第十六話 太陽の魔法
翌朝。
壊れた家の前には、昨日の調査で使った本が、そのまま山のように積まれていた。
リースは木箱を机代わりにして一冊の本を開き、難しい顔で頁を見つめている。
「……こほん」
やがて小さく咳払いをすると、何事もなかったように顔を上げた。
「では、話を戻すとするかの」
すぐ隣では、マルクスが壊れた窓枠を直していた。
「戻す前に、本はちゃんと正しい向きで読んでください」
「まだ引きずられてるやん……」
フミタロウが小声でつぶやく。
「当然だと思います……」
サンキチも同意した。
リースは二人の声が聞こえなかったふりをして、丸眼鏡の位置を直した。
「そういえば、おぬしら。ここへ来る前に、泉の水を飲んだであろう?」
「ええ。皆さん飲まれてましたよ」
マルクスが作業の手を止めずに答える。
「リンゴに、ミント、ワイン――」
フミタロウたちを順番に指した。
「それと、私の知らないアイスコーヒーの味がしたそうです」
「よう覚えてはるな……」
「ふむ。それなら話は早い」
リースは人差し指を立てた。
「あの泉の水は、飲んだ者の資質を映すのじゃ」
「資質?」
サンキチが聞き返す。
「そうじゃ。魔法への適性や、その者が持つ性質が、味として表れる」
リースはサンキチを見る。
「リンゴの少年は、火の魔法使い」
「分かるんですか?」
「おおよそはな」
次にミルキーへ視線を移す。
「ミントの娘は、風と白。回復術にも向いておる」
ミルキーが小さくうなずいた。
「ワインの青年は少々珍しい。吟遊詩人――いや、魔力を音へ乗せる者じゃな」
「魔楽士です」
クリフトスが答えた。
「なるほど」
最後に、リースはフミタロウを見た。
「問題は、そなたじゃ」
「俺?」
「アイスコーヒーとは何じゃ? どのような色で、どのような味がする?」
「色は黒。味は苦くて、ちょっと酸味もある感じやな」
「ふむ」
リースは、フミタロウから流れる魔力を探るように目を細めた。
「黒属性への適性じゃな」
「黒魔法が使えるんですか?」
サンキチが驚いて尋ねる。
「適性の性質が黒というだけじゃ」
リースは首を振った。
「本人から魔力をほとんど感じぬ。魔法の才能はなさそうじゃな」
「また言われた」
「味も年相応というところか」
「それ、絶対関係ないやろ」
リースは愉快そうに笑った。
「あの泉は、魔法への適性だけを見るものではない。飲んだ者の心にも反応する」
「心?」
「心のありようがあまりに歪んでおれば、耐えられぬほど不快な味になることもある」
ミルキーが泉のあった方向を振り返る。
「じゃあ、私たちが飲んだ時は……」
「まあ、おぬしらは問題なかったということじゃ」
フミタロウは腕を組んだ。
「一次面接は通ったわけやな」
「面接だったんですか」
「賢者に会うのも大変やな」
*
自己紹介と事情の説明を済ませると、話はいよいよ本題へ移った。
「なるほど」
リースは昨日から積み上げた資料へ手を置いた。
「おぬしらは、太陽の力を使う魔法について知りたくて、この私を訪ねて来たのじゃな」
「はい」
クリフトスが答える。
「現在の魔法体系では、太陽の力に該当する術を見つけられませんでした」
「楽士殿」
リースは少し笑った。
「私は賢者などと呼ばれてはおるが、この世界のすべてを知っているわけではない」
一度言葉を切る。
「ただ、知りたいとは思っておるがの」
フミタロウは昨日からの姿を思い出した。
家を爆発させ、本を逆さまに読んでいたかと思えば、一度謎を前にすると食事も睡眠も忘れて調べ続ける。
知識の探求者という名乗りだけは、どうやら本物らしい。
「太陽の魔法については、古い記録を読んだことがある」
リースは一冊の本を開いた。
「古代ヤーナマト王国」
「ヤーナマト?」
「かつて南方に栄えた国じゃ」
ヤーナマトでは、神官たちが太陽の力を利用した魔法を使っていたという。
特に王都では、太陽の力によって夜も町が照らされていた。
「夜も昼のように明るく、不夜の都と呼ばれておった」
「町全体を照らしてたんですか?」
サンキチが目を見開いた。
「現在の照明魔法では、とても維持できる規模ではありませんね」
クリフトスも興味深そうに本を覗き込む。
「太陽の力を、何かへ蓄えて使っていたのでしょうか」
「その可能性は高い」
リースはうなずいた。
「じゃが、詳しい術式は失われておる」
「どんな魔法か分かれば、想像して使えるんちゃうん?」
フミタロウが尋ねる。
「魔法はイメージが大事なんやろ?」
「理屈としては間違っておらぬ」
リースは指を一本立てた。
「じゃが、想像さえできれば何でも使えるわけではない。魔法には適性が必要じゃ」
「適性……」
「火の適性を持たぬ者が、どれほど鮮明に炎を思い浮かべても火魔法は使えん。風も、水も、白も、黒も同じじゃ」
フミタロウは納得したようにうなずいた。
