第二話 おっさん異世界にて買い物をする
城門を守る衛兵が、分厚い木製の扉へ手を添えた。
「この先は城下町です。どうぞお気をつけて」
重そうな音を立てながら、扉がゆっくり左右へ開いていく。
差し込んできたのは眩しい陽光と、外から押し寄せる無数の人の声だった。
フミタロウは思わず目を細めた。
城門の先には石畳の大通りが真っすぐ延び、その両側には三階建てほどの建物が軒を連ねている。通りの手前には布張りの屋台や露店が所狭しと並び、荷車を押す商人や買い物袋を抱えた町人、鎧を身につけた冒険者らしき者たちが行き交っていた。
香辛料の匂いに、焼いた肉の香ばしい匂い。
どこを見ても、フミタロウが想像していた通りの異世界らしい町だった。
「おお……」
思わず声が漏れる。
しかし、彼が本当に言葉を失った理由は、初めて見る異世界の町並みではなかった。
城門の真正面。
通りをまたぐように、巨大な横断幕が掲げられている。
そこには大きな文字で、
**『ようこそアーリアンへ 召喚者の皆様、大歓迎!』**
と書かれていた。
「……なんやこれ」
さらに、その下には大小さまざまな看板が並んでいる。
召喚者向け武器防具。
初めての探索セット。
高品質回復薬。
各種マニュアル、地図取り扱い中。
肉まんに似た食べ物を蒸している店にまで、『召喚者歓迎』の札がぶら下がっていた。
そしてフミタロウたちが城門から姿を見せた瞬間、商人たちは待っていましたとばかりに一斉に声を張り上げた。
「召喚者さん、こっちだ!」
「初心者向け装備、安くしとくよ!」
「回復薬! 最初に買っておかないと後悔するよ!」
「地図に探索セット! 全部そろってる!」
四方八方から声と手が伸びてくる。
フミタロウは思わず数歩後ずさった。
「……なんか俺ら、明らかに観光客扱いされてへん?」
隣にいたミルキーも、圧倒されたように辺りを見回していた。
「そ、そうですね。私、もう少し厳かな感じを想像していました」
「俺もや。世界の危機を救う勇者として、町の人が静かに見送ってくれるとか」
現実はまるで違った。
どう見ても商店街へやって来た団体客である。
しかも厄介なことに、召喚者がいくら持っているかまで知られているらしい。
王国から渡された支度金は、一人六十ゴールド。
この通りにいる商人たちは、おそらくその六十ゴールドを狙っている。
「まあ、どのみち準備は必要やしな」
押し寄せる呼び込みを眺めながら、フミタロウは無理やり前向きに考えることにした。
「何から買う?」
「まずは装備と、回復薬でしょうか」
「せやな。武器なしで魔物と会うても、話し合いで済むとは思えへんし」
二人はとりあえず、最も近くにあった武器防具の露店を覗いてみることにした。
店主は待ち構えていたように、両手を大きく広げた。
「いらっしゃい! うちは安い、丈夫、良心的! 今日ここへ来た召喚者さんは運がいい!」
最初から信用しにくい言葉が三つ並んでいた。
「武闘家の男と、僧侶の女の装備はある?」
「もちろん!」
店主は机の下から大きな革袋を引っ張り出し、中身を次々と台の上へ並べていく。
出てきたのは薄手の革鎧と木製の小盾、簡素な短剣に包帯、それから小さな水筒だった。
どれも使えなくはなさそうだが、少なくとも新品には見えない。
「武器、防具、袋、水筒まで付いた初心者セット! お一人三十ゴールド!」
「いかにも旅立ち用って感じやな」
「お買い得だよ!」
「しょぼいとは言わんけど、うーん」
ほとんど言っているのと同じだった。
しかも武器は別売りで、一つ二十ゴールド。
支度金は六十ゴールドしかない。装備一式と武器を買えば、残りは十ゴールド。そこから回復薬や食料まで用意するとなれば、絶妙に足りない金額だった。
