君に会うために
私たちは二人掛けのソファに隙間なく座り、静かに物語を辿った。
ーーー彼は私が働いているコンビニの近くに住んでいているらしい。
約四ヶ月前までは、お互いがただの店員と常連客で、顔を認識している程度だったが、あるお菓子を購入した際、私が声を掛けたそう。
極度の人見知りだと言う彼は、いつも顔を合わせていた私とは、ぎこちないながらに会話ができる対象だった。
次に関係性が変わったのは、彼がVTuberという職業を私に知られた原因となった日のこと。
“ノワール・シャーロック”という名前で、インターネット上で活動していたが、親交の深い人物からのリークによりSNSで炎上騒ぎがあったそうだ。
その影響で食べ物が喉を通らず、食欲も湧かず、しばらく過ごしていたが、急に空腹を感じるようになりコンビニへ食料を求めた。
しかし、何の栄養も摂っていなかった彼は店内で倒れ、私が介抱したらしい。
「何故私は救急車を呼ばなかったの?」と聞くと「炎上中のせめてものリスクヘッジ」だと答えた。
理解はできなかったが、倒れたその後は、私が餓死寸前の彼に食べ物を与えている間に、マネージャーの高島さんという男性が駆けつけた。
「高島さん…っていう人が、うじくんを迎えに来てくれたんだね」
「うん。俺が…倒れた時に連絡して、来てもらった」
「なるほど。それで私たちは…よく話すように?」
私も彼の命の恩人だったという訳か。
それならば、この状況も納得がいく。
借りを返したくて、今の私にここまで寄り添ってくれているんだろう。捻くれた性格だと自負していたが、人命は見捨てない倫理観を持っていて良かった。
物語の最後をページを捲ろうとした時、うじくんは私の方へ体を向けた。
「………いや」
戸惑いながらも、彼の黒い瞳は揺れずに真っ直ぐ私を見据える。
「…君も、VTuberなんだ」
「………えっ?」
私も…じゃなくて、この私が!?
うじくんはスマホを片手で操作し、ある配信サイトの画面を私に見せた。
美しく透き通るような青い髪に、透明のクラゲを被せている、とても可愛い女の子のイラスト。
海…いや、クラゲをモチーフにしているのか、ふわふわとした衣装を身にまとい、虚ろな目をしているがハイライトはしっかり入っていた。
一目見ただけでも、この女の子を好きになれそうだ。
「うみつき……じゃないな、海月のひめ………くらげのひめ?」
どこかで聞いたワードだ。
記憶を失う前だろうか、後だろうか。それもはっきりと覚えていないが、私は確かにこの名前を聞いたのだ。
どこで耳にしたんだろう。
「そう。海月のひめさんが…三浦さんだったんだ」
「………あ」
思い出した。
うじくんが、病室で私に『くらげのひめ』の話をしていたんだ。独自の言語なのか、専門用語なのか、よく分からないまま聞き流してしまった話だが、このことだったのだろう。
離れたところに散りばめられていた点が繋がり、やがて線となり、形を成そうとしている。
「…何か、思い出した?」
「………この子のことは何も。でも、この活動ってそんなに稼げるというか…どんな職業なのか、少し気になったかな。うじくんもしてるんでしょ?」
「えっと…、そう、だね。だけど、海月のひめさんの存在はとても大きなものだったよ。俺はある会社の下で働いているけど、海月のひめさんは完全に個人経営というか、たった一人でVTuberとしてのブランディングして、三十万人ものファンを獲得していたから…」
「さんじゅうまん!?私が!?」
もう一度スマホの画面を確認すると、彼の言う通りの数字が、海月のひめのページに表示されている。
実はとんでもない女だったのか、私。
「…本当に人気だったからこそ、異常に執着心のあるファンもいた。ネットだけじゃなく、現実で関わりを持つために、自身の立場を利用した人がいたんだ」
そうしてまた、彼は話を始める。
エピローグを迎えようとしていた物語はさらに続いた。
基本的にVTuberという職業では、知名度や人気が上がれば上がるほど、ファンとの交流は個人情報の流出や面倒な人間関係に発展しやすいため、する人は極僅かだという。
どういう経路かうじくんもよく知らないらしいが、ビジネスの話を通じて知り合った“荒木”という男に、コンビニの夜勤が終わった朝六時頃、私は尾行されるようになった。
その荒木という男は、海月のひめのファンでもあり、かなり粘着質で、通常のコミュニケーションが取れない危険性の高い人間だと私たちは判断した。
「だから………その、三浦さんに、俺の家へ来てもらうことした」
神妙な面持ちで、少女漫画さながらの急展開が繰り広げられ、頭が真っ白になる。
「待って。それは…誰が言い出したの?」
「………俺」
「………」
「………」
今更だが、ピタリとくっついていた彼の肩から体温を感じ、それは徐々に顔へと伝う。
ソファから腰を上げて、少し離れた床に身を置いた。
「あの、一応確認なんだけど…私たち、こ、恋人…とか…そういうのではなかったんだよね?」
「うん」
「そ、そうだよね…」
じゃあ何で、うじくんの家に?
短期間とはいえ、同棲していたということ?付き合ってもいないのに?こんなに気弱そうな青年が、気軽に自宅へ女を連れ込むような遊び人…?
もしかして、密室に二人きりでいるこの状況を作ったのは、良くなかったんじゃ…。
「あっ…待って、その、言い訳になるとは思うけど…。確かに、俺が家に来るよう三浦さんに言ったけど、そんなつもりじゃなくて…。ただ、あのまま一人にさせたら…もう君に会えないような気がしたんだ」
率直に、男が女を落とす時に使う歯の浮くような台詞だと思った。
しかし、残された選択肢の中で彼は選んだんだと、後悔の張り付いた表情ですぐに悟る。
私を助ける手段がそれしか思いつかなかったのなら、相手にどう嗜められようと、最善の道へ導けるように私の手を無理矢理にでも引いて歩いてくれた。
彼にはきっと、後味の悪い記憶を残させてしまったのだろう。
「…すごい言い訳っぽいね」
「………まあ、その通り…かな」
うじくんはソファから体を降ろして、私と向き合う。
いつも言い淀むばかりの彼が、必ずはっきりと一言一句、言葉を口にする時がある。
「それでも君に会うために必死だった」




