返し物
「俺の、ところに来ない?」
それは突発的に声に出た言葉だった。
「………え?」
「守らせてほしい、俺に。君を」
「…え、いや…え?」
困惑する三浦さんを前にして、やっと我に返る。
「あっ、えっと、一緒に住むとか、そういうことじゃなくて…引っ越すまでは…っていう話で…」
しどろもどろに説明するが、上手くまとめられるような能力は備わっておらず、三浦さんは眉をひそめた。
「………でも…そんな簡単には…。彼氏でもない男の家に二つ返事で上がるほど貞操観念は擦れてないよ…」
「そう…だとは思うんだけど…」
何故か、このまま三浦さんと離れたら、もう二度と会えない予感がした。
縁起悪い話だと思う。
だが、手紙の文章を目にした時から、胸のざわつきは全く収まらない。
純粋の度合いが過ぎる感情は、いつか裏返ることを、俺は知っていた。
最悪の場合…考えたくはないが、三浦さんに危害が及ぶだろう。
それが精神的になのか、身体的になのか、その両方なのか、どの可能性もある現状で、彼女から目を離すわけにはいかない。
沈みきった俺を掬いあげてくれた存在を、事情を知っておきながら、常識や倫理観に沿って黙ったまま見守るほど、俺は利口な人間ではない。
できることは全部やろう。
嫌われようと、彼女さえ無事でいてくれるなら何でもいい。
ーーーこの人には。
「ルールを決めよう。二人が家にいる時間に制限をつけること。基本的に俺は高島さんの家にいて、配信や仕事に関わることだけは戻るよ。何かあってもすぐに、俺か高島さんが駆けつける」
「高島さんに迷惑かける気?」
「のひちゃんのためならって、喜んで引き受けてくれると思う。…思うっていうか、間違いなく引き受ける」
「…うーん」
悩んでいる素振りは見せるが、なかなか首を縦に振ろうとしない。
やはり異性の家に上がることは、彼女にとって最善策ではないと判断しているのだろうが、ストーカーに把握されている家に女性一人で過ごすのは、許容しがたい。
近くのホテルに避難することも手だが、巧妙な手口で部屋に入られたりでもしたら…想像するのも嫌悪感に苛まれる。
どう説得すれば応じてくれるのだろうか。
「…うじくん、一つ聞いてもいい?」
「うん」
「どうしてそこまで…しようとするの?私のこと…のひめの存在は、たしかに貴方にとって大きいと思う。でも、のひめと私はまるで違うと思ってる。あんなに朗らかな人柄ではないし、性格も捻くれてるほう。気も利かないし、守ってもらうほどか弱くない」
「………」
「私は、なるべく一人で生きてきたし、これからもそうするつもり。ここでうじくんに頼ったら…」
「俺にとって三浦さんも、のひちゃんも、すごく大事な存在だよ」
ノワール・シャーロックとしての生命線を繋いだのは海月のひめで、氏家瑛二としての心情を豊かにしてくれたのは間違いなく三浦さんだった。
どちらかではなく、どちらの世界にも君がいたから、俺は。
「三浦さんに恩返しがしたいという気持ちもある。でも、きっと…」
感情の揺らめきは、怒りや哀しみでほとんど経験したことがない。
芹菜との恋はほんの一瞬の出来事だったんだと、改めて思う。
彼女が当たり前に傍にいることで安心感を覚え、いつしか、相手を気にかけることも、寂しさに寄り添うことも忘れ、愛情は惰性に変わった。
誰かを愛することも、誰かに愛されることも、結局できない人間なのだと目が覚めた。
ここは現実だとわかっている。
「きっと…俺は君が好きなんだ」
それでも、自分の命にかえても守りたい人ができたら、その感情が頭よりも先に体を動かさせるのなら、また俺は無責任に人を愛してしまったのだと認めざるをえない。
「これは君のために、とは言えない。俺のために、君を守りたい」
三浦さんは心底驚いた顔をして、少し目線を落とし、ゆっくりと頷いた。
「…例え嘘でも、そんな真面目な顔で言われたら、私も困るよ」
心なしか、先程まで虚勢を張っていた彼女が、安堵したように表情を緩ませていた。
俺んとこ、来ないか?
俺ん家、誰もいないよ?
どの言い方をしても飲み会で終電を逃した女の子を部屋に呼ぶ時の誘い文句にしか見えないですよね。
現実ではとても言えない台詞ですが、日本に遊びに来ていた海外の友達が終電を逃し、コンビニで時間を潰していた時に年配の方から「家に来なよ」と言われたと連絡があり、さすがに見過ごせず「今回な仕方ないから遠慮せず家に来な」と言ったことはあります。
夜中は「本当に申し訳ない」と泣き通され、それをひたすら宥めていただけなので、期待するようなことは何もありません。




