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漏洩の加護  作者: なつみかん
第五章 貿易都市ナハル
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第十八話 貿易都市ナハル  

北の大陸と、南の大陸。


 二つの大陸では、暮らす種族も文化も大きく異なっていた。北では人間の国々を中心に魔法文明が発展し、南ではドワーフをはじめとする多様な種族が、優れた鍛冶技術や北では見られない独自の道具を生み出している。


 あまりにも違いが大きいため、遥か昔には別の土地だったのではないかと語られることさえあった。


 その二つの大陸を隔てる海峡の北側に築かれた都市が、貿易都市ナハルである。


 北の大陸最南端に位置する、南北最大の交易拠点。


 巨大な港には大小無数の帆船が停泊し、海に面した斜面には倉庫や商館、宿屋、酒場が隙間なく建ち並んでいた。


 魔王が現れて以降、北の国々は南で作られる質のよい武器や防具を先を争って買い求めるようになった。


 各国からの注文を受けた商人は、大量の商品をナハルへ運び込む。北へ荷を運ぶ船は、帰りにも少しでも多くの商品を積もうと港へ集まる。


 その結果――現在のナハルは、空前の好景気に沸いていた。


「いやあ……」


 高台から街を見下ろしたフミタロウは、その賑わいに目を丸くした。


「世界が滅びそうとか、絶対嘘やろ」


 港へ続く大通りを、荷物を満載した馬車が途切れることなく行き交っている。


 木箱や麻袋、樽、金属の塊。中には南から運ばれてきたらしい武器や防具を山ほど積んだ荷車もあった。


 街路では商人たちの呼び声が飛び交い、船乗りや荷運び人を相手にする食堂や酒場は、まだ昼だというのに客で埋まっている。


「魔王が現れて、武器や防具の需要が増えたんですね」


 サンキチが、道の向こうまで続く馬車の列を眺めた。


「戦争で景気がよくなる町もあるということでしょうか」


「何とも複雑やな」


 魔王に国を滅ぼされ、故郷を失った者もいる。


 その一方で、魔王が現れたことで仕事が増え、豊かになる都市もある。


 目の前の活気だけを見ていると、人類が危機に直面しているなど到底思えなかった。


「まずは、南の大陸へ渡る船を探しましょう」


 クリフトスが大通りの先へ目を向けた。


「港の商会をいくつか回ってまいります」


「私たちも一緒に行かなくて大丈夫ですか?」


 ミルキーが尋ねる。


「ミルキー様は長旅でお疲れでしょう」


 クリフトスは近くにある宿屋を示した。


「皆さんと先に、あちらでお休みください。船の手配が済みましたら、すぐに戻ります」


「ほんま、頼りになるなあ」


 船を探すにしても、フミタロウたちはこの港の決まりも相場も知らない。


 土地にも商人にも詳しいクリフトスへ任せるのが一番だった。


「ほな、お願いします」


「お任せください」


 クリフトスは軽く一礼すると、人の波へ消えていった。


          *


「わあ……!」


 宿屋の二階へ案内されるなり、ミルキーが窓辺へ駆け寄った。


 大きく窓を開け、外へ身を乗り出す。


「すごいです!」


 その声につられて、フミタロウとサンキチも窓へ近づいた。


「おお……」


 少し高い場所に建つ宿屋からは、ナハルの港が一望できた。


 青い海には数え切れないほどの船が浮かび、大型船が並ぶ岸壁の間を小さな舟が忙しく行き交っている。


 埠頭では人足たちが列になって荷を降ろし、倉庫の前には木箱が山のように積み上げられていた。


「停まってる船だけで、何十隻あるんやろ」


 フミタロウは窓枠へ手をついた。


「もっとあるんじゃないですか?」


 サンキチが港の奥を指す。


 白い帆を大きく膨らませた船が、ゆっくりと港へ入ってくる。そのすぐ横では、別の船が帆を上げて沖へ向かい始めていた。


 船上で飛び交う掛け声に、帆柱と綱が軋む音。海鳥の鳴き声まで混ざり合い、港町の喧騒が宿屋の二階まで届いてくる。


 三人はしばらく何も言わず、異世界の港を眺めていた。


 陽光を受けた海面が白く輝き、その上を真っ白な帆船が滑っていく。


「帆船というところが、またいいですね」


 サンキチが感心したように言う。


「本当に素敵です」


 ミルキーも港から目を離さない。


「サンキチくん」


「何ですか?」


「写真撮る魔法とかないの?」


「写真?」


「この景色を背景に、俺とミルキーちゃんで一枚」


「そんな都合のいい魔法、ありませんよ」


 サンキチは窓の外を眺めたまま答えた。


「心のキャンバスにでも描いておいてください」


 フミタロウが黙った。


「……心のキャンバス」


「何ですか?」


「いや、急にええこと言うやん」


「別に普通でしょう」


「サンキチくんから、そんな詩人みたいな言葉が出るとは思わんかった」


「どういう意味ですか、それ」


