第一話 おっさん召喚される
その部屋には、窓がなかった。
灰色の石を積み上げた壁に、見上げるほど高い天井。四隅に置かれた燭台には火ではなく青白い光の球が浮かび、床一面に描かれた巨大な紋様だけが淡く輝いている。
その魔法陣の中心に、八人の人間がいた。
七人は少年少女だった。
残る一人だけが、四十歳だった。
オカ・フミオは冷たい石床に手をつき、ゆっくりと上体を起こした。
「……どこや、ここ」
頭が重い。
昨日は仕事を終えたあと、酒を飲んだ。そこまでは覚えている。その後、家へ帰ったような気もするが、記憶はかなり曖昧だった。
飲み過ぎた翌朝、知らない部屋で目を覚ます。
それだけなら、まだ理解できなくもない。
しかし、どう見てもここは日本ではなかった。
周囲にいる若者たちも混乱している。制服姿の少女は友人らしい少年の腕を掴み、眼鏡をかけた男子は床の紋様を興味深そうに眺めている。体格のいい少年は、警戒するように出入口を睨んでいた。
全員、日本人に見える。
そして全員、フミオより二十歳以上は若そうだった。
「召喚者、八名確認」
魔法陣の外から声がした。
灰色の長衣をまとった男が厚い帳面を持ち、その隣では若い女性が八人の特徴を書き留めている。
「人数に相違なし。加護判定の準備へ移ります」
女性の筆が、フミオの前で止まった。
「待ってください……一名、成人男性」
七人の視線が、一斉にこちらへ向いた。
「どういう意味?」
思わず口から出た。
女性は答えず、改めてフミオを上から下まで確認する。
「今回も若年者が中心のはずですが」
「だから、なんやねんて」
もっともな話だと思う。
しかし召喚した側にも答えはないらしい。帳面を持った男は眉を寄せた。
「召喚術式に異常は確認されていません」
「異常ないのに、おっさん一人混ぜんなよ」
別に自分が悪いわけではない。
そう言いたかったが、誰も責めてはいなかった。ただ珍しいものを見るような目でこちらを見ているだけだった。
その方が少しつらい。
フミオは皺の寄ったシャツを払い、立ち上がった。
オカ・フミオ、四十歳。バツイチ。町の小さな電器店に勤める会社員。
少年少女たちに囲まれ、魔法陣の上に一人だけ中年男が立っている。
本人が思っている以上に、場違いな光景だった。
*
八人は召喚の間から、隣の広間へ案内された。
そこには長い机と人数分の椅子が用意され、机の向こう側には立派な衣装をまとった壮年の男を中心に、魔法使いらしい男女、鎧姿の騎士、白い法衣を着た聖職者が並んでいる。
椅子も衣装も上等だったが、歓迎の宴という雰囲気ではなかった。
誰の顔にも疲労と緊張が見える。
中央にいた男が立ち上がり、八人へ頭を下げた。
「皆様、ようこそアーリアン王国へ。私は国王陛下に仕える大臣です」
その背後には、一脚だけ他とは明らかに違う豪華な椅子が置かれていた。
しかし、そこには誰も座っていない。
「本日の召喚に国王陛下はご臨席されません。王に代わり、まず皆様へ感謝申し上げます」
王がなぜいないのか、大臣は説明しなかった。
だが召喚されたばかりの八人にとって、王の欠席など大きな問題ではない。まず知りたいのは、自分たちがなぜここにいるのかだった。
「皆様をこの世界へお招きしたのは、我々人間の国々へ迫る脅威に、お力を貸していただくためです」
大臣はそこで一度言葉を切った。
「この世界には、魔王が現れました」
広間の空気がわずかに変わった。
驚く者もいれば、顔を強張らせる者もいる。中には、どこか期待を含んだ表情を浮かべている少年もいた。
フミオだけは、妙に納得していた。
魔法陣で召喚され、石造りの王国へ連れてこられた。
ここまで来て、敵が魔王でなければ逆に驚く。
「西方では、すでにいくつもの国が戦火へ巻き込まれています。魔物の活動も活発化し、我々だけでは、この先の危機へ対処できません」
大臣の話を聞きながら、フミオは別のことを考えていた。
明日の午前中にはテレビの修理が二件入っている。
午後にはエアコンの取り付けもあった。
