出会い―Ⅵ
そこから先は、まるで熱にでも浮かされたかのように。
何を思考して、どうしてそう口にしたのかすら、あまりちゃんと覚えてない。
「古戸月先生、自分のクラスにいじめの犯人がいたことを、受容れたくないのかもしれませんが…………」
「そもそも、本当にいじめと呼べるでしょうか。いじめは普通、多数が少数に行うものです。今回のように、複数の生徒が絡んでいるのに、独りで相対していることをいじめと呼びますか?」
「…………屁理屈を、それでも、その子がやったことに変わりはないでしょう?!」
「そもそも、そこが私は疑問です。証言をしているのは、被害に遭った生徒と仲のいい生徒ばかり。たまたま綾辻さんが嫌がらせをした現場を、たまたま被害生徒と仲の良かった生徒が、揃って目撃するなんてことがあるのでしょうか」
「…………被害生徒は、綾辻さんと違って、人望がありますから。委員会の活動にも積極的な子達です。仲のいい生徒が多いこと自体に違和感はないでしょう。そうして、数が多ければ、それだけ発見する機会も多くなるのは自然ではないでしょうか」
「そうかもしれません。でもだからこそ、被害生徒と関わりの薄い、中立的な子の意見も取り入れるべきです。今の状況は、口裏を合わせればでっち上げが出来てしまいます。一人の子の将来に関わる決定を、そんな不確かな根拠を元にしていいんでしょうか」
「…………そこまでいうのなら、この子が、やっていないという根拠はどこにあるのですか?! あなたが言っているのは、その子がいじめ犯でなければいいという、願望にそったものでしかないと、どうやって証明するのですか!?」
教頭先生の声は、高く怒りと、侮蔑に満ちた色に染まっていく。
怖い、苦しい、痛い。
震えて、黙って、泣きそうになる。
だけど、今は、そんなことしてられない。
私、独りなら、別にいい。
でも今は、私の背に、守るべき子どもがいるの。
だから、守れ、何に代えても。
私の恐怖や、不安なんて、全部その後でいい。
「………………そうですね、そう思われても仕方がないと思います」
「そうでしょう!? ならさっさと―――」
「ねえ、綾辻さん」
そうして、教頭先生が二の句を告げる前に、私はふっと隣の彼女を振りかえる。
綾辻さんは、どことなく困惑したような、少し混乱したような表情で、私のことを唖然と見ていた。
「三日前の放課後、何してた?」
「――――え?」「――――何を?」
綾辻さんと、教頭先生の声が、同時に響く。
「大丈夫だから、教えて? 三日前の放課後、何してた?」
私の問いに、綾辻さんしばらく眼を白黒させて、意図を図りかねていたけれど。やがて、振り絞るように、小さな声を漏らした。
「いつもの…………場所で、勉強してた」
その答えに、私は静かに頷いて、出来るだけ安心させられるよう微笑んだ。
「…………綾辻さん、いつもの場所とは? 差し支えなければ窺っても?」
そうしていると、背後から低く穏やかな声が響いてくる。ふっと振り返ると、さっきまでお地蔵さんのように静かだった校長先生が、じっと目を細めて私たちを見つめてた。
「………………えっと、校舎の端の…………屋上に行く階段のとこです」
それに綾辻さんは、まだ意図を飲みこめないまま、訝し気に言葉を続ける。
「それが何だというのです?! そもそも、どうしてそんなとこにいたのですか?!」
対してまるで雷雲のように、声を荒げる教頭先生をじっと見ながら、私は綾辻さんの答えと、ここ数日の記憶をゆっくりと想いだす。
大丈夫、辻褄は合う。
「別に屋上の階段へ行ってはいけないって校則はありません。何をして、どうしていたかは……綾辻さん、言える?」
「え? …………いつも通り、勉強してただけ。うちの図書室は喋り声するし、塾はお金がかかるから」
大丈夫、大丈夫。
「…………ほう、それを見ていた人はいるのですか?」
校長先生の、穏やかなその問いに、綾辻さんの表情はさっと曇った。
「…………いません。……人目につかないとこが良かったから」
そんな彼女の言葉に、教頭先生は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
「―――――私は知ってます」
え、と、綾辻さんの口から、声が漏れていた。
「あそこは、凄く静かで、シャーペンの音がよく響きます。だから、私は放課後になったら、綾辻さんが勉強してるか、いつもこっそり確認しにいってました。三日前も確かに、綾辻さんがあそこで勉強してるのを聞いてます」
「………………ほう」
そんな私の言葉に、校長先生は短く息を漏らした。
「ちょ、直接見てはいないのでしょう?! それなら――――」
「あそこの近くは、準備室とか科目用の部屋しかありません。だから、放課後になったらあの近くで、ペンを使って何かを書いている子を、私は綾辻さん以外見たことありません。しばらく立ってたんで、通りすがりの子が、書いてたってこともありません」
大丈夫? これでいいかな? わからない、でも、もう押し通すしかない。
「だ、だから何だというのです?! ずっと聞いていたわけではないのでしょう?」