 フミタロウは口元を押さえた。


「いや、悪い。ちょっとおもろくて」


「全然褒めてないじゃないですか」


「フミタロウさん」


 ミルキーが困ったように振り返る。


「あまりサンキチさんをからかったら駄目ですよ」


「ごめんごめん」


「もう遅いです」


 サンキチが腕を組んでそっぽを向いたところで、扉を叩く音がした。


「戻りました」


 クリフトスが部屋へ入ってくる。


 その隣には、見知らぬ大男が立っていた。


 日に焼けた赤銅色の肌に、短く刈り込んだ黒髪と無精髭。太い首と逞しい体つきは、ひと目で長く海で生きてきた男だと分かる。


「こちらは、私たちを南の大陸まで運んでくださる貿易船の船長、ニックスさんです」


「ニックスだ」


 大男は豪快に笑った。


「よろしくな」


「これはどうも」


 フミタロウも頭を下げる。


「しかし、船長さんがわざわざ宿まで来たってことは、何か条件でもあるん?」


「察しがいいですね」


 クリフトスは少し困ったように笑った。


「現在、ナハル港にいる船は、どこも積みきれないほどの荷物を抱えています」


 魔王出現後、南から北へ運ばれる武器や防具の量は急増している。


 船に空きがあるなら、乗客ではなく一つでも多くの商品を積みたい。


「そのため、旅客を乗せる余裕のある船がなかなか見つかりませんでした」


「なるほど」


「ですが、ニックス船長が、ある条件を満たせるなら四人とも乗せてもよいと」


「条件?」


 ニックスが腕を組んだ。


「風魔法を使える奴がいることだ」


「風魔法?」


 ミルキーが首をかしげる。


「帆船は普通の風でも進みますが」


 クリフトスが説明を引き継いだ。


「航海時間を縮めたり、風向きの悪い海域を抜けたりする時には、風魔法を帆へ送ることがあります」


「魔法で追い風を作るんですね」


「そうです」


 風を操る者がいれば、天候が悪くても船足をある程度維持できる。


 だが今のナハルでは、荷の輸送そのものが急増したことで、航海に同行できる風使いが不足していた。


「今の港じゃ、風使いは船乗りより貴重なくらいだ」


 ニックスがミルキーを見る。


「そっちのお嬢ちゃんが使えるんだろ?」


「はい」


 ミルキーは杖を持ち直した。


「どのくらい使えるか、見てもらえばいいですか?」


「頼む」


 ミルキーは開いた窓のそばに立った。


 港へ直接風を飛ばすのではなく、室内の何もない場所へ杖を向ける。


 軽く息を整えた。


「風よ。流れを作って」


 杖の先に淡い光が集まり、室内へ柔らかな風が流れた。


 カーテンがゆっくり膨らみ、ミルキーの長い髪がさらりと揺れる。卓上に置かれた紙が浮き上がりかけたところで、風はぴたりと止まった。


 勢いだけの突風ではない。


 一定の方向へ、安定した力を送り続ける風だった。


 ニックスが感心したように顎を撫でる。


「悪くねえ」


「船を動かせそうですか?」


「十分だ」


 ニックスは大きくうなずいた。


「必要な時に帆へ風を送ってくれるなら、四人とも船賃なしで乗せてやる」


「ありがとうございます!」


 ミルキーが笑顔で頭を下げた。


「その代わり、航海中は頼むぜ」


「はい。精いっぱい頑張ります」


「よし、決まりだ」


 こうしてフミタロウたちは、南の大陸へ渡る船を確保した。


          *


「船長、もう一杯いこうや」


「おう、持ってこい!」


「まさか、もう飲めんとか言わへんよな?」


「馬鹿野郎。まだ始まったばかりだ!」


 その夜。


 宿屋の食堂では、ニックスを交えた酒盛りが始まっていた。


 卓上には肉料理や魚介、香辛料の利いた煮込みが並び、大きな木の杯が何度も打ち合わされる。


「乾杯!」


 杯がぶつかり、大きな音を立てた。


 フミタロウとニックスは、出会って半日も経っていないとは思えないほど意気投合していた。


「ニックスさん、飲みすぎたら明日の船、大丈夫なん?」


「船乗りをなめるな。これくらい水と変わらん!」


「さすが船長!」


「お前もなかなかやるじゃねえか!」


 少し離れた席で、サンキチが二人を眺めていた。


「同じような人が二人に増えましたね」


「楽しそうでいいじゃないですか」


 ミルキーは料理を口へ運びながら笑う。


 クリフトスが楽器を取り出し、軽快な曲を奏で始めた。


 近くの客たちが手拍子を始め、やがて船乗りたちまで歌へ加わる。クリフトスの音楽につられるように食堂全体が盛り上がり、いつの間にか小さな宴会場のようになっていた。


「やっぱりクリフトスさんがおると、酒がうまくなるな!」


「それは音楽のおかげです。飲みすぎを正当化しないでください」


「細かいなあ」


 ナハルの賑わい。


 見つかった船。


 これから始まる海の旅。


 その夜の四人にとって、南の大陸は不安よりも楽しみの方が大きかった。


 ――鐘が鳴るまでは。


 カン、カン、カン――!


