初出勤
アルバイト初日は、いつも独特な緊張を抱いた。
不審なほど目の動きが定まらない私の前には、背の高い好青年と、派手な赤い髪の女が並んで立っている。
「今日から新しく入った三浦さん、二人とも色々教えてあげてね」
定型文を言い終えた店長は、奥にある部屋へ消えていった。
「三浦さん、俺は安宅って言います。よろしくお願いします」
爽やかを体現したような高身長のイケメンはにこりと微笑む。
「…よろしくお願いします」
うじくんも平均身長より高かった印象があるが、この安宅という好青年はさらに頭が飛び抜けている。
体格の良さも相まってより大きく見えるが、百八十センチ以上は確実にあるだろう。
「あたし佐中!よろしくー」
すると、隣にいた赤髪の女が割り込むように身を乗り出してきた。
ふと、佐中という女の手に視線を向けると、髪色にも負けない派手な長いネイルが施されており、きゅっと眉間あたりに力が入る。
「お、お願いします」
ギャルだ。
少女漫画にいそうなイケメンと、想像通りのギャルの間に何の特徴もない一般人の私が挟まれ、初出勤の幕が開けた。
フロアの説明や、一通りの業務を教わり、時計の短針が右に進むにつれ、客足もだんだんと鈍くなっていく。
最後に受けたフードの注文を運び終えると、佐中さんが端っこから折りたたみ椅子を三つ広げ、私たちに座るよう爪を指した。
「三浦さんって学生?」
ゆっくり腰を落とすと、安宅さんが私の顔をわざわざ覗き込んで、問いかける。
「いえ、社会人…?です」
「そっかー。じゃあ学生は俺だけか。いいなぁ」
それに返事するかのように、大きい溜息を吐いたのは佐中さんだった。
「未来のないフリーターからしたら大学生のほうが羨ましいわ。いちいち文句言ってんな」
「でも佐中さん、就活はマジで辛いっすよ。早く終わらせてバイト代でどっか旅行したいですもん。沖縄の綺麗な海で泳ぎたい」
「沖縄旅行いいねー。あたしも行きてーわ」
二人の会話から、おおよその情報が得られた。
安宅さんは現役大学生で、就活ということは三年生くらいだろうか。
佐中さんは安宅さんよりも歳上で、フリーターらしい。
深夜の店内は静穏だが、受付とお客様の利用スペースはフロアが違うため、業務以外の雑談が躊躇なく繰り広げられる。
「そういえば、三浦さんっていくつ?」
「…えっと、にじゅう…に、です」
「二十二?じゃあ俺より一個上か。三浦さんは俺より歳下だと思ったんだけどなー、初めて外した」
「コラ安宅。女子に年齢聞くなっつの」
「えぇ?そりゃあ俺だって明らかな歳上だったら控えますけど、歳下か同い年だったら普通に聞きません?仲良くなった方がやりやすいし」
「まーたそうやって女の子口説くつもり?店長から『安宅にフラれたから辞める』っていう理由で急にあの二人辞めたって。何人辞めさせる気だよ」
「いやいや…やめてくださいよ、三浦さんの前で」
なんてテンポのいい会話なんだと感心していると、急に二人の視線がこちらに集まった。
「…え?」
「三浦さんって彼氏いる?」
唐突に踏み入った質問をしてきたのは佐中さんだった。
「いや…いませんけど」
「好きぴは?」
「…す、好きぴ………」
ネットでしか聞かない現代用語に戸惑いつつ、脳裏に過ぎったのはやはりうじくんの顔だった。
………好きぴ、なんだろうか。
「あ、その反応はいるんだ?」
口角を上げる佐中さんに、私は「はい」と「いいえ」だけでは不十分な解答しか持ち合わせていないせいで、唇を動かすことができない。
「プライベートを根掘り葉掘り聞くのは良くないって、佐中さんが言ってませんでしたっけ?」
「恋バナは別っしょ。ねっ、三浦ちゃん」
物凄い距離の詰め方で私を攻めてくる佐中さんに、ギャルの圧を肌で感じた。
「…ちょっと、よく分からなくて。あんまりこういう話しないんで」
「えっ」
「ガチ?」
「はい」
二人は顔を見合せて、怪訝そうな表情を浮かべながら、さらに身を寄せてくる。
「三浦ちゃんは好きぴとか彼ぴいたことないの?」
「え、はい」
「へぇー!珍しい!三浦さんみたいな女の子って、まだいたんだ」
「珍しい…ですか?」
同年代とは恋愛の話題どころか、普通に会話を交わす経験すらなかった私が、多数派か少数派なんて考えたこともなかった。
そうなんだ。
自分がそんなに稀有な人間だったとは…初めて知った。
「今の好きぴが初恋ってこと?」
「好きぴ…かどうかも意識したことがないので…」
「あー気にぴってこと?」
好きぴに彼ぴに、気にぴという新しい種別が登場してしまった。
こんなにも細かく異性への好意を分けられるのなら、きっと経験が豊富なのだろう。
良い機会だから、折角なら佐中さんに『恋愛感情』というものを学ばせていただこうと、体の角度を彼女のほうに傾けて膝をぴったりと合わせる。
「…佐中さんは、どうやって好きぴ…とか、その分別をするんですか?」
「分別?ゴミの話?」
「違いますよ。好きな人と、そうじゃない人をどう判断してるのかっていう質問を、三浦さんはしたいんだよね?」
「あ、まあ…はい」
「そーゆうこと?それならそう言ってよ。変な言い回しされるとムズいわ!」
「すみません…」
話の脈絡から察してくれという不満をぐっと喉元に押さえた。
「そんなん簡単じゃね?」
長い人差し指の爪をピンと立てて、得意げに佐中さんが言った。
「『この男はあたしの!』って思ったら、それが好きぴっしょ」
どうしよう、全く意味がわからない。
「…安宅さんは?」
せめてもの救いを求め、笑顔を崩さない爽やかな安宅さんにバトンを渡すと、少し考え込んでから、にっと歯を見せる。
「他の男がいないどこかに連れ去りたくなったら、それが“好きぴ”ってやつかな、俺は」
「………えっと…」
「安宅、もしかしてメンヘラ?」
「え?俺おかしいこと言った?」
種も実もない話はそれから続いたが、夜が明けても恋愛感情という謎は深まるばかりだった。




