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漏洩の加護  作者: なつみかん
第四章 賢者リースと太陽の魔法
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第十七話 アレス王の憂鬱  

この世界に危機が訪れた時、魔石は光を放ち、世界を救う者を使わすであろう。


 古い伝承には、そう記されていた。


 魔石が異界の者を招く理由も、なぜ危機に際してのみその力を示すのかも、誰がその仕組みを作ったのかも、今では分かっていない。


 ただ、人々はその言葉を信じた。


 世界だけでは乗り越えられない災厄が訪れた時、異なる世界から救い手が現れるのだと。


 けれど、その言葉がいつ、誰によって残されたものなのか。そして「世界を救う者を使わす」という一節が、本当に今行われている異世界召喚を意味していたのか。


 それを確かめる術は、もう残っていなかった。


          *


 フミタロウたちがアルナサ山で賢者リースの問いに頭を悩ませていた頃。


 彼らを召喚したアーリアン王国の王、アレスもまた、深い悩みの中にいた。


「それで――」


 王の執務室には、多数の報告書が広げられていた。


 魔物による被害。消耗した兵の補充。各地から求められる援軍。そして召喚の儀式に関する記録。


 アレス王は、そのうちの一通を前にしたまま低い声で尋ねた。


「魔導騎士団は、何と言ってきた?」


 答えるために立っていたのは、アーリアン王国筆頭魔法使いのマリアだった。


 長い髪と整った容貌を持ち、普段は明るく人当たりがよい。民衆からの人気も高い魔法使いだったが、今の表情に華やかさはなかった。


「魔王との戦況は、極めて不利」


 マリアは手にしていた書状を読み上げる。


「さらなる召喚者の増員を求める。増員が困難であれば、各国は代わりとなる戦力を派遣せよ――とのことです」


 アレス王は、椅子の背へ沈み込むように体を預けた。


「召喚者か、兵か」


「はい」


「どちらかを差し出せということだな」


 マリアは答えなかった。


 否定できなかったからである。


          *


 魔導騎士団。


 それは、魔物との戦いを専門とする国際的な戦闘組織だった。


 この世界では、ダンジョンや魔力の濃い土地から突然強大な魔物が発生することがある。一つの町や国だけでは対処できないと判断された場合、魔導騎士団は討伐令を出し、各地へ騎士や魔法使いを派遣してきた。


