第十三話 魔力って何なの?
フミタロウが訓練場でポヨンくんを相手に四苦八苦していた頃、ミルキーとサンキチはアーリアン王国の魔法学院を訪れていた。
案内された書庫は、天井まで届く本棚が何列も並ぶ広い部屋だった。棚の上段へ届くための細い梯子が掛けられ、長机には古びた魔法書や図解入りの教本が積まれている。
高い窓から差し込む午後の光の中を、細かな埃がゆっくりと舞っていた。
「図書館みたいですね」
サンキチが、ずらりと並んだ本の背表紙を見上げた。
「正確には、魔法学院の書庫です」
クリフトスは慣れた様子で棚の間を進んでいく。
「魔法の基礎について書かれた本が多くあります。お二人が勉強するには、ちょうどよいと思いまして」
ミルキーは少し心配そうに周囲を見回した。
「でも、私たちが勝手に使っても大丈夫なんでしょうか」
「ご安心ください。私はこの学院の卒業生ですし、利用の許可もいただいております」
「クリフトスさん、この学院に通ってたんですね」
「ええ。かなり昔ですが」
「何年前ですか?」
「それは今、必要な情報でしょうか」
「いや、ちょっと気になっただけです」
サンキチが笑う。
クリフトスはそれ以上答えず、本棚へ手を伸ばした。
「それに、ここは学院の生徒だけの場所ではありません。町の方や旅人にも、一部は開放されています」
置かれているのも、限られた術者しか読めない秘術書や危険な禁書ではない。
魔法を学び始めた者向けの教本や、旅人が自分の使う術を調べるための本、子供向けの魔物図鑑まで揃っているらしい。
「高度な研究には足りませんが」
クリフトスは一冊抜き取った。
「今のお二人には、むしろちょうどよいでしょう」
「魔法素人ですからね」
「その認識で間違いありません」
「さらっと言いますね」
クリフトスは微笑んだまま、書棚の間を行き来し始めた。
少しして、長机の上に二つの本の山ができた。
どちらも二十冊近い。
「こちらがミルキー様に読んでいただく本です」
「はい」
「こちらがサンキチさん」
「……全部?」
「もちろんです」
「うひゃあ」
サンキチは自分の前にそびえる本の山を見上げた。
「これ、一人で全部読むんですか?」
「そのために持ってきました」
「ですよね」
隣を見る。
「すごい量ですね、ミルキーちゃん」
「そうですね」
ミルキーは一冊手に取り、楽しそうに表紙を眺めた。
「なんだか、すごく楽しみです」
「え?」
「だって、魔法についてちゃんと勉強できるんですよ」
「そ、そうですね」
サンキチが想像していた反応とは違ったらしい。
「お互い、頑張りましょう」
「はい……」
「返事に元気がありませんね」
「気のせいです」
クリフトスは二人の向かいへ座った。
「本を読み始める前に、まず私から魔法の基礎を説明しておきましょう」
「お願いします」
「よろしくお願いします」
こうして二人の魔法の勉強が始まった。
*
「お二人も、そろそろ気づいていると思いますが」
クリフトスは一冊の教本を開いた。
「魔法を使う上で、とても大切なのが想像力です」
開かれた頁には、炎で形作られた巨大な鳥が描かれていた。
翼を大きく広げ、鋭い嘴と爪を持っている。
「これはファイアイーグルという術です」
「火の鷲」
サンキチが身を乗り出した。
「名前の通り、炎を鳥の形へ変えて放つ攻撃魔法です」
同じ術を唱えても、出来上がるものは術者によってかなり違うのだという。
鳥の姿が曖昧で、ただ炎の塊を飛ばしただけになる者もいる。翼ばかり大きくして飛び方が不安定になる者もいれば、嘴や爪まで細かく思い浮かべる者もいる。
「鳥の形にするだけでは駄目なんですか?」
ミルキーが尋ねた。
「駄目というわけではありません。ただ、何のためにその形へするのかが重要です」
クリフトスは絵の嘴を指した。
「相手へ突き刺したいのであれば、嘴は鋭い方がよい」
