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「不思議な洞窟です……」
リュエルの息遣いまでもがあたりに響く。
トゥキが連れてきてくれた洞穴に足を踏み入れたリュエルは、手の平に氷粒に似た形状の魔術の灯火を浮かべていた。それが深い暗闇を青色に押し広げて照らす。
意外にも、そこはよく整備されていた。幅は狭いが階段があり、表面の滑らかな垂直の壁が続いている。それに洞窟にありがちな特有の熱気や嫌な匂いがしなかった。その理由は高い天井のせいだけではないだろう。ここは先ほどまでの高山の風と遜色ない清浄な空気で満たされている。肌にはあまり感じないが、自然そのままの洞窟ではないようだから、空気が流れるように作られていると思われた。どこからか、微かに水音も聞こえてくる。視界は手に浮かべた小さな青色光だけなので狭いが、一歩踏み出すごとに足音が遥か遠くの方まで反響するのでまだ先が長いことがわかる。
先を行くトゥキの濡れたような足音をどれくらい聞いただろう。長い階段を下り終えると、急に視界が明るく開けた。ようやくこの洞窟の主要な部分に出られたらしい。そこには棚田のように、無数の段々になった青黒い岩場があり、その全てが大小さまざまの皿のようなくぼみを持っていた。そのどれもに清らかな水が満たされ、とうとうと溢れ流れている。
感嘆し見回すリュエルの視線は水の流れを遡って、徐々に上へと向かう。どうやら、岩場のずっと上の方、天井に繋がっているかもしれないほど高いところから、少量ずつ、水は絶え間なく流れてきているらしかった。そこまで見上げて、ここが明るいのは、洞窟の屋根の部分に、天窓のように光の差し込む僅かな穴がいくつか開いていたからだと知った。
あたりを一通り眺めたリュエルは、岩場の近い場所に目線を戻す。気になる事があった。
それほど寒くもないし、水温が高いわけでもなさそうなのに、湯気のような霧が流水の表面を覆っていたことだった。それにその水が、先ほど見上げて気づいたのだが、下の岩皿に流れ下るほどだんだんと濁ることだった。澄んでいると思った目の前の岩皿の水も、上流のものに比べたら、やや白っぽい。何の不純物も加えないだろう、水の流れで滑らかになった硬そうな岩盤の上を流れ下っているだけなのに。
延々溢れて零れ落ちたあとは川となり、谷のようになった岩盤の隙間からどこかへ流れていく水は、最後には灰緑色の泥水になっていた。
岩皿の中になにかあるのだろうか。何気なく、リュエルはまだ透き通る傍の岩のくぼみを覗いた。
「!!」
リュエルは絶句した。そこにはなんと、四足の異形の生き物が眠るように沈んでいたからだ。慌てて他を覗けば、それぞれ特徴は違えど、どの皿の中にも異形の生き物らしいものが入っている。
ずいぶんとこんなものと対峙してきたリュエルには分かる。これはエヴィアだ。
リュエルが面食らっていると、幾千枚もの岩皿のうち、少し上流の方で、なんと一匹のエヴィアが這い出してきた。蝙蝠と蜥蜴が混ざったような生き物で、まるで産声を上げるかのように、高い声で鳴き散らす。違うのは、嬉々としていることだ。飛び立とうとするが、上手く飛べず、飛び上がったかと思うとすぐに下流の方へと落ちて流されていった。
「……う、生まれたのでしょうか? しかし……」
そうだ。しかし、それはおかしい。
「エヴィアはあの、異臭漂う腐りきった沼の中で生まれるはずです……!」
紛れも無いエヴィアがこんな清流の中で生まれるなんて、リュエルの常識ではありえない。
「どういうことなのでしょう……」
ふと、トゥキが「キッ」と短く鳴いた。咄嗟にリュエルはその視線の先を探る。
すると、幾つもの鍾乳石の垂れる高い天井の洞窟の最奥、岩皿を流れた水が作った河の対岸に、いつの間にか紫紺色の影が現われていたのを見つけた。すらりと細長い体躯、直毛の黒髪。地上から降り注ぐ白い光の柱の中に、まるで神の代理者のような顔で独り立つ。
リュエルは鋭い視線で、その影を突き刺した。
「マティアス……!」
急にリュエルの脇を、今まで共に旅し、道案内を務めていたトゥキが喜び勇んで駆け出した。
臆しもせず底の見えない谷河を飛び越え、マティアスの差し伸べた腕に飛び乗り、辿り着くと、その愛くるしいイタチのような姿は溶けて闇色の陽炎となり、マティアスの洞のように開いていた右目の中に吸い込まれるように納まった。その中でトゥキだったものは、ぎょろぎょろと動く琥珀色の目玉に変わる。それが真実の姿だったのだ。
リュエルはさして驚かなかった。皆と別れてからの旅路の間に、答はほぼ分かっていた。ラクィーズでは完璧に隠していたマティアスの右側の顔が遺跡や庭では顕わにされていたので予想がついたのだ。その目には何も入っていなかった。




