第十二話 おっさんの必殺カマイタチ
宿へ戻ったフミタロウは、部屋の椅子に座ったまま腕を組んでいた。
卓上には紙が一枚置かれている。
丸っこいポヨンくんらしき絵。その横には拳や矢印、本人にしか意味の分からない線が何本も引かれていた。
見た目は落書きに近い。
だが、フミタロウ本人はいたって真剣だった。
どうすれば、打撃に強いポヨンくんへ傷を与えられるのか。
拳で殴れば、衝撃は柔らかな体へ逃げてしまう。蹴って吹き飛ばしても、地面で跳ねて何事もなかったように起き上がる。
それなのにバサルスは、右拳の一撃だけでポヨンくんを内側から破裂させた。
あの一撃と自分の拳に、何の違いがあったのか。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
「ただいま戻りました」
扉が開き、サンキチが部屋へ入ってきた。
椅子に座ったまま難しい顔をしているフミタロウを見ると、少し首を傾げる。
「今日は先に戻ってたんですね」
「おう」
「どうしたんですか?」
サンキチは心配そうに顔を覗き込んだ。
「お腹でも痛いんですか?」
「何でやねん」
フミタロウは腕を解いた。
「子供ちゃうんやから。考え事してんの」
「そうなんですか」
「このシリアスなナイスミドル感が見えへん?」
サンキチは一度、じっくりとフミタロウを見た。
「まったく」
「即答すんな」
あまりに迷いのない返事だったため、フミタロウは思わず笑った。
朝からずっと考え続け、凝り固まっていた頭が少しだけ軽くなる。
「まあ、ええわ」
卓上の紙を指した。
「今日の特訓、全然分からんかったんよ」
「ポヨンくんですか?」
「そう」
しばらくすると、ミルキーとクリフトスも戻ってきた。
四人は卓を囲み、フミタロウから今日の訓練について話を聞くことになった。
*
「打撃が効かないゴーレムを、打撃で倒せってことですか」
サンキチが紙に描かれた丸いポヨンくんを見る。
「何だか、すごく深い修行みたいですね」
「深いかどうかは知らんけど、俺にはさっぱりや」
フミタロウは拳を握った。
「普通に殴っても、全部ぽよんって逃げる。蹴って飛ばしても壊れへん」
「バサルスさんは、どうやって倒したんですか?」
ミルキーが尋ねる。
「普通に一発」
「普通に?」
「そう見えた」
大きく振りかぶったわけでも、助走をつけたわけでもない。
右拳がポヨンくんへ触れ、その直後に体の内側から弾けるように砕けた。
「ものすごく速かったのでしょうか」
「いや、それがな」
フミタロウは首をひねる。
「見えへんほど速かった感じでもないんよ」
「そうですか」
四人で紙を眺める。
最初に口を開いたのはクリフトスだった。
「単純な打撃の強さだけではないのでしょうね」
「ほかの要素を足すってこと?」
「おそらくは。たとえば魔力を拳へ乗せる、あるいは衝撃とは違う性質の力に変える、といった方法も考えられます」
「魔力は無理やと思う」
フミタロウは以前、掌から小さな光を出した時のことを思い出した。
たった一度使っただけで、ひどく疲れた。
「俺、魔法の才能ないみたいやし」
「では、攻撃そのものの当て方を変える必要があるのかもしれません」
「当て方?」
「私は格闘術の専門家ではありませんが、同じ力でも広くぶつける場合と、一か所へ集中させる場合では結果が変わるでしょう」
「もっと速く殴るとか?」
「それも一つではあると思います」
だが、フミタロウの記憶にあるバサルスの拳は、特別速かったわけではない。
速さだけではない。
「そもそもさ」
フミタロウは自分の拳を見る。
「拳と剣って、何が違うんやろ」
「拳と剣ですか?」
「拳は叩いて壊すやろ。剣は切る」
拳で物を壊そうとすれば、基本的には衝撃をぶつける。
