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脈打つ速度で頭がずきずきと痛み、視界がぼやける。そんな過去の記憶が騎士たちの亡き骸と干渉して、輪唱のように重なり合いながらリュエルの前を幻のように浮かんでは消えた。体は力を失い、地にがくりと落ち、膝をつく。
「俺がこんなことを教えるのは、やっと口外していいとのマティアス様のお許しが出たからだが……つまり、それはどういうことかわかるか?」
腕を高く上げ、〈燦然たる鱗〉は細かな水の飛沫を花火のように空に打ち上げた。それが合図だったのだろう。途端に空と森から新たなエヴィアが一匹ずつ、いや一人ずつ現れた。それは〈硬質なる翼〉と〈獰猛なる爪〉だった。騎士たちの顔はついに凍りついた。
「……三体も……それも同時になんて……」
リュエルたちの目の前に立った〈硬質なる翼〉と〈獰猛なる爪〉が笑い、順に口を開く。
「つまり、マティアス様の理想郷創造も、実施の段階に至った」
「けれど散々邪魔してくれたお前たちにはそこに生きる権利は無い」
最後に〈燦然たる鱗〉が高笑いを響かせた後、言い放った。
「……だからここで死ねということだよ!」
そう言った後すぐに〈燦然たる鱗〉が上半身を捻る。攻撃に転ずる行動に違いない。だがその前に〈硬質なる翼〉が飛び上がり、ひょいとシアンを上空に連れ出した。
「あなたは傷つけるなとのマティアス様よりの命です」
「え? あ?」
シアンが「離せ」と暴れるが〈硬質なる翼〉はがっしりと胴を両腕で掴んで離さない。騎士たちが呆然と見上げる。
「マティアスはなぜシアンを特別視するんだ? あいつがレグリス王子なのでもなければ説明がつかないぞ……?」
シアンとレグリス、この手の流れになるといつもそうなのだが、リュエルの心は乱れる。騎士たちはまだシアンの記憶の話を聞いていない。だからそんなことがまだ言えるのだと、いつもより数段乱暴に怒鳴る。
「あり得ません!!」
その間に〈燦然たる鱗〉は身をねじりきり、両手を広げながら、あっという間に反対方向にねじり戻った。また魔術だ。
この期に及んでも〈獰猛なる爪〉が術を使おうとしないのは、やはり、かつての力をすっかり失ってしまったせいなのかもしれない。だが、〈硬質なる翼〉と同じく、〈燦然たる鱗〉にはいまだ健在のようだ。空中の一点を目指すように豪雨のような水滴がもの凄い速さで集まり、ねじり戻る動きに合わせて、それが即座に四方に放たれて、大水流へと変わる。さすがはかつて高名な術士だっただけある。
それがリュエルやオロフ、そして馬車ごと騎士たちを襲った。見た目通り、『燦然なる鱗』は水を操るのが得意らしい。いや、逆に、元々水術を得意としていたから、セレヴィアとなる時、水棲の身体を選んだのかもしれない。
鉄砲水のような水圧に、馬車は大破し、荷物はばらばらになり、人は息すらままならない。波打つ術の勢いに浮かんだり沈んだりしながら、成す術無く森の端まで押し流される。
しかし、そのような大術を放っても〈燦然たる鱗〉は笑わなかった。
「衰えたとはいえ、さすがだな。オロフ……」
オロフがとっさに翡翠のような色の魔術の防壁を作り出し、リュエルと共に二人、その場に留まっていたからだ。オロフが後ろに叫んだ。
「逃げろ!」
騎士たちを見過ごし、流させたのはわざとだ。
戸惑う騎士たちだったが、何の力にもならないばかりか、逆に質に取られてしまう可能性の方が高い。理解したのだろう。動かない体を無理に押して、荒れた森の中へ消えた。
それをセレヴィアたちならとっつかまえることができたはずだし、エヴィアを放ってもよかったはずだ。その場にいながら、術によって息の根を止める事すらできたに違いない。
が、どれもしなかった。むしろその場にいた〈燦然たる鱗〉のしもべたちを水の中に下がらせたくらいだ。かつて三耀の術士と呼ばれたセレヴィアが揃っては、獣程度でしかないエヴィアなど「かえって邪魔だ」とでも言うように鼻で笑う。
