第4話 せんせいと一緒に眠る
「じゃ、電気消すよ」
そうせんせいに声をかけて、照明のスイッチを押す。
「う、うん…………」
ふっと光が途切れて、視界が暗色に染まる。後に残るのは、エアコンの音と、微かに布団が擦れる音だけ。
手探りで布団の中に潜り込むと、触れてこそいないけど、隣には確かにせんせいの気配がある。
身じろぐたびに布団が少し揺れて、どことなく落ち着いてない呼吸の音が耳元でする。ほんの少し手を隣に伸ばせば、その指先に触れられるけど、昨日の今日でさすがにそれは怖がらせちゃうかな。
だから、ふぅっと軽く息を吐くと、私は出来るだけ身体から力を抜く。微かに震える動悸を、そっと抑えるように。
「おやすみ、せんせい」
呟くようにそう口を開くと、せんせいの気配が微かに動いた。それだけで、触れ合ってもいないのに、わずかだけどせんせいの体温が伝わってくる。
その温もりを感じるだけで、反射的に眠くなってくるのは、あの国語準備室での教育の賜物かな。
そうやって、軽く欠伸を噛み殺していると、隣でせんせいがおずおずと口を開く気配がした。
「うん…………おやすみ、あーちゃん」
せんせいの声は、どことなく緊張しているのか、少しか細かった。
気のせいかなと思って、少し様子を窺うけれど、隣では相変わらず少し、もじもじするような衣擦れの音がする。
手でも握ってあげたら落ち着くだろうか…………いや、昨日のことを考えたら、むしろ動揺させるだけかもしれない。
だから少し動きかけた指先をそっと抑えて、なんでもないふりをする。
ただ、肝心のせんせいは、どことなくもじもじと動く音が鳴りやまない。
………………。
しばらく待っても、なんとなく居心地が悪そうなのは、まあさすがに気のせいじゃないんだろうね。
「…………どーしたの、せんせい、やっぱ落ち着かない?」
囁くような声で、そう尋ねると、せんせいが動く気配は静かに止んだ。そうして、少し考えるような、沈黙が僅かに流れる。
「………………ううん、大丈夫、気にしないで。…………最近、あんまり寝つきがよくないだけだから」
そう言って呟くせんせいの声は、か細くて弱弱しくて、なんだか少し不思議な感じがする。学生の頃、ずっと私を導いてくれていた時には、聞けなかった声だからだろうか。
「…………そっか、不眠症……的な?」
私がそう尋ねると、すっすと布が擦れる音がする。暗闇の中なのに、首を横に振っているんだろう。せんせいは、電話で謝っても、頭を下げちゃうようなタイプだったし。
「ううん…………そんな大したのじゃないの、お医者さんにお薬は貰ってるけど、そこまでキツイやつでもないし…………」
話を聞きながら、だけど肝心の私の頭を、少し眠気でぼーっとし始めてる。せんせいの声を聴くと、どうしても、こうなっちゃうんだよなあ。
軽く頭を振って、意識を会話に留めながら、私はふーんと相槌を打つ。
「ちなみにせんせいが、『大したことじゃないよ』って言ってる時は、大体そこそこ困ってる時だよ」
初めて会った時も、確かそうじゃなかったっけ。自分の体重の半分くらいある資料集の山を、独りで必死に台車に乗せようとしてて。あの時も、大したことないって笑ってたけど、せんせいの膝も確か笑ってた。
「むぐ………………」
案の定、言い訳に詰まって、せんせいの言葉が止まる。仕方ないなあこの人は、なんて想いながら、私はとんとんと布団を少し指で叩いた。
「せんせい、手ぇ、出して」
いい加減、眠気がピークになってきて、意識もだいぶあやふやだ。だから、この判断が、正しいのかは正直あんま自信がないけど。
「え…………えと」
「大丈夫、やらしいことはしないから」
少し逡巡したせんせいに、あらかじめ釘は差しておく。うぐっと呻く声が聞こえるから、案の定、変なこと考えてたのかな。まあ、昨日、変なことしたのは私だから、別に責めはしないけどさ。
「………………出したよ?」
そうして、おっかなびっくりと言った感じで、私の丁度目の前のあたりに衣擦れの音がした。私はそこに指を伸ばして、そこにある先生の手のひらを、そっと握った。
「………………つめた、そりゃ、寝れないよ。せんせい」
さっきお風呂入ったばっかりで、夏だって言うのに、せんせいの手はまるで凍えているみたいに冷たい。不思議だなあなんて、想いながら、その小さくて柔らかい手を解すように撫でていく。
