第十四話 賢者リース引きこもり疑惑
アルナサ山の麓へ着いた時、四人を最初に出迎えたのは、雄大な山々でも深い森でもなかった。
山道の脇に、やたらと巨大な木製の看板が立っていた。
「なんか、ものすごく大きい物が立ってますけど」
サンキチが目を細める。
「あれ、何ですかね?」
まだ五百メートルほど先だというのに、文字らしきものまで見えている。
左右には太い柱が立ち、その間へ一枚の板が渡されていた。形だけなら街道沿いの道標と大差ない。
問題は、その大きさだった。
「絶対、鳥居くらいあるよな」
フミタロウは額へ手をかざした。
近づけば、人間の家の壁くらいはありそうだった。
「もしかして」
ミルキーが少し不安そうに言う。
「巨人が立てた看板なのでしょうか」
その一言で、フミタロウとサンキチは同時に周囲を見回した。
木々の間から巨大な顔が出てこないか。
山の向こうから地響きが聞こえてこないか。
クリフトスだけは、落ち着いた様子で看板を眺めている。
「巨人型の魔物が、あのような物を作るとは考えにくいですね」
「知能ないんですか?」
「まったくないわけではありません。ただ、木材を加工して文字を書き、あれほどの物を立てるほどではないかと」
「じゃあ、誰が何のために」
サンキチの疑問には、誰も答えられなかった。
「まあ、近くまで行けば分かるやろ」
フミタロウは歩き出した。
「看板なら何か書いてある」
「何が書かれていると思います?」
「俺の予想では」
フミタロウは山の斜面を眺めた。
「『ようこそ、アルナサ温泉へ』やな」
「温泉?」
「露天風呂があって、山菜料理も出る」
「観光地じゃないんですから」
サンキチの冷静な返事に、フミタロウは笑った。
だが、心の中では少し期待していた。
アーリアンを出てから、何日も歩き続けている。
温泉があるなら入りたい。
できれば酒も欲しい。
*
アーリアンでの特訓は、ひとまず終わっていた。
フミタロウはバサルスから、魔物の攻撃を避けるための足運びと、相手に合わせて拳の使い方を変えることを学んだ。
ミルキーとサンキチも、クリフトスの指導を受け、魔力の扱い方を以前より細かく調整できるようになっている。
出発前、バサルスは四人を見渡して言った。
「まあ、とりあえずはいいだろ」
「とりあえずなんや」
「訓練だけ続けても仕方ねえ。後は実戦で覚えろ。行ってこい」
「最後まで雑やな」
「何か文句あるか?」
「ないです」
下手に逆らえば、特訓が延長されるかもしれない。
フミタロウは素直に頭を下げた。
「いろいろ教えてくれて、ありがとう」
「気持ち悪いな」
「たまには普通に礼を言わせろ」
バサルスは鼻を鳴らした。
「死ぬなよ」
それだけ言い残し、背を向けた。
その直後、ミルキーが丁寧に頭を下げて礼を言うと、バサルスがすぐ振り返って笑顔になったことについては、フミタロウも何も言わなかった。
こうして四人は、賢者リースに会うためアーリアアンを出発した。
道中、大きな事件は起きなかった。
ただし、訓練まで終わったわけではない。
休憩のたびにミルキーとサンキチが魔法を試し、その標的役は当然のようにフミタロウだった。
火球が途中で分裂する。
風の刃が曲がって追いかけてくる。
新しい使い方を覚えるたびに、フミタロウの回避訓練も難しくなっていった。
本人からすれば、何事もない旅とは少し言い難い。
そしてようやくアルナサ山の麓へたどり着いたところで、あの巨大な看板を見つけたのである。
*
近づくにつれ、その異様な大きさがはっきりしてきた。
「でかいな」
フミタロウは真下から見上げた。
板の下を、馬車がそのまま通れそうなほど高い。
支柱も大人二人で抱えなければ回らないほど太く、地面へ深く打ち込まれている。
「人間が作ったものですよね」
ミルキーが木材へ触れた。
「そうみたいやな」
「でも、どうしてこんな大きさに」
サンキチは看板の上部を見た。
そこには、大きな文字が彫られている。
**賢者リースを訪ねて来る者へ**
「やっぱり、リースさんの看板なんですね」
フミタロウは、その下に並んだ文章を読み始めた。
一、賢者は魔王を倒しに行ったりしません。
二、賢者は魔王を倒す方法を知りません。
三、賢者は転職させたりできません。
四、賢者は死んだ者を生き返らせたりできません。