 外から、激しく鐘を打ち鳴らす音が響いた。


 クリフトスの演奏が止まる。


 騒いでいた客たちも、一斉に顔を上げた。


 続いて聞こえてきたのは、石畳を走る大勢の足音だった。


 遠くから叫び声まで聞こえる。


「何や?」


 フミタロウは杯を置いた。


「なんか騒がしいな」


 食堂の扉が勢いよく開いた。


「船長!」


 若い船乗りが、息を切らして飛び込んでくる。


 額には汗が浮かび、顔は恐怖に引きつっていた。


「ここにいたんですか!」


「どうした?」


 ニックスの表情が変わった。


 先ほどまで酒を飲んで大笑いしていた男とは思えない。


「魔物が街の中で暴れています!」


 食堂がざわめいた。


「何だと?」


 ニックスが立ち上がる。


「衛兵は何をしてる!」


「分かりません! かなりの数です。あちこちから突然現れて……魔王軍かもしれません!」


「魔王軍……」


 クリフトスの表情も険しくなる。


「船長、とにかく船へ戻ってください!」


「分かった」


 ニックスは卓上に置いていた剣をつかんだ。


 そしてフミタロウたちを見る。


「お前らは?」


「一緒に行く」


 フミタロウも立ち上がった。


「街中に魔物がおるなら、船まで一人で行く方が危ない」


「助かる」


「皆さん、準備を」


 クリフトスの声で、四人はすぐに装備を整えた。


 さっきまでの酒盛りは、ほんの数秒で終わった。


          *


 宿屋を出た瞬間、街の様子が完全に変わっていることが分かった。


 商人たちは慌てて店の扉を閉め、人々が通りを逃げ惑っている。泣き叫ぶ子供を抱えた母親が裏通りへ駆け込み、遠くでは何かが倒れる大きな音が響いた。


 別の方向からは炎も上がっている。


 警鐘は休むことなく鳴り続けていた。


「かなり入り込んでますね」


 サンキチが杖を握る。


「港まで急ぎましょう」


 クリフトスが周囲を警戒しながら進んだ。


 ニックスを先頭に港へ向かっていた一行は、広い通りへ出たところで足を止める。


 前方の暗がりから、金属が擦れるような音が聞こえた。


 やがて、数体の人影が姿を現す。


 腐食した鎧をまとい、古びた剣や盾を手にしている。


 兜の奥にあるのは、人の顔ではなかった。


 白い頭蓋骨。


「スケルトン……」


 ミルキーが息を呑んだ。


「普通のスケルトンではありません」


 クリフトスは剣と鎧を備えた個体を見据える。


「死してなお、戦士としての技を残した魔物――スケルトンナイトです」


「見た目より速いぞ」


 ニックスが剣を抜いた。


 こちらを認識したスケルトンナイトたちが、一斉に地面を蹴る。


「ほんまや!」


 骨だけの体からは想像できない速さだった。


「俺が前に出る!」


 フミタロウも走り出した。


「援護よろしく!」


 先頭の一体が剣を振り下ろす。


 迫ってくる刃を見ながら、フミタロウは体を半歩だけ横へずらした。


 剣先が肩のすぐ横を通り過ぎる。


 以前なら、大きく飛び退いていたかもしれない。


 だが、それでは次の動きが遅れる。


 バサルスに何度も叩き込まれた通り、必要な分だけ避ける。


 すれ違いざま、右拳を鎧の胸部へ打ち込んだ。


 鈍い音とともに、スケルトンナイトの上体が大きくのけぞる。


「おらっ!」


 続けて回し蹴りを放った。


