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漏洩の加護  作者: なつみかん
第五章 貿易都市ナハル
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第二十話 ナハルの戦い その二  

巨大なスライムは、港へ向かってゆっくりと進んでいた。


 半透明の巨体が石畳の上を這うたび、表面が大きく波打ち、ずるり、べちゃりと湿った音を立てる。


 動きそのものは決して速くない。


 だが、近くに獲物を見つけた時だけは別だった。


 体の一部が大きく膨らみ、腕のように伸びる。逃げようとした者の進路を塞ぎ、そのまま一気に全身を包み込んでしまう。


 人間も、スケルトンナイトも、倒れた荷車や樽さえも関係ない。


 進路上にあるものを、片っ端から半透明の体内へ取り込んでいた。


「何だよ、あれ……」


 港の防衛線へ集まっていた衛兵たちの間に、動揺が広がる。


 スライムそのものは、この世界では珍しい魔物ではない。


 湿地や洞窟などに生息する、小型で動きの遅い魔物。新人冒険者が最初に戦う相手として名前が挙がることも多い。


 しかし、目の前にいる個体は三階建ての建物ほどもある。


 その体内には、すでに何人もの人間や魔物が浮かんでいた。


「何をびびってんだ!」


 一人の衛兵が声を張り上げた。


 自分自身の恐怖を振り払うように剣を構える。


「でかくなっただけのスライムだろうが!」


 衛兵は地面を蹴り、巨大スライムへ駆け寄った。


 振り下ろされた剣が半透明の表面へ深く食い込む。


 水の入った袋を切り裂いたような音がして、体の一部が大きく裂けた。


「効いてるぞ!」


 その声に勇気づけられ、周囲の衛兵や船乗りたちも続いた。


「続け!」


「切り刻め!」


 剣や槍、斧が次々と巨体へ突き刺さる。


 半透明の体があちこちで切り裂かれ、黄色がかった液体が石畳へ流れ落ちていった。


「なんや」


 スケルトンナイトと戦いながらその様子を横目で見ていたフミタロウは、少しだけ安心した。


「でかいだけで、所詮スライムなんかな」


 あれなら衛兵たちに任せても大丈夫そうだ。


 フミタロウは再び、目の前の骨の兵士へ意識を戻した。


          *


 振り下ろされた剣を腕防具で外へ逸らし、そのまま懐へ入る。


 胸部へ拳を叩き込み、体勢を崩したところへ膝を打ち込んだ。


 鎧の内側で骨が砕け、スケルトンナイトがその場に崩れ落ちる。


「次!」


 フミタロウが構え直した。


 その時だった。


 何かがおかしい。


 ついさっきまで背後から聞こえていた剣戟も、衛兵たちの威勢のいい掛け声も消えている。


 代わりに聞こえてきたのは、粘ついた何かが地面を這う音だけだった。


 ずるっ。


 べちゃっ。


「……ん?」


 フミタロウは振り返った。


 巨大スライムの周囲に、先ほどまで攻撃していた者たちの姿がない。


「何が起こった?」


 少し離れた場所にいたミルキーが、震える声で答えた。


「ス、スライムに……」


 そこで言葉が詰まる。


「皆さん、まとめて飲み込まれて……」


「まとめて?」


 フミタロウは巨大な体を見上げた。


 半透明の内部に、何人もの影が浮かんでいる。


 先ほど剣を振っていた衛兵も、槍を持っていた船乗りも、近くにいたスケルトンナイトまで、全員が粘液の中へ閉じ込められていた。


「一瞬かよ……」


 切り刻まれていたはずのスライムは、いつの間にか大きく体を広げ、近くまで集まっていた者たちをまとめて包み込んでいたらしい。


 フミタロウは顔をしかめた。


「俺の中のスライムのイメージが、どんどん壊されていくな」


 冗談でも言っていないと、目の前の光景をまともに受け止められそうになかった。


「元の世界へ戻ったら、手記にでも書くか」


 少なくとも、かわいいだけの魔物ではない。


 逃げる場所さえあれば、足の遅い巨大スライムから離れること自体は難しくない。


 だが背後には海があり、その沖には黒帆船がいる。港から離れれば、まだ街中に残っている魔物の群れが待っている。


 ゆっくりと迫ってくる巨体が、壁のように逃げ道を削っていた。


「クリフトスさん!」


 フミタロウは船上へ向かって叫んだ。


「これ、どうやって倒すん!」


 クリフトスが船縁から身を乗り出し、巨大スライムを観察する。


「普通のスライムと同じであれば、体の中心に核があります!」