次に翼。
「飛ぶ方向を細かく変えたいなら、翼の動きまで意識した方がよいでしょう」
「じゃあ、大きく焼きたい時は?」
サンキチが聞く。
「鳥の形へこだわる必要すらない場合があります」
「あ」
「目的に合わない形を作るために魔力を使えば、それだけ無駄が増えます」
サンキチは自分の使う火球を思い出した。
「なるほど」
「だからこそ、本を読む意味があります」
教本を軽く持ち上げる。
「何百年もの間、先人たちが何度も試し、失敗し、より効率よく術を使える形へ改良してきました。その結果が、こうした教本へ残されています」
「先に失敗してくれてるんですね」
「言い方は少々あれですが、その通りです」
サンキチは本をめくった。
「ゲームの攻略本みたいですね」
「攻略本?」
「いえ、こっちの話です」
クリフトスは首を傾げたが、追及はしなかった。
「知識を学び、頭の中で形を作り、実際に使ってみる。そして結果を見て、また修正する。それを繰り返すことで魔法は洗練されていきます」
「分かりやすいです」
ミルキーは早くも本を読む気になっているらしく、膝の上へ一冊抱えている。
「頑張ります」
サンキチも本を開きかけた。
だが、その手が止まった。
「その前に、一つ聞いていいですか?」
「もちろんです」
「魔法を使うための魔力って、そもそも何なんですか?」
クリフトスが少し意外そうな顔をした。
「魔力そのもの、ですか」
「はい」
サンキチは自分の掌を見る。
「この世界へ来てから、急に魔法が使えるようになったじゃないですか」
火球が出る。
炎を分裂させることもできる。
弱いながら雷も使える。
「でも、どうして出るのか全然分からないんですよ」
魔力が減る。
使えば疲れる。
使い切れば気を失う。
そこまでは経験で分かっている。
「魔力って血みたいなものなのか、体力なのか、それとも空気みたいなものなのか。仕組みを知らないまま使ってるのが、ちょっと怖くて」
「なるほど」
クリフトスはすぐには答えなかった。
少し考えたあと、窓の外へ目を向ける。
「魔力が最初にどこから生まれたのか、と尋ねられれば」
一度言葉を切った。
「それは、私にも分かりません」
「分からないんですか?」
「はい」
魔法学院でも、魔力そのものの起源を研究している者はいるらしい。
神が世界へ与えたものだと考える者もいれば、世界そのものが持つ生命力だと唱える者もいる。中には、星の外から絶えず流れ込んでいるのだと考える者までいるという。
「どれが正しいんですか?」
「今のところ、証明されたものはありません」
「そういうのもあるんですね」
「分からないものは、まだまだ多いですよ」
クリフトスはそう言ってから、机の上の本を指した。
次に、窓の外に見える木。
そして壁を作る石。
「ただし、現在分かっていることもあります。この世界に存在するほとんどのものには、量の差こそあれ魔力が含まれています」
「ほとんど全部?」
「ええ。植物にも、水にも、土にも、食べ物にもあります。魔石のように大量の魔力を含むものもあれば、空気のようにごく僅かなものもあります」
「食べ物にもあるんですか?」
ミルキーが聞いた。
「ありますよ。ですから食事をすれば、栄養と一緒に魔力も少しずつ体へ取り込むことができます」
「じゃあ、呼吸も?」
サンキチが続ける。
「空気にも魔力が含まれておりますので、呼吸からも僅かずつ取り込んでいます」
ミルキーが無意識に深く息を吸った。
「今も?」
「今もです」
「何だか不思議ですね」
「食べて寝たら魔力が戻るのも、それが理由ですか?」
「おおむね、その理解で構いません。休んでいる間にも、体は周囲から魔力を取り込み続けています」
サンキチはしばらく考えた。
「でも、じゃあ何で人によって使える魔力の量が違うんです?」
「よい質問ですね」
