第34話 追放した者の後悔
「なら、従えない」
カイルがそう告げた瞬間、墓所の空気が凍りついた。
王国兵たちは一斉に武器へ手をかけた。
黒い外套の下から、短剣、槍、魔導具が覗く。
彼らは通常の兵ではない。王国の紋章を隠している時点で、表に出せない任務を負った者たちだとわかる。
命令書を持つ男が、冷たい目でカイルを見た。
「勇者カイル。今の発言は、王命への拒絶と受け取ってよろしいですか」
「理由を聞かせろと言っている」
「理由は命令書に記されています。魔王ゼルグレイスを討伐し、封印の間を破壊する。それだけです」
「それだけでは足りない」
カイルは聖剣の柄に手を置いたまま、男を睨んだ。
「ここは魔王の城ではない。封印施設だ。慰霊区画があり、死者の残滓が子どもたちを案じていた。壁画では魔王が人を守っていた。なのに、なぜ封印を破壊する必要がある」
男の表情は変わらなかった。
「勇者に求められるのは判断ではありません。遂行です」
その言葉に、カイルの胸の奥で何かが軋んだ。
判断ではなく、遂行。
王国は自分をそう見ていたのか。
剣を振るう道具。
民に見せる旗印。
疑わず、考えず、命じられた敵を倒す存在。
カイルは、かつて自分がレインに言った言葉を思い出した。
戦えない鑑定士を連れていく余裕はない。
勇者パーティーには向いていなかった。
お前はもう必要ない。
自分はレインを、役割だけで見ていた。
鑑定士。
戦えない者。
足手まとい。
彼が何を見ていたのか。
何を防いでいたのか。
どんな思いで黙って荷物を点検していたのか。
何一つ、見ようとしていなかった。
「カイル」
リシアが静かに声をかけた。
彼女は杖を構えていた。
その表情には迷いがある。だが、逃げる気はなさそうだった。
「どうするの?」
カイルは一瞬、仲間たちを見た。
ダリオは大剣を握りしめている。
エリオットは祈りの姿勢を取りながら、王国兵たちを警戒している。
マルクは震えていたが、それでも杖を下ろしていなかった。
誰も、進めとは言わない。
命令に従おうとも言わない。
カイルは深く息を吸った。
「扉は開けない」
王国兵の男が目を細める。
「それが最終判断ですか」
「ああ」
「残念です」
男が片手を上げた。
王国兵たちが動く。
「勇者一行を拘束せよ。封印の間は我々が開く」
最初に飛び出したのは槍兵だった。
カイルは聖剣を抜き、槍を弾いた。
刃元の亀裂が軋む。
以前なら力任せに魔力を流していた。だが今は違う。レインの警告が頭に残っている。無理に聖剣へ負荷をかければ、折れる。
カイルは魔力を抑え、刃ではなく角度で槍を受け流した。
ダリオが横から踏み込み、槍兵の腹へ大剣の柄を叩き込む。
「殺すなよ!」
カイルが叫ぶ。
「わかってる!」
ダリオが怒鳴り返す。
リシアの氷魔法が床を走り、二人の兵の足を止める。
エリオットの光が拘束具の魔力を弱め、マルクは火ではなく雷の小さな弾を放って敵の武器を弾いた。
以前の勇者パーティーなら、もっと派手に戦っていただろう。
強い魔法で押し切り、聖剣で道を開き、敵を倒すことだけを考えていた。
だが今は、誰も無理に突っ込まなかった。
足元を見る。
壁の紋様を見る。
敵の持つ道具を見る。
封印施設を傷つけないよう、力を抑える。
まるで、レインがそこにいるかのようだった。
王国兵の一人が、扉へ向かって走る。
「封印門へ!」
カイルはすぐに追おうとした。
だが、床に小さな魔法陣が光ったのに気づき、足を止める。
踏めば何かが発動する。
「ダリオ、左から回れ!」
「あいよ!」
ダリオが壁際を走り、王国兵の前に回り込む。
兵が短剣を抜くが、ダリオは大剣の腹でそれを叩き落とした。
カイルは床の魔法陣を見つめる。
もし今、焦って踏み込んでいたら。
自分が罠を発動させ、仲間を巻き込んでいたかもしれない。
これも、レインがいつも見ていたものだ。
見えない危険。
起きる前の失敗。
誰にも褒められない防御。
カイルは歯を食いしばった。
「俺は……何も見ていなかった」
戦いは長くは続かなかった。
王国兵たちは精鋭だったが、封印施設を壊さないように動く勇者パーティーに対し、無理に押し込もうとして逆に動きが乱れた。
リシアの氷が足を奪い、エリオットの浄化が魔導具を封じ、マルクの雷が武器を弾く。
最後にカイルとダリオが前に出て、兵たちを一人ずつ無力化した。
命令書を持つ男だけが、後方で立っていた。