「核?」


「それを破壊すれば、全身を維持できなくなるはずです!」


「分かった!」


 スケルトンナイトの数は、先ほどより減っている。


 サンキチやクリフトス、それに集まった衛兵たちがいれば、しばらくはこちらを任せても大丈夫だろう。


「骸骨の方は任せる!」


 フミタロウは巨大スライムへ向かって走った。


          *


 問題は、核までどうやって攻撃を届かせるかだった。


 巨大スライムの体には、数メートルもの厚みがある。


 外側をいくら殴っても、中心まで衝撃が届くとは思えない。


「とにかく、やってみるしかないか」


 フミタロウはスライムの手前で足を止め、右拳を握った。


「おらっ!」


 半透明の体へ、全力で拳を叩き込む。


 拳は深く沈んだ。


 しかし表面が大きく波打っただけで、手応えの大半が周囲へ逃げていく。


「やっぱり打撃はあかんか」


 ポヨンくんと同じだった。


 柔らかな体が、衝撃を受け止めるのではなく広い範囲へ逃がしてしまう。


 ならば。


 フミタロウは拳の外側へ意識を集中させた。


 当てる面積を小さくし、触れた瞬間に押し込むのではなく、刃物で切るように振り抜く。


「カマイタチ!」


 右拳がスライムの表面を横切った。


 ばしゅっ、と鈍い音が響き、半透明の巨体に深い裂け目が走る。


「よし!」


 切れる。


 この攻撃なら、拳を打ち込むよりも深く体を削ることができる。


 フミタロウは続けてカマイタチを放った。


 一度、二度と拳を振り抜き、透明な体を少しずつ切り開いていく。


 裂けた場所から黄色い液体が流れ出した。


 だが。


「うそやろ」


 開いたはずの傷へ、周囲の粘液がゆっくりと集まり始める。


「再生すんのかよ!」


 裂け目が塞がっていく。


 それでもフミタロウは攻撃を止めなかった。


 傷が閉じるより速く切り進めれば、もしかすると核まで届くかもしれない。


「いけるか……!」


 もう一歩、深く踏み込んだ。


 その瞬間。


 目の前の表面が突然、大きく盛り上がった。


「え?」


 半透明の粘液が、波のように頭上から覆いかぶさる。


 避ける暇もなかった。


「うわっ!」


 視界が黄色い粘液に覆われた。


          *


 冷たい。


 最初にそう感じた。


 次に襲ってきたのは、強烈な息苦しさだった。


 口も鼻も粘液に塞がれ、呼吸ができない。


 両腕を動かそうとしても、深い水の中へ沈められたように自由が利かなかった。


 必死に体をひねる。


 だが、動けば動くほど周囲の粘液がまとわりついてくる。


 それ以上に奇妙だったのは、全身から急速に力が抜けていくことだった。


 腕にも脚にも力が入らなくなり、やがて指先まで思うように動かせなくなっていく。


 何かを、体の中から吸い出されている。


 魔力の少ないフミタロウには、それが魔力なのか生命力なのか、それともまったく別の何かなのか分からなかった。


 ただ、このままではまずい。


 頭ではそう理解している。


 なのに、次第に恐怖まで薄れていった。


 息ができないはずなのに、苦しさが遠ざかっていく。


 温かい布団へ沈み込むような、深い眠りへ落ちていくような感覚だった。


「……あかん」


 意識が薄れる。


 もう少しだけ、このまま眠っていたい。


 そんな考えまで浮かび始めた、その時だった。


 誰かが、フミタロウの右腕をつかんだ。


「誰や……」


 眠りを邪魔されたような気がした。


 次の瞬間、体がものすごい勢いで引っ張られた。


 まず腕が粘液から抜け、続いて肩、胸、そして頭が外へ出る。


 そのまま一気に引きずり出され、石畳の上へ放り出された。


「ごほっ!」


 肺へ空気が流れ込む。


 フミタロウは激しく咳き込みながら、口の中に入った粘液を吐き出した。


「フミタロウさん!」


 ミルキーの声が聞こえる。


 彼女は杖を地面へ置き、倒れたフミタロウの上体を抱き起こしていた。


「大丈夫ですか!」


「げほっ……」


 何度か呼吸を繰り返し、ようやく声が出た。


「危なかった……」


「急にスライムに包まれて、そのまま動かなくなったから……」


 ミルキーの目には涙が浮かんでいた。


「本当に、焦りました」


「助かった」


 フミタロウはまだうまく力の入らない顔で笑った。


「ありがとう」


