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教え子のあなたと暮らしてる  作者: キノハタ
回想 出会い

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16/36

出会い―Ⅰ

 「古戸月先生は、なんで教師になったんですかー?」


 その時は、新卒で赴任した高校で人員不足のせいもあって、私は四月からいきなり担任を任されることになっていた。


 一応、副担任扱いで教頭先生に見てもらってはいたけれど。それでも半ばパニックになりながら、始業式の日、初めての教え子たちと顔を合わせていた頃。


 自己紹介という名の、質問大会の最中に、その問いは不意にやってきた。


 ―――どうしてだっけ。


 さっきまで、てんやわんやになりながら応えていた口が、不意に動きを止める。


 30人ばかりの生徒たちは、じっと私の答えを待っていて。その背後で教頭先生が、眼鏡の奥でじっと眼を細めてた。早く答えろって、急かすみたいに。


 いくつかの迷いが、頭の中を通り過ぎた。


 そして、その末に、私が紡ぎ出した答えは。


 「えっと―――両親が、先生だったから」


 主体性が無くて、情けなくて、ただ、それでも―――ありのままの答えだった。


 あ―……っと、何とも言えない空気が教室の中に広がって、教頭先生が軽くため息をついていた情景を、私は未だに覚えてる。


 そんな感じで、私の教師としての、最初の一日は過ぎていった。


 


 ※




 「ねえ、―――――ちゃん、将来の夢は?」

 

 小学生の頃、担任の先生に聞かれた時、私は特に迷わずその答えを返してた。


 「こくごのせんせい」


 理由は? って聞かれたら、色々と答えていた気はするけれど、結局、根っこの理由は単純だった。


 お父さんは、高校の国語の先生。お母さんも、中学の国語の先生。


 だから、私は自分もそうなるのだと、どこか勝手に思い込んでいた節がある。


 明確な理由もなく、実際どんな仕事なのかすら、あまり想い描くこともなく。


 両親もそんな私の答えに、どこか満足げだったから、それで正しいのだと勝手に思ってた。


 家に置いてあった、たくさんの本を読むのは好きだったし、学校でも国語の成績が一番よかった。大学も幸い、近場の教育学部に進学出来て、これで何も問題はないのだと思ってた。


 だけど、そこにあったのは、結局、誰かから貰った借り物の理由だった。


 子ども達に、その問いを尋ねられたとき、私は初めてそれを自覚する。


 彼ら、彼女たちも、その杜撰さには気づいたのだろう。なんというか、大丈夫か、こいつみたいな視線を感じたのは、恐らく気のせいじゃなかったはずだ。


 そんなだから、初日を終えて、へろへろになって家に帰った後も、しばらくベッドの中で独りで反省会を開いてた。なんで私、こんな薄っぺらいんだろうって、これから大丈夫かなあって。


 栄えある教師生活の第一歩にしては、随分と、転んで躓いた一日だったと思う。


 そして、そんな自分の至らなさを、私は、すぐ次の日に、また実感することになる。


 教師というのは、何をするにしても、とても忙しい。


 初めてのちゃんとした授業、顔を向き合わせる沢山の子ども達、教員会議、学校行事、臨時対応、とかとかとか…………。


 そうやって、慌てていたものだから、初めての自分のクラスでの授業の時に、私は事前に教科書や資料集を運んでくるのを忘れてしまった。


 授業直前の昼休みに、教頭先生に謝罪した後、独りで慌てて、国語準備室へ駆けていく。


 …………って言っても、廊下は走っちゃいけないから、可能な限り早歩きのぎこちない様相で。


 で、いざ国語準備室に置いてある資料集の山を目にした時、私は思わず冷や汗が背筋をすーっと流れていくのを感じた。


 多い、分厚い、重い。


 机の上に、梱包されたまま積み上げられた紙の束は、まるで遥かな壁のようで、なんなら私の体重より重そうだった。


 これを、クラスの人数分、独りで、教室へ?


 国語準備室は校舎の端の1階で、うちのクラスは反対側の2階にあって。


 どう頑張っても、これを抱えたまま階段を上らなければならない。


 カチカチと、設置された時計が、刻一刻と時間を刻んでいく。


 初めての授業で、教師が遅刻なんてあり得ない。思考が真っ白になりかけながら、大慌てで近くに置いてあった台車に資料集を積んでいく。


 ただ詰み終えるだけでも一苦労、寝不足と疲労と、元来の非力さも相まって、台車に乗せ終えたころには、私の膝はかくかくと震えてた。


 それでも行かなければならない、急がなくちゃと、準備室のドアで躓きそうになりながら、独りで必死に台車を押していく。


 無理に一杯積んだから、台車は今にも倒れそうで、ふらふらと私の身体より重い紙の束に振り回されながら、私は息を切らせ続けた。


 通りすがりの生徒が不思議そうに首を傾げるけれど、恥ずかしさで顔が真っ赤に燃えそうになる。ああ、こんな慌てた姿を見せて、カッコ悪い。これからの教師生活、こんなんでやっていけるかなぁ…………。


