鹿児島空港
鹿児島とはいえ、3月の気候だと海を渡る夜風は肌寒い。
さて吐き気も収まってきたし、いつまでも船のデッキにいても仕方が無い。明日もあることだし船室に戻るか。
「長谷川さん?」
声がして振り返る。脈拍が異常に上がる。
「ああ、ど、どうも」
「眠れないんですか?」
「いえ、ちょっと吐き気を催してしまって」
何という美女だろう、先ほど鹿児島空港で初めて会った時は信じられなかった。
この世にこれほどの美が存在しているとは。俺もそれほどの人生経験があるわけではないが、これまで見たこともない美しさだ。
芸能人やミスコン優勝者などには、かろうじて会ったことがあるが、間違いなくそれ以上のルックスだ。よく100年に一人だの1000年に一人だの、全部見たのかよ。と言いたくなるような言われ方をする美女もいるが、彼女はまさにそういった表現が適格だと思える。スタイルもよく、透き通るような青みがかった目が、どこか日本人離れした印象を漂わせる。
江南明。職業はマネージャー兼カメラマンだと言っていた。今回の舞蘭の同行者だ。
「大丈夫ですか?」
「はい、夜風に当って少しはよくなりました。江南さんはどうされました?」
「ちょっと眠れないもので……」
俺は絶世の美女に聞いてみる。これは取材の一環でもあるのだ。けっしてナンパしているわけではない。
「江南さんはハーフですか?」
「ああ、よく言われます。でも純粋な日本人なんです」
そうなのか、でも目などは青みがかってる気もする。
「ああ、そうですか」
「ええ、実は両親は私が幼い頃に事故で他界してしまって、里親に育てられたんです。だから本当の両親についてはよくわかっていません。ただ、施設の人間からは両親は日本人だと聞いていました」
「そうですか、失礼なことを聞いてすいません」
「いいえ、よく言われることですから……」
頬にえくぼが浮かんで、さりげない笑顔はさらに美しさを増す。
俺は船室に戻りますとお辞儀をして、早々に船内に引き上げる。まともな男であれば、気の利いたことを言って、もっと知り合いになるためのきっかけ作りに励むのだろうが、俺には到底無理な話だ。生来の人見知りもあり、男性相手でも尻込みをするぐらいだ。
2等船室の自分の居場所に戻る。ここは床に直寝する方式だ。寝袋一つ分のスペースが自分の場所というわけだ。
漁港のマグロよろしく、人間が並んで横になっている。薄暗い船内に誰かのいびきがしており、何かのすえた匂いが充満している。最悪の環境なのだが、仕方が無い。取材費用は極力抑えたいのが、出版社の方針らしい。俺にルポライターを依頼したのもそんな思惑だろう。俺の原稿料は格安のバーゲンセールだ。
カーペットの上で雑魚寝し、申し訳程度の毛布を掛ける。
ちなみに舞蘭と江南嬢は個室の特等船室である。カタログで見たがどこかのホテルを思わせる室内のようだった。待遇に差があるのは仕方が無いのだろうが、そこまで差をつけるか、副編への怒りが少しだけこみあげる。
無理に目をつぶって寝ようとする。
……やはり眠れない。先ほどの出来事を反芻してみる。
それにしても鹿児島空港で待ち合わせした時は驚いた。
副編から鹿児島空港の1階出口にある『おやっとさぁ』という足湯が待ち合わせ場所だった。空港前に鯉でも泳いでいそうな長細い池のような足湯があった。
基本は年配の旅行者がその足湯に浸かっているようなところだ。ちなみにおやっとさぁとはお疲れ様という意味の鹿児島弁だそうだ。
俺は待ち合わせなので足湯につかるようなこともせず、茫然と待つ。乗りなれないLLCの機内で緊張したためか眠れずに思わず欠伸が出た。
すると空港出口から一目でそれとわかる、ずんぐりむっくりした子供が現れた。なるほどあれは舞蘭だ。写真で見るよりも太ってるんじゃないか?
