第十五話 知識の探求者
泉を出てから、さらに三十分ほど山道を登った。
木々の間を抜けると、急に視界が開けた。風に揺れる草原の中央に、一軒の平屋が建っている。
「おっ、ミルキーちゃん。なんか見えてきたぞ」
「本当ですね!」
ミルキーは足を止め、草原の向こうへ目を凝らした。
「あれが賢者リース様のお家でしょうか?」
「ええ。あちらが先生の家です」
案内してくれたマルクスが答える。
巨大な看板に、不思議な泉。
ここまで十分すぎるほど妙なものを見てきたが、賢者の住居そのものは意外なほど普通だった。
石造りの壁に低い屋根。煙突が一本伸び、庭先には木箱や本らしき物がいくつも積まれている。
「普通の家やな」
フミタロウは少し安心した。
「もっとこう、塔のてっぺんに目玉が浮いてるとか、雷が落ち続けてるとか想像してたわ」
「それは賢者の家というより、悪い魔法使いの城ですよ」
サンキチが冷静に返した。
一行は家へ向かって歩き始める。
目的は、英雄ロシナンテの伝承に残された太陽の力について尋ねること。
相手は、怒らせれば山の麓まで吹き飛ばすとも噂される賢者である。
さすがに最初の挨拶くらいは失礼のないものにした方がいいだろう。
フミタロウが頭の中で言葉を考えていると、家の奥から低い振動音が響いた。
「ん?」
空気がわずかに震える。
次の瞬間――。
ボンッ――!
激しい爆音とともに、家の窓から白い煙が噴き出した。
窓枠が内側から外れ、ガラス片と何枚もの紙が草原へ飛び散る。
「きゃあ!」
ミルキーが悲鳴を上げた。
フミタロウとサンキチは思わず首をすくめ、クリフトスも足を止める。
「ええ……何事?」
「爆発しましたね」
「見たら分かる」
「過激派の襲撃でしょうか」
「ここ異世界やぞ」
「異世界にも過激派はいるかもしれません」
「そこは否定できへんけど」
煙の向こうで、家の扉が開いた。
誰かが激しく咳き込みながら、ふらふらと外へ出てくる。
「ゲホッ……ゲホッ……!」
白銀の短い髪。
丸眼鏡。
紫と金の刺繍が入ったローブ。
腰には薬瓶や小さな研究道具がいくつも下がっている。
ただし今は、髪も顔も服も、煤と白い粉にまみれていた。
その人物は数歩進んだところで力尽き、前のめりに倒れた。
「大丈夫ですか!?」
ミルキーが駆け寄ろうとする。
「待ってください」
マルクスが腕を出し、彼女を止めた。
「え?」
「大丈夫です」
マルクスは険しい顔で、地面へ倒れた人物を見た。
「……たぶん」
「たぶん?」
フミタロウとサンキチの声が重なった。
マルクスは背負っていた籠を地面へ置き、大股で家へ近づいていく。
倒れた人物の前で腕を組み、仁王立ちになった。
「先生!」
地面へ伏していた人物の肩が、わずかに動く。
「また家の中で、例の魔法の実験をしましたね!」
「今回は、成功すると思ったんだがな」
人物はゆっくり起き上がると、その場で正座した。
「前回もそう言いました!」
「前より術式は安定していた」
「窓が全部吹き飛んでます!」
「そこは想定外だった」
「何度、想定外を起こしたら分かるんですか!」
マルクスの声が草原に響き渡る。
「家を直すのは誰だと思ってるんです! 材料を麓から運ぶのも私なんですよ!」
「いつも助かっておる」
「感謝する前に爆発させないでください!」
「ごめんなさい……」
怒られている人物は、完全に小さくなっていた。
フミタロウたちは、少し離れた場所でその光景を眺めていた。
「なあ、サンキチくん」
「はい」
「まさか、あれがリースちゃうよな」
「先生って呼ばれてますけど」
「賢者の助手とかやろ」
「助手が先生に怒られることはあっても、先生が村人に正座させられるんですかね」