「まあ、いいだろう。あの様子では、マティアス様どころか、我々の前に立つことすら、二度とできないだろうからな。我々が見逃す事が分かって身を挺すとは、オロフもお優しいことだ。だが……その体で、あと、一体いくつの術を行使できるかな?」
リュエルはすぐ隣のオロフの顔を見上げる。
敵の方がリュエルよりもオロフのことをよく分かっているようだ。オロフの眉間には皺が刻まれ、いつも涼やかだったその額には、油汗が滲んでいる。
「オロフ様……」
「リュエル、すまない。少しばかり付き合ってくれ。シアンも取り返さねばならない。……だが案ずるな。策はある。時間が掛かるがな……それまで何とか持ちこたえてくれ」
「……?」
この状況でまだ策とは。半信半疑ではあったが、尊敬するオロフの言葉だ。つぎはぎ細工たちに悟られないようにしながら、リュエルは素直に頷いた。せめて師の足を引っ張る事だけはないようにしなければ。
シアンを抱えて上空を飛行する〈硬質なる翼〉。そしてリュエルとオロフの前に立ちはだかる〈獰猛なる爪〉と〈燦然なる鱗〉。マティアスのかつての弟子だった三体の巨大なエヴィアとの間に冷たい風が吹く。日は没したが、幸いというべきか、日中塔に放たれた火がまだくすぶっていて、あたりをぼんやりと照らした。
主導権を掌握しきった顔で、リュエルにも今やオロフにも因縁深い〈獰猛なる爪〉が、獅子とはいえ猫科の動物よろしく、二人の前を左右にうろつく。
「さて、リュエル。どうだ? オロフとこの……シアンという男の命と引き換えに、考えを改め、マティアス様に傅くというのは。マティアス様はお前を、まだお待ちになっている。だから我々も、これまでの所業を忘れて盛大に歓迎してやろう、と相談していたのだ」
ぎりっと音が鳴るほど、リュエルは奥歯を強く噛み締めた。マティアスに傅くなど死んでも断る。だが……オロフやシアンの名を出されては……。
そこに、セレヴィアに捕縛され、空中に浮かばされたままのシアンが、いつもの暢気な声で口を挟む。
「残念だけど、仲間を盾にとられても、あんたらには屈しないってのがこの塔の決まりらしいぜ?」
「シアン! 余計な事は言わなくていいんです!」
同意を求めようと横を見ると、オロフも頷いている。が、言葉を発することはなかった。唇が、固く結ばれている。
リュエルは気がついた。オロフは衣服やリュエルを陰に、敵から隠れて印を結び、術の発動の準備をしている、と。口を開かないのは、かつて魔術士だったセレヴィアたちに悟られない為にだろう。口の中で長い詠唱を続けている。いつからオロフはこうしていたのだろう。大規模な術らしい。
やっとそれがわかったリュエルは、オロフをかばうように数歩前に出た。セレヴィアたちにはオロフを守るように見えるよう祈りながら。
「……私がマティアスに傅くことはありません。永遠に」
「残念だな。これが最後の機会だったのだが……」
リュエルの答えに、そう〈燦然たる鱗〉が言って、腕の動きひとつで再び水流を作り上げた。リュエルがそうやって氷の術を行使するのと同じだ。リュエルに的を絞った一筋の奔流が空気中を迸った。
咄嗟にリュエルも防壁を張る。オロフは別の術に集中している。これは、リュエルひとりでまかなわなければならない。
得意の氷でできた大盾が、襲い掛かってくる激しい水流を凍らせる寸前まで冷やしながら、二つに分ける。だが敵は一人ではないのだ。
「……っ!!」
三耀の魔術士たち相手に一人で立ち向かうのは、やはり無理だ。凍りかけた水の中から、突然大きな手が出てきて、リュエルの足首が掴まれ、逆さに吊り上げられる。当然それは〈獰猛なる爪〉の手だった。水流の向こう側を悟られぬよう並走してきたらしい。
「リュエル!」
「リュエル!!」
術の詠唱を終えたのだろうか。シアンと同時にオロフも叫んでいた。だが時はもうすでに遅いかもしれない。〈獰猛なる爪〉は嬉しそうにリュエルを掴まえていない方の手の爪を、ざらざらの舌で磨ぐかのように舐めた。
「まさか、お前を引き裂ける日が来ようとはな」




