第35話 再会
魔石灯の光の向こうに、レインが立っていた。
その背後には、ミラとセラがいる。
さらに少し離れたところに、ふわふわと宙に浮く石板――ノルの姿もあった。
カイルは一瞬、言葉を失った。
王都の北門で別れた時のレインとは、どこか違って見えた。
鎧をまとったわけでもない。
強そうな武器を持っているわけでもない。
相変わらず腰にあるのは古い短剣で、外套も旅の泥に汚れている。
それでも、彼の目は以前とは違っていた。
かつてのレインは、いつも少し俯いていた。
自分の言葉に自信がなく、何かを指摘するたびに申し訳なさそうな顔をしていた。
だが今のレインは、まっすぐこちらを見ていた。
警戒を解いてはいない。
けれど、怯えてもいない。
「レイン……」
カイルがもう一度名を呼ぶ。
レインは短剣の柄に手を添えたまま、静かに言った。
「久しぶりだな、カイル」
その声に、カイルの胸が痛んだ。
懐かしさではない。
後ろめたさだった。
リシアが一歩前へ出る。
「レイン、本当にレインなのね」
「そうだけど、近づかない方がいい」
レインは周囲を見回した。
「ここはまだ安全じゃない。王国兵の気配が残っている」
その言葉に、カイルは自分たちが倒した王国兵たちを振り返った。
拘束した兵たちは、通路の壁際にまとめて座らせてある。
武器は取り上げたが、まだ意識はある。
レインは彼らの装備を一目見ただけで、眉をひそめた。
「黒外套。王国直属の隠密部隊か」
セラが低く言う。
「宰相直属ね。研究機関の護送部隊にも同じ装備がいたわ」
カイルはセラを見た。
「君は?」
「セラ。元王国研究機関の薬師よ。あなたたち勇者パーティーを利用して、封印を壊そうとしている連中から逃げてきた者」
その言葉に、ダリオが息を呑んだ。
「やっぱり、そういうことかよ」
カイルは命令書を握りしめた。
「レイン。俺たちは……」
「話は後だ」
レインは冷たく遮った。
その口調に、カイルは言葉を失う。
当然だった。
自分に、すぐ話を聞いてもらえる資格があると思う方がおかしい。
レインは通路の壁、床、扉を順に見た。
「この扉を開けたのか?」
「いや」
カイルは首を横に振った。
「開けていない。王国兵が開けようとしていた。俺たちは止めた」
レインの目がわずかに動いた。
「止めた?」
「ああ」
「命令に背いて?」
「……そうだ」
短い沈黙が落ちた。
レインはカイルを見た。
その目には、驚きよりも疑いがあった。
「なぜ?」
カイルは答えようとして、すぐに言葉を出せなかった。
理由はいくつもある。
毒沼。
転移罠。
慰霊区画。
壁画。
魔王が人を守っているように見えたこと。
王国兵が、勇者に理由は不要だと言ったこと。
だが、そのすべての根にあったものは一つだった。
「知らないまま壊せないと思った」
カイルは言った。
「ここが何なのか、魔王が何をしているのか、封印の間に何があるのか。何も知らないまま、王国の命令だからと壊すことはできない」
レインは黙って聞いていた。
カイルは続ける。
「そして、そう思った時……お前なら、きっと止まると思った」
レインの表情は変わらなかった。
リシアが苦しげに口を開く。
「レイン。私たち、あなたがしてくれていたことを、全然わかっていなかった。呪われた宝剣も、毒沼も、転移罠も、あなたがいたらきっと防げた」
ダリオも視線を落とした。
「俺も悪かった。戦えねえとか、荷物番とか、散々言った。あれは……俺が馬鹿だった」
エリオットは深く頭を下げる。
「私は、あなたを庇いませんでした。わかっていたのに、黙っていました。申し訳ありません」
マルクも小さく頭を下げた。
「僕は、あなたの代わりになれると思っていました。でも、何もわかっていませんでした」
カイルは最後に、一歩前へ出た。
「レイン」
喉がひどく乾く。
それでも、逃げるわけにはいかなかった。
「お前を追放したこと、役立たずと言ったこと、全部間違いだった。俺は、お前の価値を何も見ていなかった」
レインは、しばらく何も言わなかった。
その沈黙が、カイルにはどんな責め言葉よりも重かった。
やがてレインは、静かに口を開いた。
「今それを言われても、すぐには受け取れない」
カイルは頷いた。
「わかってる」
「わかってるならいい」
レインの声は冷静だった。
「俺は、あの日のことを忘れていない。王都の北門で、俺だけがいらないと言われたことも。誰も止めなかったことも。自分の価値がわからなくなったことも」