「せやんな……」
しばらくすると、正座していた人物がこちらに気づいた。
「客?」
マルクスが一行を指す。
「先生を訪ねて来られた方々ですよ。まったく、情けない」
非常に気まずい。
その人物は立ち上がると、フミタロウたちへ背を向けた。
髪についた粉を払い、ローブの煤を落とす。
それから丸眼鏡を外し、布で丁寧に拭いた。
眼鏡を掛け直す。
姿勢を正す。
胸を張って振り返った。
「私は知識の探求者、リース」
先ほどまで地面に正座して謝っていたとは思えないほど、堂々とした態度だった。
「何の用かな?」
「あはは……」
フミタロウは、とりあえず笑った。
「こんにちは。今日は、ええ天気ですね」
リースの背後では、壊れた家からまだ煙が上がり続けていた。
*
名乗りを終えたあとも、妙な沈黙が続いた。
ミルキーとサンキチは、フミタロウがどう話を切り出すのかを見ている。
クリフトスも一歩後ろへ控えていた。
「ええと……」
フミタロウは気持ちを切り替えた。
「今日は、魔王について聞きたいことがあって来たんです」
その言葉を聞いた瞬間、リースの表情から先ほどまでの間の抜けた雰囲気が消えた。
「魔王について、か」
丸眼鏡の奥の目が、四人を順番に見る。
「それは、どこで聞いた話かな?」
クリフトスが一歩前へ出た。
「ミルム聖堂に残る、英雄ロシナンテの伝承です」
「ロシナンテ……」
「魔王を退ける手がかりとなる、太陽の力について、先生なら何かご存じではないかと」
リースは顎へ手を当て、しばらく考えた。
「なるほど」
そして壊れた家を振り返る。
「それなら、話は長くなりそうじゃな」
当然のように言った。
「では、中で話そう」
一同も家を見る。
窓は吹き飛び、壁の一部は煤で黒くなっている。
中にはまだ煙が残り、本や研究器具が床いっぱいに散乱していた。
フミタロウは遠慮がちに尋ねた。
「……入れるんですか、あれ」
「無理です」
マルクスが即答した。
リースは少し困った顔をした。
「……では、外で話そう」
*
家の前に木箱を並べ、臨時の席が作られた。
リースはその一つへ腰を下ろし、フミタロウたちからこれまでに得た情報を聞いた。
英雄ロシナンテが三体の悪しき精霊を封じたという伝承。
最後に残った毒の蛇を、鏡に蓄えた太陽の力で焼いたこと。
そして、魔王が日輪の剣を目にした途端、戦場から退いたという情報。
リースは途中で口を挟まず、最後まで静かに聞いていた。
「太陽の力を閉じ込めた鏡に、日輪の剣か」
話が終わると、足元へ落ちていた本を一冊拾い上げる。
「先生、それは今の爆発とは関係のない本です」
マルクスが言った。
「分かっておる」
リースは本を閉じた。
「伝承というものは、長い時間を経るうちに形を変える」
丸眼鏡の位置を直す。
「そこに出てくる鏡が、本当に鏡だったのか。蛇が実際に蛇の姿をした存在だったのか。そして『太陽の力』という言葉が、何を指していたのか。物語だけでは判断できん」
「では、手がかりにはならないのでしょうか」
ミルキーが尋ねた。
「そうは言っておらん」
リースの目が、わずかに輝いた。
「事実と創作を見分けるには、異なる時代と土地に残された記録を比較する必要がある」
立ち上がる。
「太陽、鏡、日輪の剣。それらと共通する記述を探す」
「今からですか?」
サンキチが尋ねた。
「当然じゃ」
リースは壊れた家を振り返った。
室内には爆発で散乱した本が無数にある。
「この家にある関連資料を、すべて調べる」
フミタロウも中を見る。
「“すべて”って……どれくらい?」
「その辺から、奥の書庫までじゃ」
リースが崩れかけた本棚の列を指す。
「これ、今日中に終わる量ちゃうやろ」