「あーちゃん…………?」
せんせいは、そんな私に不思議そうに声をかけた。暗闇でも首を傾げてるんだろうなって言うのが、よくわかる。
「ほら、手先が冷たいと、眠れないって言うでしょ。だから、ちょっと温めてあげてるの………………」
そういう自分の声が、少し覚束なくなってきてる気がする。ああ、だめだ、せんせいの手を触ると余計に気が緩む。
「……………………」
「せんせいもさ…………昔、私が寝れない時、手…………握ってくれたでしょ?」
あれは…………国語準備室だっけ、保健室だっけ。どっちもだっけ。上手く想いだせない。ちづるが一緒に居たような、居なかったような気もするけれど。
「………………」
「だから…………おかえし。私もあの時…………これで………………」
意識が薄いベールを掛けたように、ゆっくりと覆われていく。
瞼が自然と落ち始めて、せんせいの気配が少し遠くなる。
だけど、指先の少し冷たくて柔らかい感触は、どうしてか残ったままで。
頬を、そっと何かになぞられたような気がするのは。
私が、何度なくその光景を夢に見ていたからかな。
ほんとのとこは、もう、わからないけど。
「おやすみ、あーちゃん…………」
「おやすみ………………せんせい」
そんな言葉を最後に。
私の意識は静かに、眠りの底へと落ちていった。
あなたの手を、ただ握ったまま。
「………相変わらずだね、あーちゃんは」
※
「ねえ、あーちゃん、最近、クマ酷くない? ちゃんと寝れてる?」
「別に…………ちょっと夜更かししただけだし…………」
「ふーん、ちょっとってどのくらい?」
「………………」
「こら、あーちゃん」
「2………………」
「え、2時に寝たの? うーん、結構夜更かしだね…………」
「2時間くらいは寝たし…………」
「………………」
「なに…………その顔」
「文字通り絶句してる顔だよ、あーちゃん。…………はあ、どーしたの、眠れなかったの?」
「………………」
「………………あーちゃん?」
「…………別に、よくあるでしょ。考え事したり、変なこと想いだしたり。そういうの、せんせいはないの?」
「…………なるほど。…………まあ、確かに私もあるかも」
「………………」
「ぐるぐる考えちゃってさ、なんであんなことしたんだろとか、嫌な人の言葉ずっと頭に残ったりとか、それに怒ったり悲しんだり……キリなんてないんだけどね」
「………………」
「反省会みたいなのを、独りで開いちゃったりとか、どうしても眠れない夜がきちゃったりして。…………確かに、そういうのは私もあるかも」
「……………………わかるんなら、ほっといてよ。どうしようもないんだし」
「…………そうだねえ、とりあえず、はいこれ」
「………………なに? カフェオレ?」
「お昼寝前に飲んどくと、眠気が残りにくいんだって、後はこれ。私物で申し訳ないけど」
「…………ブランケット? え、なに、今寝ろって言ってんの?」
「うん、どうせお昼休み終わるまで、何もすることないでしょ? じゃあ、30分だけでも寝ちゃいなよ。それだけでも、少しは楽になるからさ」
「…………私、人が見てるとこで寝られないタチなんだけど」
「はいはい、御託はいいから、眼を閉じてるだけでも楽になるから、ね? あ、そうだ、手、握ってあげよっか?」
「…………いらなーい、はあ、ほんっと、おせっかい教師」
「よし、そこまで言うなら、お望み通りせんせいが手を握ってあげよう。仕方ないなー、あーちゃんはツンデレだからなあー」
「ほんと、いーから、そういうの…………」
「ついでにおててもマッサージしてあげよっか? せんせいが手をこうにぎにぎしてあげよう」
「なんか、やらしー………………ていうか、マジで私、人前で寝れないよ?」
「いいから、いいから。ほら、あーちゃん、目、閉じて?」
「………………」
「静かな場所で、じっとしてたらね、人間勝手に眠くなるんだよ。手を握ってたりすると、余計にね」
「…………………………もうわかったから、静かにしてて」
「ふふ、はーい、せんせいはお口にチャックしておきまーす」
「……………………はあ」
「……………………」
「……………………ねえ、せんせい」
「……………………なぁに、あーちゃん」
「……………………」
「…………ふふ、おやすみ、あーちゃん」




