第十九話 ナハルの戦い その一
敵の狙いは、ナハルの港に停泊する船だった。
沖から迫ってきた黒帆の船団は、港へ真っすぐ突入してくるのではなく、ゆっくりと左右へ広がり始めていた。数隻は湾の出口へ回り込み、港から外海へ続く航路を塞いでいく。
偶然の動きではない。
ナハルの船を、一隻も逃がさないつもりだった。
「おい、サンキチくん」
甲板から黒帆船を見ていたフミタロウが、隣に立つ少年へ声をかける。
「船に乗ったんはええけど、逃げ道を塞がれてへん?」
「はい」
サンキチも海上へ目を凝らしていた。
「僕も、何となくそんな気がしていました」
「何となくどころか、完全に包囲されてるよな」
二人はそろってニックスを見た。
「ニックスさん、どうする?」
サンキチが尋ねる。
「船を出して戦いますか?」
「戦う?」
ニックスは、信じられないものを見るような顔をした。
「俺の船は、ただの貿易船だぞ!」
船乗りたちも、普段から完全に丸腰というわけではない。海賊や魔物に襲われた時に備えて、弓や剣を扱える者はいるし、船にも最低限の武器は積まれている。
だが、沖に並ぶ黒帆船はどう見ても貿易船ではなかった。
黒く塗られた船体。甲板には武装した人影が並び、帆や船首には不気味な紋章まで描かれている。
「あんな見るからに危なそうな船団、相手にできるか!」
ニックスは堂々と言い切った。
「正直やな」
「勝てない相手に突っ込む船長は、勇敢じゃなくて馬鹿っていうんだ」
「それはそうやな」
湾の出口は封鎖されつつあり、陸側からはスケルトンナイトをはじめとする魔物が港へ集まっている。
今すぐ出港すれば黒帆船に捕まり、港へ残れば陸から攻め込まれる。
「しばらくは、ここで耐えるしかありませんね」
クリフトスが周囲を見渡した。
「陸から来る魔物を防ぎながら、包囲に隙ができるのを待ちましょう」
「できると思うか?」
ニックスが聞く。
「待つだけでは難しいでしょう」
クリフトスは静かに答えた。
「ですが、今すぐ海へ出るよりは可能性があります」
そう言うと、腰に下げていた笛を取り出した。
「まず、この船と皆さんへ水の守りを付与します」
「水の守り?」
「火による攻撃を軽減する術です」
ナハルの街では、すでに何隻かの船が火を放たれている。
木造船にとって、炎は何より恐ろしい。帆や縄へ燃え移れば、戦う前に動けなくなる。
クリフトスは笛を口元へ運んだ。
静かな旋律が、騒乱の港へ流れ始める。
怒号や鐘の音が飛び交う中でも、その澄んだ音色だけは不思議なほどよく響いた。
曲に応えるように、淡い青色の光がクリフトスの足元から広がっていく。
光はフミタロウたちの体を包み、そのまま甲板を走って帆柱や船縁へと広がった。
やがて船全体が、薄い水膜をまとったような青い輝きに覆われる。
「おお……」
フミタロウは自分の腕を見た。
「すごいな、クリフトスさん!」
「さすが魔楽士ですね」
サンキチも目を輝かせる。
「格好いいです!」
「キャー、素敵!」
フミタロウが裏声で歓声を加えた。
「フミタロウさんは黙っていてください」
「何でやねん」
クリフトスは演奏を続けながら、わずかに笑った。
その横で、ミルキーだけが陸地を見つめている。
「すごいですけど……」
「どうした?」
「私たち、ものすごく目立っていませんか?」
フミタロウたちも港へ目を向けた。
夜の闇の中、青白く輝く船は、確かに異様なほど目立っていた。
街中をさまよっていたスケルトンナイトたちが、一斉にこちらを向いている。
一体が船を指差した。
それにつられるように別の一体も気づき、やがて港のあちこちから、骨の兵士たちが青い光を目指して集まり始めた。
「げっ」
フミタロウの顔が引きつる。
「前言撤回! この光、何とかしてくれ!」
クリフトスが演奏を止めた。
だが、青い輝きは消えない。
「これは、私としたことが」
珍しく気まずそうな顔をする。
「申し訳ありません。発動した守りは、効果が切れるまで解除できません」
「消されへんの?」
「はい」
「終わった……」
しかし、青い光を目印にしたのは魔物だけではなかった。
街の中で孤立して戦っていた衛兵や船乗りたちも、港で守りを固めている者たちの存在に気づき始めている。
「味方も、こちらへ集まってきています」
クリフトスが言った。
「結果的には、防衛の拠点になるかもしれません」
「敵も全部来てるけどな」
船へ続く桟橋の先では、すでにスケルトンナイトの群れが迫っていた。
「とりあえず、陸から来る敵を止めないと」
