雨過—Ⅱ
小さい頃から、テレビに映る魔法少女やヒーローが好きでした。
カッコよくて、明るくて、優しくて、真っすぐで。
困ってる人がいたら、たとえどこでも飛んで行って、泣いてる誰かを笑顔にしちゃう。
そんな誰かに、私はずっと憧れていたのです。
だけどもそれは、子どもが抱く夢の中でも、随分幼いものなのだと。
気づいたのは、一体いつの頃だったでしょう。
小学校に入ってしばらくしたら、みんなはそんなアニメの話をしなくなりました。
おうちに遊びに来た友達に、魔法のステッキを見せたら、少し困ったような笑みを浮かべていました。
集団下校の途中で、膝をすりむいて涙を堪えている子がいても、大半の子は眼を向けることもなく通り過ぎていきます。
不登校の子にプリントを届ける係は、最初はみんなで持ち回りでやっていたのに、今では私しかやっていません。
カッコよさより、お洒落の方が大事だから。
明るさよりも、成績の方が重要で。
優しさは、人に付けこまれるためのものでしかなく。
真っすぐだからって、もう誰も褒めてはくれません。
わかっています。きっと、私がとびっきり幼いだけなのです。
小学校低学年で卒業するような、アニメの中にしかない正しさを。
私だけが、捨てられないで。
空気を読めないと、よく言われます。
委員会で私が手を上げると、みんなの顔がどこかしかめるように歪みます。
遠く向こうで聞こえる陰口も、見えないところから響く嗤い声も。
きっと、きっと、私がおかしいからなのでしょう。
私がプリントを届けに行っている不登校の子は、もう半年も家から出てないそうです。
委員会でのその子の代わりは、最初はみんなで持ち回りだったけど、いつのまにか私の担当になっていました。
友達は、ほとんどいません。
体育で二人一組になる時は、いつも独りで準備体操をしています。
クラスのライングループがあるそうですが、誰にも誘われたことがありません。
魔法少女もヒーローも、学校では、きっとお呼びじゃないのです。
だって、空気が読めないから。
でも、それでも何か意味があるのだと思っていました。
折れなければ、負けなければ、きっとアニメの中の大逆転劇みたいに、いつか報われる日が来ると。
そう想っていた気がするけれど――――。
本当は、そんないつかなんて、どこまで待っても来やしないって。
諦めていたのは、いったい何時からだったでしょう。
だけど―――。
「だからさあ――――もうあれか、痛い目見ないとわかんないかな」
指が震えて。
眼元が滲んで。
声の一つすら出せなくなった、あの瞬間。
「―――ねえ、いい加減、五月蠅いんだけど」
ずっと真っ黒に覆われていたみたいな、私の世界に。
ピシッとひびが入ったような。
何かが、暗闇を切り裂いていくような。
そんな感覚だけが、私の視界を揺らしていました。
※
「―――――というわけなんです!! だから、あ、綾辻さんは冤罪なんです!! 私のせいで!! あの、い、委員長たちに恨まれちゃって!! だから! えっと! うんと!」
…………とりあえず、状況を整理しようか。
あの後、とりあえず国語準備室に移動してきた私と、隣のクラスの少女…………千歳 ちづるさんは、彼女の『大事なお話』について話し合っていた。
内容を整理すると、千歳さんは前から委員会で、例の委員長の子に大分詰められていて、それを綾辻さんが助けた。そして、その件で委員長の恨みを買い、今回の冤罪事件に発展した…………と。
「なるほど………………」
未だに若干痛むわき腹をさすりながら、窓の外で降りしきる雨を見て、私はふぅっと一息つく。
話の裏側としては辻褄が合う。この前見た、委員長の彼女の印象とも、おおよそ違和感は感じない。
何より、涙目になりながら、必死に訴えかける千歳さんの言葉は真に迫るものがあった。これで嘘だったら、多分、世紀の大女優間違いなしだ。
「なので! なので! 綾辻さんの件は絶対冤罪なんです!! 噂がいっぱい流れてるけど、あんなの全部全部嘘なんです! だから! えっと…………うう…………」
そんな千歳さんをどうにか宥めながら、私はどうしようかと思考する。
「えーと、千歳さん、一つ確認なんだけど…………その委員長からの嫌がらせっていうのは……その後あった?」
とりあえず、時系列と現状の確認からかな。