 一瞬だけ、ここまで心配してもらえるなら少しくらい得した気分になってもいいかと思った。


 だが、本当に死にかけた直後なので口には出さなかった。


          *


「どうするかな……」


 フミタロウは体を起こし、再び巨大スライムを見る。


 先ほど自分が切り開いた傷は、すでにほとんど塞がっていた。


「核まで届く前に、飲み込まれるな」


「私の風の刃も試しました」


 ミルキーが杖を握り直す。


「でも、深く切ってもすぐに塞がれてしまいます」


 二人は少しずつ後退した。


 スライムは速度を変えることなく港へ迫っている。


 その巨体に押されるように、防衛線全体もじわじわと海側へ下がり始めていた。


「異世界に召喚されて、魔王倒してくれ言われて」


 フミタロウは息を整えながら、半透明の巨体を見上げた。


「最初の大きな戦いで、スライムに飲み込まれて全滅とか……」


 顔をしかめる。


「格好悪すぎるな」


「縁起でもないこと言わないでください」


「せやな」


 もう一度スライムを見る。


 その時だった。


「ところでさ」


「何ですか?」


「スライムって、こんな斑点あるんやな」


「斑点?」


 ミルキーが目を細めた。


「どこですか?」


「ほら、あそこ」


 フミタロウは指を差した。


 黄色く透けた巨体の表面に、黒っぽい染みのような場所がいくつも浮かんでいる。


 大きさも濃さもばらばらだった。うっすらと灰色に見えるものもあれば、墨を垂らしたように黒く見えるものもある。


「気持ち悪いな」


 フミタロウは顔をしかめる。


「俺の中のスライムの評価が、絶賛急降下中や」


 ミルキーは指された場所を必死に探した。


「すみません」


「見えへん?」


「私には、黄色い半透明のスライムにしか見えません」


「黒い斑点あるやん。あそこ」


 フミタロウが位置を変えて何度指しても、ミルキーには分からないらしい。


「何の話ですか?」


 近くでスケルトンナイトを相手にしていたサンキチが、二人の会話を聞いて駆け寄ってきた。


「フミタロウさんだけ、スライムに黒い斑点が見えるそうです」


 ミルキーが説明する。


 サンキチは少し考えた。


「それ、加護の力じゃないですか?」


「加護?」


「僕の魚釣りの加護も、似たような感じですよ」


 サンキチは港の海面を指した。


「魚がいる場所は、水面の色が少し違って見えるんです」


「ああ。そういえば、そんなこと言ってたな」


「魚の大きさで、色がついて見える範囲や濃さも変わります。他の人には見えません」


 フミタロウは巨大スライムへ向き直った。


「ということは……」


 黒い斑点は、今も確かに見えている。


「とうとう俺の漏洩の加護が発動した?」


「可能性はあると思います」


「漏洩の加護で斑点が見える意味は、全然分からんけど」


 とはいえ、他に手がかりもない。


 溺れる者は藁をもつかむ。


 つい先ほど、本当に溺れかけたばかりである。


「試してみるわ」


 フミタロウは黒い斑点を見比べた。


 その中でも、最も大きく、最も色の濃い場所を選ぶ。


 腰を落とした。


「捕まる前に下がってください!」


 ミルキーが声をかける。


「分かった」


 フミタロウは一気に踏み込んだ。


「カマイタチ!」


 右拳を、黒い斑点へ向けて振り抜く。


 ばしゅっ!


 スライムの表面が裂けた。


 ここまでは先ほどと同じ。


 だが、次の瞬間。


 裂け目から黄色い液体が勢いよく噴き出した。


「うおっ!」


 まるで巨大な水袋へ穴を開けたように、液体が噴水となって石畳へ飛び散る。


 フミタロウは慌てて後退した。


「当たった!」


 巨大スライムの全身が大きく揺れた。


「効いてます!」


 サンキチが声を上げる。


「絶対、効いてますよ!」


「よし!」


 フミタロウは裂けた場所を見た。


 さっきまでの傷とは違う。


 周囲の粘液が集まってきても、そこだけはうまく塞がらず、黄色い液体が流れ続けている。


「ここ、何か漏れやすい場所なんか?」


 何がどうなっているのかは分からない。


 だが少なくとも、普通の場所を切るのとは明らかに違う。


「次や!」


 フミタロウは別の斑点へ走った。


 小さな黒い染みへカマイタチを放つ。


 再び裂け目から液体が噴き出した。


「もう一つ!」


 今度は巨体の側面へ回る。


「カマイタチ!」


 ばしゅっ!