剣なら、刃を食い込ませて切る。
「俺の拳が、めっちゃ薄くなって剣みたいになったら――」
「怖いですね」
サンキチが言った。
「例え話や!」
「だって想像したら怖かったので」
「想像せんでええねん」
笑いながらも、フミタロウは紙に一本の線を引いた。
「でも、拳そのものを細くする必要はないんちゃうかな」
「と言いますと?」
「拳全部をぶつけんでも、一部分だけ当てたらええとか」
「それなら」
ミルキーが右手を立てた。
「正面からぶつけるんじゃなくて、端だけをかすらせるように当てて、そのまま横へ抜くのはどうですか?」
空中を切るように、手を滑らせる。
「刃物みたいに?」
「はい。叩くんじゃなくて、切るようなイメージで」
「なるほど」
サンキチも頷く。
「ポヨンくんが衝撃を全体に逃がすなら、押し込むより表面を裂く方がいいのかもしれませんね」
「それやったら、いけるかもしれんな」
少しだけ道が見えた気がした。
殴るのではない。
拳を刃のように使う。
フミタロウは紙に何本か線を書き足した。
「で」
顔を上げる。
「具体的に、どうやるん?」
誰も答えなかった。
しばらく沈黙が続く。
「明日、いろいろ試すしかないですね」
サンキチが言った。
「せやな」
結局のところ、体を動かして確かめるしかなかった。
*
翌朝。
訓練場には、すっかり元の姿へ戻ったポヨンくんが立っていた。
青く透き通った体が朝日に照らされ、ゆっくりと揺れている。
「そろそろ始めるか」
バサルスがポヨンくんの横へ立った。
「その才能のなさそうな顔を見る限り、今日も無理だと思うが」
「顔は才能と関係ないやろ!」
フミタロウが睨む。
「うるさいわ、エロじじい!」
バサルスは何も答えず、背を向けた。
「聞けや!」
「夕方に戻る」
「また放置かい」
「自分で考えろ」
そのまま訓練場を出ていく。
残されたのは、フミタロウとポヨンくんだけだった。
丸い目がこちらを見ている。
「まあ、やってみるか」
フミタロウは拳を構えた。
昨夜、仲間たちと考えた方法。
拳全体を押しつけない。
表面をかすらせ、そのまま横へ抜く。
殴るのではなく、切る。
「まずは軽く」
ポヨンくんの腹へ、拳の外側をなぞるように当てた。
ぽよん。
「違うな」
もう一度。
今度は少し速く。
ぽよん。
「これも違う」
角度を浅くしてみる。腕だけではなく腰から回してみる。拳の握り方や手首の角度も少しずつ変え、拳頭ではなく小指側を当ててみる。
何を試しても、ポヨンくんは柔らかく揺れるだけだった。
昼を過ぎる頃には、腕が重くなっていた。
拳も熱を持ち始めている。
それでもポヨンくんには傷一つない。
「やっぱり、考え方から間違ってんのかな」
フミタロウは息を整えながら、昨日見たバサルスの一撃を思い出す。
力を込めたようには見えなかった。
大きな動きもなかった。
拳が触れた瞬間、ポヨンくんの表面へ衝撃が逃げず、その奥へ何かが抜けた。
「表面を押すんちゃう……」
フミタロウは小さく呟いた。
「奥へ通す……いや」
今日は、バサルスと同じことをする必要はない。
自分たちが考えたのは、切る方法だ。
剣を振る時も、ただ刃を叩きつけるだけではないはずだ。
刃を滑らせる。
ならば拳も同じように使えないか。
もう一度、ポヨンくんの前へ立つ。
拳を強く握りすぎない。
肩から余計な力を抜き、腕だけを振るのではなく腰から体を回す。
そして触れた瞬間に、拳を横へ走らせる。
「はっ!」
ぽよん。
「違う」
もう一度。
ぽよん。
失敗。
少し角度を浅くする。
また失敗。
「くそ」
正解なのかどうかさえ分からない。
それでも、力任せに殴っていた昨日とは、ごくわずかに感触が違う時があった。