「知識を求めるのに、日数を気にする必要があるのか?」
「俺ら、泊まり込み決定なん?」
マルクスがため息をついた。
「先生は調べ始めると、三日くらい寝ませんよ」
「先に聞きたくなかった情報やな」
*
調査はすぐに始まった。
まずは家の中と外へ散乱した本を集める。
フミタロウとサンキチは倒れた棚や木箱を運び、ミルキーとクリフトスは集めた本を内容ごとに分けていく。
マルクスは壊れた壁を直しながら、資料を広げる場所まで作っていた。
リースだけは、集められた本を片っ端から読み始めている。
「こちらは、鏡を使った光魔法の記録です」
ミルキーが一冊の本を開いた。
「光を反射させて、離れた場所へ送る術式みたいです」
「光を作る術ではなく、動かす術じゃな」
リースは頁を確認し、すぐ別の本へ手を伸ばした。
「これは太陽そのものの力とは違いそうじゃ」
今度はクリフトスが、古い図の描かれた紙を掲げる。
「先生。この術式に、似た記号があります」
「どれじゃ?」
リースが身を乗り出した。
円の中央に、小さな太陽のような印がある。
その周囲には、複数の点と線が描かれていた。
「こちらの本にもあります」
サンキチが別の頁を見せる。
「ただし、こっちは照明魔法の記録です」
「年代は?」
「こちらの方が二百年ほど新しいです」
「地域も異なるな」
リースは三冊の本を横に並べた。
「同じ記号が、異なる年代と土地で使われておる」
指先でそれぞれの印をなぞる。
「偶然ではないかもしれん」
一方、フミタロウは焦げた本を一冊持ち上げていた。
そっと表紙を開く。
ぱらぱらと頁の端が細かく崩れ落ちた。
「これは、読めない方でええよな?」
「先生なら、灰からでも読もうとしますよ」
マルクスが修理の手を止めずに答えた。
「まじか」
フミタロウは慎重に本を木箱へ戻した。
時間がたつにつれ、リースの周囲だけ空気が変わっていった。
最初は一冊ずつ確認していたのに、気づけば二冊、三冊を同時に開き、見つけた記号や文章を次々と紙へ書き写している。
白銀の髪は乱れ、丸眼鏡も少しずれたままになった。
誰かが声をかけても、ほとんど反応しない。
「同じ記号が三冊……」
頁をめくる速度が上がる。
「年代も地域も異なる」
紙へ何本もの線を書き込んでいく。
「偶然ではないぞ……!」
フミタロウは腕を組み、その姿を眺めた。
「もう完全に入ってもうたな……」
知識を追っている時のリースは、家を爆発させて正座していた人物とは別人のようだった。
壊れた家のことも、時間のことも、おそらく食事のことも忘れている。
今、目の前にある謎だけを追い続けていた。
*
気づけば、空は夕焼けに染まり始めていた。
壊れた家の前には、調査中の本が山のように積み上げられている。
リースは木箱を机代わりにし、何冊もの本を同時に開いたまま調べ続けていた。
「サンキチくん……」
少し離れたところで、ミルキーが小声で話しかけた。
「賢者リース様、衝撃の登場でしたけど……」
研究中のリースを見る。
「大丈夫でしょうか?」
「かなりヤバいですね……」
サンキチも声を落とす。
「頭が良すぎて、ネジが一本飛んでる人じゃなければいいんですけど」
「正直、ちょっと心配です……」
二人は、そっとフミタロウを見る。
フミタロウも腕を組み、リースを観察した。
「…………」
しばらく考える。
「まあ……賢者ではあるんやろな」
その時だった。
リースが勢いよく立ち上がった。
「分かったぞ!」
焦げた本を高く掲げる。
「この記号、上下が逆だった!」
マルクスは修理の手を止めずに答えた。
「先生が、本を逆さまに読んでただけでは?」
「…………」
リースが固まった。




