第12話 教え子の抱擁を食らう
それから図書館を後にした私たちは、一駅離れた都市の中心部までやってきていた。
待ち合わせ場所の、時計台の近くであーちゃんと一緒に、彼女がやってくるのをじっと待つ。
千歳 ちづる。
2年生の頃は、隣のクラスだったけど、3年生になった時、私が担任をさせてもらった生徒の一人。
あーちゃんとは特に仲が良くて、いつも二人で引っ付いて、わーきゃー言ってた姿も懐かしい。
そんな彼女が、まだあーちゃんと友達として一緒に過ごしている。それだけで、とても嬉しい事なのだけど。
「ねえ、あーちゃん、本当に私も一緒でいいのかな……?」
今日は、ちーちゃんがあーちゃんを誘った予定に、私まで相席させてもらうことになった。
なんだか、二人の仲のお邪魔をしていないか、少しだけ心配になる。
「当たり前でしょ? それとも、ちづるに会いたくなかった?」
背後から、私のほっぺをツンツンしながら、あーちゃんはなんてこともない風にそう尋ねてくる。
「会いたいよ…………会いたいけど、なんていうか、うむむ…………」
結局、私は教師を辞めてしまった身だ。これで教師をちゃんと続けてたら、胸を張って会うこともできたのだろうけど……。なんだか、美味しい所だけ味わっているような、申し訳なさも同時にある。
「少なくとも、ちづるは会いたがってたよ?」
そうやって唸る私のほっぺから空気を抜くように、あーちゃんはぐりぐりと指を押し当ててくる。
……まあ、それは実際そうらしく、電話をしたあーちゃんが、今日の夕食に私も同席していいか聞いたら、ちーちゃんは『是が非でも!!』と、どでかい声で返事をしていた。スピーカーでもないのに、よく声が響いて、ああ、ちーちゃんだなって感慨が湧いてきたっけ。
なんてしばらく葛藤しつつ、ぼーっと、土曜の夕方近くの人波を眺めていたら。
きょろきょろとあたりを見回す、小さな人影がこっちの方に向かってきていた。
簡素で、でも彼女らしい可愛げのある服と、リボンのついた髪飾り。
生徒と教師だったから、私服で会うことなんて、ほとんどなかったけれど、それでも遠目ですぐ彼女だと解ってしまう。
向こうもすぐに私たちに気付いたのか、小走りでこちらに向かってくる。
そして、近づくにつれ、おぼろげだった記憶の輪郭が、より鮮明になっていく。
とっとっと、どこかあどけなさを残したまま、彼女は小走りで駆けよってきた。そして、私たちの手前数メートルのあたりでピタッと止まる。
そんな彼女を見て、私は思わずああ、と一つため息を吐いてしまう。
あーちゃんの時も思ったけれど…………大人になったね。
背丈はあの時からあまり変わらないけど、あどけなかった表情は、少しだけ凛々しくなって。立ち姿も少し猫背気味だった学生時代と比べるとしゃんとしている。
だけど、元気よく目一杯の笑顔を浮かべる面影は、何一つ変わらない。
感極まるとぷるぷると目元が震えて、すぐに泣き出しそうになってしまうところも同じ。体育祭で優勝したときも、誰よりもたくさん嬉し涙を流してたっけ。
そんな彼女が今、私の目の前で、また眼元を真っ赤にして、口をきゅって結んでる。
「ちーちゃん」
「…………せんせー?」
そう声をかけると、彼女は震えた声のまま、あの頃と変わらぬ響きで、私のことを呼んでくれた。
「うん、久しぶり」
出した声が、震えていたのは、泣きそうになっている彼女に少し引っ張られてしまったからだろうか。
ふふっと笑うと、ちーちゃんは余計に唇を結んで、今にも声をあげて泣き崩れてしまいそうになってた。
ああ、ほんと、変わらない。
「お久し……ぶりです…………」
そう言った後、彼女は肩にかけていた鞄を、そっと地面に置いた。
