四人の容疑者
いくら少子化社会とはいえ、日本の人口はまだ億を超えている。
我武者羅に人混みを掻き分けたところで、該当者が都合よく手を挙げて現れてはくれない。
だから、人情も捨てて容疑者を絞るのだ。
ーーーまず一人目、高島鷹章。
ノワール・シャーロックのマネージャーを勤めており、大手Vtuber事務所を構える企業の上層部とも関わりが深い男。
取引先との連絡、会社への報告、ノワール・シャーロックのスケジュールからメンタルの管理まで、幅広く業務をこなしている。
責任感が強く、抜け目のない性格で、今まで一度も仕事上のミスをしたことがないという完璧なマネジメント力を持ち合わせている。
この情報提供者はうじくんであり、容疑者として浮上させたのも彼だった。
《あの…高島さん》
《ん?何だ?》
通話越しに二人の会話を盗み聞きをするなんて悪趣味だとは思うが、高島さんはどうもくらリスだと彼は言う。
現実の私の顔を認識している男の一人で、かなりディープな視聴者らしく、本当かどうか定かではないが、同担拒否を謳っているとのことだ。
事実だとしたら、海月のひめに相当な思い入れがあるに違いないと、うじくんは疑念を募らせていた。
《最近、朝…何時くらいに起きてるんですか?》
《何だよ急に。お前、俺のことなんか興味ないだろ》
タレントとマネージャーの距離感って、こういうものだのだろうか。
以前、コンビニで倒れたうじくんを介抱した時、駆けつけてくれた高島さんは堅い口調を貫いていたが、うじくんの前ではえらく態度を崩しているように感じる。
対等と表現すれば見栄えはいいが、こんなにも雑に扱われる人気Vtuberは彼しか存在しない気がしてきた。
《興味はないですけど…》
認めてどうするんだ。
《どうせ朝なんか起きないだろ。朝までゲームか配信して寝て、昼か夕方に起きる生活しかしてないし》
《………怖いですよ、そこまで把握してるの》
《今更何言ってんだお前は。マネージャーの俺が把握してなくてどうするんだよ。お前が寝てる間に連絡なんかしても、返事しないだろ?》
《…確かに》
私は一体何の話を聞かされているんだ。
呆れて溜息も出ない状況に、スマホの通話終了ボタンに人差し指を近づけた時、うじくんが大きな咳払いをした。
《のひちゃん…どう思いますか。高島さん》
正反対の方角に舵を切ったうじくんに、動悸が騒ぎ始める。
答え合わせにはちょうどいい問いかけではあるが、あまりにも唐突すぎる“海月のひめ”のワードに、冷や汗が身体中に滲んだ。
スマホを前に、ただ正座している私には、高島さんに怪しまれないよう祈るしかできない。
《どうって…。のひちゃんのこと…お前に話す気はないぞ》
本当に私の視聴者だったのか…。
海月のひめの愛称を呼び慣れている様子に、愕然と頭を抱えた。
《いや、別に…最近の推し活…?っていうのは、どうすればいいのか…》
核心をついているようで、全く的外れな話題に運んでいってしまう彼は、果たして高島さんから自白を引き出せるのか。
《はぁ?推し活ってのはなぁ…》
面倒くさそうに口を開いた高島さんは、その後延々と『推し活とは何か』について語っていた。
その講演を最後までうじくんが聞いていたのかわからない。
私は「これはダメだ」と、高島さんの推し活論に熱を入れ始めたあたりで、諦めがついた。
ーーー二人目、赤井芹菜。
うじくんの元彼女であり、ノワール・シャーロックを燃え盛る炎で包んだ女。
あの日のやり取りを彼に伝えてはいないが「海月のひめの配信にアンチコメントを送っているのは芹菜かもしれない」と、呟いたのはうじくんだった。
心当たりのある言動を芹菜という女がしていたのか、かつて同棲に至るまで交際していた元恋人を憶測で容疑者にするには、些か考えにくい。
かくいう私も、否定できなかった。
コンビニの付近で芹菜に似た女を見かけたら彼から声をかけて対応する、という結論で終話した。
ーーー三人目、海豚。
前者とは違い、現実で姿を目にしたことはない海月のひめの視聴者の名前だ。
性別不明で素性もわからない。
ただ、高額な投げ銭を繰り返す富豪…としか認識できていないが、どこかで現実の私と会っていたとして、注ぎ込んできた巨額の反動で、付き纏い行為をしているとしたら…。
十分にあり得る話だが、あくまで私はVtuber。
