第18話 教え子の胸で泣く
わからない。
どうしたら、あーちゃんは幸せになれるかな。
どうしたら、ちーちゃんの想いが叶うかな。
短絡的な結論を探したら、私がいなくなることこそが、一番簡単な答えのように思えてしまうのだけど。
『…………だからね、せんせいが笑ってくれないと、私この先、心からちゃんと幸せになれないの、わかった?』
でもそれは、きっとあーちゃんのくれた想いを裏切ってしまうことになる。
『せんせいは、どうしたいの?』
私は、どうしたいのだろう。どうすればいいのだろう。
何かを得るということは、それが欲しかった誰かから奪うことにほからならない。
椅子取りゲームと同じだ。座れる人の数は、初めから決まってる。
でも、私にそんな価値があるのだろうか。
それに私以外が座った方が、隣に居るあーちゃんは、もっと幸せなのかもしれない。
わからない、選んでも、選ばなくても、誰かを不幸せにしてしまっているような、そんな罪悪感が消えて無くならない。
じゃあ、手放せばいいじゃん、って誰かが言った。
あーちゃんの言葉なんて無視してさ、あなたのためっていって手を離したら。
それで、全部解決じゃん。
わかってる、それが答えの一つなのも。
社会的に見れば、今がどれだけ間違っているのかも。
わかっているけれど。
シャワーの音を聞きながら、君の胸でただ泣きじゃくる。
どうして泣いてるのかも、何が言いたのかも、わからないまま。
ただ、大人に縋る子どものように。
雫と嗚咽だけを、零し続けた。
どうしたらいいのだろう、私はただ、あなたたちに幸せになって欲しいだけなのに。
なのに、どうして。
私は―――この場所を離れることができないのかな。
「大丈夫」
君はそう言って、私の首元を優しく撫でていた。
流れるお湯と、滑るような指の感触が、ほんの少しだけ私の胸の強張りを解いていく。
「大丈夫だよ、せんせい」
こうやって、絆されることそのものが、酷い間違いのような気もするけれど。
それでも、君の身体に縋りつくことを止められなくて。
「私は―――どこにも―――いかないからさ」
そんな君の優しい言葉で。
苛むような胸の痛みが、溶けだしてしまいにそうになるのは、なんでだろう。
どうしたらいいのかな。
そんな答えを、私は未だに見つけられないまま。
君との間に流れるお湯の、その中に。
眼元から零れた雫を、ただ溶かしてた。
胸の奥で開いた痛みが消えるまで、ずっと、ずっと。
※
「落ち着いた? せんせい」
言いながら、あーちゃんはぽんぽんと、私の背中を撫でてくる。そうされていると、本当に赤ん坊か何かになったよう。
「…………う゛ん」
ずびっと鼻をすすりながら返事をしたら、顔にばしゃっとお湯が降ってきた。何事かと目を閉じていたら、あーちゃんにそのままシャワーでごしごし顔を洗われる。
「ほら、ちーんして」
ぐにゅにゅと唸りながら、自分の目と鼻をごしごし擦る。何の液かもわからないものがいっぱいついてて、非常に汚いわけだけど、あーちゃんはさして気にした風もなくシャワーをこちらに向けてくる。
結局根負けして、ふんっと思い切り鼻息を吹き出したら、そのままタオルとシャワーでごしごしと拭われてしまった。
「あーちゃん、いいよぉ…………汚いよぉ…………」
そう抗議はしてみるのだけれど。
「いーから、言われた通りにしてて」
結局、抵抗も虚しく、数分後には眼元も鼻もすっきさせられてしまった。うう、年上としての尊厳が、と嘆きはするけど、大泣きした時点で威厳もくそもないのだろうか。
「どう…………スッキリした?」
そう言ってあーちゃんは、穏やかな笑みを向けてくるのが、余計にこう私の不甲斐なさを浮き彫りにする。くそう、これでも元教師のはずなのに…………。
「…………うん」
なんとなく目を合わせづらくて、顔をそっと逸らした。そしたら、浴室の鏡がそこにはあって、湯気で曇った中に、眼元を紅くしたアラサー女の姿があった。なんだこれ、凄く死にたい。
ていうか……今更だけど、私達凄い恰好なのでは?
