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◇
肩から流れた飾り紐を揺らしながら、白石で造られた暗い廊下をやや足早に進む。
『見せたいものがあるんだ』
そう言って誘った、魔術士を目指す年下の少女を案内して、よく使われる大階段の裏に回って、その暗がりにある狭い通路へと入り込んでいく。長年に渡って増改築を繰り返したこの城は、複雑な通路が入り乱れ、そこに住む人ですら全ての道を知らないと言われる程だ。
四代前の王が作ったと言われる区画へ入り込み、しばらく寂しい道を進んで、古い見張り台へと出た。冷たい風が時折吹いた。
そこで天の北の方を指差す。星の少ない天の北極の傍、青と赤と白の三ツ星……北宝石座。その左下に、長く尾を引く、一際明るい星を。彗星だ。
声を上げて喜んだ少女に微笑み頷く。
『この星、百八十年に一度回ってくるんだって。え? 今朝、マティアスに教えてもらったんだよ。凄いよね。マティアスって。なんでも知ってる。……でも、この星を何度も見た、なんて、とんでもないことも言っていたよ。いくら術で若返りを繰り返しても、寿命までもは変えられないって、あのオロフだって言っているのに。きっと冗談のつもりだったんだろうね。……でも、真顔でそんなこというマティアスが、僕は、好きだな』
目線を下げないと目が合わないような、小さな白金髪の少女も微笑んだ。
もう一度空を見上げる。
『ごらん、エルー。綺麗だね』
◇
巡る彗星をレグリスと見上げた、あの夜だ。
リュエルがシアンから感じたものは、マティアスと共に過ごしたラクィーズでの記憶と、尊敬、そして紛れもない友愛だった。
それがマティアスにも流れたのだろうか。一瞬だけ、けれどまるで時を止めたように、シアンとマティアスが視線を重ねた。
「レグリス様……」
マティアスのレグリスへの感情が流れ込みかける。『千年の孤独の中で得た、ひとつの――』そう聞こえた気がした。だが、全てが共有される前に、マティアスが何らかの術を行使しようと印を結んだ。
魔術でリュエルはマティアスには叶わない。だがリュエルは気づいた。その魔力の流れを自身の中にも感じる。ということは、もしかすると……。
「兄様……!」
マティアスより一足早く、リュエルの魔術が湖を貫いた。巨大な水晶のような氷の結晶がいくつも湖の底から湖面までそそり立つ。速さでは、絶えずエヴィアやセレヴィアたちと実戦を繰り返してきたリュエルの方が上だったのだ。皮肉にも、そう仕向けてきたのは標的だった。
マティアスの方もリュエルの術の気配を察知できなかったはずが無い。けれど、あまりに距離が近かった。防御に転じることすら叶わなかった。幾本もの氷の槍を受けて、磔になったように宙に浮く。水があまりにも透明すぎて、そう見えた。その周囲を魔術がまだ余波して凍りつかせ、まるで、マティアスを弔う結晶の花々が咲く。
「兄様……」
そんな大規模な術を使うほどの力はこれまでのリュエルには無かった。これは今、マティアスと繋がり、魔力をも共有したからだった。その力の大きさにリュエル自身が驚愕していた。やはりマティアスが蓄積してきたものは計り知れなかったのだ。
けれど、やはり、そのそもそもの持ち主だ。借り物の魔力で行使した術など、マティアスには有効なはずがなかった。磔たようだった氷の槍が、いく箇所もで折れて粉々になり、湖面へ浮かんでいく。貫いたはずのマティアスからは一滴の血液すら流れ出てこない。
リュエルの血の気が引く。
(ああ……これが通じないのならば……もう終わりです……)
ここまで来たけれども、もう、やはりマティアスの思惑に従うしかない。
リュエルは絶望し、諦めた。隣に浮かぶシアンも首を振る。二人はマティアスを見た。しかしそこにあったのは穏やかな笑みを浮かべた紫顔だった。
「……兄……様?」
「今、私は気づいた」
マティアスは語る。
「命は尊い。無限の力を秘めている。均一化などひとつの過程でしかない。私は信じている。全てひとつになっても、再びどのようにしてか栄え、今度こそは美しい世界を築いてくれる、と」
光と透明の水と氷の結晶に飾られ、真の神のごとき慈愛に満ちた声でマティアスは確かにそう言った。紫紺の衣がゆらゆらと水の流れに揺れた。
それを長く眺めている事は出来なかった。すぐに地鳴りが起こったのだ。シアンがあたりを見回して動揺している。
「な、なんだ!?」
「術が……山湖の底を突き破ったのかもしれません」
行使者であるリュエルには理屈で無く感じるものがあった。
「え? ちょっと待ってよ……この山ってさあ……確か……」
シアンに言われる前からもちろん分かっていた。ファハナ火山。古代、大陸に危機を及ぼしたほどの火山だ。
懸念した途端に、湖底から、突如赤いマグマが湖面にまで一直線に吹き上がった。
本来なら、それを確認した瞬間にすでにその身は煮えたぎっていることだろう。だが、この高濃度の呪の海は、見た目よりも熱や衝撃を緩和するらしい。まるで超耐熱の防壁術を挟んだように、眩しいマグマが吹き上がるのをリュエルは目をしばたたかせ間近で眺めることができた。そして、その中にマティアスが一瞬にして消えたのも。
「兄様っ……!」
今日まで対峙してきた相手なのに。愕然とするリュエルの胸は、頭では処理できない痛みと重みで満たされる。
だが、そうしてもいられなかった。やはり、大地の力は凄まじい。その状況もすぐに変わり始める。心地よいぬくさ程度だったの原初の水が、確かな熱を帯び始めたのだ。温度が上がっている。
マティアスの魔力を借りたリュエルの渾身の魔術はどうやらカルデラの皿を割ったばかりか、山の深部にまで到達したらしかった。いくつもの、カルデラの底に突き刺さり折れた透明な魔術の氷結晶の断面を透かして、その下に溜まる輝くものが見える。それが蠢くように徐々にせり上がってくる。先ほどマティアスを一瞬で消し去ったマグマの柱、それがまた立ち上る前兆に違いない。
「くっ……」
このままここに留まれば、マティアスと同じ運命を辿る。
リュエルはシアンを、水の中で勢いよく引き寄せた。
「うえっ!? あっ!?」
まだ訳が分かっていないシアンを決して離さぬように、その腰帯を掴んで強くしがみつくことで、逆に捕まえる。そして、闇雲に底にめがけて術を放つことで反動を得て、湖面を目指した。
それでも、すでに熱で身が煮えたぎるようになっている。まだ無事でいられるのは、放つ術が、本来ならば周囲を凍てつかせる氷だからかもしれない。
生きて、無事に湖面に達する自信は無い。けれど死ぬつもりも決して無い。だが、そんな思考すら邪魔になる窮地だ。無我夢中にリュエルは術を放つ。
それなのに、その途中もリュエルの頭を何度もよぎったのは、マティアスの言葉だった。そのマティアスと溶け合った『原初の水』がそうさせたのかもしれない。
『命は尊い。無限の力を秘めている。均一化などひとつの過程でしかない。私は信じている。全てひとつになっても、再びどのようにしてか栄え、今度こそは美しい世界を築いてくれる、と』
確かに、マティアスは最期にそう言った。それはリュエルと交じり合ったからなのか、マティアスの心が本当に最後にそこに行きついたのか。真実は分からなかったが。