サンキチが杖を構える。
「フミタロウさん、援護しますから頑張ってください」
「さらっと俺を盾扱いするな」
「前衛でしょう?」
「そうやけど、もう少し優しく言って」
「私も行きます!」
ミルキーが突然、船縁へ向かって走った。
「はい?」
フミタロウが振り返る。
「ちょっと待った!」
止めるより早く、ミルキーは桟橋へ飛び降りていた。
「ミルキーちゃん!」
フミタロウも慌てて後を追った。
*
桟橋へ降りたミルキーへ、スケルトンナイトが剣を振り下ろす。
ミルキーは長い杖を横へ払った。
「やあっ!」
杖が剣の軌道を受け流し、そのまま鎧の胴へ打ち込まれる。
直後、風が弾けた。
骨の戦士は大きく後方へ吹き飛び、後ろにいた別のスケルトンを巻き込んで倒れる。
「え?」
追いついたフミタロウが足を止めた。
別の一体が、今度は槍を突き出す。
ミルキーは身をひねってかわし、杖を滑らせるように振り抜いた。
杖の先へ細い風の刃がまとわりつき、突き出された槍を途中から切断する。
続く一撃が鎧の隙間へ入り込み、内部の骨を断ち切った。
「とうっ!」
さらに踏み込み、横薙ぎ。
風をまとった杖が、刃物のように相手の肩口を切り裂く。
「強っ!」
フミタロウは思わず声を上げた。
「何それ!」
「さすがはミルキー様」
船上から援護していたクリフトスが説明する。
「杖へ風の刃を付与しているのです」
「風の付与攻撃?」
「単に杖で殴るのではなく、接触と同時に風で切断しています」
ミルキーが扱っている長杖は、もともと槍の扱いにも近い構造をしている。
そこへ風魔法を加えることで、打撃だけでなく斬撃や刺突にも対応できるようになっていた。
「俺、武闘家やんな?」
フミタロウは自分の拳を見る。
「近接戦闘、俺より強ない?」
その間にも、ミルキーの杖がもう一体を吹き飛ばした。
「考えるのは後や!」
フミタロウも迫ってきたスケルトンナイトへ拳を叩き込む。
鎧の胸部をへこませ、体勢を崩したところへ蹴りを放った。
ミルキーと二人で前に並ぶと、一人で戦っている時とは比べものにならないほど楽だった。
フミタロウが盾持ちの姿勢を崩し、ミルキーが風の刃で関節を断つ。
ミルキーへ横から迫る敵をフミタロウが蹴り飛ばし、その二人が敵を引きつけている間に、後方からサンキチの火球が飛んでくる。
「ファイア!」
炎がスケルトンナイトの頭部を包んだ。
魔物たちは次々と崩れていく。
青く輝く船と、そこで戦うフミタロウたちの姿を見て、周囲の衛兵や船乗りたちも集まり始めた。
「港を守れ!」
「ここへ集まれ!」
「負傷者は船の後ろへ!」
それまでばらばらに戦っていた人々が、少しずつ一つの防衛線を作っていく。
燃える建物から逃げてきた者や、仲間とはぐれた衛兵、弓を持った船員たちが青い光の周囲へ集まり、陸側から押し寄せる魔物を食い止め始めた。
*
「船長!」
見張りをしていた船員が叫んだ。
「敵船が、こちらへ近づいてきます!」
沖合を包囲していた黒帆船のうち、数隻が隊列を離れて港へ向かっていた。
より正確には、青く輝くニックスの船へ向かっている。
「そら狙われるわな!」
フミタロウが叫ぶ。
「港で一番目立ってるもん!」
ニックスは甲板へ上がり、迫る敵船を睨んだ。
「弓を構えろ!」
船乗りたちが船縁へ並ぶ。
「近づけさせるな!」
号令とともに矢が放たれた。
無数の矢が夜空を舞い、黒帆船へ降り注ぐ。
敵もすぐに応射した。
今度は火のついた矢が、赤い尾を引きながら飛んでくる。
「火矢だ!」
船員たちが身を伏せた。
火矢が青い光へ触れた瞬間、炎だけが消えた。
煙を上げながら、ただの矢となって甲板へ突き刺さる。
「守りが効いてる!」
船員の一人が喜んだ。
だが次の瞬間、その隣にいた男が肩を射抜かれて倒れる。
「ぐあっ!」
「火が消えただけや!」
フミタロウが叫んだ。
「矢は普通に飛んでくるぞ!」
続く斉射で、さらに何人かの船員が倒れた。
「盾を使え!」
「負傷者を下げろ!」
混乱する船上で、クリフトスが敵船へ向き直る。
笛を握り、短い旋律を奏でた。
空気が震える。
「雷よ、我が意に従え」
笛の先へ青白い光が集まった。
「ライトニングボルト!」
稲妻が夜空を走った。
黒帆船の舷側へ直撃し、激しい轟音とともに船体の一部が弾け飛ぶ。
木片が海へ舞った。
クリフトスは間を置かず、二発目を放つ。
再び雷が走り、同じ船の別の場所を貫いた。
大きく開いた穴から海水が流れ込み、黒帆船がゆっくりと傾き始める。
「おお!」