クリフトスは鞄から二つの小瓶を取り出した。
一つは細長い。
もう一つは、それより大きく丸い。
「魔力に関係する能力には、個人差があります」
「この瓶が?」
「例えです」
クリフトスは細い瓶を指した。
「まず、魔力を体へ取り込む力。食事をしたり、魔力を回復させる薬を飲んだりしても、取り込める量は人によって違います」
「吸収しやすい人と、しにくい人がいる」
「そうです」
次に、大きな瓶を持ち上げた。
「そして、体の中へどれだけ魔力を蓄えておけるか。こちらにも差があります」
「器の大きさみたいなものですね」
「その考え方でよいでしょう」
たくさん魔力を取り込めても、蓄えられる量が少なければすぐ満杯になる。
反対に、大きな器を持っていても、魔力を取り込む力が弱ければ、なかなか満たせない。
「優秀な魔法使いは、その両方が高いことが多いのです」
「じゃあ、生まれつきで決まるんですか?」
「生まれ持った差はあります。ただ、まったく変わらないわけではありません」
魔法を使い、魔力を減らす。
食事や休息で回復する。
無理のない範囲でそれを繰り返すことで、体は少しずつ魔力の流れに慣れていくという。
「じゃあ、どんどん魔法を使えばいいんですね」
サンキチが嬉しそうに言った。
「ただし」
クリフトスはサンキチを見る。
「毎回、空になるまで使い切る必要はありません」
「……はい」
「まして、気を失うまで使うのはおすすめしません」
「心当たりありますね」
ミルキーが言った。
「あります」
サンキチは自分の頬をさすった。
なぜか魔力を使い切ったあとには、頬まで痛くなる。
原因は今もよく分かっていない。
「少しずつ使い、少しずつ回復させる。その繰り返しで十分です」
「分かりました」
サンキチは神妙に頷いた。
しばらくして、別の疑問が浮かんだらしい。
「じゃあ、フミタロウさんみたいに魔法がほとんど使えない人は?」
「フミタロウさんですか」
「吸収する力も、魔力を貯める力も弱いってことです?」
「おそらくは」
クリフトスの返事はあっさりしていた。
「あの方の場合、魔力に関する能力がかなり低い方へ偏っているように見えます」
「そんなに?」
以前、フミタロウが掌から小さな光を出したことがある。
威力はほとんどなく、それだけでひどく消耗していた。
「訓練を続ければ、今より多少は成長するでしょう」
「じゃあ、努力すれば魔法使いにも?」
「難しいでしょうね」
即答だった。
「出発点が低すぎます」
「……」
サンキチとミルキーは、何とも言えない顔で見つめ合った。
「魔力を伸ばすために時間を使うより、ほかの能力を伸ばした方が効率的です」
「完全に魔法使いの道を否定されましたね」
サンキチが言う。
「かわいそうです」
ミルキーまで少し気の毒そうな顔をした。
「ですが、事実です」
クリフトスに悪気はない。
ないからこそ、余計に厳しかった。
サンキチが声を落とす。
「きっとキャラクターを作る時に、能力を極端に振ったんですよ」
「私も今、同じことを考えていました」
ミルキーも苦笑した。
「素早さばかり上げて、魔力を全部捨てたんでしょうね」
「フミタロウさんらしいです」
「能力を振る?」
クリフトスが首を傾げた。
「私たちの世界の話です」
「なるほど」
おそらく、あまり分かってはいなかった。
「では、説明はこのくらいにしましょう」
クリフトスが二人の前へ、本の山を押し出した。
「まず読んでください。それから実際に試します」
「はい」
「分からないところがあれば、私が説明します」
「了解です」
サンキチは諦めたように一冊目を開いた。
その隣では、ミルキーが楽しそうに本を抱えている。
「頑張ります!」
「……元気ですね」
「楽しいですよ?」
「僕も頑張ります」
*
それから数日、ミルキーとサンキチは書庫と学院の訓練場を往復する生活を続けた。
