徒浪
「海月のひめの存在ごと記憶がない…?」
病院内の待合室で男が二人、横並びで腰掛ける。
「はい。俺のことは覚えているけど、海月のひめの名前を聞いても何も分からない様子で…」
「お前のことは何で覚えてるんだ?」
「コンビニの常連客で…とは事情聴取で答えていたそうです。それ以外のことは何も。俺の家で少しの期間過ごしていたことも覚えていませんでした」
「…なるほど」
三浦さんの事情聴取には同席できなかったが、彼女には事件前後の記憶がなく、俺や高島さんからの証言しか得られていないみたいだ。
留置所に送られた荒木隆という男の事情聴取も始めているとのことだが、最後に言葉を交わした時、素直に全てを供述するような人間には思えなかった。
今、俺がわかっていることは三つ。
一、三浦海美として生活していた記憶は残っていること。
二、ストーカー被害に遭っていることを自覚したあたりからの記憶が、すっぽり抜け落ちていること。
三、海月のひめとして活動していた記憶を全て失っていること。
「あの男のことだけ忘れているならまだしも…のひちゃんとしての記憶がないのは………何も言えないな」
高島さんはガクリと項垂れ、ただ落胆していた。
「…でも、彼女が何もかも忘れて、辛い記憶を思い出すことなく元気にいられるのなら…」
「それはそうだけど…。本人がいないから言えることだが、もう二度とのひちゃんの配信が見られないっつーのは、ファンとして悲しいよ」
「………」
高島さんは片手で顔を覆って立ち上がり、お手洗いの標識に足先を向けた。
何が彼女にとっていい選択なのか分からない。
こんな事になるのなら、自分のみっともない下心を剥き出しにしてでも、同じ部屋で彼女を見守り続けるべきだった。
必ず守ると彼女に誓ったのなら、どんな手を使っても守りきらなければいけなかったんだ。
後悔しても先には進まないことくらい分かっている。
だから、これが現実だと、荒木という男にも自分にも、そう言い聞かせた。
ーーー結局、誰も救えなかった。
無力な自分に失望し、彼女から身を引くことも考えた。それが彼女のためなら…それは単なる言い訳に過ぎない。
自分のために守りたいという勝手な我儘を、彼女は受け入れてくれたんだ。
彼女が幸せだと心から笑えるまで、この結果を招いた責任を果たす。
彼女にとって今は失ったものの方が多いかもしれない。だけど、彼女とともに歩いていく未来で、たまに寄り道して、遠回りしながら一つ一つ小さな宝物を見つけて、拾っていけばいい。
俺だけは“失わない”と、彼女の傍で証明したい。
前に進むことで足が竦んでしまったとしても、伸ばした手が、繋いだ手が