いつもなら拳が沈んだ場所から大きく波打つ。
だが、たまに表面だけへ細い筋のような跡が残る。
「……今のや」
その感触を逃さないよう、同じ動きを繰り返した。
何十回。
何百回。
やがて疲労で腕の力が抜け、無駄に拳を握り込むこともできなくなってきた。
それが逆によかった。
当たる直前まで力を抜き、触れた瞬間だけ鋭く横へ抜く。
「うおりゃあ!」
拳がポヨンくんの腹をかすめた。
ばしゅっ。
これまでとは違う音が響いた。
「え?」
透明な体の表面へ、一本の白い線が走る。
その線は一瞬で横へ伸びた。
次の瞬間、ポヨンくんの上半身が、まるで切り分けられたようにずれた。
ぼんっ。
青い体が弾け、無数の透明な欠片となって周囲へ飛び散る。
フミタロウは拳を振り抜いた姿勢のまま固まった。
「……できた」
地面を見る。
ポヨンくんが、本当に砕けている。
「できた!」
思わず拳を高く上げた。
「成功や!」
押し潰した感触ではなかった。
拳が触れた瞬間、力が細く横へ走った。
まだ説明できるほど理解しているわけではない。
だが、昨日までとは明らかに違う攻撃だった。
*
夕方。
訓練場へ戻ってきたバサルスは、地面へ散ったポヨンくんの欠片を見た。
「ほう」
少しだけ眉を上げる。
「できたか」
「どうよ、じいさん」
フミタロウは得意げに右拳を見せた。
「俺様の新必殺技」
「必殺技?」
「名付けて――」
大げさに腕を構える。
「カマイタチ!」
バサルスはしばらく無言でフミタロウを見た。
「何とか物になりそうだな」
「もうちょっと驚いてもええんちゃう?」
「相手や状況によって、攻撃を使い分ける」
バサルスは足元の透明な欠片を拾った。
「今回、お前が覚えたのはそういうことだ」
「使い分け?」
「硬い物を砕く攻撃と、柔らかい物を切る攻撃は違う」
相手が硬いのか、柔らかいのか。
鎧を着ているのか。
衝撃を逃がすのか。
魔物はどれも同じ体をしているわけではない。
「拳一つでも、当て方を変えなきゃ通用しねえ」
「なるほどな」
フミタロウは自分の右拳を見る。
殴るしかできないと思っていた。
だが同じ拳でも、使い方はいくつもあるらしい。
「まあ」
バサルスの口元が少し緩む。
「爪武器を装備すりゃ、似たようなことは誰でもできるがな」
「は?」
「拳の先に刃がありゃ、そりゃ切れる」
「何やねん、それ!」
フミタロウは両手を広げた。
「ほな、この特訓の意味ないやん!」
「意味はある」
「どこに?」
「自分で考えろ」
「またそれか!」
「そのうち分かる」
バサルスは背を向けた。
「まあ、お前は馬鹿だから、ずっと分からんかもしれんが」
「二言多いねん!」
「ああ、それとな」
訓練場の入口で、バサルスが足を止めた。
「何?」
「明日からは、大量増殖版だ」
「何の?」
バサルスが右手の指を鳴らした。
訓練場の奥から、何かが弾む音が聞こえてくる。
ぽよん。
ぽよん。
「……ん?」
青い影が一体、姿を現した。
その後ろからもう一体。
さらに、その後ろから何体も続いてくる。
十体どころではない。
同じ顔をしたポヨンくんが、次々と訓練場へ入ってきた。
「ポヨンくん大量増殖版」
バサルスが平然と言った。
「さらに頑張れ」
「いやいやいや」
フミタロウは数えようとして、途中で諦めた。
「多すぎるやろ!」
「明日、また来い」
バサルスは手を振り、そのまま帰っていった。
「くそじじい!」
叫んでも振り返らない。
フミタロウの周囲を、無数のポヨンくんが取り囲んでいた。
ぽよん。
ぽよん。
ぽよん。
「一体倒したら終わりちゃうんか……」
そのうちの一体が、すぐ隣へ寄ってきた。
丸い目で、じっとこちらを見ている。
「かわいい顔して、ほんま腹立つな」
ぽよん。




