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それでも、ようやく考えを纏めたリュエルは、シアンの話題とは違うことを言う。
「私は……これから大陸に散った『原初の水』、姿を変えても、そこから際限なく生まれいずるだろうエヴィアたちを滅する旅に出ます」
遠くでは、ファハナ火山がまた音を立てて爆発した。
「オロフ様ならきっと腐沼を中和する術を編み出されたことでしょう。ですがオロフ様はもういません。そして私には、そんな術を編み出すことはできません。マティアスの力と記憶の一部を受け継いでも、私にはそれをどう活用できるのかがわからないんです。……でも、もしかしたらこんな私でも、その旅の中で、散ってしまった『原初の水』、生み出される腐沼を滅する方法を見つけられるかもしれません」
黙って静かに聞いていたシアンは、リュエルの言葉がもう出ないのを確認してから口を開く。
「騎士たちとは合流しないの? きっと力になってくれるよ。あいつら全然怒ってないし。むしろリュエルを心配してた」
リュエルはうつむいたまま首を振った。
「会えません。私は望まずとも、世界を穢した。それに、私はマティアスの半分……あなたが植え込まれたウラグァではなく、レヴェロやカハとして生きてきたマティアスの、闇に生きた千年をも受け継いでしまいましたから……。今ではあれほど嫌悪したマティアスの理想郷がどんなに美しいのか、半分は理解できてしまうんです。腐沼がいつまで生まれ続けるかはわかりません。けれど、だから、私の命が尽きるまで、足を止めることはできないのです。……これも報いかもしれません。私は王国の仇を討つためだけにマティアスを追った。腐沼に脅かされる世界の為ではなかった」
そこで一旦言葉を止め、リュエルは深く呼吸をする。そうして迷った後に、言う。
「それに私は、世界をこんなにしてしまった原因であったとしても、マティアスを、兄を、やはり憎む事ができないんです……」
これは罪滅ぼしの旅なのだ。言わなかったが、リュエルの醸し出すものはそう語っていた。マティアスの半分を受け継ぐこと。それはまるで、リュエルの半分がマティアスそのものに成り代わってしまったのに等しいことだ、と。マティアスに代わって、不可能に思えてもこの大陸を元通りにしなくてはならない。
多分、そこまでの咎はリュエルには無いと言う者もいるだろう。それもリュエルはわかっていた。けれど、半分は自分になってしまったマティアスが、リュエルにそう思うことを許さなかった。
全部わかったのだろう。シアンは閉口した後、頭を掻いた。
「……。そんな難しく考える必要は無いと思えけどねぇ」
リュエルはそこに少しの時間しゃがみこんだ。抱えた膝の間から、しばらく再び噴煙を眺めたあと、無言で立ち上がる。倣っていつの間にか同じように隣に座っていたシアンが見上げた。
「どうしたの?」
「もう発ちます」
「そう、じゃあ行きますか」
そう言ってシアンも立ち上がり、衣服の灰を払った。リュエルについてくるつもりだろう。
「いえ、レグリス様、あなたは……」
リュエルにとって、シアンはもうレグリスだ。だがシアンはそこはきつく咎める。
「今さらレグリスもないでしょ。まあ、どっちの名前で呼ぶかはリュエルの自由だけど、その『様』ってのだけはやめてよ。それに、俺がシアンでもレグリスでも行動は同じだよ」
「ですが……」
数々の無礼を行ってきた。それを謝罪しようと身をかがめようとした肩を、シアンに掴まれ止められる。
「じゃあ、レグリスの立場で言わせてもらうよ。ラクィーズは腐沼に沈んだんだ。それをどうにかする方法でもなきゃ再建なんてできないし、そもそも民がもういないんだよ。騎士たちがリュエルとおんなじことを言ったって、俺はそう言うよ。それに騎士たちにだって、マティアス亡き今はもう、新しい道を歩んで欲しい。勝手かもしれないけど、それが最後に残った王族としての願いだよ」
それはしがらみに囚われたくないという気持ちからではなくて、真に、ラクィーズが復興不可能だから言うのだ。国土の大半は言うとおり腐沼のままだし、エヴィアだって相変わらず大量に闊歩していることだろう。居住する事ができない。
「でもね、ラクィーズの土地を美しかったあの頃に戻したいって気持ちはあるんだ。そこで生まれ育った者としてね。それはもしかしたら、リュエルについていけば見つけられるかもしれない、なんていう風にも思ってる」
「確かに……それはそれは私の望みのひとつでもあります。しかしそれはレグリス様のお手を煩わせるべきことでは……」
「また『レグリス様』って言ったー」
シアンは口を捻じ曲げ、腕を組む。
「あとね、忘れないでよ? 俺はシアンでもあるんだって。リュエルは自分の術に掛かった事がないから知らないだろうけど、氷の中に閉じ込められても意識はあるし、外の声も聞こえるんだよ」
あの最後だと思ったシアンとの別れの時、リュエルは自分が言った事を思い出した。それで、これ以上無いというくらいに、急に耳まで赤くなった。
「あっ……あの、あれは……」
シアンが脆い岩場を一段降りて、リュエルにも下りて来いというように手を差し出す。
しばらく考えた後、リュエルはその手を黙って取った。シアンも微笑んだだけで何も言わなかった。二人に言葉が無かったのは、必要が無かったからだ。心が強く互いを結んでいる。
噴煙はいつまでも東に流れ続けた。
終
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