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足りないもの

 


 ーーー私は人生で一度も、恋に落ちたことがない。


 誰かが誰かの機嫌を窺うつまらない人間関係に首を突っ込まないよう、私は孤立して生きてきた。

 寂しくはなかった。

 もともと家に帰っても灯りがついていないし、朝起きても傍には誰もいない。


 それが日常だったから、他人に依存する必要がなければ、期待することもない。


 だが、今はどうだ。


「三浦さん、お昼…デリバリーでいい?」


「…うん。ていうか、自分の食費くらい…」

「弁当ってよりは…丼がいい…?」


「ご飯がどうとかじゃなくて、せめて出せるお金は…」

「俺は牛丼の温玉乗せにするけど、三浦さんは普通の牛丼でもいいの?」


「同じのをお願いします」


 牛丼にトッピングしないなんて、そんな勿体ないことはない。


 …いや待て、そうじゃないだろう私。


 あれだけ他人との深い関わりを避けていた人間が、今は他人の頼りだけで生活している。

 安心して眠れるベッドも、髪や肌を綺麗にできるお風呂も、用を足せる場所も、お腹を満たす食事も、全て他人から与えられている。


 何故私は今の私を許しているんだろう。

 一部ではあるが記憶を失っているせいで、自分の人格さえ変わってしまったのかもしれない。


 もしくは、目の前にいる彼のせいだ。


 気も声も小さいが、意思の強さだけは敵わない。

 流れのままに身を任せそうな外面をしているが、自分の意にそぐわないことは絶対に首を縦を降らないという頑固さがある。


 しかし、問題なのは私自身である。


 主義主張を曲げない女に見えて、彼の手に引かれるまま今日を過ごしていた。


「………あの、うじくん」


「ん?」


 ダイニングテーブルの上を綺麗に整えた後、私は改まった空気で目の前の彼に声を掛ける。


「…あの部屋にもう一度、行ってみたい」


 “あの部屋”

 その言葉が指す場所は、私が住んでいた家の寝室だ。


 病院で目覚めてからの私には、寝室を大きく占拠しているパソコン機器などの記憶が全くない。

 私の脳内に残されていたのは、ベッドと衣服を整理していたチェストのみで、かなり無機質な部屋だった。


「…何か思い出した?」


「ううん、その逆だよ。何も思い出せないから、やっぱりもう一度行かなきゃって」


 あのパソコンの前でかつての私に何があったのか、海月のひめである私自身がきっと知らなければいけない。


 過去の自分が閉じ込めた記憶の鍵を開けるのは、やはりあの部屋なのだと、直感が訴えている。

 むしろ、記憶がなくとも自分自身のことだからなのか、そうだとしか思えなかった。


「無理に思い出そうとするのは、精神的な負担を考えて、避けるべき…だと思う」


「そうだけど、ここにいても何も変わらない。今更だけど、うじくんに依存して生きていくのは…私が許せないの。記憶が戻ることで傷つくことがあっても、私は一人で生きていけるようになりたい」


「…三浦さんの考え方は理解できるし、正しいかもしれない。記憶を失ったままっていう状況が続いて、不安が募っているのも…わかるよ」


「だったら…」


「それでも、三浦さんは自分を守るために記憶を無くしたのかもしれない。思い出さなくてもいいと、捨てたものをわざわざ自分から探しに行くのは、自己犠牲が過ぎる」


 正論だ。


 指摘にも似た非難をされたが、悲観してはいない。

 彼は私の身を案じているだけだ。


 だけど、それが私にとって最も不安を抱くものだった。


 ーーーうじくんの家に過ごしてから、実は居心地が良かった。

 家で誰かと顔を合わせたり、一緒のテーブルでご飯を食べたり、時折雑談を交わしたり、世の中で言う『家族』とはこういう感覚なのかと感情的になったりもした。


 彼のような存在を求めて、私は毎日卑屈になりながら他人との関わりを探し、コンビニのカウンターで無愛想な接客をしていたのだと、両方の拳を握り締めて枕に涙を滴らせた夜もある。


 寂しさに気付かないふりをして、毎日誰かを待っていた。


 そして、彼が来た。


 この家に私がいるのは自分の意思ではなく、彼の身勝手な好意だと、誤魔化したかった。


 親ですら幼い私に愛情の継ぎ足しを諦め、底のない器は時間が経つにつれて空になった。

 他人に何か求めるのは辞めて平気な顔をして歩くようになったのは、寂しくて仕方がない弱い人間だと思われたくなかったからだ。


 人の温かさに甘えれば甘えるほど、心地良さは私の体を埋めていったが、昇った日が沈み、窓から月の光に照らされる度、夢から目が醒めていくように私の本質が捲れていく。


 血の繋がった親から受けられなかったものを、他人から無償で与え続けられるなんて、嘘でなければ信じない。


 私は私しか愛せない。


「ごめん、うじくん。心配してくれてるのも、守ろうとしてくれているのも全部わかってる。わかってるけど、海月のひめのことを私が諦められない。彼女に命を吹き込むことができるのは私だから」


 うじくんは私の言葉を受け止めると、伏せた目をゆっくり上げて、頷いた。


「………わかった。行こう」



今まで沢山書き溜められていたのに、進撃の巨人を最初から最後まで観ていたらストックが消滅しました。

今日の私が書いています。

しばらくこの世界の理を考え耽ります。

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