「これが相場なんかな……」
フミタロウが財布へ手を伸ばしかけたところで、ミルキーが袖を引いた。
「フミタロウさん。向こうにも装備のお店がありますよ」
「ん?」
彼女が指した先。
賑やかな通りの端に、ひっそりと一軒の店があった。
周囲の露店のような派手な看板もなければ、客を呼び込む声もない。古びた看板に、ただ『武器防具』とだけ書かれている。
「急いで決める必要もないか」
「はい。比べてからにしましょう」
二人は露店の店主に呼び止められながら、その古い店へ向かった。
異世界へ来て、初めての買い物。
隣を歩くのは、かわいらしい女子学生である。
一瞬だけ買い物デートのようにも思えたが、周囲から見れば、どう考えても娘の買い物に付き添う父親だろう。
フミタロウは余計なことを考えるのをやめた。
*
古い武器防具店には、金属と革の匂いが染みついていた。
壁には使い込まれた剣や盾、革鎧、修理用の工具が並び、奥の作業台には手入れの途中らしい防具が置かれている。
店番をしていたのは、一人の老人だった。
短く刈った白髪に深い皺。年齢を感じさせない太い首と、分厚い胸板。
左腕は肩から前腕まで残っているものの、手首から先がない。健在な右手には、古い傷がいくつも走っていた。
その姿を見た瞬間、フミタロウは無意識に少し身構えた。
先ほどの陽気な露店商とは、まるで雰囲気が違う。
目の前の老人は、長い間、本物の戦いの中で生きてきた人間に見えた。
「……何を探してる」
低い声だった。
「武闘家と僧侶の装備を探してるんですけど」
ミルキーが丁寧に頭を下げる。
「よろしくお願いします」
老人は二人を順番に見た。
「武闘家と僧侶か」
「はい」
やがて、その視線がフミタロウで止まる。
「お前、武闘家か」
「一応、そうらしいです。まだ何もしてへんけど」
老人は答えず、フミタロウの肩や腰、立ち方までじっと観察した。
「体はできてねえな」
「今日なったばっかりやからね」
「なら、余計な物を着けるな」
老人は椅子から立ち上がり、店の奥から一組の防具を持ってきた。
鎧というより、両腕を守るための装具だった。
肩から手首までを覆う革製の腕防具で、外側には厚い革と金属板が重ねられている。もう一つは指先の開いた手袋で、拳の部分だけが厚く補強されていた。
「武闘家なら、これだ」
「……服は?」
「腕だ」
「見たら分かるけど」
「着けろ」
有無を言わせない口調だった。
言われるままフミタロウは上着を脱ぎ、腕防具を装着してみる。
「お?」
見た目から想像していたより、ずっと軽い。
肘を曲げても引っかからず、肩を大きく回しても邪魔にならない。試しに何度か腕を振ってみたが、動きをほとんど妨げなかった。
先ほど露店で見せられた革鎧より、はるかに体へ馴染む。
「なんか、さっきの店より説得力あるな」
「おなかを守る鎧はないんですか?」
ミルキーが尋ねた。
フミタロウも、そこは気になっていた。
「これ、腕しか守られてへんけど。腹狙われたらどうすんの?」
老人は即答した。
「避けろ」
「潔いな」
「武闘家が重い鎧を着てどうする。最初から余計な物を着ければ、鎧に頼って体術を覚えねえ」
「受けるな、動けってことか」
「腕の防具は攻撃を止めるためじゃねえ。急所からそらすためだ」
老人は右手で、フミタロウの腕防具を軽く叩いた。
「受け止めようとするな。流せ。足を止めるな」
実戦経験など一度もないフミタロウにも、その説明は妙に納得できた。
自分が選んだ武闘家という職業は、頑丈さではなく素早さを重視している。全身を硬い鎧で覆うより、動きを妨げない装備の方が理にかなっているのだろう。
「俺はこれにするけど、ミルキーちゃんは?」