 なんて嫌な思考が、じわじわと頭の中に広がっていく。目をつぶれば、呆れたような教頭先生の視線が、鮮明に想い描けるようで、私は思わずひぃんと涙を零しそうになる。


 でも、ダメだ。頑張らないと、情けない姿を子どもたちに見せられない。


 そんなこと考えながら、ようやく、校舎の反対側まで辿り着いて、私は息を荒らせたまま、思わず眼の前の階段を、恐る恐ると見上げた。


 踊り場が一つある、一般的なただの階段。でも今だけは、エベレストよりも高く見える。


 昼休みの終わりまで、あと十分。


 なんとか、なんとかしなきゃ。


 台車から、教科書や資料集を傷つけないように、一束ずつそっと降ろして、とりあえず、台車だけ上にふんぎぎと唸りながら運び上げる。


 それだけでもう、私の人間としての限界を振り絞るくらいの力が必要だったけど。


 ようやく、台車を運び終えて、階下に戻った時に、私は静かに血の気が引くのを感じてた。


 あと五分、その間に、この量の資料の山を?


 私の体重とどっちが重いかってくらいの、この紙の束を、ここから階段の上まで? 独りで?


 あまりの途方の無さに、思わずふらっと意識がふらっと飛びそうになるけれど、ぎりぎりで頬をぱんっと打って、現実へと引き戻す。


 やらねば、とりあえず、やらなければ。


 ただでさえ、昨日カッコ悪い答えを返してしまったのだ。これ以上、私の初めての教え子たちに、無駄な心配はかけられない。


 そう思って、紙の束を一つ胸に抱えるけれど、ずんと重さは容赦なく私の身体にのしかかる。ただでさえ、急いで台車で運んできたから、既に身体は疲労困憊で、指先は微かに震えだしている。


 ふぎぎと唸りながら、身体を必死に持ち上げる。腕はもはや私の意思とは関係なく、ぷるぷると情けなく悲鳴を上げて、なんかプチプチと変な音がする。ああ、これバトル漫画とかでよく鳴る音だ、なんで資料集を運ぶだけで、こんな音鳴ってるんだろう。


 それでも、息を切らしながら、懸命に本の束を胸に抱えたまま階段を独りで登る。涙が零れそうになるのを必死に抑えて、なんで私いつもこんなダメなんだろうって、弱音が漏れそうになるのを必死に飲みこむ。


 昔から、身体は弱かった、背の順はいつも一番前で。スーツを着ても、なんだか子どもが、無理矢理着ているみたいにしかならない。


 体力テストはいっつもビリで、遠足や体育祭の後には、よく身体を壊して休んでた。保健室で一日の大半を過ごすことも、よくあったっけ。


 お父さんも、お母さんも、いつもそんな私をどこか困ったように眺めてた。決して、口に出してはいなかったけど、そんな私にどこか諦めたような眼を向けていたのは、私もよく分かってた。


 でも、でもね、だからこそ、頑張らなくっちゃ。


 教職の単位を寝込みそうになりながらどうにか取って。教育実習もふらふらになって、倒れそうになりながらだけど乗り越えてきたの。だから―――。


 こんなとこで、負けてなんかいられないの。


 こんなとこで、諦めてなんかいられないの。


 だって、そうやって私が簡単に諦めてしまったら。


 きっと、私の初めての教え子たちが、そうやって諦めることを学んでしまうの。


 情けない理由で教師になったのだから、だからこそ、そんな情けない姿は見せられない。


 そして、ふぎぎと唸って、震える足で、どうにか一番上への一歩を踏み出しかけた、そんな時。



 あ―――と思わず、声が漏れた。



 かくと膝から、不意に力が抜け落ちて。



 ふっと、視界が落ちるように、下へとずれていく。



 あれ、これ。



 足が、身体が、ほんの一瞬、地面とのつながりを失くしてしまう。



 足、滑った?



 でも、今、私、階段の途中で。



 そのまま視界が後ろへと、傾きかけた、その一瞬。



 



 とん―――って。







 静かに、身体が受け止められた。



 「………………大丈夫? ……えっと、古戸月先生」



 振り向いた先に居たのは、流れるような肩ほどまでの黒髪と、くりっとした茶色の瞳。



 名前順で一番最初、朝のHRで出席を取ったばかりの女の子。



 「綾辻……さん?」



 そんな彼女に、階段で足を滑らせかけた私は、そっと優しく受け止められていた。



 そうして、私は彼女の腕に抱えられたまま、しばらくその瞳をただ見上げることしか出来ないでいた。

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