ふっと下の方に目を向けると、私の足の下には、あーちゃんのすらっとしたおみ足がそこにはあって。泣きながら私が抱き着いた後、さすがに立ってられなくなったから、二人して床にへたり込んでいたのだけれど…………。
これ、見方によっては、私が馬乗りになって襲おうとしているようにも見える……。
ていうか…………下を見たから当たり前なのだけど、あーちゃんの大事な部分が足の隙間からちゃんと見えているわけで。……当然、あーちゃんのお胸も無修正で見えているわけで…………。あとついでに、私のちんちくりんボディが晒されているのは…………いいか、どうせ二度目だし。
「どうしたの、せんせい」
あーちゃんが不思議そうに首を傾げてくるけど、上手くその眼が見られない。かといって目線を逸らせば、あーちゃんのスタイリッシュえっちボディが目に入ってしまうので、目も開けられない。
結局、目を閉じたまま、私はぶんぶんと首を横に振る。
「な、なんでもないでしゅ…………」
…………いや、無理があるか、この反応は。
「……………………」
案の定、訝し気な沈黙が降り注いでくるけど、残念ながら目を閉じているので、あーちゃんの表情を窺うことは出来ない。
「………………」
しかし、黙秘以外に出来ることはなく。嵐が過ぎ去るのを、私はただ待つことしか出来なかった。くそう、誰だ、お風呂一緒に入ろうなんて言い出した奴は、私か。
「………………もしかして、今更、照れたりしてないよね?」
そんな胡乱なあーちゃんの声に、思わず肩がビクンと揺れた。我が体ながら、反応が正直すぎて泣きたくなる。
「…………」
「ふーん…………」
そして、数秒の沈黙ののち。
「てりゃ」
そんなあーちゃんの小さな声と同時に、私の顔にシャワーのお湯がぶわっと吹きかけられた。
「ぶみゅみゅみゅ…………」
数瞬後、ぶるぶると頭を振って、恐る恐る目を開くと、とっても楽しそうに目線を細めるあーちゃんがそこに居た。
「ふふ、せんせいも照れるんだ、いいこと知った」
そうやって笑う姿はまるでいつかの学生時代の彼女のようで。可憐さとあどけなさが混じった華のような笑みをしていた。
………………ああ、その顔を見てると、どうにも弱い。
頭の奥に熱がこもって、そのまま頬から蒸気が吹き出してしまいそうになる。いやあ、まあお風呂場で照れているのだから、そりゃそうなのだけど。
「うう、アラサーを弄ぶなあ…………」
そうやって、涙目になりながら抗議をすれども、君は楽しそうに私の紅くなった鼻をつんつんとつついて遊んでる。くそう、悔しいのになんだか背筋がぞくぞくする。
「…………ふふ、ごめん、ごめん。……で、なんで泣いてたの?」
そうして、あーちゃんがそう曖昧な表情で尋ねてきたから、私は思わずぴたっと止まってしまう。
なんてい言えばいいのだろう、あーちゃんのこと、ちーちゃんのこと、自分の想い、上手く言葉にしたいけれど、どれから形にすればいいのかが掴めない。
結局、しばらく言葉を探して、口をパクパクさせてから、私はふっと肩を落とした。ちゃんと伝えることすらできない自分が、情けなくて仕方がなかった。
ただ、そうやってふっと俯いた瞬間に。
「…………聞いといてなんだけど、言えないなら別にいいよ」
あーちゃんは、そう言って軽く笑ってた。
「また、元気な時にでも聞かせて? 一緒にカフェオレでも飲みながらね」
なんてことはないように。
「どうせ、時間はたっぷりあるんだからさ」
そう言って、私の頬をそっと優しく撫でていた。
ちょっだけ、意地悪そうな微笑みを浮かべたまま。
どうしてだろう、どうして君はそんなに優しくしてくれるのかな。
私にそんな価値はないはずなのに、そんなに気遣ってもらえる資格もないはずなのに。
結局、私は何も言えないまま。
また君に泣きながら抱き着いてしまってた。
そうして、同窓会を終えた夜は更けていく。
抱えた想いも、噤んだ言葉も、紡げないまま。
そんな弱ささえ、許されながら。
ただ君と触れ合う、濡れた肌の柔らかさと、重なる吐息の温かさだけを感じてた。
答えは、まだ出せないけれど。
いつか、ちゃんと向き合える日が来るのだろうか。
今はそれすら、わからぬまま。
私は、ただ君の胸の中で、泣いていた。
※
「………………せんせいさ、どうして何にも聞かないの?」
「……ん? だって言いたくないんでしょ? 顔にそう書いてあるよ?」
「………………」
「言いたくないなら別にいいよ、また元気な時にでも聞かせて? コーヒーでも飲みながら」
「…………………………」
「…………でも、いつか聞かせてね。私、ずっと待ってるから」
「………………ふうん」
「………………やっぱせんせい、ちょっと変だよ」




