診療所
インストラクターの鵜飼が、診療所の槇原先生に電話をしてから車で行く。
くらげに刺された箇所は水で洗ったりせずに、そのままにするように言われ、俺はウェットスーツを脱いで服だけ着ると、びしょ濡れのまま運ばれる。
顔の痛みはどんどん増して、さらに熱を帯びてくる。やけどをしたような痛みだ。舞蘭ではないが本当に死ぬのではないかとも思った。隣で運転している鵜飼は慣れっこのようで、大丈夫ですよと半笑いだった。
診療所は前頭港の山側の民家の端と言ったところにあった。
平屋で木製の壁が白く塗られた、いかにも診療所といった建物だった。
昨日、殺害現場で会った精悍な印象の槇原先生は俺を見て笑顔だった。
「いやあ、見事に刺されたね」
その頃には腫れもひどくなって、ミミズ腫れになっていた。
先生は看護士、と言っても見た目は単なるお婆さんに食塩水を依頼する。
「水で洗うのはよくないんだ。残った針が水に反応して悪さするからね。海水がいい。刺されたのはアンドンクラゲだよね。けっこう毒性もあって心臓や神経にも悪さするんだよ。海中だったら、それこそおぼれてたかもしれないね。運が良かったよ」
まじか、舞蘭の言うことにも一理あったのか。先生はピンセットで傷口に残ったとげのようなものを丁寧に取っていく。
「大丈夫だな。それほどひどくない」
ちょうどその頃、舞蘭たちが到着した。がやがやと診療所に入ってくる。
「大勢来たな」先生は笑いながら迎える。
「長谷川、どうだ?」
舞蘭はそう言いながら、俺の顔の腫れ具合をうれしそうに見ている。
「死にそうに痛いです」
「アンドンクラゲでまだ良かったぞ。カツオノエボシだったらもっとひどいことになった」
先生は治療しながら、舞蘭の言うことにうなずく。
「そうだよ。クラゲもけっこう怖いんだ。それと同じクラゲに2回刺されるとアナフェラキーショックがひどくなるから、これからは気を付けたほうがいい」
「鵜飼さん教えてくださいよ」俺はインストラクターの鵜飼に文句を言う。
「悪かったよ。でも顔を刺されるとは驚いたよ」
そうなのだ。俺がとろいのもあるが、どう考えてもあの時、舞蘭はクラゲをよく見るように指示していた。それで顔を近づけたのだ。まあ、アンドンクラゲなど見たこともないから、あんな行動を取った俺も馬鹿なんだが、ひょっとすると舞蘭は俺を陥れようとしていたのかもしれない。増々悪魔にしか見えない。
看護士のお婆さんが食塩水を持ってきた。先生はそれで傷口を洗う。うう、傷が染みる。
その後、聴診器で心拍と呼吸を確認し、看護師に軟膏を塗るように指示していた。
舞蘭が診療所内をうろうろしている。
槇原がそんな舞蘭に話をする。
「面白い物でもあるかい?」
舞蘭は壁の写真を見ていた。壁には額に入った記念写真のようなものがあった。
「これはいつ頃の写真ですか?アフリカかな?」
記念写真は白衣を着た医師が数人と、現地の黒人がそのまわりにいるものだった。背景にはサバンナのような森林があった。
「ほー、よくわかったね。それはウガンダだ。もう20年以上前になる」
「国境なき医師団ですか?MSFのロゴマークがある」
槇原は驚く。写真はその医師団の記念写真の様だった。
「すごいな。よくわかったね」
江南が話す。
「彼女はギフテッドなんです。一度覚えた情報は忘れません」
「いや、それにしてもマークでそうだと分かるんだから、すごい」
国境なき医師団については聞いたことがある。確か紛争地帯や医師の少ない国で医療活動を行うフランスかどこかの団体だと思った。俺は質問してみる。
「先生はいつこちらに来られたんですか?元々島の人間だったんですか?」
「いや、僕は内地から来た人間だよ。こちらに医師がいないということで、来たのは15年まえぐらいかな」
看護士に確認する。俺の顔に軟膏を塗りたくっている看護師が答える。
「ええ、そうです。前の先生が高齢で手元が狂うっていうんで募集したんです。そしたらちょうど先生が来てくれて、ほんとに助かりました」
なるほど島にとって医師は必要だ。僻地の無医村地帯の話は聞いたことがある。それに比べるとここは幸運だ。
「島だけだと患者数も限られませんか?」俺が質問する。
「そうだね。でも近くの島にも出張するし、学校も見てるんだ」
「学校?」
「そう、教員免許も持ってるんで、教師もやってる」
マルチに働いてるのか、やるな。俺も教員免許を持ってればよかったかな。俺の考えがわかったのか、舞蘭がにやついて俺を見ている。いや、やっぱりやめた。こんな子供の相手はまっぴらだ。
「でも島には高齢者も多いから、それなりに仕事はあるよ」
看護士が俺の顔に保冷剤を当てながら言う。
「島の全員が先生の患者ですよ。暇つぶしに診療所に来てる人もいるから」
槇原が苦笑いする。
江南が聞く。
「先生はおいくつなんですか?お若く見えます」
「いや、美人にそう言われると光栄だな。若く見えても、もう55歳なんですよ」
マジか40歳代に見える。精悍な顔立ちだからそう見えるのか、男も美形は得だな。
待合室が騒がしくなってきた。本当に患者は多そうだ。
「痛み止めと抗ヒスタミン薬を出しときますね」
舞蘭が真剣な顔で聞く。
「実は長谷川は、明日もスキューバしないとライセンスが取れないんだ。だめかな?」
わお、マジで言ってるのか、無理に決まってるだろ、こんなに痛いのに。
「いや、いくらなんでも明日は止めた方が良いよ。明後日ぐらいが限界だな」
「そうか、残念だな」
全然、残念じゃないぞ。
治療も終わり、薬をもらって診療所を後にする。
ここから黄金壮までは歩ける距離なので3人で歩く。
なんとなく江南が沈んでいた。考え事をしているようだ。
「江南さん、どうかしましたか?」
心ここにあらずといった感じで江南が顔を上げる。
「あ、いえ……」そう言ってから独り言のように話す。「槇原先生ってどこかで見たことないですか?昔見た覚えがあるような気がするんです」
俺は考えてみる。けっこうなイケメンだし、誰かに似てる気はするが、見た覚えはない。
「どうですかね。見た覚えは無いです。医師団に参加していたと言ったから、テレビにでも出たのかもしれませんね」
「ああ、そうですかね」
舞蘭は生まれてないからわからないだろうな。彼女は俺たちの前を転げそうなスキップをしながら歩いていた。