 彼らの始まりは、魔物に襲われた人々や負傷兵を救うための、小さな救護組織だった。


 治癒術師を守るために護衛がつき、その護衛を守るために結界術が発達し、さらに結界の内側から安全に敵を攻撃するため、遠距離魔法が磨かれていった。


 その中心となった術式が、魔導障壁である。


 魔導障壁は、魔物との戦いにおいて人的損耗を防ぐために生み出された対魔物防御結界だった。


 この術式によって術者を守り、安全圏から遠距離攻撃を行い、部隊単位で長く戦い続けることができるようになった。


 かつて前衛の犠牲に頼っていた魔物討伐は、組織的な戦術へと変わった。


 人々はその術式を、こう呼んだ。


 人類の盾。


 救護を目的として始まった集団は、長い年月の中で武装し、巨大化した。


 今では各国から優秀な魔法使いや騎士を集め、この世界でも最高峰の対魔物戦闘組織となっている。


 ただし、彼らはあくまで対魔物戦闘の専門家だった。


 集団で現れる獣型の魔物や、ダンジョンから発生した大型種。町を襲う危険な群れに対して、魔導騎士団は強い。


 だが、高い知性と強大な魔力を持つ魔族、まして魔王のような高位存在と戦うために生まれた組織ではない。


 魔王が現れた今、魔導騎士団は魔王討伐令を発していた。


 討伐令が出されれば、各国には兵力や物資の提供が求められる。


 形式上は協力要請であっても、小国にとって簡単に拒めるものではなかった。


          *


「召喚者を増やすことは可能か、マリア」


 アレス王の問いに、マリアは少し間を置いた。


「不可能ではありません」


 だが、その言葉の後には必ず条件が続く。


「召喚の魔石を働かせるには、魔法使いたちが満月から次の満月まで、絶えず魔力を注ぎ続ける必要があります」


 一度だけ大量の魔力を与えればよいわけではない。


 一か月近く、複数の魔法使いが交代しながら魔石へ力を注ぎ続け、満月の夜にようやく召喚の術式が完成する。


「さらに召喚者を増やすのであれば、魔力注入へ回す魔法使いも増員しなければなりません」


「国内の魔物討伐から、人員を引き抜くことになるか」


「はい」


 魔法使いは、召喚のためだけに存在しているわけではない。


 町の結界、街道の安全確保、魔物被害への対応、治水や農地の保護まで、国を維持するために各地で必要とされている。


「これ以上、召喚へ魔法使いを回せば」


 マリアは慎重に言葉を選んだ。


「国内の魔物による被害が、大きく増える可能性があります」


 召喚者を呼べば、遠くにいる魔王と戦う力を増やせるかもしれない。


 だが、そのために魔法使いを引き抜けば、今この国で暮らしている者たちを守る力が減る。


 一方で兵を派遣すれば、召喚へ魔法使いを回す必要はない。


 しかし、兵の装備や食料、輸送、補充には莫大な費用がかかる。戦死者が増えれば、国境や国内の守りも薄くなる。


 どちらを選んでも、何かを失う。


「討伐令には逆らえん」


 アレス王は深く息を吐いた。


 魔導騎士団からの要求を拒めば、今後アーリアン国内で強大な魔物が現れた時、支援を受けられなくなるかもしれない。


 周辺国から、魔王討伐に協力しない国だと見なされる危険もある。


「戦力の派遣には、あまりにも金がかかる」


 長い沈黙の後、アレス王は決断した。


「マリア」


「はい」


「すまないが、召喚者の増員で対応してくれ」


 マリアの表情が、わずかに曇った。


 それでも王命を拒むことはしなかった。


「かしこまりました」


「魔法使いたちへ負担をかけることになる」


「召喚へ参加する者には、十分な休息と治療を準備します」


 それでも負担そのものが消えるわけではない。


 マリアは一礼し、部屋を出ようとした。


 しかし扉の前で足を止める。


「陛下」


「何だ?」


「一つ、気になることがあります」


 アレス王が続きを促す。


「召喚の魔石へ魔力を注入している魔法使いが、途中で倒れることがあります」


「魔力切れではないのか?」


「それだけではありません」


 単純な疲労や魔力の枯渇なら、休息や回復薬である程度は戻る。


 だが、一部の魔法使いは、それとは違う症状を訴えていた。


「心が、闇に呑まれていくような感覚がすると」


 魔石へ魔力を注ぎ続けているうちに、不安や恐怖が強くなる。


 誰かに見られているような気配を感じ、暗い水の中へ沈んでいくような息苦しさを訴える者もいた。


 夜になると悪夢を見続け、眠れなくなる者もいる。


「魔石そのものからも、わずかですが黒属性に近い魔力を感じます」


 マリアは机の上に置かれた召喚関連の報告書へ視線を向けた。


「魔導騎士団が持ち込んだ、あの召喚の魔石」


 少しだけ声を落とす。


「本当に大丈夫なのでしょうか」


 アレス王は、すぐには答えられなかった。


 召喚の魔石は、魔導騎士団から提供されたものだ。


 使い方も、儀式の手順も、彼らが示した。


 各国はその指示に従い、異世界から召喚者を呼んでいる。


「分からん」


 やがてアレス王は答えた。


「だが、彼らは対魔物戦闘の専門家だ」


「はい」


「今は、指示に従うしかあるまい」


 マリアは静かに一礼した。


「かしこまりました」


 今度こそ部屋を出ていく。


 扉が閉まると、執務室にはアレス王だけが残された。


          *


 静けさの中で、王は両手を組んだ。


 召喚者の増員。


 書類の上では、何人の戦力を増やすかという数字にすぎない。


 だが、実際に召喚されてくるのは人間だった。


 その多くは、まだ幼さの残る少年や少女である。


 突然、家族や友人のいる世界から引き離され、自分たちとは何の関係もない魔王と戦えと命じられる。