「愚かな」
男は吐き捨てるように言った。
「勇者でありながら、王国に背くとは」
「王国に背いたんじゃない」
カイルは息を整えながら答えた。
「理由のない破壊に背いただけだ」
「同じことです。王国の命令こそ秩序。あなたはその秩序を乱した」
「秩序のためなら、何を封じているかも知らずに壊せと言うのか」
「知る必要はない」
男は冷たく言った。
「民も、兵も、勇者も。真実を知る必要などありません。上が決めた物語に従えばよいのです」
その瞬間、カイルの中で何かが完全に切れた。
上が決めた物語に従えばいい。
それは、レインを追放した時の自分と同じだった。
勇者パーティーに必要なのは戦力。
戦えない鑑定士はいらない。
そう決めた自分の物語に、レインを押し込めた。
彼の働きも、言葉も、傷ついた顔も、見なかったことにした。
カイルは男へ歩み寄った。
「俺は、もう誰かを役割だけで切り捨てない」
男が短剣を抜く。
だが、その手はリシアの氷で止まった。
エリオットの光が短剣にかかった術式を消し、マルクの雷がそれを床へ弾く。
カイルは男の胸倉を掴んだ。
「宰相ヴァルガスは何を狙っている」
「答えると思うか」
「なら、命令書を置いていけ」
「これは王国機密――」
ダリオが背後から大剣を床に叩きつけた。
石床が鈍く響く。
「落とせ。次は床じゃねえかもしれねえ」
男は屈辱に顔を歪めたが、命令書を床へ落とした。
カイルはそれを拾う。
そこには、先ほどの命令に加え、細かな指示が書かれていた。
勇者パーティーが疑念を示した場合、封印破壊を優先。
勇者の聖剣は、封印外郭の突破に利用可能。
魔王ゼルグレイスの討伐、または守護核への損傷を確認次第、第二部隊を進入させる。
カイルの手が震えた。
「利用可能……」
自分たちは、最初から利用される前提だった。
勇者として称えられ、民に見送られ、正義の剣だと信じて進んできた。
だが王国上層部にとっては、聖剣も、勇者も、封印を壊すための道具でしかなかった。
レインもまた、道具として見られ、不要と判断され、捨てられた。
その構造が重なった。
カイルは命令書を握りしめ、膝をついた。
「レイン……」
声が漏れた。
リシアが近づく。
「カイル」
「俺は、あいつに何をしたんだ」
誰も答えなかった。
答えは、カイル自身が一番よく知っていた。
「何度も止めてくれていた。何度も見つけてくれていた。俺たちが気づかなかった危険を、ずっと先に見ていた。それなのに俺は……戦えないからいらないと」
ダリオが唇を噛む。
「俺も言った。荷物番だの、口だけだの」
「私も、うるさいと思っていたわ」
リシアが静かに言った。
「便利に使っていたのに、守ろうとはしなかった」
エリオットが目を伏せる。
「私も止めなかった。それが一番卑怯でした」
マルクは小さく俯いた。
「僕は、代わりになれると思っていました。でも、役割が違うことすらわかっていませんでした」
カイルは立ち上がった。
後悔しても、時間は戻らない。
レインに言った言葉は消えない。
追放した事実も変わらない。
それでも、今ここでできることはある。
「レインに会う」
カイルは言った。
仲間たちが顔を上げる。
「謝る。許されなくてもいい。だが、その前に、この封印の真実を確かめる」
「どうやって?」
リシアが尋ねる。
カイルは命令書を見た。
「この命令書には、第二部隊の進入経路が書いてある。王国は封印の間へ向かう別の道を知っている。そこを逆に辿れば、王国が何をしようとしているかわかるはずだ」
エリオットが頷く。
「そして、魔王ゼルグレイスにも会う必要があります」
「ああ」
カイルは墓所の扉を見た。
魔王の城にあらず。
世界の罪を封じる墓所。
その文字は、もう脅しには見えなかった。
警告だった。
王国の嘘から世界を守るために残された、百年前の警告。
その時、通路の奥から別の気配が近づいてきた。
王国兵ではない。
足音は複数。
だが、敵意だけではない。
カイルは聖剣を構える。
リシアが杖を上げる。
ダリオも大剣を握り直した。
暗い通路の向こうから、魔石灯の光が近づいてくる。
先頭にいたのは、見覚えのある青年だった。
茶色の髪。
旅で汚れた外套。
腰の古い短剣。
そして、こちらを見た瞬間にわずかに目を見開く、慎重なまなざし。
「レイン……」
カイルの声が、墓所に小さく響いた。
追放した鑑定士が、そこにいた。