ミルキーは、これまで感覚的に使っていた風魔法を細かく変える練習を始めた。
広い範囲へ押し出して相手を遠ざけることもあれば、一か所へ風を集めて鋭くすることもある。逆に刃のような鋭さを消し、相手を傷つけずに体勢だけ崩す方法も教わった。
治癒魔法についても同じだった。
傷が浅いのに大量の魔力を使えば無駄になる。反対に、重い傷へ弱い治癒をかけても十分な効果は得られない。
傷の状態を見て、必要なだけ魔力を使う。
それも技術だった。
サンキチは火球を使いながら、大きさや数、飛ぶ速度を変える練習をした。
一つの大きな火球を作るだけでなく、小さく分裂させる。まっすぐ飛ばすだけでなく、途中で少し軌道を変える。
最初は何度も本を確認していたが、繰り返すうちに、教本を閉じても頭の中で形を保てるようになっていった。
ただし、ファイアウィップだけは禁止された。
「まだ早いです」
「ちょっとだけでも?」
「駄目です」
「倒れないところまでなら」
「以前も似たことを言って倒れましたよね」
「……はい」
特に魔力を使い切る癖について、クリフトスは何度も注意した。
「焦る必要はありません」
訓練の合間、クリフトスは二人へ言った。
「魔力量は、一日で突然大きく増えるものではありません。昨日より少しだけ多く使えるようにする。そして昨日より少しだけ正確に扱う。その積み重ねです」
「地味ですね」
サンキチが言った。
「地味です」
「否定しないんですね」
「ですが、それが一番確実です」
派手な変化ではない。
それでも数日も続ければ、二人の魔法は以前とは少しずつ変わり始めていた。
*
数日後。
書庫の扉が開いた。
「おう」
フミタロウが姿を現した。
服には土がつき、両腕には新しい擦り傷がある。
今日も朝からポヨンくんを相手に特訓していたらしい。
ミルキーとサンキチが同時に顔を上げた。
そして、なぜか二人とも少しだけ気まずそうな表情をした。
「何や?」
フミタロウは二人を見比べる。
「なんか、俺を見る目に憐れみが混ざってへん?」
「いや」
サンキチは笑った。
「そんなことないと思いますよ」
「ほんま?」
「多分」
「多分って何やねん」
「気のせいです」
「今、微妙な間あったぞ」
「深い意味はありませんよ」
サンキチが手を振る。
「傷つけないように気を使ってるとか、そういうことではありません」
「傷つけないようにって言うたな!」
「言ってません」
「言うた!」
ミルキーが笑いをこらえながら口を挟んだ。
「まあまあ、フミタロウさん」
「何で俺だけ別行動なんや!」
フミタロウは二人の間へ入り、サンキチの前に置かれた本を一冊持ち上げた。
「そっちは、こんなきれいな書庫で魔法の勉強やろ?」
「はい」
「俺は朝から、じいさんとゼリーみたいなゴーレム殴ってるんやぞ」
「でも、新しい技を覚えたじゃないですか」
ミルキーが言う。
「カマイタチですね」
サンキチも続けた。
「そうやけど」
フミタロウは本を戻し、不満そうに腕を組んだ。
「なんか俺だけ文明から取り残されてる感じするやん」
「そんなことありませんよ」
ミルキーは笑顔で答えた。
「フミタロウさんには、フミタロウさんに合った訓練です」
「それ、魔法の才能ないから諦めろってこと?」
「そこまでは言ってません」
「顔に書いてある」
「書いてませんよ」
サンキチが隣で笑った。
「まあまあ。気にしない、気にしない」
「その言い方が一番腹立つねん!」
フミタロウの声が、静かな書庫に響いた。
遠くの机で本を読んでいた学院の生徒たちが、一斉に顔を上げる。
クリフトスが人差し指を口元へ当てた。
「フミタロウさん」
「ん?」
「ここは書庫ですので、静かに」
「……すいません」
フミタロウは即座に声を落とした。
その後しばらく、必要以上に小声で話していた。