「そら俺が頑張っても魔法使いになれへんわけや」
「話を戻すぞ」
「はい」
「問題は、太陽の適性を持つ者が、現在では確認されておらぬことじゃ」
「昔の神官だけが持っていたんでしょうか?」
ミルキーが尋ねる。
「それも分からん」
リースは頁に描かれた古い魔道具の図を指した。
「人そのものが適性を持っていたとは限らぬ。太陽の性質を持つ特別な道具、あるいは今は失われた職業が存在した可能性もある」
「じゃあ、日輪の剣も?」
「同じ時代に作られた物であれば、何らかの関係があるかもしれぬ」
太陽の魔法は、どうやら本当に存在していたらしい。
ただし、その使い手も方法も、今では失われている。
「そのヤーナマトへ行けば、何か残ってませんか?」
サンキチが尋ねた。
「ヤーナマトへ?」
「はい」
リースは少しだけ表情を曇らせた。
「今はもうない」
「ない?」
「古代ヤーナマト王国は、大洪水によって滅びたと伝わっておる」
神官も、不夜の都も、太陽の魔法も、すべて水の下へ沈んだという。
「そうですか……」
ミルキーが残念そうに目を伏せる。
だが、リースは急に顔を上げた。
「いや、待てよ」
「何か思い出したんですか?」
「末裔の住む地について、どこかの記録で読んだ覚えがある」
積み上げられた本を見回す。
「どれじゃったかの……」
そのまま奥の書庫へ向かいかけて、ふと足を止めた。
「そうじゃ」
「何です?」
「本を探している間に、おぬしらへ一つ問題を出そう」
「問題?」
四人の表情が揃って怪しくなる。
「私が納得できる答えを出せなければ、末裔についての情報は教えん」
「急に面倒くさい展開になったな」
「何を答えればいいんですか?」
ミルキーが尋ねた。
リースは眼鏡を押し上げ、わずかに笑った。
「なぜ、魔王を倒すのか」
「え?」
「しっかり考えるのじゃぞ。ありきたりな答えでは納得せん」
それだけ言い残し、書庫へ入っていった。
*
「なぜ魔王を倒すのか、か」
フミタロウは腕を組んだ。
「俺ら、召喚されたんやんな」
「頼まれたから?」
ミルキーが首をかしげる。
「そこは違うやろ」
フミタロウはすぐに否定した。
「頼まれたら、何でも命かけてやるんかって話になる」
「元の世界へ帰るため、という理由もあります」
サンキチが言った。
「それは本音やな」
「魔王が国を滅ぼし、人を殺しているから」
クリフトスも考えながら口にする。
「普通なら、それだけでも十分な理由だとは思いますが」
「俺もそう思う」
フミタロウはうなずいた。
「ただ、倒さなあかんって最初から決めつけてるだけで、俺ら自身は魔王のことをほとんど知らんやろ」
三人がフミタロウを見る。
「人間側から聞いた話しか知らん。魔王が何を考えてるのかも、何でこんなことをしてるのかも分からん」
「フミタロウさんは、魔王を倒すことに反対なんですか?」
ミルキーが尋ねる。
「そういうことやない」
フミタロウは首を横に振った。
「ただ、何も考えんまま行ったら、実際に魔王と会った時に、何を言われても返せへん気がする」
サンキチが腕を組んだ。
「自分たちで理由を持っておけってことですかね」
「たぶんな」
「賢者らしい問題ですね」
「昨日、本逆さまに読んでたけどな」
「それは今、関係ありません」
*
しばらくして、リースが古びた本を抱えて戻ってきた。
「見つけたぞ」
本を机へ置く。
「さて、おぬしらの答えを聞かせてもらおうかの」
最初に口を開いたのはサンキチだった。
「魔王が、人間を滅ぼそうとしているからです」
リースは少し考えたあと、首を横に振った。
「それだけでは不十分じゃな」
「どうしてですか?」
「仮に、じゃ」
リースは念を押すように言った。
「もし魔王が世界の支配者となっても、人間という種そのものが必ず滅びるとは限らぬ」
「人間を殺さないんですか?」
ミルキーが驚く。
「今そうだと言っておるのではない。仮の話じゃ」
リースは続けた。
「支配することが目的であれば、従う者まで皆殺しにする必要はない。人間を従わせ、自分たちの下で生かすという形も考えられる」
「支配する相手がおらんようになったら意味ないもんな」
フミタロウが言う。
「実際、魔王や魔族を神のように崇め、自ら従おうとする人間がいるという話もある」
「じゃあ、支配者が変わるだけということですか?」
クリフトスが尋ねた。
「人間が生き残るかどうかだけを見れば、そういう可能性もあるということじゃ」
「でも」
サンキチが言った。
「魔族が上に立ったら、今と同じ生活はできませんよね」
「そうじゃろうな」
人間が作ってきた国や法律、暮らしの形まで、そのまま残されるとは限らない。
力を持つ者に従わなければ生きられない世界になる可能性もある。
フミタロウは少し考えた。
「人間が生き残れば、それでええわけではないんやな」
