赤井芹菜
まだまだ長い夜を過ごす私に、彼は不穏さだけを残し、店をあとにした。
か弱い女の子を安心させたいなら、黙って見守ってくれたほうが幾分かマシだ。
顔がいい男は女の扱いが上手なんていうのは迷信で…うじくんを見れば、現実がどれほど理想とかけ離れているかの、とてもよくわかる。
あれだけの美青年が近くにいながら、妄想ですら捗らせてもらえないこの世界線の神様を、ほんの僅かに恨んだ。
…雨音が収まってきた。
自動ドアが開いた隙に外の様子を確認する。
「いらっしゃいませー」
いつの間にか店内には何人か客が入っていたみたいで、夜明け前のコンビニに賑やかな声が響いた。
鬱陶しいと感じるのは研修期間あたりで、過ぎてしまえばスピーカーから流れるBGMとともに紛れていく。
ふと、一人でいたらしい女性が中身を詰めたカゴをレジに持ってきた。
「袋はご利用ですか?」
「ええ。当たり前でしょ」
黒い帽子を深く被った女は、どうやら機嫌が悪いようだった。
エコバッグが推奨されている環境保全の時代に「袋はつけて当たり前」なんて、毎回どのコンビニでも同じようなことを口にしているのだとしたら、対応してきた店員が可哀想だ。
私も運悪くハズレくじを引いてしまったのか。
「あの」
無言でバーコードを読み込んでいると、目の前の女から声を掛けてきた。
渋々顔を上げると、女は被っていた帽子を脱ぐ。
………めちゃくちゃ美人。
嫌味の一つでも出てくればいいものの、非の打ちどころがない完璧な容姿に、同性でも見惚れてしまう。
不自然な点があるとすれば、こんな時間に力の入った化粧をしていることと、綺麗に染まったミルクティー色の髪を丁寧に巻いていることだ。
「…どうされました?」
「近くで見ても別に可愛くないんだね」
「………はい?」
一変した状況に、頭が追いつかない。
「Vtuberなんてそんなもんか」
その言葉に、思わず息が止まった。
ーーーこの女、私のこと知っている。
「瑛二くんも趣味が悪くなったなぁ」
「…さっきから何の話をしてるの?」
「私の名前は赤井芹菜。年齢は二十五歳。住所は…」
「ちょ、ちょっと待って!」
勝手に話を進めていく赤井芹菜という女の言葉を遮り、この事態の把握を図った。
この人、誰だ?
どうして私の…海月のひめのことを知っているのか。
瑛二という名前の、恐らく男のことなのだろうが、それも私は聞いたことがない。
とんでもない人違いをされている可能性も掠めたが、私に対しての異常な敵対心からして、それは弾かれた。
「どうせ分かることだよ。開示請求しているんでしょ?」
「は…?」
「瑛二くんにフラれた腹いせに書いてるの、コメント。別にいいでしょ。ただの文字なんだし」
「な、に言ってんの…?意味が、ちょっと…」
「あー…“うじくん”だっけ?」
点と点が線になり、私は全てを理解することができた。
この…クソ女、うじくんを炎上させた張本人だ。
あれだけの事件を起こして、綽々と私の前でこんな悪態をつけるなんて、どんな神経をしているんだ。
仮にも同じ人間へ送ったアンチコメントを“ただの文字”と片付けられる倫理観のなさにも驚愕したが、うじくんをあれほどまでに追い込んでおいて、堂々と人前に現れる精神性に不快を隠せない。
異常者だ。
躊躇なく、そう思った。
「…そんな構えなくても、今以上のことをするつもりは…」
「は?頭おかしいんじゃないの?」
あまりにも身勝手な発言に本音を漏らすと、女は大きい目を丸くさせ、ふっと笑った。
「そうね。私、おかしいの」
「そうですよ」
「もう瑛二くんとは終わった関係だと分かっていても、近くにいる女は邪魔なの。気に入らない。だから嫌がらせしたくなる」
「…わざわざ、私にそんなこと言いに来たんですか?」
「うん」
不気味な女を前に業務を投げ出したくなるが、コンビニの制服を身に纏っている以上は堪え忍ぶべきだと、大量の商品を無理やり袋に入れる。
歪な形をさせたまま袋を差し出すと、女は文句を言わずにそれを手にした。
「………でも、後悔しているの。私」
「自語りもキツいですよ」
「同じ男を好きになった女として、いいこと教えておいてあげる」
「………」
あちらこちらに話を飛躍させているのは、私とうじくんの関係を勘違いをしているからだ。
以前より彼との距離は近くなり、根っこから漂う隠の気につられて仲間意識は芽生えたが、恋愛感情を抱いたことは断じてない。
本当に可哀想な人だと憐みながら、女の唇が動くのを待った。
「いつもね、一番自分の足を引っ張るのは自分から近い存在なの。私がそうだったから、よく理解できる。相手に対して想いが強いほど、自分の行為が必ず正義だと、錯覚してしまう」
「言い訳なら、元彼にされた方がいいですよ」
「…確かにね。ありがとう、話を聞いてくれて」
目的を果たしたのか、満足げに芹菜という女は、馴れ馴れしくも私に向けて手を振った。
その後、すぐさまレジ前に並んできた騒がしい集団の対応を終えて、どっと疲労感に襲われる。
本日のお客様はどういった経緯で、お越しになられたのか。
これが厄というものなのだろう。
気が重い朝を迎え、店を出てすぐ、道路脇にハザードを点滅させている車が目に入った。
真っ黒な大きい高級車で、早朝は車通りこそ少ないが、その存在感にふと視線が奪われる。
こんな時間から、誰かの家に訪ねているのだろうか。女の家だとしたら、しばらくあの場所から動かすことは不可能だ。
邪推に奪われた意識を取り戻し、頭を左右に振ってそれらを吹き飛ばした。
今日は、全身に塩を撒いてから家に帰る必要がありそうだ。




