セパレート
「いやぁ、ほんっとうご迷惑おかけしました!」
深々と体を二つ折りにして、頭を下げる男。
「いえいえ…」
苦笑いを作りながら、両手を左右に振る私。
「…………」
無心でご飯を貪る彼。
通話が切れてから約十分後。
眼鏡をかけた茶髪の男が、額に汗を滲ませて息を切らしながらやって来た。
男は“高島”と名乗った。
スウェット姿にサンダルという服装を見るに、通話終了ボタンを押して、そのまま家を飛び出してきたに違いない。
恐らく、この男はノワール・シャーロックのマネージャーだ。
「ったく、心配させやがって」
高島さんは、彼を鋭い目つきで睨みつける。
「…うす」
「そのひと口で最後だ。あとは家に買って、ゆっくり話してもらうからな」
「…はい」
リスのように頬張りながら食べ物を詰め込む彼を見て、私はすっかり安心した。
高島さんは、私の方へ向き直ると、改めて一礼した。
「この度は、ご迷惑おかけして、本当に申し訳ございません。こちらの商品も、後ほど全額お支払いさせていただきます」
「あぁ…、ありがとうございます…」
形式的な会話を終えてから、高島さんと私は何故かじっと見つめ合っていた。
私は何度か瞬きをして、首を傾げる。
「それと、あの…これはもし、私の思い違いだったら、戯言として受け止めていただきたいのですが…」
先程に比べ、歯切れの悪い言葉を並べたかと思えば、眼鏡の奥の瞳孔が開いた。
「貴方は…“海月のひめ”さんですか?」
予想だにもしていない名前が男の口から飛び出て、私は思わず目を見開く。
…どうしてそのことを?
反射的に問い詰めたくなる声を飲み込んで、加速する心臓を宥めた。
私はこの世界で、VTuberの海月のひめだと誰かに話したことはない。
しかし、この高島という男は私のことを、同一人物だと判断できる材料があったということだ。
はい、と言うべきか、シラを切るべきか。
体温の上昇に逆らうように、冷や汗が全身を覆う。
そんな私の様子から、高島さんは何かを察し、後頭部に手を当てた。
「すみません…大丈夫です。突然変なことをお聞きして申し訳ございません」
「…いえ」
「こちらの事情で、今回の事態が外に出なければそれでいいんです。こんなご時世ですから」
後片付けをしている彼を横目に、高島さんは口角を上げて目を細める。
大手企業に所属しているVTuberのマネージャーと言えど、こんな真夜中にタレントを全力で守るという強い意思は尋常ではない。
いくら年収をもらえたとしても、過酷な激務だ。
彼らの立場や心情を考えると、私がVTuberの海月 のひめである必要があるのかもしれない。
「…おっしゃる通り、私はその、のひめです」
だけど、その事実を伝えたのは、私が私を守るためでもあるのだ。
「今回の件は、もちろん口外もしません。それはお互いにです。私には貴方たちのように守ってもらえるような会社はありません。ノワールさんと関わることは、私にとって活動のリスクです」
「………存じております」
「今後はこのようなことにならないよう、お願いします」
「はい」
「では…お帰りください」
その後、高島さんは私に商品代金を支払い、領収書を受け取って帰っていった。
帰り際には、高島さんは扉前でもう一度深く頭を下げ、隣の彼は私に何か言いたげな顔を残して、そのまま私たちの長い夜が明けた。