ミルキーもゆっくりとうなずく。
「生きていても、自分でどう生きるかを選べなくなるのなら、同じではないと思います」
「僕たちが守りたいのは、人間の数だけじゃない」
サンキチが言った。
「そこに住んでる人たちの生活とか、今まで作ってきたものも含めて、ですよね」
クリフトスは三人の言葉を聞いてから、静かに続けた。
「魔王を倒すことそのものが目的ではなく、守りたいものがあるから戦う」
リースは、しばらく四人を見つめていた。
やがて、わずかに口元を緩める。
「まあ、よいじゃろ」
「合格?」
フミタロウが尋ねる。
「正解は一つではない」
リースは机の上の本を開いた。
「元の世界へ帰りたい。それでもよい。目の前の人間を助けたいでもよい。自分の暮らしを守りたいでもよい」
丸眼鏡の奥から、四人を順番に見る。
「ただし、自分がなぜ戦うのかくらいは、自分の言葉で持っておけ」
「魔王に何か言われるから?」
「高位の魔族は獣ではない。知恵も言葉も持つ」
リースはうなずいた。
「相手の矛盾を突き、戦う理由そのものを揺さぶることもあるじゃろう。誰かに命じられただけの理由では、そこで迷う」
「なるほどな」
フミタロウは小さく息を吐いた。
「面倒くさい問題やと思ったけど、一応意味あったんやな」
「一応とは何じゃ」
「褒めてます」
「聞こえんかったことにしておこう」
*
リースは古い地図を机いっぱいに広げた。
北の大陸の南には狭い海峡があり、その向こうにはさらに大きな大陸が描かれている。
そして南の大陸の東側に、小さな島が浮かんでいた。
「古代ヤーナマトの末裔が住むと記されているのは、ここじゃ」
「島なんですね」
ミルキーが身を乗り出す。
「古い記録ゆえ、今も末裔が住んでいる保証はない」
「それでも、行ってみる価値はあります」
クリフトスは地図上の道を確認した。
「まず、北の大陸最南端にある貿易都市ナハルへ向かう必要がありますね」
「ナハル?」
「南の大陸へ渡る船を探すなら、あの町がよいでしょう」
リースは地図を丸め、クリフトスへ差し出した。
「持っていくがよい」
「ありがとうございます」
「古い物じゃが、ナハルまでの道は分かるはずじゃ」
地図を渡し終えたリースが、急に何かを思い出したように指を立てた。
「おお、そうじゃ」
「まだ何か?」
「南の大陸へ渡るなら、一つ頼みたいことがある」
部屋の隅に置かれていた、細長い布包みを指す。
「あれを、ミルドカンドへ届けてほしい」
「ミルドカンド?」
フミタロウが聞き返した。
「南の大陸にある、ドワーフの鉱山都市じゃ」
「ドワーフの国!」
ミルキーの目が輝いた。
「ドワーフ、おるんや」
フミタロウも思わず身を乗り出す。
「なんやろ。ちょっとテンション上がるな」
「僕も見てみたいです」
サンキチまで地図を覗き込んだ。
クリフトスが三人を見て、わずかに笑う。
「南の大陸には、北ではあまり見かけない種族も多く暮らしています」
「荷物は誰に渡せばいいんですか?」
ミルキーが尋ねた。
「ゴードンという技師じゃ」
リースは布包みを持ってきた。
「解析を頼まれていた物と、手紙が入っておる」
「解析?」
フミタロウは包みを見る。
「何が入ってるん?」
「ダンジョンで見つかった、石像に刺さっていた剣じゃ」
「石像から抜いたんですか?」
サンキチが尋ねる。
「私のところへ持ち込まれた時には、すでに抜かれておった」
リースは布包みを軽く叩いた。
「材質も術式も、私の知る物とは異なる。ゴードンなら何か分かるかもしれん」
「分かりました」
ミルキーが答えた。
「責任を持ってお届けします」
「頼んだぞ」
*
翌朝。
四人は荷物をまとめ、アルナサ山を下り始めた。
クリフトスはリースから借りた古地図を持ち、フミタロウは細長い布包みを背負っている。
見送りに来たマルクスが、食料の入った袋を差し出した。
「道中で食べてください」
「ありがとう」
「先生のように、何かへ夢中になって食事を忘れないでくださいね」
「俺らは食事だけは忘れへんと思う」
フミタロウが答えると、サンキチもうなずいた。
「特にフミタロウさんは大丈夫です」
「そこは信用あるんやな」
一行は、リースとマルクスへ別れを告げた。
「貴重なお話を、ありがとうございました」
クリフトスが頭を下げる。
「必ず、ヤーナマトの手がかりを探してきます」
ミルキーも続いた。
リースは四人を見渡した。
「無理はするでないぞ。答えへたどり着く前に死んでは、何も知ることができぬからの」
「先生も」
マルクスが横から割り込む。
「私がいない間、家の中で実験しないでください」
「分かっておる」
「本当に?」
「次は外でやる」
「実験をやめるとは言わないんですね」
マルクスのため息を背に、四人は山道を歩き始めた。
次の目的地は、北の大陸最南端の貿易都市ナハルだった。