連絡もせずに仕事を休めば、社長は間違いなく怒る。最初は電話をかけてくるだろう。それでも出なければ、家まで様子を見に来るかもしれない。
問題は、携帯電話がこの世界でつながるかどうかだった。
フミオはポケットを探った。
「……ない」
携帯電話どころか財布もない。
世界の危機より先に、自分の社会的信用が危機に陥っていた。
「皆様には、この世界で与えられた職業と加護を磨き、魔王へ立ち向かっていただきたいのです」
大臣の口から「職業」という言葉が出た瞬間、フミオの頭に昨夜の記憶が蘇った。
電器店の倉庫で、見たことのない古いゲームソフトを見つけた。
廃棄予定の品だったので、持ち帰って遊んでみようと思ったのだ。
酒を飲んで帰宅してからゲームを起動し、キャラクターを作った。
名前は――フミタロウ。
昔からゲームで使っている名前だった。
職業は武闘家。
攻撃力より素早さを優先し、体力は低め。魔法はほとんど使えない。
酔った勢いで、わざわざ使いにくそうな能力配分にした覚えがある。
嫌な予感がした。
「皆様が事前に選ばれた職業は、すでに確認されています」
大臣の隣にいた魔法使いが、八人の名簿を開いた。
「戦士、魔法使い、僧侶、盗賊、踊り子。そして武闘家」
最後のところで、魔法使いがフミオを見た。
「……やっぱり俺か」
どうやら、嫌な予感は当たったらしい。
昨夜ゲームで作ったキャラクターが、この世界での自分に反映されている。
酔っていた自分に、少し文句を言いたくなった。
*
職業についての説明は、驚くほど手際よく進んだ。
戦士は前衛、魔法使いは遠距離攻撃、僧侶は回復と補助。盗賊には探索や罠の解除、踊り子には舞による支援能力があるという。
基本的には、フミオが知っているRPGとそれほど変わらない。
武闘家は素早さを生かして敵の懐へ入り、手数で攻める職業らしい。
「ただし武闘家は、防御力と生命力に不安があります」
説明役の騎士が、なぜかフミオを見ながら言った。
「敵の攻撃を受けないことを前提に戦ってください」
「受けたら?」
「危険です」
「でしょうね」
分かりやすい説明だった。
続いて、この世界で生活する上での注意事項も伝えられた。
「召喚者の皆様に、特にお願いがあります」
騎士が急に真剣な顔になる。
「異世界から来られた方は、なぜか他人の家へ無断で入り、戸棚や壺を調べることが多いのですが、絶対になさらないでください」
八人が黙った。
「家屋への無断侵入や金品の持ち出しは犯罪です。召喚者であっても、衛兵による捕縛の対象になります」
それはそうだ、とフミオは思った。
ゲームでは他人の家へ勝手に入り、壺を割って金や薬草を持っていくことも珍しくない。
しかし現実にやれば、普通に強盗である。
「……過去の奴ら、何したんや」
説明する側が妙に慣れているところを見ると、今回が初めてではないのだろう。
そのことに気づいた途端、フミオは少し落ち着かなくなった。
これまで召喚された者たちは、どうなったのか。
魔王を倒したのか。
そして、元の世界へ帰れたのか。
一通りの説明が終わると、質問の時間になった。
真っ先に手を挙げたのは、肩までの髪をした少女だった。
「元の世界には戻れるんですか?」
広間が静かになる。
大臣は、答えるまでにわずかな間を置いた。
「魔王を倒せば、召喚者は元の世界へ戻れると伝えられております」
フミオは眉を寄せた。
戻れる、ではない。
戻れると伝えられている。
その微妙な言い方が気になった。
だが少女はそれ以上追及しなかった。他の少年少女たちも、とりあえず帰る方法があると聞いて安心したようだった。
次に眼鏡をかけた少年が質問する。
「自分のユニークスキルは、どうすれば分かりますか?」
フミオには、その言葉がいまひとつ理解できなかった。
大臣の隣にいた女性魔法使いが答える。
「この世界で召喚された方々には、ユニークスキルは確認されていません」
途端に、少年少女たちから不満の声が上がった。
「ないのかよ」
「それじゃ普通じゃん」
「そんなのあり?」
八人の中で、フミオだけが何に失望しているのか分かっていなかった。
隣に座っていた少女へ、小声で尋ねる。
