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「やはりトゥキは……」
マティアスは微笑んで、待ち焦がれた危険な来客を出迎える。
「そう。ラクィーズの野生のピニークと、私の肉体の欠片……眼球を核として生み出した初期、模索段階の我が創造物だ」
わざわざ眼球を使うということは、多分あれだ。まさしくマティアスの『目』としてトゥキは作られ、今日まで存在していたのだろう。古木の塔の場所が知れていたのも、そのせいなのに違いない。
「はなから私たちはあなたに監視されていたのですね」
「ああ、監視ばかりではないがな。微力ながら、お前を護っていた」
「ええ、何度かトゥキには救われました。あのラクィーズの最後の日も……しかし、なぜ……? それだけが分かりません。トゥキがあなたの欠片だというのなら、私を護るなどおかしな話です。私をエヴィアたちに狙わせておいて……」
マティアスは「くっ」と口元に弧を作る。
「お前たちがエヴィアと呼ぶ我が創造物にしても、弟子たちにしても、全て私の計算の上に行動させていた。確かにお前を狙わせていた。だが紛れも無くお前は、ずっと、私に護られてもいた」
「……!?」
「全てこの日のためだ。お前は私の思惑通り、強靭な力を持つに至った。気づいているだろう? 旅の初めより、庭に訪れた時より、お前自身の力が強くなっている事に」
「鍛えていたとでも? 馬鹿馬鹿しい! いつまで私の師を気取るつもりです!?」
師弟関係も何もかも全て、あの王国が滅びた日に終わったのだ。最悪の形で。
リュエルは汚らわしいとでもいうように吐き捨て、衝動的に術を発動させた。幾つもの氷の矢が生成され、マティアスに突き刺さる勢いで飛ぶ。
だが、マティアスはあえて避けなかったらしかった。マティアスの体を護る見えない壁に術の矢が衝突する。
――そこで、いつもならリュエルの術は消え失せるはずだった。遺跡や庭での時と同じに。リュエル自身がそう思っていた。しかし、術はその壁を貫通し、致命傷とまではいかないが、マティアスの衣服の右袖を凍らせ、ぱらぱらと崩れさせる。レヴェロの斑の浮かぶ右腕を肩までも顕わにした。
「!?」
術を放っておいて、当のリュエルが驚く。マティアスは右腕に残った衣服の残骸を手で払った。
「私は何も変わらない。変わったのはお前だ。リュエル」
「……!」
まるでこれでは、マティアスの思い通りになっているようだ。悔しい。リュエルは奥歯をぎりっと噛んだ。
それを認めて、マティアスは一歩を踏み出す。体が先程のトゥキのように闇色の陽炎になって消えたかと思うと、リュエルの傍の岩皿群の真ん中あたり、多分大きな鍾乳石が落ちたのだろう、台座のようになった場所にいつの間にか移動していた。魔術だろうか。その奇妙な、人間らしからない動きは、遺跡に突如現われた時と同じだ。
「ひとつ、物語ろう」
そう言ってマティアスはゆったりとした動きでそこに座ると、どうしてか長衣の中からやや大ぶりの弓を取り出した。リュエルは面食らっていた。今までマティアスが弓を持っているところを見たことがなかったからだ。だが、その手に矢は無い。それにその弓は、射るにはなにもかもが細すぎて、強度が足りないような気がした。無駄な装飾も多すぎる。
「っ……!」
物語にも役に立たなさそうな弓にも興味はない。リュエルは氷の矢を呼び出すため、印を結ぶ指先に力を込めたのだが、マティアスが弓の弦を弾いて出した音にどうしてかはっとさせられた。低く、丸く広がる音に、多分呪縛ではないのに気を削がれてしまう。リュエルの指はそれ以上動かない。
マティアスはその様子を確認して、また弓の弦を弾いた。先程とは音の高さが違った。胡坐をかいて座った足と肩で器用に弓を固定し、左手に装着しているらしい何か硬質のもので弦を押さえ、右手の伸びた爪で弾くことで違う音程の音を出している。
楽器、というほど自由は利かず、複雑な音楽を奏でることなどはできそうに無いが、原始の音楽とはこういうものだったのではないかと思うような、穏やかで素朴な音色を鳴り響かせる。慣れた仕草だ。どちらかというと音楽というより、儀式的なものを感じた。
だが、音の響きとは裏腹に、また何故だか分からないのだが、その音はリュエルに懐かしさと共に、強い無力感を与えた。
リュエルが動けずにただその様を見つめていると、その音をまるで伴奏に、マティアスの唄うような語りが始まる。