五、王族等への紹介で仕事を斡旋したりしません。
六、恋愛相談、人生相談、予言、占いはしません。
以上、納得の上でご来訪ください。
追伸――賢者は便利屋ではありません。
四人は、しばらく黙っていた。
「なあ、クリフトス」
フミタロウは看板から目を離さないまま尋ねた。
「この世界でも、賢者って賢い人って意味やんな?」
「はい」
「引きこもって、人に会いたくない奴を賢者って呼ぶわけではないよな?」
「この世の知識に精通した探究者です」
クリフトスは少しだけ言葉を選んだ。
「偉大なる賢者と聞いております……よ」
「最後、ちょっと弱なったぞ」
サンキチも看板を見上げる。
「説明するのが、ものすごく面倒になった感じが伝わってきますね」
「しかも、かなり具体的や」
「全部、実際に頼まれたんでしょうか」
ミルキーが読み直す。
「死者を生き返らせてほしい、まで?」
「それは断る方もしんどいな」
笑える内容ではある。
だが、その一つ一つを本気で求めて山まで来た人間がいたのだとしたら、話は少し違って見える。
「少し変わった方かもしれませんけど」
ミルキーは、なるべく好意的に考えようとしているようだった。
「訪ねて来た人が無駄足にならないように、先に教えてくださっているのかもしれません」
「優しさで、この大きさにする?」
「遠くからでも読めますから」
「ミルキーちゃんは、何でも良い方へ考えるな」
フミタロウには、性格のひん曲がった老人が出てくる予感しかしなかった。
「クリフトスさんは、リースさんに会ったことがあるんですか?」
サンキチが尋ねた。
「いいえ。私も直接お会いしたことはありません」
「どんな人かも知らない?」
「少々、難しい方だという噂は聞いております」
「難しいって?」
「怒らせた者が、魔法で山の麓まで吹き飛ばされたことがあるとか」
三人は同時に、今立っている場所を見た。
「ここまで?」
「おそらく」
「帰りが早くて便利やな」
「前向きですね」
ただ、巨大看板についてはクリフトスも知らなかった。
「以前からあったものではないと思います」
「最近作ったんやろな」
フミタロウは腕を組んだ。
「魔王が出てから、頼って来る奴が増えたんちゃう?」
魔王を倒してほしい。
弱点を教えてほしい。
死者を生き返らせてほしい。
仕事を紹介してほしい。
人生を変えてほしい。
困った時だけ山へ押しかけ、賢者なら何でも解決できると思われたら、さすがに嫌にもなるだろう。
「そら、看板も作りたくなるわな」
「私たちも、魔王を倒す方法を聞きに来たんですけど」
サンキチの指摘に、フミタロウは黙った。
もう一度看板を見る。
「……俺らも対象やな」
「二番に書いてあります」
「もう帰る?」
「ここまで来たのに?」
四人がそんな話をしていると、背後から声がした。
「皆さん、賢者様へ会いに行かれるのですか?」
振り返ると、若い男が立っていた。
頭に布を巻き、背中には大きな籠を背負っている。中には野菜や果物が詰め込まれていた。
山の近くに住む村人らしい。
「ええ」
ミルキーが答える。
「どうしても教えていただきたいことがあるんです」
「そうですか」
男は四人を見回した。
「私は、賢者様へ食べ物を届けに行くところです」
「ちょうどええやん」
フミタロウは思わず声を上げた。
「一緒について行ってもいいですか?」
「構いませんよ」
男は気さくに笑った。
「ただ、最近は留守にされていることが多いので、今日もいらっしゃらないかもしれません」
「留守?」
「ええ」
巨大看板まで立てて人を拒絶しているものだと思っていたが、意外にも外出はするらしい。
「とにかく行ってみます」
ミルキーは頭を下げた。
「留守でしたら、少し待たせていただきます」
「分かりました。それではご案内します」
「ありがとうございます」
男は背負った籠を直し、山道を登り始めた。
四人もその後へ続く。
ふと横を見ると、巨大看板のすぐ隣に、小さな道標が立っていた。
**この先 賢者リースの家**
「小さい看板もあるやん」
「本来は、こっちだけだったんでしょうね」
サンキチが言う。
「この看板だけでは駄目やったんやな」
フミタロウは、もう一度巨大な看板を見上げた。
*
男の名はマルクスといった。
麓の村で畑を作り、ときどきリースへ食料を届けているらしい。
「賢者様は、いつも一人で暮らしているんですか?」