あ、と思わず声が零れる。
背後であーちゃんが、そっと私の背を支えるように立つ気配がする。
そうして、ちーちゃんはゆっくりと両手を広げると、ぐっと振り絞るように正面を―――私を見つめた。
「せんせー!!」
「うん…………」
そうして、とてもよく響く、朗々とした声で宣言する。
「私!! 今から!! 抱き着きます!!!!」
そんな彼女に、私はそっと腕を広げて、同時に足にぐっと力を籠めた。
「おいで!! ちーちゃん!!」
その声が届いた瞬間、コンマ数秒。
数メートルあったはずの間合いを、ちーちゃんは泣きながら勢いよく駆け抜ける。
そして、彼女は両手を広げたまま、私の胸に飛び込んできた。
一切の減速なく、あの頃と変わらぬ…………いや、更に磨きをかけた速度で。
「ごぼふっ!!」
突撃と同時に、私の胸骨が圧迫されて、肺から酸素が強制退出させられる。
踏ん張った足は無惨に崩れ、背後で備えていたあーちゃんに、無言で受け止められる。あの頃よりさらに貧弱になった私の足腰では、成長したちーちゃんのタックルに、当然耐えられるはずもなかった。
「せんせー!! せんせー!!! うわーん!!!!」
そうして、耳元で涙をべっちょり私の頬につけながら、大声で泣きだすちーちゃんを、私は震える腕でどうにか抱き留めていた。
「大丈夫? せんせい、生きてる?」
背後であーちゃんが心配そうにそう声をかけてくるけど、私はそっと親指をぐっとあげて返事をする。
「ふ……ふふふ、教え子の抱擁を受け止められなくて、何が元教師か…………」
「…………肺が臨死直前みたいな音出してなかったら、立派だけどね」
そんなあーちゃんのやれやれといった声を聴きながら、私はふっと微笑んだ。喉の奥から、かひゅーかひゅーと、震えた息が零れてくるけど、決して大した問題ではない。なんか妙に景色が白んでる気がするけど、それも大した問題ではない。
「ふふふ…………ちゃんと抱き着く前に、宣言できるようになって……成長したね、ちーちゃん……」
昔はよく不意打ちの突撃を食らって、無惨に吹き飛んでいたのも懐かしい。あの頃から、ちーちゃんは私と体躯がそう変わらないのに、とってもエネルギッシュな子だったね…………。
「…………言ってる場合?」
あーちゃんはそう言いながら、私の痙攣を続ける肋骨を、背中から優しく撫でてくれていた。あーちゃんはあの頃も変わらず、こうやって私のことをそれとなく支えてくれていた。懐かしすぎて、涙がちょちょ切れそうだよ、決してダメージで泣きそうになっているわけではないよ。
「せんせー!! せんせー!! よかった!! 私、もしかしたら!! 死んじゃったかと思ってて!!」
「ちづる、そろそろ離さないと、せんせいマジで死ぬから」
「……………………こひゅ」
そうして、私がちーちゃんの抱擁という名の突撃から解放されたのは、およそ数分後。
私が正常な呼吸を取り戻すのに、更に数十分かかったけれど。
……それも大した問題ではないのです。
「教え子サンドイッチで死ぬのなら、わが生涯に悔いはない…………」
「せんせー!!??? あや、どうしよう!!??? せんせーが!!!」
「せんせい、変な理由で満足死しないでくれる…………?」
そうして、私はあーちゃんにほっぺをぺちぺち叩かれつつ、ちーちゃんの泣き声を聞きながら、そっと眼を閉じていました。
二人の教え子の、あの時と変わらぬ、柔らかく温かい感触に挟まれて。意識が消えゆく瞬間は、とても幸せな最期であったとさ。
「…………で、ピザ食べに行かないの?」
「「行く!!」」
五秒後に、ちーちゃんとハモりながら蘇生したのは、また別のお話。




