聖の下知
人同士が争う光景を見ると妙に興奮してしまう。俺自身は争いごとは嫌いなので極力そういった事態にならないようにしているが、今日のように不可抗力で見てしまうことはある。他人事なのだがそれを見て興奮するのは、動物としての本能のようなものがあるのだろうか、まあ、基本は君子危うきに近寄らずで生きている。
それにしても舞蘭は何を考えて行動しているのだろうか、夜の散歩にしても唐突に言いだすし、黄金壮の親父さんを追いかけることにも驚いた。何も考え無しに動いているとは思えない。彼女なりの緻密な作戦の上なのだろうか。いずれにしても天才児なのだから、なんらかの意図はあるのだろう。
宿で布団に入ってあれこれ考えていると、すぐに眠気が訪れた。さすがに昨晩は船の中だったし、あの2等船室だ。あまり眠れていない。
夢も見ないで寝ていた。そして明け方になって目が覚めた。
時間を確認すると5時半だった。はて、どうして目覚めたのかと耳を澄ますと、何やら下の方が騒がしい。人の声が聞こえる。宿の厨房の音なのだろうか、それにしても騒がしい気がする。
突然、扉が叩かれた。舞蘭のようだ。俺を呼んでいる。
宿の浴衣のまま顔を出すと江南と舞蘭がいた。二人の顔を見ると何やら様子が変だ。
「何かありましたか?」
舞蘭が俺を指しながら言う。
「寝ている場合じゃないぞ。事件が起きたようだ」
「事件……」
「こちらの宿のお父様に何かあったようなのです」
「え……」
ようやく少しだけ頭が働きだした。お父様と言うと昨晩の侠客だ。あのおやじに何か起きたのだろうか。
「とにかく行くぞ」
舞蘭が俺を引っ張るようにする。
「あ、俺、浴衣だから」
「そんなことは、どうでもいい」
結局、浴衣のまま、舞蘭に引きづられるように俺も行く羽目になる。
親父さんの家はそう遠くないという話だった。舞蘭たちは場所がわかっているようで、そのまま連れていかれる。黄金壮から数十メートル先に2階建ての一軒家があった。
家の前にはおかみさんと男性、おそらく旦那さんだろう、がいて、中の父親を呼んでいる。旦那さんが何度か扉を開けようとするが、鍵が掛かっているのか開きそうにない。
「どうしました?」俺が聞くと旦那さんが答えた。
「おやっさんが出てこないんだ」
青ざめた顔でおかみさんも言う。
「いつもは鍵なんか掛けないんだけど、呼んでも出てこないし、どうも変なんだよね」
「いないんじゃないですか?」
二人とも首を振る。
「それはない。いるはずだ。昨日帰っていったもの」
家はどこにでもある普通の民家だ。しっかりとした玄関の扉があり、確認の意味で旦那さんがもう一度ドアノブを回すがやはり開かない。
「鍵はないんですか?」
「おやっさんが持ってるだけだ」
舞蘭が俺に指示する。
「長谷川、どこか入れるところは無いか、家の周りを探してみろ」
おかみさんたちも異存はないようだ。俺は家の脇から入って行く。
家の周囲には塀があって、幅1mぐらいの壁伝いを歩いていく。
家には小窓はあれど、人が入れるようなものはない。さらにその窓は摺りガラスで中は見えない。
裏に出るとバトミントンコートぐらいの庭があった。そこには樹木も生えていたが、あまり手入れされていないようだ。花壇らしきものの残骸はあるが、雑草が生えっぱなしになっていた。
そして家の方を見てぎょっとした。
庭に向かってガラス戸が、幅5mぐらいであるのだが、それに真っ赤な血のようなものがついていた。ガラス面に赤い血の跡がちりばめられていた。
俺と一緒にきた旦那さんも目をむいている。さらに後から来たおかみさんが悲鳴をあげた。
「け、警察を……」俺はそう言って思い出した。ここに警察はいないのだ。
「所長を呼んでくる」
旦那さんがそう言って走っていく。
俺はガラス戸を開けようとするが、ここにも鍵がかかっているようだ。まったく開く気配がない。外から見るとクレセント錠がしっかりとかかっていた。
江南を先頭に舞蘭もやって来た。
「舞蘭は見ないほうがいい」
そう言ったがもう遅い。舞蘭は目を爛々と光らせて現場を見ていた。
「現場保全が優先だが、そうも言っていられないな。長谷川、窓を壊すしかない」
「え、いいのか」
「仕方ないです。中がどうなってるかわかりませんから、もしけがをしているなら助けないと」江南も追従する。
「わ、わかりました」
すると舞蘭がどこからか大きめのブロックを持ってきた。
「これでガラスを割れ」
半信半疑だが確かに急を要するかもしれない。俺はそのブロックを掴んで、クレセント錠がある辺りのガラス窓を叩く。
ガッシャーンと大きな音がしてガラス戸が割れた。
俺は割れた隙間から手を入れてクレセント錠を回す。ガラス戸を開けて家の中に入ると一瞬で何が起きたかわかった。むっとする血の匂いだ。
入った最初の部屋は居間らしかったが、畳一面に血の跡があった。ここが犯行現場なのだろう。
そして隣の部屋を見た。
そこには血まみれの侠客がいた。がっくりとうなだれて壁伝いに座り込んでいた。
舞蘭たちも後ろから来ていた。
「長谷川、息はあるか?」
「ちょっと待って」
俺は現場保全を無視して駆け寄る。
