第6話 処分命令
命令書には、短い文章しか書かれていなかった。
だが、その短さがかえって冷たかった。
「ルミナリア遺構を確認せよ。生存者がいた場合、速やかに処分せよ」
レインは何度も読み返した。
読み間違いではない。
血で汚れてはいるが、王国軍の正式な命令書だ。紙の下部には、アストレア王国の紋章と、軍務局の封印が押されている。
生存者がいた場合、保護せよ、ではない。
事情を確認せよ、でもない。
処分せよ。
その言葉が、夜気よりも冷たく胸に沈んだ。
「レイン……それ、なに?」
背後からミラの声がした。
振り返ると、彼女は崩れかけた家の入口に立っていた。薄い布を肩にかけ、裸足のままこちらを見ている。眠っていたはずなのに、外の気配で目を覚ましたのだろう。
月明かりに照らされたミラの顔は青白かった。
「ミラ、家に戻っていてくれ」
「その人、王国の人?」
レインは答えられなかった。
倒れている兵士の鎧には、王国アストレアの紋章が刻まれている。王都で何度も見た紋章だ。勇者パーティーの遠征許可証にも、王宮の門にも、カイルの白銀の鎧にも同じものがあった。
ミラはゆっくり近づいてくる。
「来ちゃだめだ」
レインは思わず声を強めた。
ミラの足が止まる。
怯えさせたと気づき、レインはすぐに声を落とした。
「ごめん。でも、見ない方がいい」
「……死んでるの?」
「ああ」
ミラは唇を噛んだ。
怖がっている。けれど、目を逸らさない。
その様子に、レインは妙な違和感を覚えた。
普通なら、死体を見れば悲鳴を上げるか、逃げるかするだろう。
だがミラの表情には、恐怖と同時に、どこか知っているものを見てしまったような痛みがあった。
「その紙に、何が書いてあるの?」
ミラが尋ねた。
隠すべきか、レインは迷った。
今すぐ真実を伝えるには酷すぎる。
けれど、王国がこの村に来ていたことは隠せない。
そして命令書の内容を知らなければ、ミラは自分がどれほど危険な立場にいるのか理解できない。
レインは命令書を握りしめた。
「王国軍の命令書だ」
「命令書……」
「この村を調べろと書いてある。ルミナリア遺構を確認せよ、と」
その言葉を口にした瞬間、ミラの顔が歪んだ。
「ルミナリア……?」
「知ってるのか?」
「わからない」
ミラは自分の頭に手を当てた。
「知らないはずなのに……その言葉、いや」
「ミラ?」
「胸が、痛い。頭が……」
ミラの膝が崩れた。
レインは慌てて駆け寄り、倒れかけた体を支える。
彼女の体は震えていた。額には冷や汗がにじみ、呼吸が浅い。
「大丈夫か?」
「いや……来ないで……」
「俺だ。レインだ」
「違う……違うの。黒い鎧が、火が、みんなが走って……」
ミラの瞳は、レインを見ていなかった。
何か別の景色を見ている。
「地下に……行かなきゃ……でも、だめ……」
レインの背筋が冷えた。
「地下?」
ミラはレインの腕を強く掴んだ。
「地下に、行っちゃだめ」
その声は、さっきまでのミラとは違っていた。
幼さが消え、どこか遠い時代から響いてくるような声だった。
「扉を開けたら、また王国が来る。みんな、消される」
「ミラ、しっかりしろ」
「井戸が、泣いてる。門が燃えてる。お母さまが……」
そこでミラの体から力が抜けた。
レインは彼女を抱きとめる。
気を失っている。
呼吸はある。熱も高くはない。命に関わる状態ではなさそうだ。
それでも、彼女が口にした言葉はレインの中に残った。
地下。
扉。
また王国が来る。
お母さま。
ミラは本当に何も覚えていないのか。
それとも、記憶を封じられているだけなのか。
レインはミラを家の中へ運び、草を敷いた寝床に横たえた。
薄い布をかけると、彼女は苦しそうに眉を寄せたまま眠り続けた。