 三つ目の噴水が上がった。


 スライムの動きを避けながら、フミタロウは次々と黒い斑点を切り裂いていく。


 印のない場所へ攻撃した時は、これまでと同じように傷が塞がった。


 だが斑点を切った場所だけは閉じない。


 液体が止まらない。


「やっぱりや!」


 あちこちから黄色い液体を吹き出し続けるうちに、巨大だったスライムの体が目に見えて縮み始めた。


「小さくなってます!」


 ミルキーが声を上げた。


 高さが落ち、張りのあった表面に皺が増えていく。


 体内に取り込まれていた者たちも、粘液の量が減ったことで少しずつ外へ押し出され始めた。


「まだや!」


 フミタロウは、残っている斑点の中で最も濃いものを見た。


 巨体の中央近く。


 そこへ向かって走る。


 スライムも危険を感じたのか、体を大きく変形させた。


 粘液が波のように伸び、フミタロウへ覆いかぶさってくる。


「二回も捕まるか!」


 大きく飛び退かない。


 半歩だけ位置をずらす。


 バサルスに何度も叩き込まれた、小さな回避。


 伸びてきた粘液が、すぐ横を通り過ぎた。


 フミタロウはそのまま前へ出る。


「これで――!」


 拳の先に、これまでとは違う硬い感触があった。


「おっ」


 液体の奥。


 球状の何か。


 核。


「見つけた!」


 フミタロウは歯を食いしばった。


「終わりや!」


 右拳を叩き込む。


 硬い核へ亀裂が走った。


 ぴしっ、と小さな音が響く。


 一瞬だけ、巨大スライムの動きが止まった。


 次の瞬間。


 核が内側から砕けた。


 ばきん――!


 巨体を支えていた力が失われる。


 巨大スライムは形を維持できなくなり、その全身が一気に崩れ落ちた。


「うわっ!」


 大量の液体が石畳へ広がり、フミタロウは流れに足を取られて片膝をついた。


 だが、もう粘液が襲いかかってくることはない。


 ただの液体となって、排水路や海へ流れ始めていた。


「倒した……?」


 ミルキーが慎重に近づく。


 巨大スライムは動かない。


 核も完全に砕けている。


「倒したんやろな」


 フミタロウは荒い息を吐き、その場へ座り込んだ。


「しんど……」


 スライムに取り込まれていた衛兵や船乗りたちも、粘液の中から次々と助け出されていた。


 意識を失っている者もいるが、息のある者は多い。


「治療してきます!」


 ミルキーはすぐに負傷者たちのもとへ走っていった。


          *


 巨大スライムが倒れたことで、港の戦況は大きく変わった。


 残っているスケルトンナイトはもう多くなく、集まった衛兵や船乗りたちが数の上でも優位に立ち始めている。


 海側でも、準備に手間取っていたナハルの軍艦がようやく動き出していた。


 湾の出口では軍艦と黒帆船が矢や魔法を撃ち合い、夜の海に炎と光が走っている。


 黒帆船による包囲も、少しずつ崩れ始めていた。


「なんとかなったな」


 フミタロウの隣へ、ニックスが歩いてきた。


「助かったぞ、ひよっ子召喚者」


「誰がひよっ子や」


「召喚されてから、まだ大して経ってねえんだろ?」


「それはそうやけど」


「はっはっは! よくやった!」


 ニックスが豪快にフミタロウの肩を叩く。


「痛い痛い! 今そこ、スライムにやられたとこ!」


「悪い悪い」


 サンキチとクリフトスも合流してきた。


「まだ完全に終わったわけではありません」


 クリフトスは湾の出口へ視線を向ける。


「ですが、敵船は退き始めています」


「スケルトンナイトも、ほとんど片づきそうです」


 サンキチも周囲を見回した。


 戦いが始まった頃には高かった月が、いつの間にか大きく傾いている。


 炎を上げる船や、崩れた建物、戦闘の跡が残る石畳。


 その間を衛兵や船乗りたちが走り回っているものの、先ほどまでの混乱は少しずつ収まり始めていた。


 長かったナハルの戦いは、ひとまず終息へ向かっていそうだった。


「どうしたんですか、フミタロウさん?」


 サンキチに声をかけられ、フミタロウは自分の服を見下ろした。


 頭から足まで、巨大スライムの粘液でべっとりと濡れている。


 袖をつまむと、ぬるりと嫌な感触が指にまとわりついた。


「スライムのせいで体中ぬるぬるで気持ち悪い」


 顔をしかめる。


「とりあえず、風呂でも入りたいわ」


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