第17話 せんせいとシャワーを浴びる
カチッと小さな音を立てて、ホックが外れる音がする。
脱衣籠にそっと落とした自分の下着を見つめながら、私は横目でせんせいの方を窺った。
自分で一緒に入ろうと言いだした割には、動きは緩慢で、紅くなった頬のまま、もぞもぞとまだ上着を脱いでいるあたりだった。こっそり息を吐きながら、自分のパンツとショーツを腰からそっとずらしていく。
それにしても、どうして、急に一緒に入ろうなんて言い出したのだろう。
酔いが回って、寂しくなったのか、はたまた気が大きくなったのか。
それとも――――ちづるとの別れ際に、実は起きていたりしたんだろうか。
『まだ、せんせーのこと、好きですか?』
『うん―――好きだよ』
別に聞かれて困る内容じゃなかった。ずっと宣言はしてることだし、多少の恥ずかしさこそあれ、改めて態度を変える要素はなかったはずだ。
もちろん、私視点でそうじゃないだけで、せんせい的には色々想うことがあるのかもしれないけれど。
…………まあ、考えたところで、解かるものでもないか。
なにせ、どれだけ想像してみても、他人の心なんて、言葉にしない限りちゃんと伝わるものじゃないんだから。
「じゃあ、先、はいってるよ」
ようやく上の下着を外しかけたせんせいにそう告げながら、私は浴室の扉を開ける。
「う、うん」
そんなせんせいの声を背中に聞きながら、ふぅっと息を吐きつつ扉を閉めて、シャワーのコックを回した。
最初に出てくるまだ冷たい水を顔に受けながら、可能な限り呼吸を整える。酔いと眠気で、少し理性が鈍っているから、気を抜いたらそれこそ変な間違いを犯しそう。
それにしても、せんせいもせんせいだよね、本当にちょっと気を抜いたら、襲われかねないって自覚があるのかな。
…………いや、多分ないんだろうな。でないと、わざわざ襲うぞって公言してる私の前に、肌を晒しに来る意味が分からない。
頬を流れていく水が、段々と熱を持ってお湯へと変わっていく。
流れるぬるま湯の中、漏れ出た息が微かに熱を持っているのは、残念ながらアルコールのせいだけじゃない。
ドクドクと胸の奥を、何かが逸るように流れていく。頭の奥から、期待と興奮で、じわりじわりと何かが溶けだしていくような錯覚がする。
本当は襲ってもいいんじゃないの?
でないと、こんな無防備なわけがないでしょ?
せんせい力弱いから、どうせ、私が無理矢理しても振り解けない。
それどころか、本心ではせんせいも、そう望んでるんじゃ―――。
――――パンと小さく頬を打った。
馬鹿か。我ながら、脳までアルコールが回ってるんじゃないの。
そんな、自分に都合のいい妄想ばかりしてても仕方がないでしょ。せんせいにとって、私はあくまで未だに教え子だから、そのせいで警戒心がないだけだ。あの頃から、せんせいはずっとそうだった。
ふぅー…………って、意図的に長めに息を零す。頭の奥に湧いてきた邪な情動が、シャワーのお湯に流れ出てしまうように。
そうやって、しばらく自己反省を繰り返した後、さすがにそろそろ化粧落とすかと顔を上げたころ。
ガチャっと音がして、せんせいが脱衣所からひょっこりと顔を出す。
そして、未だに紅潮した頬のまま、おずおずと私から少し目を逸らしながら、首を傾げてくる。
「はいって…………大丈夫?」
「……どうぞ」
濡れた髪を視界から除けながら私がそう言うと、せんせいは扉の隙間からおずおずと身体を覗かせてきた。
………………裸。
当たり前だけど、風呂場なのだから全裸だ。公衆浴場でもないから、隠すタオルすらありはしない。まあせんせい、前だけは気まずそうに手で隠してるけど、そんなものでちゃんと守れるわけないじゃん。
咄嗟に、シャワーから流れるお湯に頭を突っ込んで、ふぅー……って長めに呼吸を整える。
落ち着け、落ち着け。怖がらせちゃダメ、嫌がることもしちゃダメだ、じっと見るとか、もってのほか。
せんせい小さいから、一瞬上から覗いた時、ほぼ全部見えてしまったけど、動揺は見せちゃいけない。…………ていうか、再会した夜に半裸くらいは一応見てるんだけど、やっぱ全部見ちゃうと、さすがに同性でも罪悪感が湧いてくる。
さっき落ち着けたはずの脈拍が、すぐにバクバクと復帰してくる。くそう、いつもは割と低血圧な癖に、こういう時だけ張り切るな。
「あーちゃん……どうしたの? なんか……凄い顔してるけど」