老人はミルキーの体格をしばらく見たあと、壁に立てかけてあった長い棒を取り出した。
全長は二メートルほど。
一見すれば普通の木製の杖だが、中央付近には筒状の握りが取り付けられている。
「僧侶なら、これだ」
「杖、ですか?」
ミルキーが受け取り、不思議そうに眺める。
「ただの杖じゃねえ」
老人は再び杖を受け取ると、右手だけで持ち方を示した。
左手首から先はない。そのため肘と体を使って杖を支えながら、中央に付いた筒状の握りが前後へ動くことを見せる。
「中央の筒を前の手で持つ。後ろの手は杖の端だ」
ミルキーが言われた通りに構えた。
「前の手は強く握り込むな。後ろから押し出せ」
「こうですか?」
「そうだ。真っすぐ突け」
ミルキーが杖を前へ押し出す。
その瞬間、中央の筒が滑り、杖の先端が鋭く前へ伸びた。
空気を切る音がする。
「わっ」
使った本人が一番驚いていた。
「直接握って滑らせるより速い。狙いもぶれにくい。槍の技を杖へ応用したもんだ」
「僧侶なのに、槍みたいに使うんですか?」
「刃物を持つのを嫌がる土地も多いからな。棒なら旅人の杖で通る」
刃物ではないため、武器を持つことへ抵抗のある土地でも問題になりにくい。
それでいて、魔物や盗賊に接近された時には長い間合いを利用して距離を取ることができる。
前線に立つための武器ではなく、回復役が自分の身を守るための杖。
そう考えれば、これも理にかなっていた。
ミルキーはもう一度、慎重に杖を突き出してみた。
今度は先ほどより滑らかに伸びる。
「なんか、ちょっと気持ちいいです」
「……」
フミタロウは一瞬だけ言葉の選び方に迷った。
そして何も言わないことにした。
「気に入ったなら、それにしろ」
「はい」
「防具は軽い革で十分だ。僧侶が重い鎧なんか着ても、動けなくなるだけだ」
老人は女性用の軽い革鎧も用意した。
胸元から胴を守る簡素な作りだが、肩や腰を動かす邪魔にはならない。ミルキーが服の上から合わせると、体格にもよく合っていた。
「これなら動きやすそうです。それに、さっきの杖もすごく使いやすかったです」
「ふん」
「ありがとうございます。ちゃんと私に合うものを考えて選んでくださったんですね」
ミルキーが深く頭を下げる。
老人はしばらく何も言わなかった。
険しい顔の奥に、わずかに居心地の悪そうな表情が浮かぶ。
「おいおい、やめてくれ」
右手で白髪を掻いた。
「礼を言うのは、買ってからにしろ」
どう見ても戦場帰りの強面の老人が、女子学生に礼を言われて照れている。
フミタロウはその様子を見ながら、少しだけ穏やかな気持ちになった。
自分に娘がいたとして、こんな子だったなら。
そんな、ありもしない想像が一瞬だけ頭に浮かぶ。
「よし。決まりやな」
フミタロウは財布を取り出した。
「じいさん、いくら?」
老人は作業台の横に置かれていた算盤を引き寄せ、右手だけで器用に珠を弾いた。
「武闘家用は六十ゴールド」
「うん」
「嬢ちゃんのは三十ゴールドだ」
「……ん?」
フミタロウは老人を見た。
老人は何事もなかったような顔をしている。
「おい。なんで俺の倍なん?」
「そういう値段だからだ」
「腕だけやぞ?」
「素材と手間が違う」
「ミルキーちゃん、防具と杖のセットやん」
「嬢ちゃんには値引きした」
「堂々と言うな!」
ミルキーが困った顔で二人を見比べた。
「私の方を、もう少し高くしても――」
「必要ない」
老人は即座に遮った。
「男なら、その装備で無一文から稼げ」
「理屈になってへんやろ」
「嫌なら買うな」
「ぐっ……」
フミタロウは改めて腕防具を見る。
動きやすい。
作りも丁寧だった。多少の傷や汚れはあるものの、使い込まれているだけで傷んではいない。
