交錯
数えきれないほど同じ業務をこなしてきた私にとって、体が勝手に次の動作に移ることが当たり前になっていた。
ノワール・シャーロックというVtuberの炎上を知って以来、あの常連客は一度もここへ訪れていない。
あれから、ノワールの彼女だと名乗る者が後を立たず、本当と嘘が入り混じり、情報は混沌を加速させている。
まさに現代のインターネットを象徴する出来事だ。
当の本人は文面にて活動休止を発表。
事実は語られることなく、ほとぼりが冷めたら復帰すると推測されるが、全てが元通りになるはずはない。
その理由は明確にありノワールが『ガチ恋を誘発させる活動方針をとっていたから』だ。
本人の意向か、企業の意向かは定かではないが、そういう活動者にとって、女性関係の問題は最悪のタブー。
どんなに誠実な対応をしようとも、風当たりの強さは避けようがない。
人前に顔を出せる状態じゃないか。
「いらっしゃいませー」
おしぼりやカトラリーを補充しながら、来店のサウンドにつられて顔を上げる。
ーーー嘘、来たじゃん。
思わず目を見開いてしまう。
あの常連客が、のそのそと店内を歩いていた。
先入観から、負のオーラを全身に纏っている気がする。というか見えた。
幼い子供を見守る親の気持ちが、今ならわかる。
目を離した途端、転んでしまうのではないかと不安になる、この親心。
我ながらお節介な感情の芽生えに、苦笑いを浮かべていると、ドタンと店内の奥で地面が震えるほどの大きな音がした。
驚きと同時に、音がした方へ駆け寄っていくと、商品が陳列されている棚から、人間の頭が床に落ちていることに気づく。
「どっ…どうかされまし…た…?」
それが常連客だと認識しできたのは、声をかけたあとだった。
だが、応答はない。
し、死んでる…!?
初めて人間が倒れている場面に遭遇したからか、一気に動悸が激しくなり、上手く呼吸ができない。
震える手で、なんとか彼の肩に触れると、ほんの僅かだが唸るような声がした。
「大丈夫ですか!?とにかくきゅ、救急車っ…救急車呼びますよ!?」
生きていることが確認でき、半ば錯乱状態でバックルームに置いてあるスマホを取りに行くために立ち上がろうとすると、弱々しい手が私の足を制止した。
「…あの…、俺の…スマホ…」
「へっ?」
床に着いたままの顔に、耳を近づける。
「俺の…上着のポケットに…スマホ…あるから、取って…」
脆い言葉を頼りに、遠慮なく彼のポケットからスマホを取り出し、目の前に差し出した。
彼はもう片方の手で画面を操作したあと、再びぐったりと全身の力を抜く。
スマホから流れ出したのは発信音だった。
三回ほどコールが鳴り、その音は止まった。
恐らく電話が繋がったのだろうが、彼は意識を失ってしまったのか、返答をする気配がない。
体を揺さぶるか、それとも叩き起すか、どれが正解なのか分からなかった。
だから、傍にあるスマホを手にして、耳元にそっと当てた。
《ノワール!ノワールどうした!返事しろ!ノワール!》
怒号にも似た通話越しの男の声に、思いきり肩が飛び上がる。
怖がりな心臓を宥め、私は声を発した。
「あ…あの、すみません。ノワールさん…今、話せる状況になくて…」
《…話せる状況にないって…、失礼ですが、貴方は?》
「コンビニの店員で…ノワールさん、その、生きてはいます。ただ、急に倒れ込んでしまって…救急車を呼びましょうか…?」
《コンビニ!?ごっ、ご迷惑おかけして申し訳ございません!とにかく、騒ぎになったら困るので救急車は少しお待ちください!今すぐそちらに向かいます!》
位置情報をメッセージで送るよう指示され、慌ただしく通話を切る男。
取り残された私は、周りのお客様や同じシフトに入っていたバイトの先輩の手を借りて、人目につかないバックルームへ運び込むことにした。
そこで気づいたことだが、彼の体はあまりにも骨骨しかった。
まるで長い間、喉に食べ物を通していないみたいだと。
彼が炎上してから、どんな思いや、どんな生活をしていたのか想像もつかない。
ただ今は、水や食べ物を無理にでも口に入れて欲しいと願って、眠っている彼にレジ袋いっぱいのご飯やヨーグルトを入れた。




