第6話 せんせいにご飯を作られる
窓辺の日差しが少し眩しいデスクの上で、私は応募原稿の束をぱらぱらと捲っていた。
サンドイッチを咥えて、片手でアイスカフェオレを啜りながら、紙の上に並ぶ文字たちを順々に追っていく。
そんなお昼休みの最中に、ブーンとデスクの上に置いたスマホが震えた。
ちらっと視線を、そちらに向けると『せんせい』の文字。
さっき、『そういえば、夕ご飯何食べたい? なにか買って帰るけど』って連絡したばかりだけれど。
スマホをそっとスワイプすると、私は思わず僅かに首をかしげてしまう。
『あーちゃんは、何も心配しなくてよいでござる』
『そのまま帰ってくるで候』
最後に送られてきたのは、刀を構えて決めポーズする、侍姿のハムスターのスタンプ。
…………どこでこんなスタンプ見つけてきたんだろ。ていうか、候の使い方おかしくない? それでいいのか、元国語教師。
しばらくうーんと、唸ってから、『よくわかんないけど、了解』とだけ返して、私はスマホを閉じる。
なんとなくだけど、やっぱり、今日は早く帰った方がいい気がしてきた。
てなると、この下読みも早めに終わらせないとなあ。かといって、適当に読むのもちょっと違うけど。
なんて考えながら、サンドイッチを喉に詰め込んだあたりで、ぽんぽんと肩が叩かれた。
「こらー、綾辻ちゃん、休憩中に何を働いとるのかね、君は」
振り返った先にいたのは、明るい茶髪を揺らした先輩社員の姿。
「すいません、奈月さん。今日ちょっと、早く帰らなくちゃいけなくて」
ずずずっとカフェオレを吸い切りながらそう返事をすると、奈月さんの眼は、おおっと不思議そうに狭まる。
「なに? デートの約束でもあるの? ていうか、綾辻ちゃんデートとかするの?」
割と下世話な質問だけど、自然というか、いやらしさがないのがこの先輩社員の美徳なのだろう。いつもつけてる香水が、ちょっと甘すぎるのだけが、玉に瑕だけど。
「いーえ…………なんていうか、家の様子が心配で」
「どしたん、ペットでも飼い始めた?」
「…………まあ、そんなとこです」
そんな私の曖昧な答えに、奈月さんはふーんと唸ると、不思議そうに首を傾げてた。
「ほっとくと、家とか汚しちゃう系?」
「そうはならないと…………信じたいとこですね」
まあ、正直それくらいなら、なんでもなくて。なんか、意味もなくひっくり返って怪我とかしてる方が心配だったりする。なぜなら私はあの人が、一度、資料集の山に押しつぶされかけたのを知っているから。
そうやって、軽く息を吐く私をしばらく見つめた後、奈月さんはどうしてか意味ありげににやにやと笑い始めた。なんかいらん勘違いされてる気がする。
なんて時に、ブーンとまた机の上で、スマホが鳴る。
『あーちゃんは、和風とデミソースならどっちが好き?!』
「私はデミ派かなー」
「人のスマホ、覗かないでください」
まあ、言うほど勘違いでもないのかと、私は先輩社員の愉しそうな瞳を交わしながら、ふぅっと軽く息を吐く。
『和風』
そうやって返信したら、せんせいは秒で既読をつけて。
『らじゃ!!』
そんな返信と共に、何処かへと走るハムスターのスタンプが送られてきた。
なんか、こういうの、前もなかったっけ。
………………確か、私が、しばらくお昼を抜いていると知った時、せんせいは、わざわざ手作りのお弁当を作ってきた。
あくまで、自分の分だからって言い訳して、味見と称して、結局半分くらい私に食べさせてたよな。
あの時も、小さい和風のハンバーグが入ってたっけ。
そんなことを思い返しながら、私は視線をそっと窓の外に逃がした。
背後でにたにたと好奇の笑みを浮かべる、先輩社員から目を逸らしたかったわけだけど。
見上げた蒼空は、いつかのように、酷く、青く、どこまでも澄んでいた。
※
家に帰る途中で、ふと気づいてしまったのだけど。
なんか、これはあれだね、まるで新婚か何かの用だ。
私が囲い込んだんだから、別にせんせいは居たくているわけじゃないけどさ。
それでもまあ、少し感じ入るとこがないかと言われれば…………想う所は有り余るほどにある。
胸がざわつくような、でも暖かくて、あまり不快ではないような。
だって、よくよく考えたら、5年ぶりくらいに、せんせいに会えたのがそもそも奇跡みたいなものなわけで。
その上さらに、こうやって一緒に住んでるなんて、ちょっと出来過ぎた夢にも思える。
明日ぱっと起きたら、実は全部幻でしたなんてことになっても、驚かないというか、むしろ納得する気がする。
まして、こうやってうちのドアを開けたら、せんせいが私のことを出迎えてくれるなんて。
それこそ、私が、この数年間繰り返してきた、痛い妄想か何かのようだ。
「おかえり、あーちゃん」
そう、例えば、こんなお決まりの台詞を言いながら。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも――――」
せんせいは、うちに置いてあった、フライ返しを片手に握って、エプロンをひるがえしながら、ふふっと妖しく笑みを浮かべると。
「わた―――――わたしは――――ふふ―――私は
…………燃え尽きたよ、あーちゃん…………真っ白に」
そう言って、言葉通り灰のように、玄関でへなへなとへたり込んでいた。
ちなみに、せんせい豆知識だけれど、変なこと口走ってる時は、大体限界が近い時だ。
私が高校生の頃も、よく残業で追い詰められてる時は、机に突っ伏したまま、あることないこと呟いていた。私と結婚するとかどうとか、口走ってたとことさえあったね。あの時はマジで、録音して言質とってやろうかと思ったけど。
というか、この人、自分が病人だって自覚あるのかな。急に環境が変わったのに、無理したら、そりゃあガタが来るのは当然だってのに。
私は軽く息を吐くと、そのままへたりこんだ先生の肩を抱いて、そっとお姫様抱っこの体勢になる。
相変わらず、というか、なんというか、女の私でも軽々と持ち上げられる程度に軽い。背も小さいし、腕に感じる身体の感触はあまりに薄くて、本当に筋肉がついているのかすら怪しいくらいだ。よくもまあ、こんな小さな身体で、あれやこれやと頑張れたものだけど。
そうやって、疲労で半分目を回しているせんせいを抱きかかえたまま、私はリビングの扉をそっと開いた。そして、その先で、丁寧にラップがされた、今日の夕食が目に入る。
約束通り、和風のハンバーグ……それに、ニンジンのグラッセやサラダまで。また無駄に手のかかる料理を選んじゃってさ。
喜べばいいのか、呆れればいいのかは、正直、半々ってとこだけど。
とりあえず、今はあなたに労いの言葉をかけるべきなのだろう。
「…………ありがと、せんせい」
なので、そう言いながら、腕の中のせんせいに軽く頬ずりすると。
あなたは、そっと指をピースにして微笑んでいた。
「ど……どやぁ」
指先が震えてなければ、もうちょっと締まってたんだけどね。
まあ、仕方ない、お説教は後にしときましょう。
そうして、お疲れのせんせいと一緒に、ゆっくりと夕ご飯を口にした。
久しぶりに食べたせんせいのハンバーグは、なんだか酷く、優しく懐かしい味がした。




