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「私を王都より助け出して下さったのは、御師様でした。御師様はラクィーズ王家とも親交がおありで、何ヶ月かに一度は訪問するのが常でしたから。その時は、たまたま王都に向かっていて……王都の空が尋常ではない赤さに染まったのを見て、ひとつ手前の町に滞在しようとしていたところを、急ぎ駆けつけてくださったのだそうです。それに……トゥキが、この小さな体で、エヴィアたちに牙を向き、私を勇気付けてくれていました。当時の私は今ほど術を扱えたわけではありませんでしたし、……正直、怯えていました」
「いや、それで正常だよ、だって、四年前でしょ? まだ子供だったんだろ? 俺だって最初にエヴィアを見た時はそりゃあ驚いたもんだよ」
そう慰めてくれたシアンが、むずがゆい顔をしている。何か聞きたいのだろうか。
「どうしました?」
「……あのさ、もしかしてリュエル、腐沼がどうしてできたのか知ってるの?」
「なぜですか?」
「だって、最初の腐沼の誕生に立ち会ってるから」
こんな話を他の誰かにした事は無い。だが、すれば、こういう質問が返ってくるだろう。それもそうかとリュエルは頷いて、少し沈黙したのち口を開く。この先の話は、進んでではないが時々することもある。
「私たちも全てを知っているわけではありません」
たち、というのがリュエルの師匠などのことなのだろうとシアンも多分察しただろう。
「でも、確かにわかることもあります。それはこれが、人々が噂するような神の裁きや自然現象なんかではないということです。もちろん王族も関係ありません。……ただの、たった一人の人間の成した大いなる愚罪だということです」
シアンはたじろぐ。
「に、人間? そんなこと、誰ができるっていうんだよ……」
「……ラクィーズ王家に忠誠を誓った宮廷魔術師、その長です」
単なる一介のハンターであるシアンにも、魔術の都の魔術長といえば、どれほどの者か少しは想像できるはずだ。
「ええっ!? なんだってそんな偉い奴が? どうやって?」
「術的な方法であるということ以外はわかりません。まして、その理由は……」
リュエルが悔しそうに唇を噛んだ。
「じゃあ、どうしてその男だと思ってるのさ?」
「だって……炎の中で、黒く浮かび上がったあの男の影に寄り添い、慕い傅くように、生まれたばかりの数多のエヴィアたちが集まっていた……」
リュエルの灰紫の瞳が、どこかほんのりと淡く光ったようだった。どことなく、冷たいような少しの沈黙が辺りに降りる。
シアンの顔が青ざめていた。この怪異の大元締めを知ったということだけではない。リュエルから発せられる憎悪があまりにも濃かったせいだ。その瞳の雰囲気はどこかでよく見るなにかに似ているとシアンは思ったのだが、それを思い出すことはできなかった。
「それにれっきとした証拠もあります。エヴィアたちにはあの男そっくりの魔術の匂いが漂っているからです」
術のことはあまり知らないのだろう、ぽかんと口をあけたシアンに、リュエルは簡単に説明する。同じ流派であっても、魔術士たちにはそれぞれ術に癖があり、それを術士たちは『匂い』と言っていること。その『匂い』を元に、術者を特定する事も可能だということ。などを。
リュエルは闇夜を睨む。
「奴はどういう方法でか腐沼を一夜にしてラクィーズ王都の幾箇所にも作り出し、そこから生まれるエヴィアたちで落とした……。呪い…そうですね、そう噂する人々もいます。呪いともいえるかもしれませんね。だってこれは術で引き起こされている事ですから。……私が旅するのは、国を裏切り滅ぼしたその男を見つけ出し、討つ為。半身に紫痣を浮かべる黒髪琥珀眼の男……アスカリド・マティアスを」
そこでふと、妙にリュエルの顔が我に返ってしまった。町々でマティアスを尋ねる際に、何度も口にしたこの台詞が、皮肉にもリュエルを冷静にさせたのだった。
またいつもの語りたがらないリュエルに戻ってしまう。
「……すみません。忘れてください。少し酔ってしまったのかもしれません」
リュエルが自嘲の笑みを浮かべたが、シアンは笑わなかった。酒など一滴も入っていない事を知っている。誤魔化しだとはっきりわかる。それにリュエルの発言に気になることがあるというように、顎に手を添えうつむく。
「半身に痣……? それじゃあ、手や顔にも……ってことだよね?」
「どうかしましたか?」
「俺、多分そいつに会ったことあるよ」
顔を上げたシアンには、普段のにやけ笑いがない。
リュエルは驚愕で身動きを忘れた。その言葉を聞くために大陸を横断する旅を続けてきたリュエルの前で、あまりにもあっさりとそう言うからだ。
「四年も前の話になるけどね。そんなの珍しいもんなあ。人違いじゃないと思うけど」
「な、なんですって……」
まるで今ラクィーズの話を聞いたシアンのような顔で、リュエルはシアンを見つめる。
「聞かせてくださいますか?」
マティアスの特徴を語って、ここまではっきりとした反応があったのは、旅に出てから初めてのことだ。優美な眉を歪ませるリュエルの緊迫した様子に対するにはあまりに不釣合いな軽い口調で、シアンはその先を語る。
「あれは、ここよりずっと北の方を旅してた時のことだったよ。魚大陸の背びれのあたりだったかな?」
シアンがそう言うのは、この大陸が左向きの魚が身をくねらせる姿に似ているからだ。背びれということは大陸の最も北方だ。冷たい海流が流れ込むそのあたりはいつも灰かかった空が広がる。
リュエルもその辺りのことは知識としては知っている。遊牧民が少数暮らす荒野で、統治する国というものはないらしい。たとえあっても、街規模の自治国家程度のものだという。そのあたりにも一応の街道は存在するが、行き交う人々は少なく、住む人はさらに少ないという。夏の最盛期に少しの地を這う草が這えるが、冬季には全てが雪に沈み、岸辺には、いずこからか氷が流れ着いて海を埋めるという。色彩に乏しい、そんな寂しい地方だという。