そしてその後ろを歩く女性を見て息が止まった。
身長は舞蘭の倍はあろうかという長身で、あきらかに周囲の視線を独り占めしている。モデル体型でスタイルは抜群、さらにありえないほどの美形である。舞蘭が近くにいるので余計にそう見えるのかもしれない。子豚を連れた美女が散歩をしている図だ。
舞蘭は俺に気付いたのか、どんどん迫ってくる。
手前まで来て俺をじっと見る。
「長谷川真治か?」
「はい、そうです。初めまして」俺は精一杯の笑顔で答える。
「そのいやらしい目はダメだぞ。お前の考えが一発でわかる」
「な、何を……」
そして美女が後から来た。
「長谷川さんですね。マネージャーの江南と申します。よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ、よろしく」
舞蘭はそんな俺の様子を実験動物でも見るような、実に冷ややかな目で観察している。扱いにくい餓鬼だ。
舞蘭が江南に指示する。
「お腹が空いた。どこかでご飯にしよう」
「はい、お店を予約しています」
フェリーは23時に出港するので、まだ時間は十分ある。俺は江南が予約した店に同行する。空港から歩いて数分の鶏肉専門店だった。
チキン南蛮は宮崎が有名だが、鹿児島にも美味しい店がある。俺はチキン南蛮定食を頼んだ。ちなみに夕食代は取材費で落ちる。舞蘭は特別定食に鶏のたたきを追加していた。
料理を注文したタイミングで江南が口火を切る。
「それでは自己紹介といきましょうか」
俺はうなずく。
「舞蘭ちゃんは詳細を確認したいでしょうから、それは後程じっくりといきましょう。ではまずは私から」
俺の興味津々の目つきを舞蘭が科学者目線で捉えている。俺は実験動物か。
「江南明と申します。舞蘭ちゃんのマネージャーになって1カ月ぐらいです。元々カメラマンをやっていました。事務所にはカメラマンで入社したんですが、それだけだと仕事も少ないのでマネージャー業務も兼務しています。今回もカメラマン兼任です。出身は東京になります。私についてはまあ、それぐらいですかね」
「歳は25歳だぞ」舞蘭が俺を見て言う。
「ええ、そうです。長谷川さんも同じぐらいですよね」
「はい、俺も25歳です」
「お前は小説家だと聞いたぞ。どんなのを書いてるんだ」
「はい、ミステリーを少し……」
「何だ?その少しと言うのは?」
「ああ、つまりは全然売れなかったので、大したことは無いという意味です」
「ふむ。それは仕方がないな。才能というやつは万人に与えられるものじゃないからな」
なんということを言うのか、辛らつだが的を得ている。
「では長谷川さんの自己紹介を」江南が急かすように言う。
「はい、長谷川真治と言います。基本は小説を書いていますが、ルポライターもやっています。今回のような現地取材は初めてですが、なんとかいい記事を書きたいと思っています」
「長谷川さんは埋蔵金に関して知識がおありだと聞いています」
「いや、知識と言いますか、それに関する本を書いたことがあって、それで今回抜擢されたようです」
「どんな本を書いたんだ?」
舞蘭は実に答えにくい質問をする。
「いや、デビュー作が埋蔵金がらみのミステリーだったんです。日本にある三大埋蔵金の謎を解くと言った内容でして、自分なりの解釈を盛り込んでみたんです」
「ふーん」
「長谷川さんは今回の埋蔵金について、何かお考えはありますか?」
「いえ、まだ未知数です。ただ、あの島唄に関してはちょっと薄気味悪い感じはしています」
すると舞蘭が不思議な笑みを浮かべた。
「確かに不思議な唄ですよね」
「ええ、不気味です」
江南が気を取り直すように舞蘭の紹介に移る。