ミルキーが尋ねた。
「そうですね」
マルクスは歩きながら答えた。
「研究へ夢中になると、食事を忘れることもありますから」
「それで、村から届けてるんですか?」
「放っておくと、何日も水だけで過ごされることがあります」
「賢者いうより、世話のかかる研究者やな」
マルクスは苦笑した。
「悪い方ではないんですよ」
「でも、怒ったら麓まで吹っ飛ばされるんやろ?」
「よほど失礼なことをしなければ、大丈夫です」
「よほどって、どの程度?」
「研究中の物へ勝手に触れるとか」
「それは普通にあかんな」
「魔法の実験を邪魔するとか」
「それもあかん」
「一日に同じ質問を何十回もするとか」
「看板作りたくなる気持ち、分かってきたわ」
話を聞けば聞くほど、最初に想像した偏屈な仙人とは少し違う。
どうやら単純に、研究へ集中したい人間らしい。
しばらく山道を登ると、木々の間から水音が聞こえてきた。
道の先が開け、小さな泉が現れる。
岩の間から湧き出した澄んだ水が、浅い池を作っていた。底にある小石まで一つずつ見えるほど透明で、木漏れ日を受けて淡く揺れている。
「ここで水を汲んでいきます」
マルクスが籠を下ろした。
「皆さんも、少し休んでください」
「助かるわ」
四人も泉のそばへ腰を下ろした。
「きれいですね」
ミルキーが水面を覗き込む。
「飲めるんですか?」
「もちろんです。この辺りでは昔から使われている泉ですよ」
マルクスは慣れた様子で水筒へ水を汲んでいく。
「俺らも補給させてもらおう」
フミタロウも両手で水をすくった。
冷たい水を口へ運ぶ。
「うまい」
山道を歩き続けた体へ、冷たさが染み渡る。
だが、すぐに違和感があった。
少し苦い。
香ばしさもある。
「……ん?」
手の中を見る。
水は透明だった。
匂いも、ほとんどない。
もう一口飲む。
「アイスコーヒーや」
「何がですか?」
サンキチが尋ねる。
「この水。アイスコーヒーの味する」
「え?」
ミルキーも泉の水をすくい、口に含んだ。
すぐに目を丸くする。
「私のは、ミントの味です」
「ミント?」
サンキチも慌てて飲む。
「僕は……リンゴです」
今度はクリフトスが試した。
ゆっくり味わったあと、少し意外そうに眉を上げる。
「私には、ワインのように感じますね」
「全員違うやん」
フミタロウはもう一度飲んだ。
やはりアイスコーヒーだった。
砂糖もミルクも入っていない、少し苦いブラックコーヒー。
マルクスは、驚く四人を見て笑っていた。
「この泉は、飲む人によって味が変わるんですよ」
「何で?」
「分かりません」
「分からんの?」
「昔から、そういう泉ですから」
「それで説明終わり?」
「はい」
この世界の人間にとっては、それで十分らしい。
「甘い味がする方もいますし、果物や香草の味を感じる方もいます」
マルクスは水筒の蓋を閉めた。
「ただ、持ち帰って時間がたつと、普通の水に戻ってしまいます」
「ここで飲んだ時だけなんや」
「そうです」
フミタロウは泉を眺めた。
理由は分からない。
だが、理由が分からないなら今考えても仕方がない。
それより、この水はうまかった。
もう一度すくって飲む。
ほどよい苦みと、すっきりした後味。
冷たさも申し分ない。
フミタロウは顔を上げ、木々の間から見える空を眺めた。
頭の中で、昔どこかで聞いた曲が流れ始める。
ダバダ、ダバダ――。
「何してるんですか?」
サンキチが尋ねた。
「ナイスミドルの休息」
「意味分かりません」
「今、ものすごく渋いやろ」
「全然」
フミタロウは静かに水を飲んだ。
本人の中では、山深い泉でブラックコーヒーを味わう大人の男になっていた。
実際には、両手ですくった水を飲みながら一人で気取っているだけである。
「そろそろ行きましょう」
マルクスが立ち上がった。
「ここから先は、少し道が険しくなります」
四人も荷物を整える。
泉の水を飲み終えたフミタロウは、名残惜しそうに振り返った。
「帰りにも寄ろうな」
「そんなに気に入ったんですか?」
「無料でアイスコーヒー飲み放題やぞ」
「私にはミントですけど」
「僕はリンゴです」
「私はワインですね」
クリフトスまで加わる。
フミタロウは三人を見た。
「全員で話が合わへんな」
マルクスを先頭に、四人は再び山道を登り始めた。