何より、この老人がなぜこういう装備を勧めたのか、その説明にも納得できる。
先ほどの露店で適当な一式を買うより、間違いなく自分には合っている。
分かっているだけに悔しい。
「……分かった。買う」
財布から六十ゴールドを取り出し、作業台へ置いた。
「覚えとけよ、じいさん。稼いだら絶対また来るからな」
「二度と来ないと言わねえのか」
「次は値切り倒す」
「できるもんならやってみろ」
老人は金を受け取ると、フミタロウの腕防具をもう一度確認した。
留め具を締め直し、動かした時に革が擦れる部分へ油を塗る。
「無理に受け止めるな。足を使え」
「分かってる」
「分かってる奴は、そんな立ち方をしねえ」
「今日から武闘家や言うたやろ」
老人は鼻を鳴らした。
「せいぜい、野垂れ死にしねえように頑張れ」
「そっちこそ、俺が大金持ちになった時に店畳んでんなよ」
老人は答えず、今度はミルキーへ顔を向けた。
「嬢ちゃんは、何か必要になったらまた来い」
先ほどまでとは違い、声が少しだけ柔らかい。
「無理して前へ出るな。回復役は、自分が倒れたら終わりだ」
「はい。ありがとうございました」
「それから」
老人はフミタロウをちらりと見た。
「こんなみみっちい奴に、回復魔法を使いすぎるな。魔力がもったいねえ」
「誰がみみっちいねん、このエロじじい!」
「おう。元気があるなら働け」
老人は右手を上げ、店から追い払うように振った。
ミルキーは笑いをこらえながら、買った杖を大事そうに抱えていた。
*
店を出ると、商店街の喧騒が再び二人を包んだ。
フミタロウは上着を着直したものの、その両腕には先ほど買った防具が装着され、指先の開いた手袋も身につけている。
ほんの少しだけ、武闘家らしくなった気がした。
ミルキーも軽い革鎧を身につけ、長い杖を背負っている。
「装備、似合ってますよ」
「そうか?」
「はい。少し強そうに見えます」
「少しなんや」
フミタロウは笑いながら財布を開いた。
中身は見事に空だった。
異世界へ召喚され、初めてもらった金。
六十ゴールド。
それが、最初の買い物一回ですべて消えた。
「まあ、財布は軽くなったけど、装備も軽いからちょうどええか」
「そういう問題でしょうか」
その時。
通りの向こうから、甘辛い匂いが流れてきた。
「ん?」
湯気を上げる蒸籠を積んだ店で、丸い饅頭のようなものが次々と蒸し上げられている。
「アーリアン饅頭、できたてだよ!」
店主が声を張り上げた。
「甘辛だれ入り! 召喚者さんもどうぞ!」
フミタロウの足が止まった。
饅頭の表面はつややかで、少し割れた皮の隙間から濃い色の餡が覗いている。
「……うまそうやな」
「食べますか?」
「いや」
フミタロウは財布を見る。
「食べたい」
財布を逆さにした。
何も出てこない。
「けど、所持金ゼロや」
饅頭屋の店主が気まずそうに笑った。
ミルキーも自分の財布を確認したが、装備代を払ったあとでは、それほど余裕は残っていないらしい。
「まずは、お仕事探しですね」
「せやな」
フミタロウは未練がましくアーリアン饅頭を見つめた。
「絶対、稼いだら食ったるからな」
魔王を倒す決意より先に、饅頭を食べる決意が固まった。
少なくとも今のフミタロウにとっては、そちらの方がずっと現実的な目標だった。
こうして異世界で最初の買い物は、所持金ゼロという非常に分かりやすい結果を残して終了した。
手に入れたのは、武闘家用の腕防具と指抜きの手袋。
ミルキーの軽装備と、独特な構造を持つ僧侶用の杖。
そして。
世界が変わっても、金がなければ食べたいものすら買えない。
そんな、妙に現実的な事実だった。
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