「すいません。ユニークスキルって、そんな大事なんですか?」
少女は目を丸くした。
「知らないんですか?」
「言葉は分かるんですけど、普通の技と何が違うんか、いまいち」
少女は少し考えた。
「私、サッカーを見るのが好きなんです」
「サッカー?」
「はい。たとえばシュートにも、カーブやドライブ、無回転がありますよね。そういうものは、練習して覚える職業スキルみたいなものです」
フミオはうなずいた。
「そこに『絶対に止められないシュート』という能力があったら、どう思います?」
「無茶苦茶やな」
「それがユニークスキルです」
「なるほど」
努力して身につける技とは違い、本人だけが使える反則じみた能力ということらしい。
「異世界で活躍した召喚者や転生者の話って、私たちの世界にもたくさんあるじゃないですか。そういう人たちは、特別な力を使って世界を救うんです」
フミオは、これまで読んだことのある漫画や小説を思い出した。
あれは単なる空想ではなかったのだろうか。
別の世界で本当に起きた出来事が、何らかの形でこちらへ伝わっていた可能性もある。
そこまで考えて、やめた。
頭が痛くなりそうだった。
「なんだよ、おっさん。そんなことも知らないのかよ」
少し離れた椅子から、体格のいい少年が口を挟んだ。
「ミルキー、そんな奴ほっとけよ。どうせ情けない中年サラリーマンだろ」
どうやら、隣の少女はミルキーというらしい。
「タカさん。同じように召喚されたんですから、協力した方がいいと思います」
「俺は仲良しごっこをするつもりはない。魔王くらい、一人で倒す」
少年――タカは腕を組み、前を向いた。
大した自信である。
フミオは、自分も二十年前なら同じようなことを言えただろうかと考えた。
たぶん言えなかった。
「ユニークスキルがないなら、なぜ僕たちを召喚したんですか?」
眼鏡の少年が尋ねた。
女性魔法使いは、待っていましたとばかりに笑顔を見せた。
「皆さんには、ユニークスキルの代わりに加護があります」
少年少女たちの表情が、一斉に明るくなった。
「それを先に言ってくれよ」
「加護なら大丈夫だ」
「何が出るんだろう」
フミオは、また話についていけなくなった。
ミルキーへ目を向けると、彼女はすぐに察して説明してくれた。
「加護というのは、特定の分野に強く働く特殊な能力です。たとえば炎の加護なら、炎への耐性が強くなったり、炎を扱う能力が高くなったりします」
「ユニークスキルより、使える範囲が限定されてるんやな」
「そうです。だから良い加護なら強いんですけど」
「良くないのもある?」
「戦いには使えない能力もあるそうです」
つまり、必ず大当たりが出るわけではないらしい。
「それでは、加護判定を始めましょう」
女性魔法使いが明るい声で宣言した。
*
広間の中央へ、透明な水晶が運び込まれた。
その周囲には円形の術式が描かれ、判定役の魔法使いが分厚い本を開いている。
「一番の方から、順番に水晶へ手を置いてください」
最初に呼ばれたのは、真面目そうな黒髪の少年だった。
「名前を」
「サンキチです」
「職業は魔法使い。水晶へ手を置いてください」
サンキチが触れると、水晶の内部へ赤い光が走った。
炎のような小さな輝きが揺れる。
「火属性への適性を確認」
判定役が本へ目を落とす。
白紙だったページへ、ゆっくりと文字が浮かび上がった。
魔法使いの表情が変わる。
「加護は――魚釣り」
「……」
赤い炎だけが、水晶の中で静かに揺れていた。
サンキチは水晶へ手を置いたまま動かない。
大臣も騎士も、何と声をかければいいのか分からない様子だった。
「火魔法で焼き魚とか?」
沈黙に耐えきれず、フミオが言った。
「絶対違います」
サンキチは即座に否定した。
初対面とは思えないほど、息の合った返答だった。
「魚をおびき寄せて、まとめて焼くとか」
「魔王と戦わせてください」
肩を落としたサンキチが席へ戻る。
その後も判定は続いた。
踊り子のサクラは「拾得」、戦士のキサラギは「算盤」。魔法使いのヤクモには「光陰」、盗賊のリュウジには「古文書」という加護が与えられた。