親父さんは少しだけだが、まだ息をしていた。いわゆる虫の息と言うやつだ。
「まだ、息があります」
舞蘭の後ろにいたおかみさんが叫んだ。
「先生を呼びます」
携帯で医者を呼ぶみたいだ。
俺は親父さんに呼びかける。
「大丈夫ですか?頑張ってください。今、先生を呼んでいます」
かすかに目を開けたように見えた。そして気のせいかもしれないが、少し笑った気がした。
俺は周囲を見る。8畳の居間も和室で、ここも6畳の和室だ。
この部屋には大きな血だまりは無いので、先ほどの居間が殺害現場なのだろう、血しぶきが窓ガラスに飛んだことからもそう思える。親父さんは浴衣を着ており、おそらく就寝の用意をしていたのだろう。腹部周辺から出血の跡があり、浴衣が真っ赤に染まっていた。腹を刺されたように見える。
家の中をうろうろしていた舞蘭が戻ってきた。
「長谷川、凶器がないな」
「犯人が持って行ったんですかね」
「そうかもしれないが、それとこの家から出るには玄関からしかないことになる。2階の窓も閉まってたし、一階の他の窓も桟が入って鍵がかかっていた。ここから出る方法はそれしかない」
「2階に人はいなかったのか?」
「もちろんだ。二部屋あったが、どこにも人はいなかったな」
「じゃあ、犯人は鍵を持っている人間か……」
そこに所長が旦那さんと一緒に駆け付けた。
所長が目をむいている。
「ああ、湯治……」
親父さんの名前を呼んでそばに来た。
もう親父さんに反応がなくなっていた。すでに息もしていないようだ。
所長は目をつぶると首を振った。
外から原付バイクの音がして、誰かが来る。
庭先に男が現れた。おかみさんがその人を見て言う。
「先生、おやっさんが……」
ポロシャツにジーパンで眼鏡を掛けた、先生と呼ばれた男がおやっさんに駆け寄ってくる。
「中村さん、中村さん」
呼びかけるが反応がない。
鼓動と呼吸を確認したのち、おやっさんを寝かせると心臓マッサージを始める。
強く胸のあたりを何度も押す。それを何度も繰り返していく。先生は数分間、蘇生を試みるがついに諦め、首を振った。
「残念です」
おかみさんと旦那さんが首を垂れた。
空気を読めない舞蘭がおかみさんたちに質問する。
「この家の鍵を持っている人間は、親父さんの他に誰がいる?」
おかみさんが茫然と答える。
「鍵ですか……」
「そうだ。鍵が無ければ閉められないだろ」
旦那さんが首を振る。
「鍵はおやっさんしか持ってない。それとおやっさんは鍵を掛けないんだ。いつも開きっぱなしだ」
所長がフォローする。
「島の人間はまず鍵を掛けません。盗むやつはいないし、万一そんなことになっても誰がやったかすぐわかるから」
「でも鍵が掛かっていた」
「だから変なんだよ」
「じゃあ、鍵はどこにある?」
親父さんとおかみさんは顔を見合わせる。
「いや、どこだろう」
すると玄関のほうから江南がやってきた。少し青ざめている。
「舞蘭ちゃん、おかしいよ。玄関は鍵だけじゃない」
「え?」
「チェーンロックされてる」
舞蘭が玄関まで走る。俺も一緒に行ってみる。
玄関はチェーンロックがされていた。
「ま、まさか」
舞蘭が悪魔の笑みを浮かべた。そして言い放つ。
「密室殺人」
血の付いた手を洗った先生が戻って来た。
俺は質問してみる。
「死因は何ですか?」
50歳ぐらいだろうか、日に焼けた精悍な印象の先生が答える。
「正確には警察の検視官が判断すると思いますが、腹部を鋭利な刃物で刺されています。それが致命傷だと思います」
「刃物……」
「ええ、刃渡り5㎝以上はあると思います」
5㎝以上となると大きなものだ。そんなものが無くなるわけがない。
俺は室内を再確認してみる。6畳間と居間を見るがそういったものはない。
先生が話す。
「はっきりとは言えませんが、居間で刺されたと思います。その際に刃物が抜かれて血が飛び散ったと思います」
俺はいよいよ気になって凶器を探そうとした。他の場所に血の跡は見られないのでこの辺りにあるはずなのだが、居間には荷物もなく、あればすぐにわかるはずなのだ。ただ、凶器はどこにも見当たらない。台所やトイレ、押入れと、ついには2階にも上がって探してみるが何も見つからなかった。
再び居間に戻るとそこに舞蘭がいた。
にやりと笑って言った。
「凶器は無いぞ」
「そんな馬鹿な」
すると庭の方から叫び声が聞こえた。
みんなが庭に出る。
青い顔で所長が木々の間を指さしている。
「ここに刃物があります」
所長が指さす先に血まみれの大型ナイフが落ちていた。間違いなく凶器だ。
そう思って気が付いた。どういうことだ。ありえないだろう。どうやって犯人は家から出たんだ。そして凶器を捨てたんだ。
「隠し出口があるのかもしれない」
俺は外側から家の周りを調べようとする。
そんな俺をあざけるような笑みを浮かべた舞蘭が何か歌っていた。
こんな時に何を歌ってるんだ。そしてそれに気づく。
黄金など 見つくるな
這ひ出るな 剥ぎとるな
聖の下知は そのままに
銀の刃の 光る時
赤き血潮は 金ならず
変はらぬぞ 変はらぬぞ
這ひ出るな
幸を刈り取れ
舞蘭は島唄を歌っていた。




