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哀の千年闇士  作者: ふぇんねる
八章 闇を受け継ぐ者
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 ファハナの火山灰が、峰五つ離れたこの場所にも雪のように降り注ぐ。じき、ここも一面灰色に染まるだろう。


 遠くに望む山のいただき付近は、時刻はまだ夕暮れ前だというのに、垂れ込めた黒煙のせいで夜のように暗かった。勢いよく吹き上げる噴煙の周りを、青白い雷が轟音を立てて空を切り裂いている。溶岩が四方八方に流れ出て、輝く赤い川を行く筋も作る。


 原初の水はどうなっただろう。水に見えても、あれは水では無い。魔術は熱で変性などしない。あれは魔術と呪術の合成だが、同じだろう。多分、あの黒煙に、噴煙に、溶岩に、今も溶け込んでいるに違いない。


 西からの風は、山々で成された風の織機にそって大陸へ流れていく。リュエルとシアンはようやく辿り着いた別の山の尾根からそれらを眺めていた。命からがらではあるが、無事にあのカルデラを脱出できたのだ。マティアスを飲み込んだようなマグマの吹き上げは幾度もあったが、今眺めているような、山全体の噴火が無かったおかげだった。『原初の水』が、糊のようにマグマ全てが噴出すのを、奇しくも抑えてくれていたらしい。


 灰の雪の中でリュエルは固い表情のままずっと、長い間口を開いていなかった。それを見かねたのか、それとも気を使ったのか、シアンが先に口を開いた。


「マティアスは僕にも、均一化した世界で生きて欲しかったと言っていたよ」


 高山の冷たい風に、シアンは金の髪をなびかせる。ラクィーズの騎士たちのように背筋をまっすぐに伸ばすシアンは、どこか高貴な雰囲気を纏っていて、今は誰が見てもレグリスその人にしか見えなかった。たとえ口を動かしていてもだ。


「だから僕を王都から逃れさせた。リュエルは死んだと思ったみたいだけど、炎の中に落ちた僕をマティアスは術で助けていたんだ。……でも、あいつには分かってたんだ。あんな状況ではラクィーズ全てが大陸中から憎まれ、疑いをかけられてしまうと。それに、それまで安穏としていた王子が、混乱した世界の中で、たったひとりで均一化までの間生き延びられるわけがないと。瞬く間に腐沼は国土をほとんど覆ったというからね。だから、そのために、『これから記憶を消して別人にしてしまうのだ』と言っていた」


 そうシアン、つまりレグリスとマティアスが話していたのは四年前のことだろう。ラクィーズから北、遊牧民の集落が点在する荒野にまで逃れる間かもしれない。


「聞いたかもしれないけど、マティアスにとっても、ラクィーズが滅びたのは地震による不慮の事故だったんだ。王家の古い記録にも、地震の事はあまり書かれていなかったしね。均一化の理想はその時から持っていたけれど、まだその時ではなかったんだ。だから僕一人だけしか、助ける事ができなかった。……たまたま助けることができたのが、僕だっただけかもしれない。このシアンの役は、僕じゃなかったかもしれない。父や母だったかもしれない。マティアスはそこに関しては語りたがらなかったけれど、そんな気がした」


 事故だったと、マティアスからも確かにそう聞いた、彼の性格を考えるなら、準備を整え万全を期してから、実地に踏み込むだろうから、レグリスからそう言われなかったとしても、あれは嘘ではなかったと、おかしな話かもしれないが、エンラータの記憶を取り戻す前からリュエルは信じていた。

 

 レグリスを助けたのが偶然かどうか、それはリュエルには判断できない。マティアスにでも聞かなければ真実はわからない。ただ、助けられた本人がそう言うのだから、的外れでもないのかもしれない。マティアスは、王にも王妃にもオロフに対するのと同じ敬意を払っていた。最期までオロフを尊敬していたように、それは嘘ではなかったと思いたい。


 降る灰がひとつ、シアンの頬を掠める。


「だけど人ひとりの十数年の過去の記憶を消してほかの事に摩り替えるなんて、人間にできることじゃない。だから自分の記憶を植え込んだのだろうね。だから僕には、マグァのことを想うと、どこか傍観しているような違和感があったのだろうね」


 それもマティアスが言っていた。

 ずっと謎だったシアンの記憶、それに敬愛する王子との再会を果たしても、リュエルの唇はひと震えもしない。記憶が戻ったことについて、いつから、とか、どうやって、とか、本来なら聞くべきことは色々あるのだが。