「はい、でも私は5時過ぎからしばらく、その音を聞いてました。5時半まではいなかったけど、その間、綾辻さんは勉強をちゃんとずっとしてました。私がいなくなってから、急いで校舎の端の教室まで行って、ペンケースを壊して戻るのは無理があります。私、6時過ぎにも、もう一回に聞きにいってるんで」
隣で綾辻さんが、え? なんでそんなことしてたの? みたいな顔をしてるけど、今はちょっと構ってる余裕がない。
「で、でも可能なのは、事実でしょう?」
「屋上までの階段から、校舎の端の教室まで、急いでいったらそれこそ誰かに走ってるのを見られます。
それに―――さっきの綾辻さんの反応が、何よりの証拠なんです」
言いながら、まだ驚き気味の彼女を指さして、私はふっと出来るだけ、余裕たっぷりに見えるように微笑んだ。震える心臓は、今だけは誰にも悟られないように。
「…………古戸月先生、その証拠の仔細を窺ってもよろしいかな」
校長先生の言葉に、私は静かに息を吐いて、頷いた。
これで最後の一手、これで通らなかったら、もうダメかもしれない。
「はい――――最後の証拠は、
さっきの話を、綾辻さんが全く知らなかったことです」
「勉強の邪魔かなと思ったから、無理してそうな時以外は、極力顔は見せないようにしてました」
「時間も空いた時間に行ってたから、いつもバラバラで、頻度もまちまちです」
「綾辻さんからすると、私が様子を聞きに来てることすら知らなくて、その間を縫って―――たまたま――――偶然――――ペンケース壊せたってことになります」
「しかも、急いで校舎端まで行くのを、被害生徒と仲のいい生徒以外の誰にも見られずに」
「そんなこと――――本当に可能ですか?」
そう最後に口にして。
ふぅっと、長く息を吐く。
身体の奥から、エネルギーというエネルギーを絞り出したような、薄い虚脱感にも似た感覚が、ゆっくりと胸を犯していく。
でも、まだだ。まだ終わってない。
「………………なるほど、事の判断がつかなくなってきましたね」
「で、でも校長先生、こんなの古戸月先生のでっち上げの可能性も…………」
そんな静かな校長先生の言葉に、教頭先生は慌てたように制止を掛ける。でも校長先生は、その言葉にゆっくりと首を横に振っていた。
「それを言いだしてしまえば、被害生徒の言い分も同じになってしまいます。彼女たちの言い分も筋は通っていますが、古戸月先生の告げた話も、一考の価値はあるでしょう。何より、古戸月先生と綾辻さんが、事の次第を聞いたのは、ついさっきです。口裏を合わせるような時間もなかったでしょう」
「………………な」
息が荒れる。
…………上手くいった?
慌てて隣の綾辻さんの顔を見るけれど、まだ唖然としている。
そんな私たちを見ながら、校長先生は、滔々と言葉を続ける。
「ことの判断がつかない以上、冤罪も考慮して、しばらくは保留……有体に言えば様子見ということになります。客観的に見た時に、どちらの言い分が正しいか、窺い知ることは出来ませんから。他の中立な生徒への聞き込みと、綾辻さんと被害生徒がむやみに接触しないよう、教員に通達しておきます。また二次被害を考慮して関係者には箝口令をしくこととします」
保留…………なら、いいのかな。いや、本当はやってないのに、疑いを掛けられているだけ、綾辻さんからすれば苦しい事には変わりないんだ。
守ろうとはしたけれど、これが本当に最良の結果なのかは、まだわからない。
「綾辻さんも、被害生徒と無暗な接触は避けるように…………よろしいですね? それと、今回は不問にしますが、今後は件の階段には行かないように。事実関係がはっきりするまでは、可能な限り人の目があるところで過ごしてください、要らぬ疑いがかけられぬよう。不自由だとは思いますが、よろしくお願いしますね?」
そんな校長先生の言葉に、綾辻さんはそっと俯きながら頷いた。
結局、本当の最悪を免れただけなのかもしれない。
どこか重く、嵐の後のような、騒然とした空気の中で、校長先生の穏やかな声だけが裁定の言葉のように響いていく。
「さて、各保護者への説明も必要ですね。あまり遅くなってもいけない、教頭先生、事情の説明後、被害生徒たちは帰宅させてください。綾辻さんは…………少し時間を遅らせて帰りましょうか。酷く疲れたでしょう、少しコーヒーでも飲んでからお帰りなさい」
教頭先生はじっと何かを堪えるように俯いている。そうだ……、こんなに口ごたえてして大丈夫だっただろうか。いや、でも、生徒を守るためには仕方がなくて……。
わからない、ずっと長い距離を走ってきたみたいに、思考が上手く回らない……。
そんな何処か滲んだ視界の中で、私はまだ綾辻さんの手をぎゅっと握ってて。
ふと気づくと汗ばんで震えたその手が、確かにそっと握り返されていることに気が付いた。
わからない、これでよかったのか、これからどうなるのかは。
「では、今日はこれで解散とします。大変お疲れ様でした」
それでも、今は。
振り返った先の彼女に、私はそっと微笑んだ。
それでも、何かを守れたのだと、今はそう信じていたかった。
綾辻さんは、どこか泣き出しそうな表情で、そんな私のことをじっと見つめてた。