ニックスは豪快に笑った。
「楽士の兄ちゃん、やるじゃねえか!」
興奮したまま、クリフトスの肩を何度も叩く。
「優男かと思っていたが、見直したぞ!」
「演奏中ですので、叩かないでいただけますか」
「がっはっは!」
クリフトスは少しよろめきながらも、敵船から目を離さなかった。
「強力ですが、何度も撃てる魔法ではありません」
「魔力を使うんか?」
「かなり」
雷撃の威力は凄まじい。
その分、消耗も大きい。
「今ので警戒してくれればよいのですが」
狙いどおり、接近していた他の黒帆船は一度動きを止めた。
沈み始めた仲間の船を見て、距離を取り直している。
「効いてるぞ!」
ニックスが海を指した。
「しばらくは近づいてこねえ!」
「しばらく、ですけどね」
クリフトスは小さく息を吐いた。
その顔色は、すでに少し青ざめていた。
*
陸側の戦いも続いていた。
「くそっ……」
フミタロウは荒い息を吐きながら、スケルトンナイトの剣を腕防具で外へ逸らした。
「こいつら、おっさんを過労死させる気かよ」
相手の足を払い、石畳へ倒す。
そのまま胸部を踏みつけ、拳で頭蓋骨を砕いた。
すぐに別の一体が、ミルキーの背後へ迫る。
フミタロウは横から飛び込み、足を引っかけて転倒させた。
「危なっ!」
倒れた敵へ肘を落とし、動きを止める。
「ありがとうございます」
ミルキーは杖を支えにして息を整えた。
「大丈夫?」
「はい……」
そう答えたものの、肩が大きく上下している。
杖へ風をまとわせながら接近戦を続けるには、体力だけでなく魔力まで使う。最初の頃に比べると、動きもわずかに鈍くなっていた。
「ミルキーちゃん」
フミタロウは周囲を確認した。
味方の衛兵や船員が増え、防衛線は形になりつつある。
「一回下がって」
「でも……」
「負傷者が増えてる」
青い光の内側には、矢を受けた者や、魔物の爪や剣で傷ついた者が何人も横たわっていた。
「そっちを頼むわ」
ミルキーは迷った。
前で戦う者たちを助けたい気持ちはある。
だが、回復魔法を使える者もほとんどいない。
「分かりました」
最後にはうなずいた。
「フミタロウさんも無理をしないでください」
「大丈夫」
フミタロウは親指を立てた。
「避けるのだけは得意やから」
笑ってみせたが、実際には彼も限界へ近づいていた。
呼吸は乱れ、腕には細かな傷が増えている。踏み込んだ時には、膝がわずかに震えた。
バサルスとの訓練で、攻撃を避ける動きは確かに身についた。
だからといって、疲れなくなったわけではない。
体力が落ちれば、攻撃が見えていても体がついてこなくなる。
「何で武闘家なんか選んだんやろな……」
ふと、そんな言葉が漏れた。
もともとは、自分がゲームの中で作ったキャラクターだった。
友人たちが勇者や戦士を選び、強い武器や防具を装備する中で、フミタロウはなぜか最後まで武闘家を使い続けていた。
守りは薄く、装備できる物も少ない。
それでも、素早く動いて敵の攻撃を避け、拳と蹴りだけで戦うその職業が好きだった。
「昔から成長してへんなあ、俺」
苦笑する。
だが、選んでしまったものは仕方がない。
今、この場で前へ立てるのは自分だった。
「まあ、死なん程度に頑張るか」
フミタロウは拳を構え直した。
*
「おい!」
近くで戦っていた衛兵が、突然声を上げた。
「何だ、あれ!」
その場にいた者たちの視線が、男の指差す方向へ向く。
街路の奥。
建物の間を、半透明の巨大な何かが動いていた。
最初は、夜の闇そのものが揺れているように見えた。
やがて街灯の光を受け、その全体像が浮かび上がる。
高さは三階建ての建物ほど。
形は一定せず、巨大な水の塊のように脈打ちながら、街路いっぱいに広がって進んでくる。
ずるり、べちゃりと、湿った音が近づいてきた。
「何や、あれ……」
フミタロウの声が低くなる。
巨大な半透明の体内には、折れた剣や樽、荷車、鎧を着たスケルトン、そして逃げ遅れた人間まで浮かんでいた。
怪物は進路上にある物を区別せず、すべて体内へ取り込んでいる。
飲み込まれた者は、粘液の中でもがいているものの、ほとんど身動きが取れていない。
「スライム……?」
サンキチが呟いた。
「まさか」
フミタロウは、港へ迫ってくる巨体を見上げた。
「俺の知ってるスライムは、『僕、悪いスライムじゃないよ』とか言う、かわいい奴のはずなんやけどな」
誰も笑わなかった。
ようやく形になり始めたナハルの防衛線へ向かって、巨大なスライムがゆっくりと迫ってきていた




