリス様へ忠誠を誓うのであれば、我が僕として働かせてやらぬこともないぞ」
「断る」
ユリウスは即答した。
「たとえ相手が魔族であろうと、人間は貴様らなどに服従しない!」
馬の腹を蹴る。
白馬が一気に加速した。
「はあああっ!」
青い光をまとった剣が振り下ろされる。
デロスも腰の剣を抜いた。
細身の黒い刃。
二本の剣が激突し、火花が散った。
白馬の速度を乗せたユリウスの一撃は強烈だった。そのまま二撃、三撃と立て続けに攻める。
デロスは一歩ずつ下がりながら、それらを受け流していった。
「やるやん!」
フミタロウが思わず声を上げる。
このまま押し切れるのではないか。
一瞬、そう思った。
「その程度か」
デロスの剣が横へ走った。
ユリウスが受ける。
二本の刃が押し合い、ほんの一瞬だけ拮抗した。
次の瞬間、デロスは力を込めるのではなく、剣の角度をわずかに変えた。
それだけでユリウスの剣が外へ流れ、体勢が崩れる。
「なっ――!」
そこへもう一撃。
白馬ごと、ユリウスの体が横へ吹き飛んだ。
「ユリウス隊長!」
騎士たちが叫ぶ。
地面へ叩きつけられたユリウスは動いていた。
だが、すぐには立てない。
「このままやと……」
フミタロウは腕防具を締め直した。
「あのユリウスって人がやられて、全滅やな」
「フミタロウさん?」
「俺が行く」
「無茶です!」
ミルキーが声を上げた。
「分かってる」
フミタロウ自身、勝てるなどとは思っていない。
ユリウスでさえ正面から押し負けた相手だ。自分など、まともに攻撃を受ければ一撃で終わるだろう。
それでも周囲を見れば、魔導騎士も衛兵も船乗りも、デロスの強さに気圧されて動きを止めている。
「誰かが動かんと、みんな固まったままや」
拳を構えた。
「俺が突っ込んで注意を散らす。援護お願い!」
止める声を背中で聞きながら、走り出した。
「ライトニングボルト!」
クリフトスの笛から雷撃が走る。
「ファイアウォール!」
サンキチの炎が壁となって立ち上がり、デロスの視界を遮る。
そこへミルキーの風の刃が横から襲いかかった。
三方向から同時に迫る魔法。
「小賢しい」
デロスがマントと剣を振るい、それらを払う。
「今や!」
その一瞬。
フミタロウは低い姿勢で懐へ潜り込んだ。
狙うのは腹。
「もらった!」
全身の力を込めて拳を叩き込む。
鈍い衝撃が腕へ返ってきた。
「浅い……!」
硬い。
人間を殴った感触ではなかった。
拳は確かに入ったのに、ほとんど効いていない。
デロスがゆっくりとフミタロウを見下ろした。
「小賢しい」
「やば――」
剣の柄が振り下ろされた。
避ける暇などなかった。
頭部へ強烈な衝撃を受け、フミタロウの体が石畳へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
肺の空気が一気に押し出された。
それでも本能的に横へ転がる。
直後、二撃目が先ほどまで頭のあった場所へ落ちた。
どうにか上体を起こすが、脚には力が入らない。
たった一撃。それだけで全身が悲鳴を上げていた。
「洒落ならんな、これ……」
だが、フミタロウが飛び込んだことで、止まっていた者たちが動き始めた。
「今だ!」
ユリウスが立ち上がる。
魔導騎士たちが左右からデロスへ攻撃を仕掛け、囲まれるのを嫌ったデロスが大きく後方へ跳んだ。
*
フミタロウは石畳にうずくまったまま、荒い呼吸を繰り返していた。
それでも視線だけはデロスから離さない。
メガスライムの時、自分にだけ黒い斑点が見えた。
あれが漏洩の加護によるものなら、デロスにも同じものが見えるかもしれない。
フミタロウは目を凝らした。
「……見えへんな」
デロスの身体の大半は、長い黒のマントに覆われている。
斑点がないのか。それとも、マントに隠れているだけなのか。
立ち上がる余力もないまま、フミタロウは必死にデロスを見続けた。
その様子を、少し離れた後方からサンキチが見ていた。
なぜフミタロウは攻撃へ戻ろうともせず、デロスをじっと見つめているのか。
サンキチは、メガスライムとの戦いを思い出した。
