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『ベジタブル5大都市の滅亡記録 〜前進・後退・停止・横移動・飛翔・座り込みまで全部やった結果、文明が全滅した件〜』  作者: 山田りく


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第3話 トマト・シティ(停止)

 すべての住民が赤ちゃん(あるいは細胞)にまで巻き戻ったあの怪現象から、なんとか元の年齢で歴史のループを脱出した老人は、三度みたび、新たな絶望に直面していた。


 真っ赤な完熟トマトのようなドーム型の建物が並ぶ街、トマト・シティ。


 この街の朝は、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。


「動くな!  変化するな!  1ミリたりとも進むことも退くことも許さん!」


 これが街の絶対法。レタスとキャベツの破滅的な暴走の歴史(風の噂)を、都合よく、しかし致命的に間違って解釈したトマト市長が生み出した「究極の安全策」だった。


 住民たちは全員、道路や職場で完全に「静止」していた。


 彼らにとって、何かを始めることも、何かを反省することも、すべては「平穏を乱すリスク」でしかない。


 ここでもやはり、「過去から学ぶこと」と「ただ思考停止して現状維持すること」が、完全に混同されていた。


 老人が街を歩いていると(歩いているだけで治安維持ロボットに睨まれる)、道路の真ん中で「おっとっと」のポーズのまま固まっているサラリーマンがいた。彼の目の前には、大きな水たまりがある。


「もしもし、避けて通ればいいのでは?」と老人が声をかける。


 サラリーマンは口だけを僅かに動かして答えた。

「バ、バカを言うな。避けるために右に進めばレタスの二の舞、引き返せばキャベツの二の舞だ。私はここで『止まる』ことを選択し、5時間が経過した。これぞ過去の失敗から得た最高の防衛策だ」


「それは学んでいるのではなく、ただのフリーズです」


 老人が呆れてツッコむが、男は「私は……動かん……」と誇らしげに目を閉じ、もはや地蔵のようになっていた。


 パン屋の主人にいたっては、小麦粉の袋を抱えたままピキーンと硬直していた。


「私は3年前、最高のパンを焼いた。新しいパンを焼けば、それより不味くなるリスク(未来)がある。かといって古いパンを出し続ければ腐る(過去)。だから私は、新しいパンを『焼かない』ことで、パン屋としてのプライドを永遠に維持するのだ!」


 厨房には、何も乗っていない空っぽのトレイが美しく並んでいた。


「変化を拒絶し、ただ思考を止めることが『学ぶ』ことだと勘違いしている……。この街も長くはないな」


 老人が頭を抱えた、その時だった。


 街の境界線から、ゴゴゴゴゴ……と、耳を出すのも恐ろしいハイブリッドな大轟音があたりに響き渡った。


 なんと、左側からは、さらにスピードを増して暴走するレタス・シティの「超前進・脳筋ハイステップ軍団」が。


 そして右側からは、時間を巻き戻すほどの熱量を持ったキャベツ・シティの「超後退・ムーンウォーク軍団」が、ちょうどこのトマト・シティの真ん中で激突するルートで突撃してきたのだ!


「前へ!  前へ!  振り返るなアアア!」

「後ろへ!  後ろへ!  過去へ戻れぇ!」

 両側から迫る、狂気の両極端。挟み撃ちである。


「ひええ!  未来と過去が同時に攻めてきたぞ!」


 トマト市民たちはパニックになった。しかし彼らは「止まれ」の教えを忠実に守るため、逃げることすらしない。いや、できない。


「みんな、動くな!  徹底的に止まれ!  究極の『現状維持』を見せてみろ!」


 トマト市長が叫ぶ。


 何万というトマト市民が、その場で一斉にグッと足に力を入れ、地球の重力と一体化するかのように完全硬直した。


 彼らの「絶対に変化したくない、1歩も動きたくない」という凄まじい頑固さと停滞のエネルギーが、彼らの体から真っ赤なオーラとなって噴出する。


 ドゴォォォォォン!!!


 ついに、突撃してきたレタス軍団(前進)と、キャベツ軍団(後退)が、中央で固まるトマト市民たちに両側から同時に激突した。


 凄まじい衝撃波が街を襲う。


 しかし、トマト市民たちは1ミリも動かない。


 前進のベクトル(+)と、後退のベクトル(ー)が、トマト市民たちの圧倒的な静止エネルギー(0)によって、完全に相殺されたのだ。


「ぬ、ぬおおお……!  進めない!」


「後ろに……下がれない……!」


 レタス市民もキャベツ市民も、トマト市民の「壁」に挟まれ、押しつぶされそうになりながらもがき苦しんでいる。


「はっはっは!  見たか老人!」


 トマト市長が、首だけをこちらに向けて笑った。


「前進も後退も、我が街の『絶対静止』の前には無力!  変化を捨て、学びを放棄し、ただその場に留まり続けることこそが、すべての争いを無に帰す宇宙の真理なのだ!」


 押し寄せる二大勢力のエネルギーを完全に吸い込み、トマト・シティには奇妙な平穏が訪れた。


 三つの街の市民たちが、お互いに押し合い、固まったまま、ピタッと動きを止めている。


 老人は懐中時計をそっとポケットにしまった。


「……なるほど。動かなければ、確かに破滅のスピードは遅くなるのかもしれない……」


 自分の知性やノートの記録など、この不条理な世界の前には本当に無意味だったのだと、老人は自嘲気味に微笑んだ。


 しかし、老人がふと、市民たちの足元を見たとき、本当の恐怖が始まった。


 トマト市民たちは、完璧に「止まる」ことだけに全神経を注いでいる。ブレーキを踏みすぎて、もはや心臓の鼓動や、呼吸、新陳代謝の概念すら「変化=悪」として止め始めていたのだ。


 さらに、彼らがガッチリと両脇からレタス軍団とキャベツ軍団をホールドして止めているため、彼らの「生体停止エネルギー」が、周囲の人間にも伝染していく。


「あ……、あ……」


 レタス市民の笑顔が硬直していく。


 キャベツ市民のムーンウォークの足が、地面に癒着していく。


 街全体の空気が、分子レベルで運動を停止し、急速に冷え切っていく。絶対零度へのカウントダウンだ。このままでは全員、生きたまま永遠の氷像になってしまう。


 老人は静かに、カチコチに凍りつき始めたノートを開き、震える手で最後の文字を刻んだ。


 【記録:どれだけ完璧にトラブルを回避できても、変化を恐れて止まり続ければ、結局待っているのは『死』という名の完全な現状維持である】


 老人の指先がパリパリと凍りつき、その思考が永遠に停止する直前、彼の眼鏡だけが地面に落ちて、冷たい氷の世界の中で、キラリと寂しげに光った。

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