 召喚された者にも、元の世界での暮らしがあったはずだ。


 帰りを待つ家族がいたかもしれない。


 夢も、仕事も、友人との約束もあっただろう。


 それを一方的に奪い、武器を渡し、戦場へ送り出す。


「魔王を倒すため……」


 アレス王は、誰に聞かせるでもなく呟いた。


 世界を救うため。国民を守るため。


 理由ならいくらでも並べられる。


 だが、自国の民を危険にさらす代わりに、異世界の人間へその危険を背負わせているだけではないのか。


 アレス王は、召喚の儀式へ立ち会わなくなっていた。


 召喚そのものは、肉体にも精神にも大きな負担を与える。


 光の中から現れたばかりの少年少女たちは、何が起きたのかも分からず、恐怖と混乱に満ちた顔をしている。


 その姿を見るのが、耐えられなかった。


 だから王は儀式の場には姿を見せず、召喚が終わった後に報告だけを受けている。


 それが責任から逃げているだけなのだと、自分でも分かっていた。


 机の隅には、今回召喚された八人の名簿が置かれている。


 サンキチ、サクラ、キサラギ、ヤクモ、リュウジ、タカ、ミルキー。


 そして、フミタロウ。


 アレス王は、その名前をしばらく見つめた。


「国を守るため……」


 窓の外へ目を向ける。


「魔王を倒すため……」


 そのためなら、何をしても許されるというのか。


 答える者はいなかった。


          *


 フミタロウたちがアルナサ山を出発してから、しばらく後。


 山道を、騎士の一団が登ってきた。


 先頭を進む男だけは、部下たちとは明らかに装いが違っている。


 陽光を反射する白銀の鎧に、騎士団の紋章が刻まれた外套。


 まだ若い男だったが、馬上での姿には部隊を率いる者らしい落ち着きがあった。


 家の前へ着くと、男は軽やかに馬から降りた。


「お前たちは、ここで待て」


「はっ」


 部下たちを外に残し、一人でリースの家へ入っていく。


 家の中では、リースが机いっぱいに古文書を広げていた。


 騎士は入口で姿勢を正し、丁寧に頭を下げる。


「賢者様、お久しぶりです。近くまで参りましたので、ご挨拶に伺いました」


 リースが古文書から顔を上げた。


「ユリウスか。久しいの」


 魔導騎士団に所属する騎士、ユリウス。


 アーリアン王国の出身で、以前からリースとは面識があった。


 ユリウスは、机の上に積まれた古文書へ目を向ける。


「対魔王の魔法について、何か進展はありましたか?」


「そう簡単にはいかんな」


 リースは一冊の古文書を持ち上げた。


「おぬしらが持ってきた資料は、欠けている部分が多すぎる」


 頁の途中が失われているものもあれば、焦げて文字が読めなくなったものもある。


 術式の重要な部分だけが破り取られている資料まであった。


「特に肝心な箇所が抜けておる。この状態では、術式の全容を知ることも、再現することもできん」


「申し訳ありません」


 ユリウスは静かに頭を下げた。


「引き続き古文書の捜索は行っております。しかし今のところ、賢者様へお渡しした物以外には見つかっておりません」


「魔王との戦いが始まってから、古い力を求める者が急に増えた」


 リースは古文書を机へ戻した。


「長い間、誰も見向きもしなかった記録を、今になって慌てて探しておる。必要な時に限って、そう簡単には見つからぬものじゃ」


「それでも、探し続けるしかありません」


「分かっておる。こちらも調べられるだけ調べてみよう」


「よろしくお願いいたします」


 ユリウスが再び頭を下げる。


 リースは少し考えたあと、口元を緩めた。


「そういえば、先ほどまでここにいた召喚者たちが、少し面白い手がかりを追っておるぞ」


「召喚者ですか?」


「うむ。太陽の力を探して、南へ向かった」


 ユリウスの表情が変わった。


「太陽の力……」


「古代ヤーナマトで使われていたとされる、失われた魔法じゃ」


「それが魔王に通用するのですか?」


「まだ分からん」


 リースは即座に答えた。


「じゃが、魔王が日輪の剣を恐れたという話が事実なら、調べる価値はある」


「日輪の剣……」


 ユリウスは顎へ手を当てた。


「我々には、南の大陸まで調査隊を送る余裕がありません」


 魔導騎士団は、各地で魔王軍との戦いを続けている。


 戦線は広がり、兵も魔法使いも足りていない。


「その召喚者たちが何か見つけてくれれば、大きな助けになります」


「かの魔導騎士団が、召喚者頼みとはの」


 リースが少し意地悪そうに笑った。


 ユリウスは苦笑しなかった。


「それだけ、魔王は強力なのです」


 表情は険しいままだった。


 魔導騎士団は対魔物戦闘の専門家である。


 魔導障壁を展開し、その内側から魔法による集中攻撃を行う。負傷者を守りながら部隊を維持し、組織的に魔物を討伐する。


 通常の魔物を相手にするなら、極めて完成度の高い戦術だった。


 しかし魔王は、彼らがこれまで戦ってきた魔物とは違う。


 高い知性と圧倒的な魔力を持つ、高位の魔族。


 魔導障壁による守りさえ、絶対ではなかった。


「何か進展がありましたら、魔導騎士団へご連絡ください」


「分かった」


「それでは、失礼いたします」


 ユリウスは一礼すると、家を出た。


 外で待っていた部下が、すぐに馬を引いてくる。


 ユリウスは鐙へ足をかけたところで、一度だけ動きを止めた。


「太陽の力か……」


 小さく呟く。


 そして白銀の鎧を陽光に光らせながら、馬へ乗った。


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