 踵が兜を捉え、頭蓋骨ごと大きく吹き飛ばす。


 骨の体がその場へ崩れた。


「いける!」


 そのまま次の一体へ蹴りを放つ。


 だが、今度は違った。


 盾。


 硬い衝撃が脚へ返ってくる。


「っ!」


 フミタロウの動きが一瞬止まった。


 その隙を逃さず、左右から二体のスケルトンナイトが迫る。


「フミタロウさん!」


 サンキチが杖を振り下ろした。


「ファイアウォール!」


 フミタロウの前方へ炎の壁が立ち上がる。


 迫っていたスケルトンナイトたちが、そのまま炎へ突っ込んだ。


 骨の戦士たちは炎の中でもしばらく動いていたが、やがて一体、また一体と力を失い、石畳へ崩れ落ちていく。


「助かった!」


「道、開きました!」


「先へ行くぞ!」


 ニックスの声に、一行は再び港へ向かって走り出した。


          *


 港へ着くと、ニックスの船では船員たちが慌ただしく動き回っていた。


 帆を確認する者、綱を解く準備をする者、積み荷を固定する者。


「船長!」


「全員そろってるか!」


「はい!」


「いつでも出られるようにしろ!」


 ニックスは船へ飛び乗るなり、次々と指示を出した。


「出港するかは状況を見て決める。だが、もたつくな!」


「了解!」


 船員たちは迷いなく動き始める。


 宿屋で杯を掲げ、大声で笑っていた男とはまるで別人だった。


「お嬢ちゃん」


 ニックスがミルキーを見る。


「船を出すことになったら、風を頼む」


「はい」


 ミルキーは杖と天使の笛を確かめた。


「いつでも使えるようにしておきます」


 フミタロウたちは甲板から街を見た。


 ナハルのあちこちで戦闘が続いている。


 衛兵や武装した船乗りたちが魔物を押し返しているものの、その数は多い。


 だが、しばらく眺めていたフミタロウは、妙なことに気づいた。


「なあ……」


「どうしました?」


「魔物、港へ集まってきてへんか?」


 通りから現れた魔物の群れが、ただ無秩序に暴れているのではない。


 少しずつ港へ近づいている。


 正確には――停泊している船へ。


「船を狙っているのでしょうか」


 サンキチも周囲を見回した。


 その時だった。


 少し離れた場所に停泊していた船で、爆発が起きた。


 ボンッ――!


 帆が一瞬で炎に包まれる。


「火だ!」


「消火しろ!」


 船員たちの叫び声が上がった。


「魔法を撃ち込まれたな」


 ニックスは燃える船を睨んだ。


 魔物の中に、遠距離から攻撃している何かがいる。


「船長!」


 見張り台へ上がっていた船員が叫んだ。


「沖から船が来ます!」


「何?」


 一同が海へ目を向ける。


 月明かりの下、港へ向かって進んでくる複数の船影が見えた。


 その帆は、夜の海よりも黒い。


 一隻、二隻、三隻――。


 さらにその後方にも、黒い帆を掲げた船が続いている。


「黒帆の船団……」


 クリフトスが低くつぶやいた。


 街の中では魔物が暴れ、港の船を狙っている。


 海からは、正体の分からない船団が迫ってくる。


「あっちからも、こっちからも来やがって」


 ニックスが剣を握り直した。


 ナハルの夜は、一瞬にして戦場へ変わった。


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