すぐに私のことを海月のひめ本人だと断定できる要素があったのだろうか。
SNSには一切現実の私とリンクさせるような情報を流した覚えはないし、運がいいことに関連する情報を流出させる親族も恋人も友人もいない。
うじくんにも同様の内容を伝えると「視聴者は意外と近くにいることが多い」と不穏な意見を私に突きつけ、容疑者候補に入れざるを得なかった。
ーーー四人目、荒木隆。
今後開催予定の海月のひめコラボカフェの運営に携わっている男。
私=海月のひめだと知っている人物は、必然と容疑者になる。
限りなくシロに近いが、どのミステリーもそういう人間が一番黒いものだ。
とても気さくで細やかな配慮ができる、理想の社会人。
明らかに陽のオーラを放ち、それでいて日陰にいる私に分け隔てなく接してくれるが、そこが苦手だと実感した記憶はまだ温かい。
仕事に対して並外れた熱意を持っていて「海月のひめのコラボカフェを絶対成功させましょう」と、きつい握手を交わしたこともある。
そんな人が私のストーカーだなんて、勘違いも甚だしいと思われてしまうだろうか。
「三浦さん、やっぱり俺…朝まで待つよ?」
何度か二人で作戦会議を重ね、容疑者候補を絞り出した日のことだった。
コンビニのバックルームで、うじくんがエナジードリンクを片手にポツリと溢した。
「………うーん」
はっきりと返答できないのは、懸念点があるからだ
彼が隣にいることで、ストーカーの逆鱗に触れてしまうこと。
それだけではない。Vtuberに精通している可能性がある以上、ノワール・シャーロックとして顔が知られているうじくんを横にいさせるのは、私にも彼にもリスクが大きい。
自分の保身という意味でも、うじくんと肩を並べて歩くわけにはーーー
「三浦さん」
「ん?」
「…今は、君は海月のひめとして考えるべきじゃないと思う。三浦さんは三浦さんで…身の危険にさらされているのは現実の君だよ」
「…そ、れは…分かってるよ」
「分かってない!」
瞬きする間に、視界は真っ暗になった。
その代わりに、確かな温もりが私自身に覆い被さる。
ぎゅうっと締めつけられる感覚と、鬱陶しいくらい蒸し暑い温度に、どうしてか涙が両方の目から零れ落ちていく。
…私、今…抱きしめられているの?
「分かってるんなら…、ちゃんと頼ってよ…」
「うじくん…」
振り解く気すら起きないほど、力強い彼の腕。
改めて、男と女の差があることを理解した。
「………うじくん、苦しい」
「え、あぁ…ごめん」
私の一言で、簡単に温もりが離れる。
彼に私の顔を見られる前に、急いで机の端に置いてあるティッシュを数枚取って、肌に気も使うことなくゴシゴシと頬を伝った涙を拭った。
「ありがとうね、うじくん」
「いや…なんか、勢い余って………セクハラ…したよね、ごめん」
気まずそうに目を逸らし続けるうじくんが可笑しくて、お腹の辺りから笑いが湧き出てくる。
「…ふっ、はは、あははっ」
「な、なんで笑うの…?」
「だって、うじくん…ほんっとうに格好つかないんだもん」
本来なら彼にときめいたり、恋愛感情が芽生えたり、意識したりしてもいいシーンだったと思う。
でも、抱きしめられた時に感じたのは「人肌は結構熱い」という感想だけ。
だが、その確かに触れた彼の温度こそが、私の凝り固まった思考を解すのに十分なものだった。
「いつも朝六時に終わるの。…うじくんにボディガードを任せてもいいですか?」
「っ、はい…!」
誰かに抱きしめられた記憶は、ほとんど残っていない。
両親は放任主義だったし、家に帰れば夫婦喧嘩なんてしょっちゅうだ。
離婚してからは母に引き取られたが、常にお金に困っていた母はよく働きに外へ出て、私が学校で授業を受ける頃に家に戻っていた。
人の温もりと離れた場所で育った私は、誰かに手を差し伸べることも、差し伸べられることもなく一人暮らしを始めた。
海月のひめというVtuberの姿で活動を続けて、無償の愛を受けることはなかったが、自分の努力は声援やお金となって私のもとへ返ってくる。
もちろん、応援してくれるくらリスの存在は、心強いものだった。
文字でしか通じ合えないはずなのに、どこか人の温かみさえ感じ取ることもあった。
だが、こうして生身の体を丸ごと包まれることはまるでなかった。
抱きしめられるだけで、冷えた心をこんなに溶かせるなんて、初めて知った。