リシアが唇を噛む。
ダリオは何も言い返せない。
レインは続けた。
「謝ったから終わりにはできない。少なくとも、今は」
「ああ」
カイルは静かに言った。
「それでいい。許してもらうために言ったんじゃない。言わないまま進めないと思った」
レインは少しだけ目を伏せた。
その時、ミラが不安そうにレインの袖を掴んだ。
「レイン……」
カイルは初めて、彼女を正面から見た。
白銀色の髪。
青い石の首飾り。
王国兵が命令書で「封印鍵」と呼んでいた少女。
ミラはカイルを警戒していた。
当然だろう。彼は王国の勇者だ。ミラから見れば、彼もまた自分を奪いに来た側の人間かもしれない。
カイルは剣から手を離し、膝をついた。
「君を連れていくつもりはない」
ミラは目を見開いた。
「本当に?」
「ああ。王国が君を何と呼んでいるかは知らない。だが、少なくとも俺は、君を道具として扱わない」
ミラはすぐには答えず、レインを見た。
レインは小さく頷いた。
「今のところは、信じてもいいと思う」
「今のところは、か」
カイルは苦く笑った。
「それで十分だ」
ノルがふわりと前へ出る。
「感動の再会に水を差すようで悪いが、時間がない」
「お前は?」
カイルが石板を見て目を瞬かせる。
「ルミナリア北方守護施設管理補助人格第七号、通称ノルである。勇者よ、状況を理解する頭は残っておるか?」
ダリオが思わず吹き出した。
「こいつ、誰にでも偉そうなんだな」
「事実を述べているだけだ」
ノルは扉へ向いた。
「この先に、封印中枢へ通じる道がある。王国兵が開けようとしていたのは、その外門だ。だが、完全な開放には鍵の継承者の反応が必要になる」
全員の視線がミラへ向いた。
ミラは首飾りを握りしめる。
レインがすぐに言った。
「ミラに無理はさせない」
「わかっておる。だが、扉はすでに王国の魔導具で傷つけられている。放置すれば、王国の第二部隊が別経路から進入し、強制的に開く可能性がある」
セラが扉の縁を調べ、顔をしかめた。
「黒い魔石の痕跡があるわ。封印を腐食させる術式ね。研究機関で見たことがある」
レインは扉へ近づき、手を触れた。
「鑑定」
彼の表情が険しくなる。
「封印が削られている。まだ壊れてはいないが、このままだと内部の魔力が乱れる」
カイルは問いかけた。
「どうすればいい?」
レインはすぐには答えなかった。
カイルに頼られること自体が、まだ受け入れがたいのかもしれない。
それでも、レインは状況を優先した。
「ミラの首飾りで正規の手順を踏んで扉を開く。その上で、王国の腐食術式を内側から切り離す。無理に壊すより安全だ」
ミラが小さく息を呑む。
「私が、開けるの?」
「できるか?」
レインの声は優しかった。
「怖いなら、別の方法を探す」
ミラは扉を見つめた。
そこには、王国語の注釈と、古いルミナリア文字が重なって刻まれている。
魔王の城にあらず。
世界の罪を封じる墓所。
ミラは震える手で首飾りに触れた。
「やる」
レインが頷く。
「俺が隣にいる」
「私もいるわ」
セラが薬瓶を取り出した。
「記憶が揺らいだら、すぐに飲ませる」
カイルは一歩下がった。
今、自分が前に出る場面ではない。
これはミラとレインの選択だ。
だが、守ることはできる。
「王国兵が来たら、俺たちが止める」
レインは一瞬だけカイルを見た。
「頼む」
たった二文字だった。
それでもカイルには、重かった。
ミラが扉に手を置いた。
青い首飾りが光る。
扉の古い紋章にも、白い光が走る。
同時に、通路の奥から低い振動が響いた。
封印が目覚めていく。
レインは扉に手を添え、王国の腐食術式を読み取る。
額に汗が浮かぶ。
セラが横で魔力安定剤を構える。
ノルが術式の補助を始める。
カイルは聖剣を抜き、背後の通路を警戒した。
リシア、ダリオ、エリオット、マルクも並ぶ。
かつてレインを追放した勇者パーティーが、今は彼の背中を守っていた。
やがて、扉が低く軋んだ。
石と金属が擦れる音。
長い眠りから起き上がるような音。
扉の隙間から、冷たい風が吹き出した。
その奥に、巨大な広間が見える。
そして、闇の中から声が響いた。
「ようやく来たか」
重く、深く、静かな声だった。
カイルの聖剣が、かすかに震える。
レインが顔を上げる。
ミラの首飾りが強く光る。
闇の奥で、黒い翼がゆっくりと開いた。
魔王ゼルグレイスが、そこにいた。