「…………気にしないで、なんか凄い顔してるだけだから」
せんせいは心配そうにこちらを覗いてくるけれど、多分、私今、死ぬほど不細工な顔してから見ないで欲しい。無理矢理に色々抑えてるから、口が酷くしかめられているのが自分でもわかるくらいだし。
はあ…………って、今日何度目かも分からないため息を漏らしながら、私はシャワーの滝行から頭を戻した。いい加減、こんなことばっかもしていられない。
だからまあ、さっさと化粧落として、諸々洗って早めに出よう……なんて思ったあたりで。
ふって、手元に些細な気配があった。
シャワーで火照った身体には少し冷たくて、柔らかい、そっと何かを摘まむような、そんな感触。
ちらっとそっちに目を向けると、せんせいは顔を伏せたまま、私の指先をそっと自分の指で摘まんでた。まるで叱られた子どもみたいな表情で、どことなく覚束ないさまで佇んでいる。
「せんせい…………?」
ザーッとシャワー音が響く中、そう尋ねてみるけれど。しばらく返事は返ってこない。ただその代わりなのかは分からないけど、絡められた指先は少しだけ、きゅっと強く握られていた。
しばらく待っても、せんせいは顔を俯けたまま。仕方ないので、そのまま続きを促すことにする。
「どーしたの?」
そういえば、そもそもお風呂に入ってこようとする時点で、様子はなんだかおかしかった。自分のことで手一杯になりかけてたけれど、どうにもそれどころじゃなさそう。
せんせいの頬に手を伸ばして、そっとその視線を優しくこちらに向ける。子猫か何かのように柔らかいその肌をなぞりながら、濡れた指でとんとんとその頬を軽く突っつく。
あげられた目線は、どことなく紅く滲んでて、口元はきゅっと何かを堪えるように結ばれていた。しばらく、とんとんとつついていると、段々とその眼元と口元が震えだす。
堪えていたものが、やがて零れていくように。
溜まった涙腺を揺らして、溢れさせるみたいに。
しばらく指でつついていたら、やがてじわりと眼元から何かが滲み始める。
「うぅ………………うぅぅ………………」
そうして、まるで何かを抑えるように、へたくそな声を上げながら、段々と雫が零れていった。
あーあ、またなにを独りで我慢してたんだかね、この人は。
仕方ないなあって、軽く息を吐きながら、私はそっと両手を広げた。
せんせいは、最初こそちょっとためらった様子を見せていたけど、しばらくしたら、観念したのかそのまま私の胸に飛び込んできた。
シャワーに身体を撫でられながら、胸元にせんせいの熱い息遣いと、濡れた感触を、ただ感じる。
酷く官能的なのだけど、残念ながら、煩悩はちょっと、しばらく出番がなさそうだ。
逸る心臓は一旦、脇に置いたまま、濡れていくあなたの頭をそっと優しく撫でた。
「あーちゃん…………」
そうやってぐずりながら、産まれたままの姿で私に縋る様は、まるで赤子か何かのようで。
これじゃあ、どっちが教え子がわかんないね、なんて軽口はまた今度にしよう。
ぐずぐずとあなたの泣き声を聞きながら、零れていく雫を文字通り身体で受け止める。
多分、話を聞くには、もう少しだけ時間がかかる。
でもまあ、今はそれでもよかった。
だって、あなたは放っておいても、どこかにいくわけではないのだし。
私は、それを決して許さないわけだから。
だから、少し落ち着いたら、ゆっくりと聞けばいい。
焦る必要は、どこにだってないんだからさ。
「よしよし…………」
そうして、シャワー室の中、壁に背を預けたまま、しばらく二人で裸で抱き合っていた。
服の遮りもないままに、重なる胸の感触や、触れあう肌の柔らかさは、一旦見ないふりをして。
今はただ、その涙が零れ切るのを待つだけでいい。
きっと、誰もどこにも逃げ出しはしないから。
私も、せんせいも、ちづるも。
「大丈夫だよ、せんせい」
そうやって、繰り返す言葉が、たとえすぐには届かなくとも。
「大丈夫」
何度も、何度も繰り返せばいいんだ、きっと。
ザーッと流れるシャワーの音が、あなたの泣き声を、誰にも見つからないように、そっとどこかへ隠してしてまう。
今ここは、夏の真夜中の、私たちだけの秘密の時間なのだから。
だから、きっと。
「大丈夫」
そうやって繰り返すたび。
あなたがかつて、私の頭を撫でた感触を。
あの日々の、なんてことはない情景を。
瞼の裏に、ただ想い描いてた。




