雨漏り
家を出た時は傘が必要のない小雨だったが、いつの間にかガラスの壁には水滴がびっしりと張りつくほど天候は荒れ始めた。
本日も夜勤のシフトが入っており、着慣れたユニフォームを見に纏い、カウンターに立つ。
店内に入ってくる客は、豪雨に襲われて服も靴もべったりと濡れた人が多かった。
タイルの床が靴跡や雨の雫で汚れていく様子を眺めながら、さっき綺麗に掃除したばかりなんだけどなぁと密かに溜息を吐く。
…にしても、今日は大荒れだ。
「いらっしゃいませー」
欠伸混じりに接客をこなしていると、革靴を履いた長身の男性が、両肩についた水滴を片方ずつ払い、店の中に入ってきた。
ラフな白シャツにネイビーのジーンズを、見事なほど型に嵌めている。
万年スウェットやパーカーでコンビニに現れる男とは見違えるほど洗練された姿に、思わず釘付けになって見つめていると、不本意にも男と目が合ってしまった。
「…あぁ!こんばんは!」
私の顔を見た瞬間、ぱっと笑顔でこちらへ駆け寄ってくる男。
「えっ…と?」
知り合いだろうか。
いや、私に現実の知り合いなどいない。
地元の同級生の誰か…も考えにくい。
私は誰かと関わり合うことを極端に避けていたし、便所飯にいたっては中学2年生の冬から高校卒業の日まで皆勤賞ものだ。
「こんな格好で大変失礼しました。私、以前…海月のひめ様のコラボカフェの件で担当させていただいていた、荒木です」
途中から声のトーンを落とし、少し身を屈めるその凛々しい顔立ちに、私は「あ!」と声を上げた。
「こちらこそすみません!いつもお世話になってます!」
打ち合わせの日、帰り際に声をかけてくれた親切な良い人だ。
あの時は確か、硬いスーツを着て前髪をあげていた。
すぐに気がつかなかったのは服装もあるが、はっきりした眉毛が前髪で隠れていたからだろう。
「こんなところで会うなんて、すごい偶然ですね。たまたま通りかかってよかった」
「はは…本当にそうですね」
仕事関係の…ましてやVTuberとして関わった人間とプライベートな空間で鉢合わせなんて、何ていう拷問なのだろうか。
穴があったら入りたい。
掘ってもいいなら穴を作りたい。
精一杯の笑顔を引き攣らせていると、店のドアが開いた。
一目見てわかる猫背気味の姿勢と、何の魅力も感じられないスウェット姿。傘をささずにきたのか、どこかに捨ててきたのか、服はかなり濡れている。
しかし、長めの前髪から不意に覗かせるその端正な顔立ちは、どんなタキシードも着飾る必要がないことを示していた。
ーーーうじくんだ。
店内に他の客がいる時は、決まって彼は設置しているセルフレジで会計処理を済ませ、イートインスペースの奥に棲みつく。
今日も荒木さんの存在を確認して、同じルートを辿っていた。
「夜勤もしているなんて、大変ですね」
「大変…ではないですよ。意外と楽しいですし、辞める理由もないのでなんとなく続けてます」
「へえ!でも、朝方とかは眠くなりそうですよね。何時から何時まで働いてらっしゃるんですか?」
「えっと、二十三時から朝六時までです」
「七時間も…すごいです。リスペクトする部分がまた増えました」
「えぇ…ハハハ」
とても居心地が悪い。
あえて言葉を選ばずに表現すると、そんな感じだった。
愛想笑いしか取り繕うものがなくなった頃、荒木さんは本来の目的を取り戻すように商品を手にして「これお願いします」とレジのカウンターに置いてきたので、なるべく早い動作で終わらせた。
「ではまた!残りの業務時間も頑張ってくださいね」
「はい…ありがとうございます!」
荒木さんは最後まで私の方に手を振りながら、大雨の中に飲まれていった。
…陽キャか?陽キャなのか?
あれが本物なんだ。VTuberや配信者の輪の中へ入るときの参考にでもしてみようか。
私なんて、たまたま寄り道したコンビニで荒木さんがレジのカウンターに立っていたら、可能な限り顔を隠しながら欲しい商品を探すフリをして、そのまま店を出て行く。
そんな面倒な行動をする必要のない陽キャは羨ましい。
「三浦さん」
「いらっしゃいませ、うじくん」
店内が静まり返ると、店奥の棲家からのそのそと陰キャが顔を出した。
「あの人…誰?VTuber…?」
「違う、けど違わないような…?仕事の案件で現在進行形で関わってるの」
「へぇ。かっこいい人だったね」
「シゴデキ社会人って感じはあるね。確かに」
「………仲良い?」
その質問の意図が分からず、私はうじくんの顔をじっと見た。
「…いや、全く」
「ふーん」
社会派か、そうじゃないかの判別か、どちらにしてもうじくんは一般社会でやっていくには難がありそうだ。
「俺が…こんなことを言うのは、お節介だと思うんだけど…」
「ん?」
「もっと、警戒心は持ったほうがいい」
この仕事をしているなら尚更、と彼は付け足した。
余計なお世話だとあしらったが、不安げに揺れる彼の黒い瞳が、脳裏に焼きついて離れなかった。