火を絶やさないよう薪を足し、レインは再び外へ出た。
王国兵の死体を放置するわけにはいかない。
魔物や獣を呼ぶ恐れがあるし、持ち物を調べる必要もある。
レインは兵士のそばにしゃがみ、鎧に触れた。
「鑑定」
意識を集中させると、情報が流れ込んでくる。
王国軍支給品。
所属、辺境調査小隊。
損傷、胸部に刺突痕。
死亡推定、四日前。
所持品、短剣、火打ち石、干し肉、命令書、調査用方位盤。
胸の傷は魔物の爪ではない。
刃物によるものだ。
つまり、この兵士は魔物に殺されたのではない。
誰かに刺された。
レインは眉をひそめ、兵士の短剣を抜いた。
刃に黒い汚れが残っている。乾いた血だ。
鑑定すると、兵士本人の血ではない別の血液反応があった。
王国兵は、死ぬ前に誰かを傷つけている。
その誰かはどこへ行ったのか。
他にも兵士がいたのか。
なぜこの一人だけが村の外れで死んでいるのか。
疑問ばかりが増えていく。
次に、調査用方位盤を手に取った。
方位を示す針は北を向いていない。
村の中心、あの井戸の方を指している。
「魔力反応を追う道具か」
レインは方位盤を睨んだ。
王国兵は、この村に何かを探しに来た。
おそらく、ルミナリア遺構と呼ばれるものを。
そして生存者を見つけた場合は処分する命令を受けていた。
ミラが見つかっていれば、どうなっていたか。
考えるまでもない。
レインは命令書をもう一度広げた。
末尾に、小さな署名がある。雨と血で滲んでいるが、名前の一部だけは読めた。
「……ヴァルガス?」
聞き覚えのある名だった。
王国宰相ヴァルガス。
王宮で勇者カイルに魔王討伐の勅命を渡した人物。
国王の側近で、王国の政務を取り仕切る男。
なぜ宰相の名が、こんな辺境の廃村調査にあるのか。
レインは命令書を畳み、懐にしまった。
その時、夜風が吹いた。
井戸の方から、かすかな声が聞こえた気がした。
助けて。
隠れて。
地下へ。
王国が来る。
レインは井戸を見た。
月明かりの下、石組みの井戸は静かにそこにある。
けれど、あの井戸はただの井戸ではない。
百年前、百二十三人の最後の声を聞いた井戸。
そしてミラは、その声をずっと一人で聞いていた。
レインは拳を握った。
自分に何ができるのかはわからない。
戦えない。
魔法も使えない。
勇者でも英雄でもない。
けれど、少なくとも今、ここにいる少女を置いていくことはできない。
朝になったら出ていくつもりだった。
その考えは、もう捨てた。
まずは井戸の水を調べる。
村で暮らすには水が必要だ。
それに、井戸の記憶をもう少し読み取れば、何かわかるかもしれない。
次に、地下への入口を探す。
ミラは「地下に行っちゃだめ」と言った。
ならば、この村には本当に地下がある。
危険だとしても、知らなければ守れない。
レインは死んだ王国兵を村の外れに仮埋葬し、紋章のついた鎧だけを外して布で包んだ。証拠として残しておくためだ。
作業を終える頃には、東の空がわずかに白み始めていた。
家に戻ると、ミラはまだ眠っていた。
額の汗は引いている。呼吸も落ち着いている。
レインは入口のそばに腰を下ろし、命令書を見つめた。
この紙一枚で、状況ははっきりした。
王国はこの村を知っている。
ルミナリアという名を隠している。
そして、生き残りを許す気がない。
ミラが小さく身じろぎした。
「……レイン」
眠ったまま、彼女が名前を呼んだ。
レインは静かに答えた。
「大丈夫だ。俺はまだここにいる」
その言葉が届いたのか、ミラの表情が少しだけ和らいだ。
朝日が、崩れた壁の隙間から差し込む。
廃村エルネの一日が始まろうとしていた。
そしてレインはこの日、自分がもうただの通りすがりではないことを理解した。




