純情な恋心
午前十時を時計台の短針と長針が指し示す。
その真下にいる青年は、金髪を風に靡かせながら、スマホを片手で弄っており、周りの誰よりも一際目立っていた。
「…やっぱり、帰るか」
その様子を遠くから眺めている私、三浦海美は、朝から溜息しか吐いていない。
颯人くんの強引な話術により、今日は何故か彼と映画を観に行くという予定が立ってしまったのだが、異性と映画館に行くなんてイベントは初めてだ。
うじくんとは一緒に物件探しを巡ったが、そんな経験とは比にならないほど緊張と手汗が凄まじい。
そもそも、付き合っていない男女が仲良く映画館で映画を観ることすら、架空の出来事のように捉えていた私にとって、颯人くんとウフフアハハと笑いながら街中を歩けるのか?
歩けない。
間違いなく、無理だ。よし帰ろう。
「おい、海美」
「ぎゃっす!!」
「そこで何してんだ」
早速家に戻ろうと背を向けた私の肩を誰かが掴んだ。
深く被った帽子の唾を押さえながら、振り向いて顔を上げると、少し先で突っ立っていたはずの颯人くんが後ろから見下ろしていた。
「…あ…えっと、ま、迷っ…てて…?」
「ふうん。じゃあ行くぞ」
私の肩を掴んでいた颯人くんの手が滑り落ちたと思えば、こちらになんの断りもなく勝手に手を繋がれ、ゆっくりと彼の方に引っ張られる。
所謂、恋人がするような貝殻繋ぎではないが、まるで交際しているのかもしれないと錯覚させるくらい自然なまでに手を繋がれている。
…いいのか、私。
言うなれば、海の上に体を浮かばせ、流れるまま行き着いたこの展開を受け入れて、本当によかったのか。
大会を通じて、雹牙くんのことを信用できてないとか、恐怖心とかは全くない。
むしろ私と似た何かを感じ、同じ感情を重ねた覚えもあるが、それだけで距離は近づくものなのだろうか。
颯人くんは指にシルバーの指輪をつけているからか、分厚くてごつごつした、新鮮な感触がした。
「つーか、もうちょっと違う服はなかったのか?」
「え?」
「デートなんだから、バイトん時と同じ服装はどうなんだよ」
「デッ…!デート…の服とか、知らないし」
人の気も知らないで。
映画を一緒に観に行くという約束を強引に取り付けられてから、どんな顔していけばいいのか、どんな服を着ていけばいいのか、どんな髪型しようとか、でもそんなに気合い入れたら私が颯人くんに好意を向けられて喜んでいるとか思われそうとか。
初めて異性と正式なデートを申し出られた私にとって、悩むにはとても脳のキャパシティが足りず、結局いつものパーカーとスキニーになった経緯があった。
それにしても、この男は何故こうも慣れている?
実は遊び人で、女なら誰でも誑かし、自分の支配下に置いているとか?
…それなら自分がVTuberという職業を隠した上で関わりを持った方が、都合は良いだろう。
海月のひめの生みの親である麻倉ちゃんは、かなりのミーハーで、VTuber界隈の噂やゴシックネタをすぐにリサーチし、私と通話している時も興奮気味で話してくるが、彼女からも氷柱雹牙の悪評は耳にしたことがない。
考えても考えても、彼のことが分からない。
「次、また俺と出かける時に着てこいよ。好きな服選んでいいから」
考え事をしている間に、二十代の若い女性の中で流行っているブランド店の前まで歩いてきたらしい。
「次!?」
「驚くことか?今日だけで俺と付き合う気になったのか?」
この時、私は完全に思考を停止した。
「………あの、ちょっとお話しませんか」
私と颯人くんは場所を移し、近くのカフェの隅の席に案内してもらい、お互いホットキャラメルラテを注文し、やっと一息つくことができた。
颯人くんが私の分の料金まで払ってくれたことに引っ掛かる部分はあるが、それよりも話しておかなければいけないことがある。
「…なんだよ」
両耳につけたピアスを垂らして、静かにホットキャラメルラテを啜る彼。
「まず、うじく…ノワールとの話はどこで?」
未だコップに口をつけていない私は、ついに話を切り出した。
「二人であのネカフェから帰ってただろ?それを見て、後から気づいてノワールさんに聞いた」
なるほど、と私は納得する。
「そんな、簡単に…喋ったんだ…」
しかし、理解はできなかった。
私はうじくんとの関係を、例え同業者だったとしても他者に漏らすようなことはしない。
彼を特別だと思っていたからこそ、二人だけで大切に過ごしていくものだと。
…思っていたから。
愕然とする私の様子を見て、颯人くんは咳払いをする。
「えっと…、俺が責めたんだよ。ノワールさんを。過去の炎上の件もそうだが、女ばっかり追いかけて、真面目にこの仕事をするつもりがないやつは迷惑だって。練習試合の時に、俺がノワールさんにムカついてたのも同じ理由だから…。俺やのひ…海美や、他の奴らのことを想って話してくれたんだ」
「…そう、だったんだ…」
「だから…悪かったよ。勝手に詮索して」
颯人くんが語ってくれたありのままを聞き、ようやく腑に落ちた。
私が知っているうじくんの考え方そのもので、ほっと安心したと言った方が正しいかもしれない。
そうだ、彼はそういう人だと顔が綻ぶ。
「で、そこからどうして私がっ…その、颯人くんの…そういう対象になるわけ?」
「急に威勢いいな」
「そこもすごく気になるの!」
冷めてきたキャラメルラテを半分ほど飲み、改めて体勢を整えた。
「………わざわざ俺に言わせんのか」
じっと鋭い視線を向けられ、目を逸らしたくなる気持ちをぐっと堪える。
「納得できないことは、納得してから考えたいでしょ」
「…一理あるな」
そして、キャラメルラテを飲み干した颯人くんが、しばらく私から顔を逸らした後、溜息を吐いた。
「期待してるようなちゃんとした理由はねえよ」
「え?」
「ただ単なる、一目惚れみたいなもんだよ。…多分」
そう言った颯人くんの耳は赤く染まっており、嘘でも冗談でもない事実だと悟った。
「………そ、そうでしたか」
何度も残り少ないキャラメルラテを啜り、とんでもなく気まずくなってしまった空気から逃げる。
自分から問い詰めておいて何だが、好きだと言ってくれている相手から好きな理由を聞くという行為が、こんなにも羞恥心を煽られるものだと思っていなかったのだ。
私の顔が、好き…ってこと、だよね?
つまり、私が“海月のひめ”だと認識する前から、好意を寄せていた…?
「あーもう!いつまでここにいるつもりだよ!映画始まっちまうだろ!そろそろ出るぞ!」
「は、はい!」
既に空になったコップを置き、私の手を引くこともなく颯爽と店を出ていく颯人くんの後を、慌てて追いかけた。