「そうか!」
隣にいたミルキーが振り向く。
「どうしたんですか?」
「フミタロウさん、弱点を探してるんだ!」
「弱点?」
「メガスライムの時に見えてた、黒い斑点ですよ!」
サンキチもデロスへ目を向ける。
身体のほとんどは、黒いマントに覆われていた。
「あのマントだ……」
サンキチはすぐにミルキーを振り返った。
「ミルキーさん!」
「はい!」
「風の魔法で、あのマントをめくれませんか?」
ミルキーも意図を理解した。
「やってみます!」
杖を両手で構える。
「トルネード!」
デロスの足元で風が巻き起こった。
砂埃が舞い上がり、長い銀髪が激しくなびく。
「何っ!」
黒いマントが風にあおられ、大きく持ち上がった。
その下に隠れていた身体が露出する。
フミタロウは目を見開いた。
「あった!」
左脇腹。
そこに、黒く濃い斑点が浮かんでいた。
メガスライムの時に見えたものと同じだ。
フミタロウは膝へ手をつき、どうにか立ち上がった。
そして後方のサンキチへ親指を立てる。
「ナイスアシスト、サンキチくん!」
「見えたんですね!」
「ばっちりや!」
痛む身体を無理やり前へ押し出す。
「見つけた!」
地面を蹴り、デロスが風へ意識を取られている間に左側へ回り込む。
「カマイタチ!」
至近距離から拳を振り抜いた。
狙うのは、黒い斑点。
確かな手応えがあった。
「ぐっ……!」
初めて、デロスの表情が歪んだ。
左脇腹から青い血が流れ落ちる。
「効いた!」
「おのれ……!」
デロスは傷口を見下ろした。
怒りより先に、その顔に浮かんだのは困惑だった。
「貴様、何をした!」
フミタロウは笑った。
「俺にもよう分からん!」
「なに?」
「ほんまに分からんねん!」
何が見えているのかも、なぜそこへ攻撃すると傷が通るのかも、まだ本人には分からない。
ただ一つだけ確かなことがある。
効いた。
今は、それだけで十分だった。
「フミタロウさん!」
ミルキーの声が飛ぶ。
喜んだ一瞬の隙だった。
デロスの掌には、すでに黒い火球が生まれている。
近い。
今度こそ避けられない。
黒炎が無数の蛇へ分裂し、一斉にフミタロウへ襲いかかった。
避けられない。
そう思った瞬間、青い光が横から飛び込んだ。
鋭い金属音が響き、黒蛇がまとめて弾き飛ばされる。
目の前に立っていたのはユリウスだった。
「よかった。間に合ったか」
「助かった……」
フミタロウは大きく息を吐いた。
「ありがとう」
「気にするな」
ユリウスはデロスから目を離さないまま尋ねた。
「先ほどの攻撃、もう一度できるか?」
「ああ」
フミタロウはうなずく。
「あのマントさえ何とかなれば」
「ならば」
ユリウスは青く輝く剣を構えた。
「私が切り開く」
*
ユリウスが踏み込んだ。
青い剣がデロスへ迫る。
だが、狙いは身体ではない。
黒いマントだった。
「ちっ!」
デロスが剣で受ける。
ユリウスは止まらない。
さらに斬りつけ、続けてもう一撃。
左脇腹の傷が影響しているのか、デロスの動きは先ほどよりわずかに鈍っていた。
青い剣先が黒い布を捉え、マントが大きく裂けた。
「まだだ!」
ユリウスがさらに斬りつける。
長いマントが少しずつ失われ、隠れていた身体が露出していった。
「見える……!」
フミタロウの視界に、黒い染みが浮かび上がった。
左肩や右脇、腰の近くにもある。
最初に見つけた左脇腹ほど濃くはないが、それでも確かに見える。
「そこ!」
拳を叩き込む。
青い血が飛んだ。
「もう一つ!」
別の斑点へ蹴りを入れる。
デロスが体勢を崩した。
「カマイタチ!」
さらに一撃。
今度も傷が残り、青い血が流れる。
デロスの顔から、少しずつ余裕が消えていった。
「人間ごときが……!」
それでも倒れない。
これだけ攻撃を受けても、まだ剣を振るえる。
フミタロウには、黒い斑点が何を意味するのか分からなかった。
ただ、そこへ攻撃した時だけは、デロスにも確かな傷を与えられている。
「生意気な……!」
デロスが大きく後退した。
「今回は油断した。だが、次はこうはいかぬぞ!」
「逃がすな!」
ユリウスが追う。