名前を聞いただけでは、どれも魔王討伐にどう役立つのかよく分からない。
少なくとも、一撃で敵を吹き飛ばせそうな能力ではなさそうだった。
次にタカが呼ばれた。
水晶へ触れた瞬間、広間の灯りがわずかに暗くなり、内部に黒い靄が広がった。
「タカさん。職業、戦士。闇夜の加護」
「やっぱりな」
タカは満足そうに笑った。
何が「やっぱり」なのかは分からないが、名前だけなら今までで一番強そうだった。
「七番の方」
ミルキーが立ち上がる。
「緊張しますね」
「心配せんでええ。変なん出ても絶対笑わへんから」
フミオは親指を立てた。
「それ、笑う人の言い方です」
ミルキーは困ったように笑い、水晶へ手を触れた。
澄んだ音が響く。
水晶の周囲に淡い緑色の風が生まれ、光の粒がミルキーの髪を揺らした。
広間にいた者たちが、思わず息を呑む。
「風属性への反応。治癒魔法への適性も確認」
判定役は本を開いた。
「ミルキーさん。職業、僧侶。音感の加護」
「音感……」
ミルキーは不思議そうに、自分の手を見つめた。
魔王を倒す能力なのかは分からない。
それでも先ほどまでの判定とは明らかに違う、美しい反応だった。
「最後の方、どうぞ」
とうとうフミオの番になった。
全員の視線が集まる。
四十歳で召喚されただけでも十分目立っているのだ。せめて加護くらいは無難なものが出てほしい。
そう願いながら、水晶へ手を置いた。
何も起こらない。
「……あれ?」
数秒後、水晶の内部にようやく細い光が現れた。
だが、その光は内部に留まらなかった。
水晶の表面の一か所から、まるで外へ流れ出すように細い筋となって伸びている。
判定役が眉を寄せた。
「これは……」
別の魔法使いまで近づいてきて、水晶を覗き込む。
「魔力が外へ流れています」
「水晶、壊れてるんちゃいます?」
「水晶に異常はありません」
光はそのまま床の術式の外へ流れ、消えていった。
フミオには、それが何を意味しているのかさっぱり分からない。
判定役が本を確認した。
ページへ浮かんだ文字を見ると、なぜか口を閉ざした。
「何て書いてあるんです?」
「フミタロウさん。職業、武闘家」
「……フミタロウ?」
やはり、昨夜ゲームへ入力した名前だった。
どうやらこの世界では、本名のオカ・フミオではなく、ゲームで登録した「フミタロウ」の方が正式な名前として扱われているらしい。
「加護は――」
判定役は、念のため確かめるようにもう一度ページを見た。
「漏洩の加護」
「……何て?」
「漏洩です」
フミタロウはゆっくり水晶から手を離した。
「何が漏れるんです?」
「分かりません」
「情報とか?」
後ろから誰かが言った。
「個人情報?」
「機密漏洩?」
少年少女たちが小声で話し始める。
元の世界であれば、どれも重大事件につながりそうな言葉である。
しかし魔王を倒す能力には、どう考えても聞こえない。
「いや、俺も今それ考えてたけど……」
フミタロウは困った顔で水晶を見た。
大臣は遠くを見るような目をしていた。
隣の騎士が、励ますようにその肩へ手を置く。
大臣はゆっくり我に返り、八人の召喚者へ向き直った。
「それでは皆様」
説明を始めた時にはあった力強さが、声から消えている。
「魔王を倒し、どうか世界をお救いください」
ほとんど棒読みだった。
魚釣り、拾得、算盤、光陰、古文書、闇夜、音感。
そして――漏洩。
八人を見渡し、フミタロウは思った。
人選を間違えているのではないだろうか。
少なくとも、自分については間違いだと思う。
とはいえ、召喚の術式はもう終わっている。
携帯電話も財布もなく、帰り道も分からない。
魔王を倒すかどうか以前に、今日の夕食をどうするかさえ知らなかった。
こうしてフミタロウたちの異世界での生活は、誰一人として世界を救える確信を持たないまま始まった。
――ただ一人。
タカだけは、自信に満ちた顔をしていた。
それを見たフミタロウは、若いというのはすごいことだと思った。
自分には、とても真似できそうになかった。
---
2016年に書いた原作を、十年ぶりに再構成した作品です