「え……? えっと…………、あれからは、そういえば起こってないような…………? あ、でも、そんなに時間が経ってないからかも……?」
少し戸惑ったような彼女の返事を聞きながら、私はだよねえと、思わず考え込んでしまう。
これが、今も起きている問題なら話は早かった。どうにかこっそり証拠を撮るなりに、現場を抑えるなりすれば、いずれ解決は出来たはず。
でも、多分そんなわかりやすい尻尾を出してくるほど、あの委員長は甘くない。千歳さんに詰め寄ることが、リスクだとわかってしまった以上、しばらくは何もないふりを続けられてしまうかもしれない。
もちろん、千歳さんのいじめが収まっていると考えればいいことなのだけど、綾辻さんの冤罪の証明は結局出来ないままだ。というか、仮にこの件の証拠があったとして、今更あの冤罪事件をひっくり返せるのだろうか…………。
「あ、あの古戸月先生…………?」
なんて、しばらく難しい顔をしていたからだろうか、千歳さんは心配そうに首を傾げて、私のことを覗きこんでいた。
「ううん、大丈夫。…………聞かせてくれてありがとう、千歳さん」
いかんいかん、隣のクラスとはいえ、生徒の前だぞしっかりしろ。軽く頬を叩いて、私は背筋をしゃんっと伸ばす。
それから、まだ少し首をかしげている千歳さんの眼を真っすぐ見つめ返すと、出来るだけ穏やかに映るように微笑んだ。
「それより…………千歳さんごめんね、大人が誰も気付いてあげられなくて、独りでずっと、頑張ってきたんだよね」
話の複雑さに飲まれかけたけど、今の話は、千歳さんがずっといじめを受けてきたという告白でもあったのだ。綾辻さんの冤罪を晴らすということが、主目的で話してくれたけど、それで千歳さんの辛さが消えるわけじゃない。
机に置かれた手を優しく握って、私と同じくらいの背丈の少女の瞳をじっと見る。
「え…………あ……いえ、私のことはいいんです。く…………空気を読めてない私が悪いんです。だから……えっと、あ、綾辻さんの件だけは、絶対冤罪だって伝えたくて…………」
「…………うん、わかってる。あなたが凄く優しくて真っすぐなことは。本当に話してくれてありがとう、私が……絶対なんとかするから、安心して?」
そうやって、根拠も確証もない言葉を、私は彼女に投げかける。
手段も、証拠も、何一つ、私はまだ持ち合わせていないけど。
「先生に―――任せなさい」
それでも、この言葉は、決して嘘にしてはいけないのだと。
そんなちっぽけな決意だけを、震えた胸の奥に刻み込む。
「…………はい!」
そうして、涙目になりながら、千歳さんはしっかりと頷いていた。
話を終えて、彼女が国語準備室を去る際に、もしまたいじめがあったら、必ず声をかけてねと伝えて手を振った。
そうして、大きく手を振り返す彼女を見送った後、そっと静かに準備室の扉を閉める。後に残るのは、窓の外でさーっと響く梅雨の音だけ。
これでいいのだろうか…………わからない。
だって私はまだ、教師になって数か月のひよっこで、いじめやその冤罪なんて、今まで経験したことすらなくて。
何が正しくて、どう振舞えばいいのかなんて、誰に教えてもらったこともない。
でも、それでも、やるしかない。
私の初めての教え子たちが、ただ理不尽に踏みにじられていくことを。
それを大人が黙って見てるしか出来ない……なんて姿は見せるわけにはいかないのだから。
ふぅっと独り、国語準備室の扉の裏で息を吐く。
戦え、守れ。
たとえこの身が非才でも、たとえこの心が脆弱でも。
大人は―――子どもを―――守るものでしょう?
ぐっと拳を握りしめてから、私はゆっくりと項垂れていた身体を起こす。
まだ何も、終わってなどいないのだから。
そうして、扉を開けて、廊下へと足を踏み出した、その直後。
「どぎゃわっ?!!」
眼の前に、靡くような黒髪と、透き通るような茶色の瞳が突如現れた。
…………っていっても、扉を開けたその場所に、綾辻さんが立っていただけなのだけど。
「…………なにしてんの、せんせい」
あまりの唐突さに、私が思いっきりすっ転んで腰を打ち、しばらく悶えていたのは、なかったことにしておきたい。
そんな私を、綾辻さんは、どこか冷ややかに…………少し目を細めながら見つめてた。
まるで何かを語り掛けようとするみたいに。




