最低な奴
鍵と鎖で二重に施錠された扉を警官とともに破り抜けると、ぐったりと床に倒れ込む彼女と、それに跨る男が視界に飛び込む。
土足のまま男に体当たりし、壁まで吹き飛ばした後、数人の警官がその男を取り押えた。
体当たりした勢いで倒れた体を起き上がらせて、なりふり構わず彼女を抱き抱える。
「三浦さんっ…三浦さんごめん…っ」
最初は力無く腕をぶら下げていたが、しばらくしてその腕に力が入った。
「………うじくん?」
「っ、うんっ、そうだよ…」
少し体を離して彼女の顔を見ると、左頬は痛々しいくらに赤く腫れ上がっている。
咄嗟に手足を確認しただけでも、数ヶ所の痣がついていて、この場で起きた壮絶さを物語っていた。
「…うじくん、来てくれた……ずっと…待ってた…よかった…」
「当然だっ…!君に会うためなら…」
上手く動かせいであろう表情筋を緩めて、彼女はすうっと目を閉じて眠った。
もう一度、三浦さんの体を静かに抱きしめる。
『ずっと待ってた』
その台詞に心臓が潰れた。
…ごめん。ごめん。ごめん。何度謝ってもどうにもならない。
守りたいだなんて格好のいいこと言っておいて、自分の傍に置いて、身勝手なことだって聞き入れてくれたのに、結局俺は君を守れなかった。
怖かっただろう。悲しかっただろう。
俺なんかよりよっぽど、苦しい記憶を焼き付けてしまったのだろう。
「…すみません。彼女が被害者で…病院に…」
「はいっ!担架持ってきて!」
警官や救急隊員たちによって部屋の外に運ばれていく三浦さんを見送ってから、キッチンに向かい、戸棚にある包丁を手にした。
ーーー遡ること一時間前。
三浦さんが無事にマンションのエントランスに入ったことを確認し、高島さんの待つ車に乗った。
「…大丈夫かな、のひちゃん」
普段弱音を吐かない高島さんが、アクセルを踏む前にふと呟いたのだ。
「俺の家にいれば…大丈夫ですよ」
車が前進する。
ずっと彼女の傍にいたとして、体の安全は保証できても心の疲労は尽きないだろう。
気を休められる環境が一番良いのだと判断した。
「あ、そういえばノワールの家に食べ物ってまだあったか?」
「………なかったかも。近くのコンビニ寄って、戻ってください」
「はいはい」
進んでいた道を切り返し、いつものコンビニに向かっていると、途中で大きな黒い車が横切った。
ぼんやりと眺めていたはずなのに、何故かその車だけがやけに気になって、無意識に目で追ってしまう。
「…あの…車…」
「さっき通ったやつか?物によるが、あれは数千万もする高級車だなぁ〜」
「いや、そうじゃなくて…」
そうだ。
車種までは判別できなかったが、ちょうど今すれ違った黒い高級車のような大きさくらいだ。
この都心ではそう珍しくない上に、人口密度の高い地域だからこそ、ありふれた物の一つ。
しかし、あの車とすれ違ってからというもの、コンビニに着いても胸騒ぎが止まらなかった。
「高島さん」
「ん?なんだ?」
「…俺の家に戻りましょう」
「お、おう。そのつもりだが…」
「今すぐ」
唯ならぬ事態を察したのか、手に取っていた商品を店員に渡し「すみません」とだけ残して店を出た。
シートベルトを締める時間も惜しいほど、焦りが苛立ちに変わり、段々と不安が増えていく。
「端的でいい。説明してくれ」
「三浦さんが言っていたんです。大きくて黒い高級車がコンビニの近くに停まっていたと。さっきすれ違ったあの車…恐らくあの車に乗っているのがストーカーの“海豚”と名乗っていた男です」
「確証は?同じ車に乗ってる人なんて五万といるぞ」
「わかってます。俺の勘違いならそれでいい」
「…了解」
クラクションを鳴らされながらも、見なれたマンションの入口が見えた。
と同時に、あの黒い車が道路脇に停まっており、視界に捉えた直後、赤いブレーキランプが消えてタイヤが動き出す。
「高島さん!あの車!追って!」
「あ、あれか!」
左にウインカーを切って曲がったことを確認できたが、車通りの多い道をすぐに曲がることは難しく、事故が起きない範囲で無理に車体を前に出し、急発進で左に曲がった。
幸いにも、何台も連なっている中で黒い高級車は目立っていた。
見失わないよう高島さんと二人で追っていると、急に不自然に車線変更を重ね、ついに車体を見逃してしまった。
「もしかして、俺たちのこと気づいてるんじゃないか?」
「まさか…」
「わざわざお前の家の前にいた理由は何だと思う?」
「…監視?」
「コンビニはシフトの時間があったが、今回は人の家だ。何時間後に出てくるかも分からない人を待つのに、あんな大きな車を停めるなんてのはありえない。俺だったら別の場所に停めて、徒歩で近づく」
「だったら、どういう理由で…」
「こんなことは考えたくないが、のひちゃんが何らかの事情でマンションの外に出ていたのなら…それは自分の巣に連れて行く最大の好機ってことだ」
広い道路から外れ、一時停車できる場所で車を止めた。
「………拉致された?」
額に汗を滲ませた高島さんは、その問いに頷いた。
一番恐れていたことが起こっている。
それに確信を持ったのは、スマホの振動だった。
三浦さんからのメッセージ通知。
恐る恐る開くと、位置情報だけが送られてきており、それ以外のメッセージはない。
「三浦さんから…位置情報がきた」
「何?」
高島さんと地図アプリでその位置を特定する。
「………多分、三浦さんの家だ」
「今すぐ行くぞ!」
「はい!」
簡易的な文章すらもないということは、それだけ彼女の状況が切迫しているということ。
高島さんも理解した上で、車のアクセルを思いきり踏み込んだ。
「一応、警察に連絡しますっ」
「ドアにチェーン掛けられてるかもしれないから、ペンチか何か金属を切断できるものを持ってきてくれと頼んでおいてくれ!」
「わかってる!」
警察へ連絡し、緊急性を伝えるため、事情を全て説明した上で三浦さんの住所に駆けつけてもらうよう要請した。
こうしている間にも、彼女の身は危険に晒されている。
どうか…どうか、無事でいてくれ。
彼女からの連絡があればすぐ気がつくよう、両手でスマホきつく握りしめていたが、最初の位置情報以外の連絡が届くことはなかった。
三浦さんの家に着いた時には、既にけたたましい程のパトカーが何台か停まっていた。
三浦さんの家の扉の前では、解錠作業に取り掛かっている警官が数人。
「俺は警官の人に話しとくからっ、とりあえず真っ先にのひちゃんを保護してくれ!」
「…ああ!」
それから数分後だろうか。
やっと扉が開けられるようになり、俺と警官で雪崩こむように部屋に押し入った。
…今日はやけに夢見心地だったんだ。
いつもよりたくさん話すことができて、物件探しにもようやく頼ってもらえて、君の眩しい笑顔が今日はすごく見れる日だった。
だけど、数時間ぶりに顔を合わせた彼女の瞳に光はなく、綺麗な肌も汚されていた。
その光景が瞳に映った時、初めに浮かんだのは、彼女に言った「俺のために君を守りたい」という薄っぺらい台詞だった。
結局、俺は誰も救えない最低な奴だった。