 リュエルが聞かないのでシアンが自分から説明を始めた。実際聞いては来なくても、聞きたいのだろうことは分かるからだ。


「多分、マティアスが術を解いたんだと思う。リュエルがいなくなったあと、諸国が次々に滅ぼされて……その頃だったよ。急に全部思い出したんだ」


 理由は今となっては明快だ。均一化への準備が整ったからだ。四年の間シアンとして暮らしていたレグリスにも、元のレグリスに戻ってもらう必要がある。


「それで誰かに説明されなくても感覚的にわかった。ああ、あれはマティアスの記憶だったんだ、って。だって、僕、四年前にマティアスに術をかけられ、過去のマグァの住人になりかけていた時、記憶が交錯して、あいつの事をウラグァって呼んだから」


 その推測は正しい。しかしリュエルは口を利く気になれなくて、まだ黙っていた。でも本当は、今更レグリス本人でした、と言われて、どう接して良いのか、少し気まずいせいでもあった。それも分かっているのだろうか、シアンは続ける。


「完全にレグリスとしての記憶を消してしまったら、独力では生き延びられなかっただろうね。あいつもそう思ったのかな。それで自分の記憶を入れたのかもしれないけど……でも、思うんだ。そんなの、ただのこじつけじゃないかって。あいつ、ただ単に、誰かに自分のことを、哀しみを、憶えててもらいたかっただけなんじゃないかな……。そんなことしなくても、マティアスのことを忘れない人はいたと思うんだけどな……今もさ……」


 灰は音も無く降り積もる。もう、あたり一面がまるで雪のように白く変わってしまっていた。

 しばらくそれを眺めていたのに、急にシアンは元のシアンの仕草で頭を掻いた。


「って、四年もシアンとして過ごしたら、今さら昔みたいに話すのは難しいや」


 そう言って、顔つきまで砕け切ったハンターのものに変えると、大きな伸びをひとつして、今度はリュエルのよく知る、庶民的な気取らないシアンに戻って伸び伸びと話し始めた。それでも、どこかに前には無かった気品が感じられるのはリュエルの気のせいだろうか。


「マティアスは多分、自分を許せなかったんじゃないかな。救えなかったのはもちろんだけど、最愛の妹が虐げられていたのをただ見ていたことが。意思とか理想っていうより……その後悔とか哀しみとかが、千年もマティアスを支えてきたんじゃないのかな」


 その真実だけは、多分マティアスは心の奥深くに沈めていたのに違いない。魔力を受け継ぐほどにお互いを共有したリュエルにも感じ取れなかった。それを認めれば、多分マティアスは気が狂ったのだろう。それで深く沈めたのだろう。マティアスといくらかでも均一化したリュエルがそう思うということは、そうなのかもしれない。


「私は……言うべきでした」

「ん?」

「マティアスは差異を忌みました。……確かに差異があるから差別が生まれ、憎しみも悲しみも生まれるかもしれません。でも、その差異があるからこそ、人は自分に無いものを見つけて、尊敬し、愛することもできるのではないでしょうか。差異に罪はありません。全ては人の心の弱さです。しかし弱さもまた、美しい感情を育てるのに必要なものです。人間の世界は……不完全と思われるようなこの状態こそが理想郷なのではないでしょうか。 本当の神が創ったこの世界に、何一つ欠損などないのではないでしょうか?」


 シアンが痒くも無い顔を掻く。


「マティアスもリュエルも……『くそ』って付くくらい、真面目だよね」


 リュエルはただ目を伏せた。


「でも、もう遅いですね」


 噴煙は上がり続け、風は、様々に溶け込んだ原初の水を何の気なく吹き飛ばしている。それが辿り着いた先で無数のエヴィアを生むことなど気にしていない。


 シアンはふっと呆れたように、でもどこか温かに口元を緩めた。


「俺さ、少しだけマティアスが最期に笑っていた理由がわかるよ」

「笑って……いた?」


 その言葉がリュエルには信じられない。あの時のマティアスの顔……どう思い出しても、いつもの無機質な、感情の読めない表情をしていたように思う。けれどシアンは断定する。


「うん。笑ってた。今さ、リュエルがマティアスの闇を受け継いで、いつかのあいつのように世界を哀しんでいるように、マティアスはリュエルの光を受け継いで、やっと癒され、救われたんじゃないのかな。最後の言葉、あのマティアスがあんなこというなんて、そう言うことなんじゃないの? だから、その言葉だって、とっくにあいつに届いてるよ」


 リュエルにはよく分からなかった。マティアスのことは、もう、半分は自分のことだからなのだろうか。なんだか、ただ呆然としてしまって、シアンの背後に広がる無彩色の死んだような景色を眺め続けた。



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