しかし残っていたスケルトンナイトとスケルトンメイジが、一斉にデロスとの間へ割り込んだ。
「どけ!」
魔導騎士たちが斬りかかる。
次々と倒していくものの、その向こうではデロスが少しずつ遠ざかっていった。
「くそっ!」
フミタロウも追おうとしたが、脚に力が入らない。
もう限界だった。
このまま逃げられる。
誰もがそう思った、その時。
澄んだ笛の音が聞こえた。
*
戦場には、あまりにも不釣り合いなほど美しい音色だった。
夜の港へ、静かに響いていく。
デロスの動きが止まった。
「ぐ……!」
膝が揺れる。
同時に、フミタロウたちの前を塞いでいたスケルトンたちの動きまで鈍った。
「何や?」
フミタロウが振り返る。
そこにミルキーがいた。
両手で一本の笛を持っている。
ミルム聖堂から受け継いだ、天使の笛。
その音色が夜の港全体へ広がっていた。
デロスの表情が変わる。
人間を見下している時も、魔導騎士団の障壁を砕いた時も、フミタロウたちに傷を負わされた時さえも消えることのなかった余裕が、初めてその顔から失われた。
「この音色……!」
デロスがミルキーを見る。
「奴らめ……!」
その目に浮かんだのは怒りだった。
だが、それだけではない。
遠い昔の何かを思い出したような、長い年月を越えて忘れていたものを突然目の前へ突きつけられたような表情だった。
「また――我らの邪魔をするのか!」
「ファイアウォール!」
サンキチが杖を振った。
炎の壁がスケルトンメイジの隊列を分断する。
「道が開いた!」
ユリウスが走った。
正面には、天使の笛によって動きの鈍ったデロス。
青く輝く剣を両手で構える。
「はああああっ!」
一直線の突き。
デロスは避けようとした。
だが、身体がいつものようには動かない。
青い剣が胸を貫いた。
デロスの身体が大きく揺れる。
銀色の髪が夜風の中で舞った。
ユリウスが剣を引き抜くと、青い血が石畳へ落ちた。
デロスはその場に立ち尽くしていたが、やがて片膝が折れ、もう片方の膝も地面へついた。
そして、そのまま力を失ったように倒れた。
*
誰も声を出さなかった。
魔導騎士も、衛兵も、船乗りも、フミタロウたちも。
全員が、倒れたデロスを見ていた。
「……勝った?」
フミタロウは息を切らしながら呟いた。
「勝った……んやんな?」
ユリウスはしばらくデロスを見下ろしていた。
やがて青く輝く剣を高く掲げる。
「死霊侯デロスは倒れた!」
その声が港全体へ響いた。
「我らの勝利だ!」
一瞬の静寂。
次の瞬間、大歓声が爆発した。
「うおおおおおおおっ!」
衛兵たちが武器を掲げる。
船乗りたちは肩を抱き合い、魔導騎士たちも剣を高く上げた。
「勝った!」
「魔族を倒したぞ!」
「ナハルを守った!」
歓声は港から街へ広がっていく。
フミタロウは、その場へ座り込んだ。
「終わった……」
もう腕も脚も動かしたくなかった。
全身が痛い。
巨大スライムに飲み込まれ、スケルトンナイトと戦い続け、最後には伝説に残る魔族とまで殴り合った。
「ほんまに過労死するところやったわ……」
「フミタロウさん!」
ミルキーが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
「生きてる」
フミタロウは疲れ切った顔で笑った。
「たぶん」
サンキチも近づいてきた。
「『たぶん』って何ですか」
「明日の筋肉痛次第やな」
「そこですか?」
クリフトスも合流してきたが、さすがに今回は珍しく大きく息を吐いていた。
少し離れた場所では、ユリウスが倒れたデロスを見つめたまま立っている。
フミタロウも、その姿へ目を向けた。
デへロスのダンジョンと呼ばれていた場所が、かつてデロスの地下宮殿だったこと。
母なる魔王リリスの復活が、眠っていた魔族を目覚めさせたこと。
そして、天使の笛を聞いたデロスが口にした言葉。
『また、我らの邪魔をするのか』
気になることは、いくらでもあった。
だが今のフミタロウには、それを考える余裕など残っていない。
長かったナハルの戦いは、ようやく終わった。