「それでは舞蘭ちゃんの紹介をしますね。お渡しした資料で、ある程度はご存じかと思いますが、捕捉します。名前は守須舞蘭さん、11歳です。ギフテッドと言うことですが、彼女の場合は遅咲きのパターンになります。ギフテッドと言うと早熟で早い段階から語学能力が高かったり、特殊な能力があるといったことを思い浮かべるかもしれませんが、彼女が実力を発揮しだしたのは8歳ごろからです。それまでは自分の考えを言語化できなかったと言ったことかもしれませんが、以降はその才能を遺憾なく発揮します」
舞蘭が補足する。
「アインシュタインも幼少時は普通だったと言われているが、彼も考え込むタイプだったらしいな。私もその傾向があった。どうも自分が周りと違っている気はしていた。それをどういう風に具現化するのかが難しかった」
「才能が開花してからはすさまじいものがありました。彼女の得意分野は数学です。相対性理論や量子力学もすでにマスターしています。その上で微細構造定数に関して新たな理論を導き出しました。大学ではその論文も発表しています」
俺の頭の上に大きなクエスチョンマークが出ているのに気づいた舞蘭が話す。
「難しい話をしても仕方が無い。私もミステリーは好きだよ。有名どころはあらかた読んだかな」
「日本のミステリーも読んだの?」
「そうだな。それも有名どころだけだな」
「舞蘭ちゃんは謙遜してますが、速読というんですか、彼女の場合は視読ですね。300ページを5分で読解します。おそらく相当数の本を読んでいるはずですよ」
なんという能力だろう。俺なんか5分で1ページという時もある。
本当は舞蘭のプライベートな話も聞いてみたいと思っていた。両親は離婚したそうだが、その原因はとか、どちらかが浮気でもしたのか、それは修羅場だったのかとか、それと母親の職業は、などだが、まあ、いきなりそういった話はまずいだろうと思い、差しさわりのないことを聞いてみる。
「今、学校はどうなってるの?」
「スタンフォード大学の卒業資格はあるのだが、日本だと意味がないらしい。日本に飛び級といった制度も無いしな。それでそういうギフテッドを研究している千葉工芸大学に籍を置いている。いまさら、ランドセル背負って小学生でもないしな」
容貌や体形は小学生そのものなのだが、先ほどから物言いは中年女性と変わらない気がする。それぐらい落ち着いている。
「お母さんは何をしてるの?」
「母は芸術家だ。洋画も描いている。一応、日本に籍はあるが世界中を飛び回ってるよ」
「守須弥生先生をご存じないですか?洋画家でもあるし、いわゆる現代芸術家ですね。世界的に有名な方です」
「ああ、なるほど」
知ったかぶりをしてみる。ただ舞蘭の目が怖い。
そうこうして料理が出てきた。
舞蘭が勢いよく食べ始める。食べてる姿は単なる子供だ。口の周りをチキン南蛮のマヨネーズだらけにして、俺に聞く。
「長谷川は作家業はどうなんだ?儲かってるのか?」
「まさか、作家じゃあ食べられないので、バイトが本業かもしれないな。こういったルポもやることにしてる」
「そうか、かつかつの生活なんだな」
まさにそのとおりなのだが、子供に言われるとつらいものがある。
「ミステリー作家として、あの島唄をどう思った?」
「なんか、不気味だとは思ったな」
「それだけか?」
「それだけとは?」
「あれは呪いの唄だよ。いや、呪いと言うか復讐の唄だな」
「復讐……」
「そういうことだ。ふふふ、何かが起きそうだな……」
口の周りをマヨネーズだらけにした舞蘭が、得も言われぬ笑みを浮かべた。
そしてその顔が徐々に恐ろしい悪魔の顔に変わっていく。いったいどういうことだ。彼女は悪魔なのか、俺は恐怖で固まる。
はっとして目が覚めた。
『まもなく当船は最初の到着地、美之島に到着します。お降りの方はご準備をお願いします』
船内放送が聞こえて現実に戻された。ぼんやりとして少しだけ寝入ってしまったようだ。
このフェリーはトカラ列島の各島を経由して運行されている。目的の神照島には11時に着く予定だ。




